サクラさん
魯迅の『故郷』では
「もともと地上に
道はない。
歩く人が多くなれば、
それが道になるのだ」
という最後の一文が
キュンと来ました。

ハンサム 教授
ふむふむ。「希望」と
いうものについて
「もともとあるものとも
いえぬし、ないものとも
いえない」
と考えたあとで、その
補足説明のようにして
言われていましたね。

サクラさん
そういうことを考える
きっかけになった部分で
「相変わらずの偶像崇拝」
とか言ってましたけど、
「偶像」って何すか?

ハンサム 教授
英語でいうと”idol”
(アイドル)だね;^^💦

サクラさん
オヨヨ(🐱) AKBとか、
そういう…❔




ハンサム 教授
そういうのもだし;^^💦

ともかくリアルじゃない
価値を上乗せして見られ
ちゃってるモノ…
ってことかな。

サクラさん
そういうモノはなく
なった方がいいと
魯迅は考えていた?

ハンサム 教授
う~ん、微妙ですね。

ともかくこれは現代日本に
通じる問題にちがいあり
ませんから、読書感想文も
書きやすいのでは?


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というわけで、おなじみ”感想文の書き方”
今回は中学国語の教科書に採用されている
魯迅の短編小説『故郷』(1921。
『阿Q正伝・狂人日記』竹内好訳、岩波文庫
👇 所収)で行ってみましょ~。
 



👉本文をまだちゃんと読んで
なくて話がよくわからないという
人は、まずはこちらでしっかり
「あらすじ」をインプットして
おいてくださいね。

故郷(魯迅)のあらすじと主題…簡単/詳しくの2段階で

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「600字以内」の例文

はい、ストーリーがしっかり理解でき
ましたら、さっそく感想文に
取り組みましょう。

600字(原稿用紙1.5枚)で書く場合を
想定して、まずサクラさんが試作し、
これをハンサム教授が添削された
ものをサンプルとしてお目にかけ
ますので、まずはじっくりとどうぞ。

 魯迅の『故郷』は辛亥革命から
9年後の1921年に書かれた作品で、
当時の中国の多様な階層の人々を
鮮やかに描き出していると思った。


 魯迅自身のように都会で活動する
知識人の考え方はどんどん新しく
変わっているのに対して、教育を
受けていない地方の労働者たちは
少しも変わっていない。

そのことを「私」が思い知らされる
のは、久々に帰省して幼ななじみの
閏土らに三十何年かぶりに会う
ことによってだった。

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閏土一家の生活ぶりにふれることを
通して、階級的な落差が浮かび
上がり、「私」は複雑な心境に
なっていく。


 たとえば閏土との関係は、少年期
にはまったく対等で、というより
年上の閏土の方が格上の感じさえ
あったのに、今、彼は「私」を
「旦那様」と呼ぶ。

そんな呼び方をされて嬉しいわけも
ないし、しかも今や革命後なのだから、
そういう階級意識は捨て去っていても
いいはずなのだ。

  

 故郷を去る時、閏土の息子水生
と仲良くなった「私」の甥の宏児が
また会いたいと言っていると聞いた
「私」は、彼らが将来、相手を
「旦那様」と呼んだりすることの
ない「新しい生活」に入っていて
ほしいという「希望」をもつ。

この「希望」についての考察
で『故郷』は結ばれていくのだが、
「希望は地上の道のようなもの」
だという比喩に私は感銘を受けた。

すなわちそれはもともと地上に
「ない」ものだけれど、
「歩く人が多くなれば、
それが道になるのだ」と。
          【579字】

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どうです?

なかなかうまいと
思いませんでした?


これをそのままコピペすることは
もちろん厳禁ですが、ところどころ
つまみ食いして、自分らしい文章に
変えて使ってもらうのはかまい
ませんよ~;^^💦

400字とか、もっと短い字数で書く
場合は、あらすじを書いているところ
とか、必要なさそうな部分を
切り捨ててスリム化してください。

逆にもっと字数がほしい場合は、
自分の経験や考えをどんどん入れて
膨らましていけばいいわけです。


ほかの着眼点は?

もちろん『故郷』の感想文としては、
サクラさんのような着眼や考え方が
すべてではありません。

ほかにもいろんな目のつけどころが
あるでしょう。

   

たとえば歴史好きの人であれば、
「革命いまだ成功せず。
同志よ、努力すべし」
という孫文の名言を思いだしたかも
しれません。

こそれはまさにこの時代に吐かれた
ものなのですから、そういった
歴史的事実と結びつけた感想文を
書いてもいいわけです。


でも、とりあえず、それは抜きにして
現代日本に生きる自分にとっての「希望」
の話として、感想文を書いていっても
かまわないわけです。

たとえば、今のうちのクラス(ここは
「家庭」「部活」などに入れ替え可)は
暗く、なんの「希望」も見いだされない
ようだけれども、私がまず歩いて「道」を
つけ、そのあとをみんなが歩いてくれる
ように頑張れば、「希望」は膨らむ
はずだ……とか。


文学的な新しさ

ん? そんなのは陳腐でつまらん?

魯迅なんて結局、道学先生で、文学
としては別に新味もないし、ホントは
ちっとも面白くねえんでねえの…?


いやいや、そんなことはないんですよ。

魯迅文学は、文学的な新しさに
満ちた魅力的な世界なんです。


たとえば上に引用した結びの一節では、
「希望」と「道」とを重ねる比喩が
生きていますね。

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もちろん、それだけならどうってこと
ないんですが、この比喩がここで
突然ぽっと出てきたものではない
ことに注意しましょう。


出てくることの必然性が、それ以前に
周到に準備されていて、出てきた時には
読者の脳裏に自然にしみ入っていく
ように仕掛けられているんです。

この仕掛けを解説するために、段落を
もう2つだけ、さかのぼりましょう。

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”意識の流れ”の文学

終わりから3つめの段落では、「私」と
母と甥の宏児(ホンル)を乗せた船が
故郷を離れていきますが、その船上で
宏児らの「若い世代」がこうあって
ほしいという願いを述べていくうち、
こんな文章がすべり出ます。

希望をいえば、かれらは新しい
生活をもたなくてはならない。

私たちの経験しなかった
新しい生活を。


次の段落はこれを受けて「希望という
考えがうかんだので、私はどきっとした」
と始められ、こういう考えに移ります。

幼なじみの閏土(ルントー)が香炉と
燭台を所望したとき「相変わらずの
偶像崇拝だな」と笑ったけれども、
自分のいう「希望」もやはり「偶像に
過ぎぬのではないか」……。

こう考えながらまどろんだ「私」の眼に
幼時、閏土と遊んだ海辺と空の情景が
鮮やかに浮かぶ……というのが最終段落の
前半で、後半が上に引用した「結論」
部分ということになります。

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つまり、最終3段落(長さは1ページ強)の
流れは、ふと脳裏に浮上した「希望」という
言葉が呼び起こした連想が連なっていく
という形になっていますよね。

文章のこの流れには、”意識の流れ”という
当時の新しい知見の影響下にで文学を
作っていこうとする志向が見て取れます。

その意味で、もし「文学」を「言語による芸術」
と理解してよいのなら、『故郷』はたいへん
「文学的」な作品といえますし、世界文学の
先端的な潮流に遅れを取らぬものだったんです。


突然ひろがる「不思議な画面」

魯迅のこのような文学性が冴えるのは
結論部ばかりではありません。

上記別記事の「やや詳しいあらすじ」の
【起】から【承】へ移る、その飛び方にも
似たものがあったんですね。

「閏土がおまえに会いたがっていた」という
母の言葉から突然、私の脳裏に「不思議な
画面」がひろがっていきます。

紺碧の空に金色の丸い月が
かかっている。

その下は海辺の砂地で、
見わたすかぎり緑の西瓜が
うわっている。

そのまん中に十一、二の少年が
銀の首輪をつるし、鉄の刺叉
(さすまた)を手にして
立っている。

そして……

     

母の言葉に刺激されて蘇った、おそらく
二十年以上ぶりに想起される故郷の
鮮やかな情景:*:・( ̄∀ ̄)・:*:。

作品中、最も美しい「文学」の
味わいどころではないでしょうか。

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遠ざかり巨大化する車夫

この『故郷』が収録された短編集
『吶喊』は、ほかにも様々な
”文学的”な新しさに満ちています。

たとえば『小さな出来事』では、「私」の
乗った人力車が老婆を転倒させてしまい、
車夫が老婆に肩を貸して派出所へと
歩き始めるのですが、そのとき……

ふと異様な感じが私をとらえた。
埃まみれの車夫のうしろ姿が、
急に大きくなった。

しかも去るにしたがって
ますます大きくなり、
仰がなければ見えない
くらいになった。

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こうして車夫は「一種の威圧めいたもの」に
変わって「私の『卑小』」をしぼり出さん
ばかりになったというのです。

うーむ、これはほとんど
シュルレアリスムですね。
👉シュルレアリスムに関しては
こちらを参照。

シュールの意味と使い方:お笑いの世界から芸術的”超現実”へ

原民喜 夏の花で感想文:夢が交錯する”超現実派”の文体を解説



日本文学から学んだ魯迅

魯迅『吶喊』の衝撃は、これら、それまでの
中国文学にまったくなかった新しい方法を
一気に持ちこんだところにありました。

それではそれらの新手法を魯迅はどこで、
どのようにして作り上げたのでしょうか。


この問いを立てる場合、現代の中国人は
あまり認めたがらないかもしれませんが、
医学生として留学し、やがて文学に
転じた日本でのこと……と言わざるを
えないんですね。

そのへんのことは『藤野先生』という
作品で、これも感動的に語られていますし、
またデビュー作『狂人日記』の発想の源に
夏目漱石の『吾輩は猫である』があったこと
なども研究者によって明らかにされています。
👉この点について詳しくはコチラを。

吾輩は猫である(夏目漱石)で感想文:魯迅も学んだ「人間批判」

夏目漱石 吾輩は猫であるのあらすじ:簡単/詳しくの2段階で

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多少とも突っ込んだ感想文やレポートを
書こうという人は、そのへんを調べて
みるといいんじゃないでしょうか。

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まとめ

さて、いろいろと情報提供してきました。

これでもう書けますよね、感想文。

ん? 書けそうなテーマは浮かんで
きたけど、でもやっぱり感想文は
苦手で、具体的にどうやっていいのか
わからない( ̄ヘ ̄)?

なるほど。

そういう人はまず、そもそも「感想文」
とはどういうもので、自分はなぜそれが
苦手(嫌い)なのかというところから
考え直してみましょう。
👉そういった問題で困っている
人はまず、こちらをの記事を
読んでみてください。

きっと目からウロコですよ。

読書感想文 入賞のコツ4条⦅評価されるのは感想ではなく…何?⦆

      


👉また当ブログでは、日本と
世界の種々の文学作品について
「あらすじ」や「感想文」関連の
お助け記事を量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧


ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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