故郷(魯迅)の感想文どう書く?シュールな新文学として解説

やあやあサイ象です。

「感想文の書き方」シリーズも
ついに第120回((((((ノ゚⊿゚)ノ

今回は中学国語の教科書に採用されている
数少ない外国文学作品、『故郷』です。

近代中国の文豪、魯迅の短編小説
(1921。『阿Q正伝・狂人日記』
竹内好訳、岩波文庫 👇 所収)ですね。
 



え? まだ読んでいない?

読まないで読書感想文を書こう
というのは、なかなかいい度胸ですな。

まあそれも結構。

そういう人はこちらの「あらすじ」で
ストーリーを頭に入れてくださいね~(ニコニコ)。

故郷(魯迅)のあらすじと主題…簡単/詳しくの2段階で

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主題(結論)は書いてある

さあ、それでは感想文に向けて
解説を試みます。

いろんなアプローチの仕方があると
思いますが、最も正攻法というか
王道を行く方法は、作品の「主題」を
きちんと押さえ、それについての自分の
感想・意見を述べていくこと。

『故郷』の場合、それはそんなに
むずかしいことではありませんね。

「主題」は作品の最終段落に、
あたかも論文の「結論」のように
まとめて書いてあるからです。

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それすなわち上記の「あらすじ」記事の
「やや詳しいあらすじ」の末尾で要約的に
記述したもので、きちんと引用すると
こうなります。

思うに希望とは、もともとある
ものともいえぬし、ないもの
ともいえない。

それは地上の道のような
ものである。

もともと地上に道はない。

歩く人が多くなれれば、
それが道になるのだ。


すなわち「もともと地上に道はない」
ように、「希望」もは始めから
あるわけではない。

まず誰かが歩いて道をつけ、その道を
多くの人が踏み固めることで次第に
できていくのが「希望」なのだ……と。

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魯迅のいわんとするところを正確に
理解しようとすれば、この作品が
発表された1921年の中国の時代背景を
知る必要も出てきます。

「革命いまだ成功せず。同志よ、
努力すべし」という孫文の名言が
吐かれた時代ですね。


でも、とりあえず、それは抜きにして
現代日本に生きる自分にとっての「希望」
の話として、感想文を書いていっても
かまわないわけです。
(論文じゃないんですから)

たとえば、今のうちのクラス(ここは
「家庭」「部活」などに入れ替え可)は
暗く、なんの「希望」も見いだされない
ようだけれども、私がまず歩いて「道」を
つけ、そのあとをみんなが歩いてくれる
ように頑張れば、「希望」は膨らむ
はずだ……とか。

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文学的な新しさ

ケッ、そんなのは陳腐でつまらん。

お説教はごめんだよ。

魯迅なんて結局、道学先生で、文学としては
ちっとも面白くねえんでねえの(=`(∞)´=)?


いやいや、そんなことはないんですよ。

魯迅文学は、文学的な新しさに
満ちた魅力的な世界なんです。


たとえば上に引用した結びの一節では、
「希望」と「道」とを重ねる比喩が
生きていますね。

もちろん、それだけならどうってこと
ないんですが、この比喩がここで
突然ぽっと出てきたものではない
ことに注意しましょう。

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出てくることの必然性が、それ以前に
周到に準備されていて、出てきた時には
読者の脳裏に自然にしみ入っていく
ように仕掛けられているんです。

この仕掛けを解説するために、段落を
もう2つだけ、さかのぼりましょう。


”意識の流れ”の文学

終わりから3つめの段落では、「私」と
母と甥の宏児(ホンル)を乗せた船が
故郷を離れていきますが、その船上で
宏児らの「若い世代」がこうあって
ほしいという願いを述べていくうち、
こんな文章がすべり出ます。

希望をいえば、かれらは新しい
生活をもたなくてはならない。

私たちの経験しなかった
新しい生活を。


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次の段落はこれを受けて「希望という
考えがうかんだので、私はどきっとした」
と始められ、こういう考えに移ります。

幼なじみの閏土(ルントー)が香炉と
燭台を所望したとき「相変わらずの
偶像崇拝だな」と笑ったけれども、
自分のいう「希望」もやはり「偶像に
過ぎぬのではないか」……。

こう考えながらまどろんだ「私」の眼に
幼時、閏土と遊んだ海辺と空の情景が
鮮やかに浮かぶ……というのが最終段落の
前半で、後半が上に引用した「結論」
部分ということになります。

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つまり、最終3段落(長さは1ページ強)の
流れは、ふと脳裏に浮上した「希望」という
言葉が呼び起こした連想が連なっていく
という形になっていますよね。

文章のこの流れには、”意識の流れ”という
当時の新しい知見の影響下にで文学を
作っていこうとする志向が見て取れます。

その意味で、もし「文学」を「言語による芸術」
と理解してよいのなら、『故郷』はたいへん
「文学的」な作品といえますし、世界文学の
先端的な潮流に遅れを取らぬものだったんです。

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突然ひろがる「不思議な画面」

魯迅のこのような文学性が冴えるのは
結論部ばかりではありません。

上記別記事の「やや詳しいあらすじ」の
【起】から【承】へ移る、その飛び方にも
似たものがあったんですね。

「閏土がおまえに会いたがっていた」という
母の言葉から突然、私の脳裏に「不思議な
画面」がひろがっていきます。

紺碧の空に金色の丸い月が
かかっている。

その下は海辺の砂地で、
見わたすかぎり緑の西瓜が
うわっている。

そのまん中に十一、二の少年が
銀の首輪をつるし、鉄の刺叉
(さすまた)を手にして
立っている。

そして……


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母の言葉に刺激されて蘇った、おそらく
二十年以上ぶりに想起される故郷の
鮮やかな情景:*:・( ̄∀ ̄)・:*:。

作品中、最も美しい「文学」の
味わいどころではないでしょうか。



遠ざかり巨大化する車夫

この『故郷』が収録された短編集
『吶喊』は、ほかにも様々な
”文学的”な新しさに満ちています。

たとえば『小さな出来事』では、「私」の
乗った人力車が老婆を転倒させてしまい、
車夫が老婆に肩を貸して派出所へと
歩き始めるのですが、そのとき……

ふと異様な感じが私をとらえた。
埃まみれの車夫のうしろ姿が、
急に大きくなった。

しかも去るにしたがって
ますます大きくなり、
仰がなければ見えない
くらいになった。

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こうして車夫は「一種の威圧めいたもの」に
変わって「私の『卑小』」をしぼり出さん
ばかりになったというのです。

うーむ、これはほとんど
シュルレアリスムですね。

シュルレアリスムに関しては
こちらを参照。

シュールの意味と使い方:お笑いの世界から芸術的”超現実”へ

原民喜 夏の花で感想文:夢が交錯する”超現実派”の文体を解説


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日本文学から学んだ魯迅

魯迅『吶喊』の衝撃は、これら、それまでの
中国文学にまったくなかった新しい方法を
一気に持ちこんだところにありました。

それではそれらの新手法を魯迅はどこで、
どのようにして作り上げたのでしょうか。


この問いを立てる場合、現代の中国人は
あまり認めたがらないかもしれませんが、
医学生として留学し、やがて文学に
転じた日本でのこと……と言わざるを
えないんですね。

そのへんのことは『藤野先生』という
作品で、これも感動的に語られていますし、
またデビュー作『狂人日記』の発想の源に
夏目漱石の『吾輩は猫である』があったこと
なども研究者によって明らかにされています。

この点について詳しくはコチラを。

吾輩は猫である(夏目漱石)で感想文:魯迅も学んだ「人間批判」

夏目漱石 吾輩は猫であるのあらすじ:簡単/詳しくの2段階で

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多少とも突っ込んだ感想文やレポートを
書こうという人は、そのへんを調べて
みるといいんじゃないでしょうか。



まとめ

さて、いろいろと情報提供してきました。

これでもう書けますよね、感想文。

え? 書けそうなことは浮かんできたけど、
でも具体的に、どう進めていいか
わからない( ̄ヘ ̄)?

そういう人は、「感想文の書き方
《虎の巻》」を開陳している記事の
どれかを見てくださいね。

当ブログでは、日本と世界の種々の
文学作品について「あらすじ」や
「感想文」関連のお助け記事を
量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧

ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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