トルストイ 人生論は難しい?12の名言をつないで”幸福”を理解しよう


サクラさん
幸福な家庭はどれも
似たものだが、不幸な
家庭はそれぞれに不幸…

ってトルストイの言葉
ですよね。

ハンサム 教授
『アンナ・カレーニナ』
冒頭の名言として有名です。

サクラさん
でもその”幸福”って、
いったいどういうもの
なんでしょう…(🐱)

ハンサム 教授
それは大問題ですね;^^💦

トルストイ自身どう考えて
いたかは『人生論』という
本で詳しく説明しています
から、読んでみては?

    


サクラさん
一度読もうとしたんですが、
難しくって…(😿)

ハンサム 教授
う~ん、それは翻訳にも
よるし、多少とも哲学的な
論理展開に君が慣れていない
ということかもしれない。

サクラさん
ええ、そうだと思います。

そんな私にもわかるように
“名言”をつなげて解説して
もらえませんか?(😻)

ハンサム 教授
これは大変な注文だ;^^💦

でもなんとかやってみよう…
君の”幸福”のために。


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というわけで、おなじみ”感想文の書き方”
シリーズ第222回はロシアの文豪、
レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ
(1828-1910)の『人生論』(1887)で
行ってみます((((((ノ゚⊿゚)ノ


翻訳はたくさん出ていますが、日本語が
現代的で漢字が少なく、いちばんわかり
やすい新訳といえば、これかな?



この記事でも引用はすべてこの訳書から
行うこととして、下記のような内容での
ご案内になります。






それは自己否定から始まった

上でサクラさんがふれていた『アンナ・
カレーニナ』(1873-77)は、今も世界中で
読みつがれている傑作長編ですが、その
雑誌連載が終わりに近づころトルストイは
一種の絶望状態に陥ったといわれています。

つまりせっせと書いてきて世間の評判もいい
この自作を含め、一切は無意味ではないのか…
という自己否定の思いにとらわれ、自殺さえ
考えていたというのですね。

   

この苦悩から「回心」が起こり、その後は
自ら農耕を始めたり、多少とも宗教に近い
立場から人の道を説く作家になりました。

以前とはまるで別人になったので
「後期トルストイ」と呼んで区別する
場合もあります。


『人生論』(1886-87)はこの「回心」から10年
近くを経た「後期トルストイ」が満を持して
思いのたけを一冊の本にまとめたといえる
もので、この文豪を知る上で最も重要な
著作にちがいありません。

手にとって目次を見てもらうとわかるの
ですが、各章のタイトルがすでに主張
(メッセージ)をはっきりと打ち出そうと
するので、やたらと長いものが多いんですね。

たとえば…

四 学者たちは、人間の生命という
観念を人間の動物的生存という目に
見える現象ととりちがえていて、
人生の目的についても、そうした
間違った観点から、結論を
くだしている。


といった調子で、もっと長いものもあります。

「くどい」はトルストイの代名詞だと
いわれるほどですが、目次からしてこれだけ
「くどい」のですから、本文はいかばかりか…

というわけで「くどい」本文をなるべく
スッキリとわかりやすく整理して
お目に掛けようという算段です。



「生命/生存/人生/生活」の内奥へ

「どう生きるべきか」を正面から説法するように
なった「後期トルストイ」の真摯な姿勢は、
上記の第四章のタイトルにも滲んでいました。

「生命」「生存」「人生」といった言葉の
続出には宗教家を思わせるものが
ありますよね。


でもトルストイの言説は古来の宗教家の
ものとは一線を画しています。

たとえば「生命は永遠だ」というようなことを
言うにしても、なんら合理的な根拠もない
神秘的な表現を押しつけて、「ホラ納得しろ。
しないのは信心が足りないからだ」なんて
決めつける昔の教祖のようなお説教を
するわけではないのです。

あくまで当時の科学的知見を取り込んだ上で
理にかなった説得を重ねていくのですね。
(だからどうしても「くどく」なる)

     
     (もちろん後期の)トルストイ
          
      
だから、トルストイのメッセージをしっかり
とらえるには、かれの論理を見間違えない
ことが重要なのですが、それは日本語訳だと
難しいという問題はたしかにあります。

たとえば第四章のタイトルに出ていた「生命」
「生存」「人生」にしても、実はこの3語
(これに「生活」を加えてもいいんですが)
英訳ではすべて”life”の1語で表されています。
(原語のロシア語でも事情は同じ)

『人生論』というこの本の英訳題も On Life で、
この”life”ってやつが最大のキーワードである
ことは間違いないんですが、上の4語のどれに
訳されていても、これらはトルストイの頭の
中では同一(英語なら”life”)だということを
念頭に置くおくだけで、日本語訳もぐっと
わかりやすくなるはずなんですね。


トルストイのこの名著にしても、日本での
タイトルは『人生論』で定着しているわけ
なんですが、上のような事情からすれば、
「生命論/生存論/生活論」などでも
よかったはずですよね。

実際のところ、ほんとは『生命論』にした
方がトルストイのメッセージはよく伝わる
のではないかというのが私の見解です。

     

以下では、なぜそう考えるかも含めた
解説で、12個ばかり文章のかたまりを
つなげて参ります。

その1つ1つが「名言」になっているはず
ですが、あくまで論理的な(くどいくらいに
丁寧な)説明の文章であって、「名言」を
狙うような気の利いた言葉ではありません。

これだ!私も使わせてもらおう!…なんて
面白い言葉には出会わないかもしれません
ので、その点はあらかじめご了承ください。



名言1・2:人間の動物的生存と理性的意識

では内容に入っていきましょう。

1~8章あたりまでが序論的な部分で、
上でにふれました独特な「生命」概念
(それは同時に「生存/生活/人生」でも
あります)が導入されていきます。

すでに見た第四章のタイトルにもそれが
明快にあらわれているので、これを
【名言としておきましょう。

【名言
学者たちは、人間の生命という観念を
人間の動物的生存という目に見える
現象ととりちがえていて、人生の
目的についても、そうした間違った
観点から、結論をくだしている。
             (4)

    
 
「人間の(真の)生命」と「人間の動物的
生存」とを対立させていくこの論法は、
動物好きの人には不当な動物蔑視・差別の
ように見えるかもしれません。

人間と動物とをキレイに切り分けるのは
現代の進化心理学から見ても不合理、
非科学的なのではないか…と。


が、そのへんは130年も前の著作だからと
鼻をつまんで読み進めないと、文豪の
いわんとする”幸福”を捉えそこないます。

トルストイはこのように言います。

【名言
理性的な意識のないところには、
人間としての生活もないのだ。

理性的な意識――過去、現在の自分の
生活やひとの生活を同時に人間に
しめしたうえ、こうした生活から
当然生まれないではいないすべての
こと、苦痛とかとかいったものも
はっきりさししめすこの意識〔中略〕
のあらわれをまって、はじめて、
人間としての生活が始められるのである。
               (7)
   
        

“life”(人生/生活/生存/生命)に並ぶ
キーワードとして、この「理性(的)」
という語も多用されます。

これがわかりにくい人には、英訳では
“reason”だということを頭に置かれると
いいかもしれません。


つまりこの語が多義的であることは”life”
同様で、「理性」というより「理由」と
読んだ方が理解しやすい(場合もある)
わけです。

そう解すれば、「理性的な意識」というのは
世界のもろもろの現象の「理由」を理解して
いく意識・能力のことでもあって、これが
動物にはないということも一応納得
できるのでは?



名言3~5:幸福を不可能にしているもの

「動物的生存」を基礎としながらも、
人間の場合はさらに「理性的な意識」に
よって「人間の生命」の世界に入らなければ
“幸福”を実感することもない…

というふうに説くのですが、これを阻む
ものが世界には充満しているわけです。

【名言
ひとりひとりの人間の生存の幸福を
不可能にしているものはなんだろう?

第一に、個人的な幸福を求める
人間どうしの生存競争である。

第二には、生命の消耗と、飽満と、
苦痛しかもたらさない見せかけの
享楽である。

第三に、である。
〔中略〕
ところが、他人の幸福を求める
ことが自分の生活だと認めるならば、
人はぜんぜん別なものを、
この世界に見るだろう。   (18)
      
     

「生存競争」や「享楽」についていえば、
これらこそまさに「回心」前のトルストイ
自身が積極的に関わったともいえるもので、
このあたりには著者自身の苦い自己批判を
読むこともできるわけです。

自身の過去の過誤や罪を認めるところから
他人への「やさしい気持ち」も湧いてくる
ので、これを育てるべきだと彼は説きます。

【名言
こうした思いやりのあるやさしい
気持ちに人が身をゆだねさえすれば、
個人的な享楽などというものは、
その人にとって、たちまち意味を失い、
その生命力は他人の幸福のために
捧げる労働苦痛のうちにすっかり
移されてしまうばかりか、そうした
苦痛も、労働も、その人には幸福と
なるのである。       (19)

         

その逆に、享楽や欲求に身をゆだね
続けるなら、けっきょく苦しみを
大きくするばかりなのだ、と。

【名言
欲求と呼ばれているもの、つまり人間の
動物的な生存の条件は、膨張してどんな
形でも自由にとれる無数の小さな玉に
たとえることができるだろう。
〔中略〕
いちど膨張し始めると、玉はふだんより
ずっと大きな場所をとって、ほかの玉を
おしつけたり、また、おし返されたり
して、せめぎあうことになる。

人間の欲求も、これとおなじで、その
一つだけに理性の意識がむけられて
働きだしたりすれば、たちまち、意識
されたその欲求が生活のすべてとなって、
矛盾をよび、人を苦しめずには
いないわけだ。        (20)


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名言6・7:愛の感情と快楽・悪・暴力

「人間の生命」と「理性的意識」との
そのような仕組みは、実は教えられ
なくても人はもともと知っているのだ…
とトルストイは説き進めます。

それこそが「愛」であって、生存競争や
享楽に目をくらまされ「動物的な自我」
の段階での幸福を求めている人は、
これを見失っているだけなのだ…と。

【名言
すべての人は〔中略〕動物的な自我の
幸福を否定すればするほど、ますます
大きくなっていくような幸福が
あるのを知っている。

人生のあらゆる矛盾を解決して、人間に
最大の幸福を与えるこうした感情を
知らない人はいないのだ。

この感情がである。
〔中略〕
動物的な自我は幸福を求めようと
あがきながら〔中略〕最大の不幸
――にむかって進んでいくほかはないが、
愛の感情はこの恐怖をふきとばして
しまうどころか、人を導いて、肉体に
ささえられた自分自身の存在まで、
他人の幸福のために、よろこんで
犠牲にささげさせるのである。(22)
   
   

真の愛を見失って「快楽」を追求して
いる人は、その「快楽」が多くの他人の
労働や苦痛という犠牲の上に成り立って
いるかを意識してみてはどうか。

現代日本でいえば、たとえばチョコレートの
おいしさを楽しむという、ちょっとした
「快楽」にしても、実はアフリカ諸国の
労働者らの、あまり報われない苦痛という
犠牲の上につものではないのか…

もしそうなら、それは一種の暴力であり、
「悪」とさえ呼ばれるべきものでは
ないのか…と文豪は自省を促すわけです。


【名言
人生を理解しない人たちのいちばんの
恐怖は、まず、普通かれらによって
快楽と考えられているものが、すべての
人々のあいだに平等に分配できるような
性質のものではなくて、愛のみなもと
である人々に対する善意を根こそぎ
破壊するような悪、暴力
によって
他人からうばいとらねばならぬものだ
というところに生まれるのである。(26) 




名言8~10:生命そのものは亡びない

死ぬことが怖いのも、そのような意味での
「動物的な自我」として生きているから
なのであって、「真の生命」そのものに
立ち戻ることができれば、死の恐怖も
克服されると文豪は説きます。

【名言
わたしの生命、人生は、なるほど、
時間と空間とのうちにあらわれは
するが、しかし、それはただその
あらわれ、現象にすぎないのだ。

生命そのものは、わたしによって、
時間と空間とを超越したものとして、
意識される。
〔中略〕
幻なのは生命の意識ではなくて、
反対に、時間と空間にしばられたもの
いっさいが幻にすぎないのである。
            (27)



【名言
わたしの肉体も〔中略〕わたしの意識
そのものも、おなじように、いつかは
亡びてしまうだろうが、しかし、世界に
たいするわたしの特定の関係
――
わたしの根本の自我を形づくるばかりか、
さらに、この世のいっさいのものを
わたしに理解させる基礎となるこの
特別な関係だけは、けっして、
亡びることがないだろう。

亡びようがないのである。

なぜなら、それだけが真の
存在だからである。      (28)

      

全時間・全空間を通して世界に一回だけ
存在してきた、絶対に一個しかない
「わたし」。

その「わたし」と世界との関係の仕方は、
これも絶対に一つしかないユニークな
もので、この「関係」自体は「わたし」が
死んでもなくなることはない。


真に存在するのはこの意味での
「関係」だけだというのです。

そして、このことさえ体得できれば
死もなんら怖いものではないと。


【名言10
(死の恐怖に悩まされないためには)
わたしの生活の根本となっている
いっさいのものが、わたしより先に
この世に生きて、もうとうに死んで
しまった人々の生命からなりたって
いること、したがって、生命の法則に
のっとって、自分の動物的な自我を
理性に従属させ、愛の力を発揮さえ
すれば、すべての人が、肉体の生存の
亡びたのちにも、ほかの人々のうちに
生き続ける
のだということを知れば、
もうじゅうぶんなのである。 (31)




名言11・12:愛が大きければ苦痛は小さい

なるほど、そうだとしても…
トルストイのいう「生命」の不滅を
認めるとしても、いま現に感じつつある
この「苦痛」をどうしたらいいのか。

真の「生命」を認識したからといって
ただちに「苦痛」が消えるという
わけではないのではないか…。


このような疑問への文豪の答えは
こんなところだろうと思います。

【名言11
人間には生きる道は二つある。

つまり、苦痛と自分の生活との
あいだにつながりを認めず
、自分の
受ける苦痛の大部分を、なんの意味も
ないせめ苦として、たえしのんでいくか、
あるいは、しょせん罪つくりの結果を
まねくことにしかならない自分の行為と、
誤ちが自分のいっさいの苦痛の原因
なのだと認め
、こうした苦痛も、
けっきょくは、自分や他人のおかした
いろいろの罪の救いともなれば、
つぐないともなるのだからとさとるか、
どちらかである。      (34)

     

「自分の受ける苦痛」を「なんの意味も
ないせめ苦」として耐え忍ぶか()、
それともこれを「自分や他人のおかした
いろいろの罪」と関係づけるか()。

の考え方を取れば、20世紀のいわゆる
「不条理」や「実存主義」の思想に接近
することになるでしょうが、トルストイが
そちらでなく、を推奨していることは
言うまでもありません。

なお「不条理」の文学として
有名なアルベール・カミュの
『異邦人』についてはこちらで
情報提供しています。

カミュ 異邦人のあらすじ 簡単/詳しくの2段階で解説

        


【名言12
人の生活の半分は、たいてい、苦痛の
うちに過ぎていくものだけれど、人は
その苦痛を苦痛とせず、むしろ幸福と
感じることの方が多い。

なぜなら、そうした苦痛は誤ちの
結果であると同時に、愛する人たちの
苦痛を軽くする手段
でもあるからだ。

だから、愛が少なければ少ないほど、
人の受ける苦痛は大きくなり、愛が
多ければ多いほど、苦痛は小さく
なるのである。
〔中略〕
苦痛のなやましさというのは、ほかでも
ない、祖先や子孫や同時代の人によせる
――ひとりの人間の生命を世界じゅうの
生命に結びつける愛、この愛のくさりを
たち切ろうとするとき、人々が味わわず
にはいない痛みなのである。  (34)




😸 まとめ

さあ、いかかでした?

トルストイのいう「幸福」「愛」「生命」
「理性」などのキーワードがそれぞれ
独自の概念で、一般的な日本語からは
伝わりにくいニュアンスを伴ってもいる
ことをご理解いただけたでしょうか。

もちろん100%完璧な理解というのは
無理な話なのでして…

やっぱり疑問が残るという人は、
さっそく本を入手してぜひ
ご通読くださいね。

    

とにかく自分の殻に閉じこもるのでなく、
外に向けて自分を開いてこそも自然に
湧き、それが自分に幸福をもたらしてくれる…

というわけで、この道理というか人間の
自然(nature)に組み込まれたメカニズムの
強調は、アランやラッセルの『幸福論』での
主張ともしっかり通じ合うところだと思います。

アランとラッセルの
『幸福論』については、こちらの
記事で紹介していますので、
ぜひご参照ください。

アラン幸福論で幸せに😸12の名言をつなぐと全体像が見えてくる

ラッセル幸福論 10の名言💞他人の幸せを願うとなぜ幸せに?

        

またトルストイのいう「人間の
(真の)生命」の実在をもし
あくまでも信じないとすれば、
どうなのか。

同時代の哲学者ニーチェの
“幸福”観はその不信を徹底
させたものとも言えます。

こちらもご参照を。

ニーチェ ツァラトゥストラは読みやすい?訳本選びがカギに

ニーチェの結婚観を原典から😻女は男より野蛮で猫的だから?

   


さあ、これでもうバッチリですよね。

読書感想文やレポートの素材に
しよういう場合も。

ん? 書けそうなことは浮かんで
きたけど、具体的にどう進めていいか
わからない( ̄ヘ ̄)?

そういう人は、ぜひこちらを
ご覧くださいね。👇

当ブログでは、日本と世界の種々の
文学作品について「あらすじ」や
「感想文」関連のお助け記事を
量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

「感想文の書き方」一覧

ともかく頑張ってやりぬきましょ~😸/

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