鍵(谷崎潤一郎)のあらすじ 原作小説が映画の何倍も凄いワケ


サクラさん
川島なお美さん主演の
映画『鍵』を見たんですが、
美しさはともかく、面白い
かというと、どうも…

ハンサム 教授
ええ。イタリア作品を含め
もう6回も映像化されて
いるんですが、どれも
なんというか…;^^💦

サクラさん
原作のスゴさに太刀打ち
できてない?(🐱)

ハンサム 教授
そう思う谷崎ファンが
多いんじゃないかな。

原作の芸術性は性描写など
よりか、相手の真意をつかみ
きれない二人の心の駆け引き、
腹の探り合いのような世界。

   

それが命がけのようなところ
までエスカレートしていく
という、愛の危うさの極致
というか…

サクラさん
はは~(🐱)。で,そういう
心の動きがお互いの日記に
書き継がれ、しかもそれが
相手に覗き見されることを
意識するので、実質的に
交換日記みたいになって…

ハンサム 教授
ええ。そんな複雑怪奇な
夫婦関係の機微なんて…
映像で表現できます?;^^💦

サクラさん
あ~これはもう原作を読む
しかないですね~(😻)


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というわけで、今回でついに第150弾と
なります”あらすじ”暴露サービス!

“感想文の書き方”シリーズとしては
226回)として採り上げますのは
世界数か国語に翻訳されたばかりか
イタリアでは映画化もされた、文豪
谷崎潤一郎、後期の傑作『鍵』(1956)!

       



ここでは右(スマホでは下)の川島なお美・
柄本明主演の1997年映画(池田敏春監督)
も横目に見ながら、上記の文庫本に依拠して
「あらすじ」を進めていきたいと思います。



夫婦での交換日記…のような小説

さてこの小説、少々難解で、読んでも意味が
わからなかったという声もチラホラですが、
その一因は、構成が前衛的といいますか、
非常に凝った作りになっていること。


大学教授の夫(56歳)とその妻郁子(45歳)が
互いに「秘密」に書いている日記の文章が
交互に置かれていく形なんですが、「秘密」
とは言いながら実はそれが怪しい。

互いに相手に盗み見られていることに
気づきながら、素知らぬ顔で書き続けて
夫婦間で一種の心理ゲームの状態に入って
いることが徐々にわかってくるんですね。


その日記の文章が一月一日(夫)に始まって
四日(妻)、七日(夫)、八日(妻)と
連綿と続いていくのですが、夫側の記載は
四月十五日で中断し、翌十六日から六月
十一日までは妻側の記述だけとなります。

なぜそうなるかと言いますと(いきなり
ネタバレ📢になりますが)、夫は四月
半ばで死んでしまうから。

         

そのあとの妻の日記(これが小説全体の
約1/3の長さ)では、それまでの記述について
あの時はこう書いたけれども、それは夫に
読ませるためのウソで、実際はこうだった…
等々の回顧・総括がなされていくんです。

これで読者はいちおう納得できますが、
ただ妻のこの記述にウソや記憶違いがない
という保証もないわけで、その意味では
サスペンスを残すエンディングとも言えます。



簡単(とはいえやや詳しい)あらすじ

さて、そんな次第ですから、以下の
「あらすじ」では、わかりやすさを第一に、
夫婦の日記が交互に置かれる部分
(前半2/3)を「起承転結」に分割し、
そのあとに「妻による回顧」を置くという
五部構成で行きたいと思います。

で、前半でもこの「回顧」に照らすと
「実は○○だった」とわかる部分などには
💭CHECK!印の注釈で徹底ネタバラシ📢
やっていきます。

そこまで知るのは興ざめだから
知りたくないと思う人は飛ばして
くださいね。


「 」内や「”」印の囲みは上記
文庫本からの引用。

夫の日記は普通ひらがな書きするところを
カタカナで書いていますので、区別は
つけやすいと思います。

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【起】(1月1日~1月30日)

京都の大学教授である夫(日記では
「僕」)は妻郁子の肉体に強く執着して
おり、特に「足ノfetishistデアル」。

郁子が実は「淫蕩」でありながら「陰性」の
性格と古い教育のせいで(明治44年生れ)
寝室で解放的でないことに不満だ。

fetishist(フェティシスト)は
いわゆる「フェチ」の語源。

いきなり「足ノfetishist」と
出て、谷崎の愛読者なら「おお
先生、相変わらずですな」と
ニンマリするところでしょう。

文豪に一貫したこの嗜好は、
こちらの作品でもご堪能
いただけます。

谷崎潤一郎 刺青のあらすじと考察 🐉若尾文子主演映画も鑑賞

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若い木村を家に出入りさせているのは、
20歳すぎの娘敏子と結婚させる考えが
あるからだが、当の木村はむしろ
郁子に気があるようにも見える。

このことで夫には「嫉妬」が起こるが、
「元来僕ハ嫉妬ヲ感ジルトアノ方ノ
衝動ガ起ル」ので「ソノ嫉妬ヲ亮楽
シツツアッタ」ともいえる。

1997年映画では郁子は後妻で
敏子は夫の連れ子ということに
なっていますが、原作では実の親子。

また大沢樹生さん演じる木村は
女たらしの完全な悪役ですが、
原作ではそんなことはなく、
夫の弟子として忠誠心ある
(ように見せている)大学人。

「試験デ忙シイ」(3月3日)とある
ところを見ると、まだ学生
(大学院生か?)のようですが、
なにしろ「ジェームズ・スチュアート」
似のイケメン(😻((((((ノ゚⊿゚)ノ

  


夫はといえば眼鏡をはずすと醜くて正視
できない顔で、郁子は彼を「半分は激しく
嫌い、半分は激しく愛している」
(と日記に書く)。

夫の「執拗な、変態的な愛撫」には
ホトホト当惑しながら、その愛に報い
なければ「済まない」とも思う。


1月28日、木村をまじえての夕食後に
郁子はブランデーを飲みすぎたか
風呂場で倒れ、人事不省に陥る。

眠り込んだ郁子を脱がせて蛍光灯で
照らした夫は、結婚以来はじめて
目にした裸体の美しさに興奮し、
たまらず愛撫を始める。

このとき郁子の口から「『木村サン』
ト云ウ一語ガ譫言(うわごと)ノヨウニ
洩レ」、夫は妻が本当にそんな夢を
見ているのか、それともそう見せかける
ことで何かを伝えようとしているのか、
判断に迷う。

後段の「妻による回顧」部分
(6月10日)で、郁子はこれが
「その中間ぐらい」だったと
明かします。

実際に木村との行為を夢に見て
口走った言葉だったが、それを
夫に聞かれて「よかったと云う
気持ちもあった」。

ただ二日後の同じ譫言は意図的な
「寝たふり」での「見せかけ」
だけれども…。


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【承】(2月9日~3月26日)

フランス語を習っている敏子が、
静かに勉強したいという理由で
家を出て、関田町に下宿。

郁子の「木村サン」という譫言が続き、
夫はその偽装性を疑わなくなるが、動機を
考えるとは「アナタヲ嫉妬サセテ刺激ヲ
与エル」ことで「忠実ナル妻」を続けて
いますよ…という意味なのか、それとも…
と思い悩む。


木村に教えられて写真に撮ることを
思いついた夫は、例によって昏睡に入った
郁子の裸体を何枚も撮り、少し迷ってから
それらを木村に現像させ、日記に貼っておく。

それを盗み見た郁子は「浅ましい趣味」
とは思いながら「夫に忠実な妻の勤め」
として忍耐しようと思う。

その「代償として、私の限りなく
旺盛なる淫欲を充たさして貰って
いる」のだから(と日記に書く)。

   

3月に入ると、夫は物が二重に見えたり、
ひどい物忘れをするなど「心身ニ或ル
種ノ異状ヲ来タシ」てくる。


18日、関田町の下宿で敏子、木村と
3人で飲んでいた郁子が風呂でまた倒れ、
夫がタクシーで連れ帰って介抱すると、
「木村サン木村サン」と盛んに呼び続ける。

妻をこのような「積極的ナ女性ニ変エタ
ノハ木村デアル」と思うと、激しい
嫉妬とともに「感謝」の念もわく。


夫のいないところで木村と会いはじめて
もう3回になるが、その木村が言うには、
彼に現像させる夫の狙いは、写真の「誘惑」で
彼を苦しめ、かつその反映で郁子も苦しめる
ことにあり、夫は「そこに快感を見出して
いるのだ」という。

木村が敏子に貸す本にその写真の1枚を
わざと挟んでおいたことを問いただすと、
それは彼女の「イヤゴー的な性格」を
知っているから、それによって敏子が
動いて、18日の晩のような場を設定する
ことを予期したからだと答える。

「イヤゴー」(Iago)は
シェイクスピア四大悲劇の一つ
『オセロ』の悪役で、周囲の
人々にあることないことをささやいて
主人公のオセロが妻への嫉妬に
うように仕向けていきます人。

夏目漱石は、初期の谷崎が敬愛しかつ
批評した作家ですが、このイヤゴーの
造形に賛嘆しきりで、これだけでも
シェイクスピアの知的な「えらさ」が
わかると東大での講義で延べました。

詳しくはこちらで。

シェイクスピア オセロのあらすじ ☯漱石講義のコメントつきで

     

つまり木村はもちろん、敏子もけっこう
「陰険」なクセモノで、『鍵』のドラマは
この4人の欲望と思惑の絡み合いが進展
させる形になっているんですね。


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【転】(4月1日~4月16日)

郁子の夫への気持ちは「この頃は日々
嫌悪一方に傾いて行きつつある」が、
それでも木村とのことは「最後の一線を
越えずにいる」(と日記に書く)。

夫の心身の変調は昂進する一方だが、
実は郁子も1月以来不調で、10年ほど
前にあった喀血が再開しており、
この前、泥酔するまで飲んだのも
「いずれは長くない命」だという
「焼け半分の心持」が手伝っていた。

この喀血などの病状が「すべて
根も葉もない虚構」であったことが、
後段の「妻による回顧」部分
(6月11日)で明かされます。

それは夫を一日も早く死の谷へ
落とし込む誘いの手として
書いたのであった。

私も死を賭しているのであるから、
あなたもその気におなりなさいと…

         

郁子は頻繁に外出し、たまに現れる
敏子は母と木村とのことを父親の
耳に入れる。

「奥サンハ先生ニ対シテイマダニ
貞節ヲ保ッテオイデデス」と木村は
言うけど「ソンナ阿呆ラシイコトヲ
私ハ真ニ受ケハシナイ」

郁子はそんな女ではないと言うと、
敏子は「フフ」と笑い、あるいは
「汚サレルヨリハ一層不潔ナ方法デ
或ル満足ヲ…」などと言い出すので、
叱りつけると、去っていく。



【結】(4月17日~5月1日)

昼間、木村と「ありとあらゆる秘戯の
限りを尽し遊んだ」郁子は、夜は夫に
例によってビフテキなど血圧の上がりそうな
食事をさせた上で、ベッドでは医者の
禁じている性愛の相手を進んで行う。

「私は愛情と淫欲を全く別箇に処理する
ことが出来るたちなので」、なんてイヤな
男だと嘔吐を催しながら、いっしょに
「歓喜の世界」に入り込んでしまう…


その絶頂で、夫が脳溢血の発作を起こす。

入院した夫はもはや声が出ず、口の動きから
「きーむーら」とか「びーふーてーき」
とか「にーき」(日記を見せろ)などと
言いたいらしいことがわかる。



【妻による回顧】(6月9日~6月11日)

5月1日に夫が二度目の発作を起こして死去。

それ以来、日記を書かなかったのは、
書き継ぐ興味というか「張り合い」が
なくなったからだ。

日記帳のすべて(読まれまいと分断した
4月17日以降の部分を含め)が夫にも
敏子にも読まれていたことを、夫の死ぬ
日に知らされたけれども、こちらも
夫の日記を「疾(と)うから盗み読み
していたのである」。

    

敏子については「容貌姿態の点に於いて
自分が母に劣っており」、かつ木村の
愛も母に注がれていることを意識して
策をめぐらしているとわかっていた。

が、実は「自尊心」を傷つけたくない
郁子の側でも、敏子への嫉妬があり、
それは木村が「一途に私一人を愛して
いる」ものと夫に思わせる必要が
あったから。

そうでないと夫の木村への嫉妬が
「生一本で強烈なものにならない
から」だった。


ともかく木村の計画では、敏子は彼と
形式的な結婚をしてこの家に同居しながら
実際は「母のために犠牲になる」という
筋書なのだが…

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まとめ

さて、楽しんでいただけましたか。

ん? やっぱりよくわからん?


まあそれは「あらすじ」だけでわかろうと
いうのが、そもそも無体な話なので…

サスペンスや心理の機微を十分に
味わいたい場合は、やはり小説全文を
通読してもらうしかないんですよね。


ともかく、芸術的なミソになっている
ところが、性愛の相手になってくれている
の心理が十分にわかりきらない不安…

芝居をしているだけ、あるいはゲーム的に
ふるまっているだけなのではないか…
というマゾヒズム的な性愛にどうしても
つきまとう心理の機微にあるのだろうと
思う次第です。

谷崎の文学的生涯を貫いた
ともいえるこのマゾヒズムの
問題をめぐっては、こちらも
ご参照ください。

マゾヒストの心理:苦通がなぜ喜びに?元祖マゾッホに聞く

      
 


また谷崎といえば、忘れて
ならないのが、大長編『細雪』。

感想文やレポートなどを書く
場合は、より穏やかなこちらの
世界も覗いておきたいですね。

谷崎潤一郎 細雪のあらすじ 映画とは違う原作の芸術性は?

谷崎潤一郎 細雪で感想文を 🚻”下痢の美女”か”新しい女”か
        
      IMG_0026  

そのほか谷崎の本を早く安く
手に入れたいという場合は、
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こちらから探してみてください。

🌸谷崎潤一郎の本:ラインナップ🌸


当ブログでは、日本と世界の種々の
文学作品について「あらすじ」や
「感想文」関連のお助け記事を
量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧

ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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