サクラさん
『夜と霧』って小説
じゃないんですけど
“あらすじ”があるん
でしょうか。

ハンサム 教授
ありますよ;^^💦

精神科医のフランクル
自身がナチスの強制
収容所に収監され…



九死に一生を得て解放
されるまでが、一つの
物語になってますから。

サクラさん
なるほど。でもその
物語が心理学や人生論の
難解な概念や専門用語で
固められていて難しいと
いうもっぱらの噂(😿)

ハンサム 教授
いやいや、1977年の
新版からの新訳(2002)
ならやさしいですよ。

サクラさん
そうなんだ~(🐱)

じゃ、そちらを読んで
読書レポートに挑戦
してみます。

ハンサム 教授
念のため旧版(1961)の
訳と照らし合わせると
もっとわかりやすく
なりますけどね;^^💦


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というわけで、おなじみ”感想文の書き方”
シリーズ第248回にして”あらすじ暴露”
サービスの第173弾ともなる今回は、
ヴィクトール・E・フランクルの
『夜と霧』を読んでの読書感想文
または”読書レポート”。

“読書レポート”の場合は感想文より
さらに突っ込んだ内容の報告(report)や
自分なりの分析・考察が期待されている
と思いますが、ともかくまずは読んで
いないとお話になりません。

 【新版】👇


 【旧版】👇(表紙以外にも写真満載)



あらすじ(要約)

ともかくまずその内容を知らないと
お話にならないわけですが、全文通読
する時間(または元気)がないとか、
いちおう読んだけれども、内容が整理
できないという人のために、以下に
「あらすじ」を用意しました。

私(サイ象)の個人的な偏りが出てしまう
ことは避けられませんので、あくまで
“参考”にとどめてくださるよう
お願いします。

「 」内と「”」印の白い囲みは
上記の新版の訳文からの引用。

👉印は私による補足説明ですが、
うるさいと思われたら、飛ばして
もらってかまいません。



⦅第一段階 収容⦆

ナチスによって囚われの身となった
私たちは、貨車1台に80人ずつ詰め
込まれ、アウシュヴィッツへ移送された。

収容所では身に着けてきた物をすべて
大きな袋に投げ込むよう命じられた。

私は論文の原稿だけは…と「カポー」に
懇願したが、「糞ったれ!」と罵倒され、
「それまでの人生をすべてなかった
ことにした」。
👉「カポー」(capo)は、
もとはイタリア語でマフィアの
親玉などを指す俗語。

旧版には「囚人を取り締まる
ため囚人の中より選ばれた者」
との訳注がありますが、新版
にはなんの説明もありません。

これは少々不親切では?

2018年の夏を騒がせた日本
ボクシング連盟会長の横暴の
問題で、村田諒太選手が、
会長の絶大な権力にひれふす
イエスマンたちを指して
この語を用いたことで、
日本でも知る人が増えました。

    


この段階の囚人たちに観察される
「恩赦妄想」はやがて「やけくその
ユーモア」に移行し、ついに私には
「人間はなにごとにも慣れる存在だ」
というドストエフスキーの定義が
実感されるようになった。
👉「恩赦妄想」とは「死刑を
宣告された者が処刑の直前に、
土壇場で自分は恩赦される
のだ、と空想しはじめる」
病像(新版の訳から)。




⦅第二段階 収容所生活⦆

収容後数日で囚人たちは「感情の
消滅段階」に移行する。

飢えや凍傷でひどい状態になった
自他の裸体も見慣れてしまい、
「心が麻痺してしまった」が、
これは「精神にとって必要不可欠な
自己保存メカニズム」でもあった。


こうして囚人たちは「内面生活も
未熟な段階にひきずり下ろされた」
が、少数ながら「内面的に深まる
人びと」もいた。

「おぞましい世界から遠ざかり、
精神の自由の国、豊かな内面へと
立ちもどる」ことのできた人々で、
こういう人の方が粗野な者より
収容所生活によく耐えた。

  

二日三晩の旅で、私たちは
アウシュヴィッツからダッハウの
支所へと集団輸送された。


医師だと知られていた私は、医長から
発疹チフス患者を集めた収容所での
医師勤務を志願しないかと聞かれ、
その場で承諾した。

そこへ行けば死ぬだけだと友人たちは
懸命に止めたが、私は「どうせ死ぬなら、
意味のある死に方をしたい」と思った。

これは「仲間の力になる」ことにおいて
土木作業を続けるより有意義だという
「比較の問題」であって「英雄的な
犠牲的行為ではなかった」。


やがて「病人収容所行きの移送団」が
編成されはじめたが、これは事実上の
「ガス室行き」と受けとめられていた。

私もそこにリスト・アップされ、医長は
ひそかに私の名を「取り下げる」方法を
耳打ちしてくれたが、私は断った。

「運命のなすがままに任せることを、
もうたっぷり学びましたから」と。

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死に直面する患者たちに寄り添いながら
私はニーチェの格言を思う。

「なぜ生きるかを知っている者は、
どのように生きることにも耐える」と。

逆もまたしかりで、「未来の目的」を
失った者はあっけなく世を去る。


ここで必要なのは、「生きることから
なにを期待するか」ではなくて
「生きることがわたしたちからなにを
期待しているか」が問題だという
「コペルニクス的転回」だ。

    
    コペルニクス
👉このあたり、日本語が
読みにくいかもしれませんので、
旧版の訳文を参照しますと…

人生から何をわれわれは
まだ期待できるかが問題
なのではなくて、むしろ
人生が何をわれわれから
期待しているかが問題なのだ。

要するにドイツ語の”Leben”は
英語の”life”と同じく、
「生命」「生活」「生存」
等々、色々に訳せる
訳者泣かせの単語。

それをどういう日本語に
するかで見解の相違が
あったわけです。

ここは「人生」と言って
しまった方が明快な気も
しますが、ともかくそう
いった抽象名詞を主語にする
(一つの実体とみなす)のは、
もともと日本語にない発想で、
やはりここは西洋人的…

かつその実体としての
「人生」の背後に「神」の
存在が匂わないでもありません。


だから「生きる」とは「生きることの
問いに正しく答える義務」を引き受ける
ことであり、「死」や「苦しみ」も
そこに含まれる。

したがって「苦しみ」も生の課題
であり、「なにかをなしとげる
という性格」を帯びてくる。

 

結局、2500人の仲間との収容所生活に
戻ったが、ある日、ささいな窃盗でも
絞首刑に処するという布告にも関わらず、
倉庫からジャガイモを盗んだ者があった。

私たちはその犯人を知りながら引き渡しを
拒んだため、全員に絶食が課された。

この断食の夕べ、私たちはここ数日の
病死や自殺について語らったが、班長が
「ほんとうの原因は自己放棄」では?
と問題提起し、私に解説を求めた。


私は話し始め、私たちが生き延びる
蓋然性はきわめて低いが、それでも
「あなたが経験したことは、この世の
どんな力も奪えない」として「生きる
ことを意味で満たすさまざまな
可能性について語った」。



⦅第三段階 収容所から解放されて⦆

ある朝、収容所のゲートに白旗が
ひるがえり、私たちは外の世界へ
歩きだしたが、表情に変化はなかった。

私たちは「強度の離人症」の状態で
「うれしいとはどういうことか、
忘れていた」のだ。



こうして私たちは解放された。

収容所の囚人をしっかりさせるためには
「未来の目的」の存在、つまり「人生が
自分を待っている、だれかが自分を待って
いる」と信じさせることが重要だと
前に述べた。

だが、人によっては、自分を待つ者が
皆無であると思い知らなければ
ならなかった。
👉本文には書かれていませんが、
フランクル自身も、愛する妻と
両親がすでに死亡していたことを
知らされることになります
(霜山徳爾「『夜と霧』と私」
新版所収)。


ともかく帰郷した人々の全経験は、
あれほどの苦悩のあとでは「もはや
この世には神よりほかに恐れるものは
ない」という感慨で完成するのだ。

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読書レポート例文(2000字程度)

それではさっそく、ハンサム教授の
試作による読書レポート例文をお目に
かけることにいたしましょう。

その前にちょっと言っておきますと、
一口に”読書レポート”といっても、
いろんな形式があるわけで、自分の
場合はどんな形が要求されているかは
先生に確かめるなどして、よく頭に
いれておく必要があります。


ここでは本の概要と自分なりの考察を
「2000字程度でまとめよ」という要求が
あったものと想定し、「概要:500字/
考察:1500字」の割り振りで書いています。

レポートではなく”読書感想文”として
参考にしたいという人は「考察」の
方だけ見てもらってもいいと思います。

⦅読書レポート⦆
V・E・フランクルの『夜と霧』について


【概要】
ドイツ語による原書の題は『…それでも
生にしかりという――心理学者、強制
収容所を体験する』という意味だが、
日本では1961年の初訳以来、『夜と霧』
の題が定着している。

この名は1941年のヒトラーによる
“「夜と霧」命令”(非ドイツ国民で
犯罪容疑者はすべて秘密裡に捕縛
して強制収容所へ送れ)に由来し、
フランスの記録映画(アラン・レネ
監督、1955年)の題名にも採られた
ものである。

 著者のフランクルはフロイト、
アドラーに師事した、当時30代の
精神医学者で、ユダヤ人であった
せいで彼も収容所生活を
強いられたのだ。

愛する妻子とも引き離されての
強制収容所での過酷な生活と、
医師としても勤務させられたことで
広がった、多様な人間の生態観察、
またそれらから導き出される人間
全般への独自の洞察をつづった
記録がこの本だ。


 プロローグ的な部分のあと、
「第一段階 収容」「第一段階
収容所生活」「第三段階 収容所
から解放されて」と続くのだが、
分量的にも内容的にも中心をなす
のが「第二段階」である。

ここに展開される、極限状況に
置かれた人間の心理がどう変容する
かについての観察・分析は学問的
にもきわめて貴重な記録と思われる。
  (492字)

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【考察】
 『夜と霧』を通読して考えさせられた
ことは数多く、とても挙げきれないほど
なのだが、なかで最も印象深かった
のは、収容所での人々の生活を
精神科医の目で観察したフランクルが
出した結論として、「人間には二種類
ある」とされていることだった。

苛酷な収容所生活を続ける人には
やがて自然な「自己保存メカニズム」が
働いて、「感情の消滅段階」すなわち
「心が麻痺してしまった」状態に入って
いくのだが、それでも一方には、逆に
「内面的に深まる」ような人も
少数ながらいたという。

つまり彼らは「おぞましい」現実から
飛躍して「精神の自由の国、豊かな
内面」に生きる「繊細な被収容者」
であり、彼らの方が、もう一方の、
「カポー」(囚人取り締まり役として
選ばれた囚人)をはじめとした
粗野な者たちよりよく苛酷な生活に
耐えたというのである。

  
 なぜそうなるのかといえば、つまる
ところ、引用されたニーチェの格言の
とおり、「なぜ生きるかを知っている
者は、どのように生きることにも
耐える」からである。

    
    フリードリッヒ・ニーチェ


つまり「生きることからなにを期待
するか」ではなくて「生きることが
わたしたちからなにを期待しているか」
が問題だという「コペルニクス的転回」
を経験した人、あるいはもともと
内面に「未来の目的」をしっかり
持っている者は強い、ということだ。


 フランクル自身の場合はその一つに
どこかで生きている(と彼は思っていた)
愛妻がいたわけだが、そのような
意味での「目的」はなくても、
なお強い人もいた。

たとえばあと数日の命しかないと自覚の
ある若い女性は、窓から見える木との
対話に生きていた。

その木が「わたしは命、永遠の命だ」と
言っているから私は怖くない、むしろ
「わたしをこんなひどい目にあわせて
くれた」運命に感謝しているのだ
という。


 これらの人々の内面生活にかかわる
記述を読みながら私が感じたのは、
彼らがもしユダヤ人ではなく、
日本人ならどうだったのだろう
ということだった。

逆境にあってこのような内面生活を持つ
ことのできる人ははるかに少ない
のではないだろうか。

そうだとしたら、それは各民族が深い
ところで受け継いできている宗教性の
違いに大きく関わっているのだろう。

フランクルのこの長い物語がこう
結ばれているのを読んだとき、
私はその思いをさらに強くした。

ふるさとにもどった人びとの
すべての経験は、あれほど苦悩した
あとでは、もはやこの世には神より
ほかに
恐れるものはないという、
高い代償であがなった感慨によって
完成するのだ

フランクルにもやはり「神」が
いたのである。

  

 このあたりに、ユダヤ人と他の
西洋人との違いを読むべきなのか
どうかはわからないが、ここで指摘
しておきたいのは、「人間には二種類
ある」というフランクルの観察が
ナチス・ドイツの監視兵たちにも
向けられていたという事実である。

彼らのうちには、ほしいままな虐待で
「サディスティックな満足」を得て
いる者も多い一方で、ひそかに身銭を
切って囚人のための薬品を買って
来させる親衛隊員もいた。


 解放後、ユダヤ人たちはこの親衛
隊員をかばい、「この男の髪の毛
一本たりともふれないという条件の
もとでしか引き渡さない」と
アメリカ軍に申し入れたという。

この記述に私は衝撃を受けたのだが、
「訳者あとがき」によると、この
エピソードは旧版になく、1977年の
新版で、旧版では全く用いなかった
「ユダヤ人」の語をあえて使いながら
加筆されたものだという。

この加筆が、イスラエルが諸外国からの
ユダヤ人移住の奨励を強めた時期に
重なることに訳者は注意を促している。

真意がどこにあったかを正確に知る
ことは難しいが、ユダヤ民族の命運に
フランクルが心を痛めていたことは
たしかだろう。    (1495字)


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どうです?

なかなかよく書けていると
思いませんでした?


これをそのままコピペすることは
もちろん厳禁ですが、ところどころ
つまみ食いして、自分らしい文章に
変えて使ってもらうのはかまい
ませんよ~;^^💦

もっと短い字数で書く場合は、
自分の場合は必要なさそうだと思える
部分を切り捨ててスリム化してください。

逆にもっと字数がほしい場合は、
自分が思ったことや思いだした経験や
どんどん入れて膨らましていけば
いいわけです。



そのほかの突っ込みどころは?

もちろん『夜と霧』の読書感想文ないし
読書レポートとしては、上記のような
料理法がすべてではありませんし、
突っ込める視角は、ほかにも色々と
あることでしょう。

たとえば、上記ではわずかにふれて
いるだけの「宗教性」や「神」の
問題に入り込んで、日本人の立場
から考察を深めてみるとか。

それにも絡んで「人生(生きること)
がわれわれに期待する」とは、より
具体的にはどういうことなのか、
自分の場合に即して考えてみるとか…

👉フランクルが言いだした
「人生(生きること)が…」云々は
たとえばトルストイの哲学的な
主著『人生論』の「人生」に
通じます。

この「人生」もまた、実際は
「生命」と訳した方が適切な
場合が多く、そのあたりが
日本人にはつかみにくい
ところです。

詳しくはこちらをご参照ください。

人生論の名言!トルストイの12の言葉をつないで”幸福”を理解しよう

         

あるいは「日本人と神」の
問題で突っ込むなら、
是非こちらもご参照を。

沈黙(遠藤周作)で読書感想文を【2000字(5枚)の例文つき】

    


思想・哲学や心理学の問題より、
ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害
という歴史的事実の方で深めていきたい
という志向の人も多いかもしれませんね。

そちらの方面で参考になる小説や
映画もたくさんあります。
👉たとえばこの映画に出てくる
“隠れユダヤ人”の生き方は
上記『沈黙』の”潜在キリシタン”
の問題に通じます。

キャバレー(映画)のあらすじ ミュージカルを超える名作だ!

    

あるいはフランクルが何度か
引用していて、ナチス側にも
思想的に利用されたといわれる
ニーチェの哲学に突っ込んで
いくのもおもしろいでしょう。

その場合は是非こちらを
ご参照ください。

ニーチェ ツァラトゥストラは読みやすい?訳本選びがカギに

         

 
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まとめ

さあ、これでもう情報じゅうぶん。

いつでも書きだせますよね、
『夜と霧』の読書感想文または
読書レポート。



ん? 書きたいことは浮かんで来たけど、
さて、具体的にどうやっていけばいいか、
まだイメージがわかない( ̄ヘ ̄)?

それでしたら、色々な素材で書かれた
例文をたくさん見ていくに越した
ことはありません。
👉たとえば、これらの記事の
うちの例文のどれかにあなたに
フィットするものがあるかも
しれません。

ぜひ覗いてみてください。

君たちはどう生きるか 読書感想文の例【1200字/高校生用】

オセロ(シェイクスピア)で読書感想文【1600字の例文つき】

       

それから(漱石)で感想文【読書レポート2000字の例】愛の言葉は…

人間失格で読書感想文【高校生用2000字の例文】伝えたいことは?
      


これらのほか、多種多様な本について
当ブログでは「あらすじ」や「感想文の
書き方」を情報提供しています。

あなたの参考になるものが必ずあると
思いますので、こちらのリストから
お探しください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧


ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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