サクラさん
川端康成の『伊豆の踊
子』で感想文を書こう
と思うんですが、どう
書いたものか…(😿)

ハンサム 教授
そもそもなんで
『伊豆の踊子』?

サクラさん
実は伊豆を旅行した時に
河津で踊子の銅像を
見たんですが、学生が
踊子の後ろから迫ってる
ような構図で…



しかも自分の右手首を
左手で押さえている…

その姿勢が不思議で
ずっと気にかかって
いたんです。

ハンサム 教授
ああ、自分なりの
問題意識があるんだ。

そういう場合は
「これを読むことに
したきっかけは…」と
いう風に書きだすと
いまく行くかも。

サクラさん
じゃ、それで行こう
かな(😻)

でも小説の内容は、
むしろ踊子の側から
思いを寄せています。

あの銅像の体の向きは
逆にすべきだったん
じゃないかと(😾)

ハンサム 教授
それは同感ですね;^^💦

たとえばそういう疑問を
突破口にして色々と
考えていけば、きっと
よい感想文になりますよ。


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というわけで、おなじみ”感想文の書き方”
シリーズ第249回にして”あらすじ暴露”
サービスの第174弾となる今回は
ノーベル賞作家・川端康成の名作
『伊豆の踊子』(1926)に挑戦です!

原作は文庫本で30ページ程度。
👇




通読にそれほどの苦労はないでしょう。

ん? それでも通読はしんどい?

いちおう読んだけど、ポイントが
つかめない?

ハイハイ、そういう人のために簡単な
「あらすじ」を用意していますので、
まずはそちらをご通読ください。


簡単な(とはいえやや詳しい)あらすじ

さてこの小説、『文芸時代』という
雑誌の大正15年(1926)1月号にまず
「一」から「四」までが掲載され、
川端本人はそれで完結のつもりでした。

それが好評なので書き足すことになり、
2月号に「伊豆の踊子」というタイトル
「五」~「七」の部分が出たんですね。

前半(一~四)と後半(五~七)とで別の
作品のような印象を受ける人もいると
思いますが、それはこういう成立経緯
からも来ています。

    

ともかく下記ではこの「一」~「七」の
各章の内容をきちんと押さえて行きます。

文中「 」内や「”」印の白い囲みは
上記文庫本からの引用です。

ところどころ👉印で注釈を
入れていますが、うるさいと思う人は
飛ばしてください。

ともかく⦅完全ネタバレ📢⦆になります
ので、あらかじめご了承を;^^💦


👘【一】

20歳の一高(第一高等学校=東大
教養学部の前身)生、「私」は
伊豆の一人旅に出て四日目。

天城峠の北口あたりで雨にあい、
茶屋に入って立っていると、
そこにいた踊子が黙って座布団を
裏返してすすめてくれる。

彼女を含む旅芸人の一行はそれまで
にも二度見ていて、気になっていた。

  
  現在の天城トンネル
 
やがて踊子の一行は出立。

彼らはどこに泊まるんだろうと
私が茶店の婆さんに尋ねると、
「お客があればあり次第、どこに
だって泊まるんでございますよ」
とひどく軽蔑的に言う。

この言葉が、

それならば、踊子を今夜は
私の部屋に泊まらせるのだ、
と思ったほど私をあおり立てた。

👉つまり踊子は「お客」を取る
女と見られており、「私」も
開巻早々、その気(取る気)に
なっているわけですね。

学校的には(また映画化した
場合も)、あまり言及されない
部分ですが、原作では見逃せない
ポイントでしょう。


👘【二】

茶屋を出て歩くとじきに一行が
見えて来、追い越そうとすると
先頭の若い男(栄吉)が話しかけて
きたので、「私はほっとして」
彼らと道連れになる。

湯が野で同じ木賃宿に入り、
二階に上がると、踊子が
下から茶を運んで来る。
👉「木賃宿」は食事も出さず、
泊めるだけの安い宿屋。

後で別の温泉宿に案内される
とおり、高等学校生のような
上層の者が泊まる場所とは
思われていませんでした。

こういう部分への言及からも
階級の違いを強く意識した作品
であることが読み取れます。


踊子は「まっ赤になりながら」
手をふるわせてお茶をこぼし、
「まあ! 厭(いや)らしい。
この子は色気づいたんだよ」
と母親は眉をひそめる。

   

その後、私は栄吉に案内された別の
温泉宿で一人で過ごすが、木賃宿の
向かいの料理屋から太鼓の音が聞こえ、
それが踊子のものだと思うと、
「たまらなかった」。

やがて騒がしさが静まると…

私は眼を光らせた。

この静けさが何であるのかを
闇を通して見ようとした。

踊子の今夜が汚れるので
あろうかと悩ましかった。



👘【三】

翌朝、訪ねてきた栄吉と二人で朝湯に
入っていると、川向うの「共同湯」に
妹(踊子)たちがいると栄吉が知らせる。

脱衣場に「手拭もないまっ裸」の
踊子が私たちに何かを叫んでいる。

私は心に清水(しみず)を感じ、
ほうっと深い息を吐いてから、
ことこと笑った。

子供なんだ。〔中略〕

頭が拭われたように澄んで来た。

👉つまりまだ「子供なんだ」という
新しい認識が入ってくることで、
「お客」を取るとか「今夜が汚れる
とかの事態も自分の妄想に
すぎないと知る。

その滑稽さと安堵感、また
「汚れる」感じが拭い去られる
ことで生じた「澄んだ」気持ち。

「前半」すなわち雑誌初出の
「伊豆の踊子」を独立した作品と
見る場合には、ここが心理的な
山場かと思われます。


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👘【四】

翌朝、出発しようとしていた私は、
一行の頼みで出立を一日延ばす
ことにする。

十七、八かと思っていた踊子が
実はまだ十四だとわかり、
五目並べをしたり、「水戸黄門
漫遊記」を読んでやったりする。

好奇心もなく、軽蔑も含まない、
彼らが旅芸人という種類の人間
であることを忘れてしまった
ような私の尋常な好意は、
彼らの胸にも泌(し)み込んで
行くらしかった。


彼らの家がある大島へ、私も行く
ことにいつの間にか決まっていて、
踊子は翌日、下田に着いてからの
ことを楽しげに話す。

「活動へ連れて行ってくださいましね」
👉「活動」は「活動写真」の
略で、つまり映画のこと。



もともとの「伊豆の踊子」は
ここで幕を閉じ、その先どう
なるかは読者のご想像にお任せ…
という形だったのですね。

これを独立した作品と見れば、
テーマは”恋”というより、
“性”的なものを含め、階級や
差別などいろんな「厭(いや)
らしい」意識が浄化されて
いく経験…というあたりに
なりそうです。



👘【五】

一行は下田へと出立し、道々、踊子と
私は河津の浜から「大きく見える」
大島のことや、私の住まいや
「お父さん」のことなどを話す。

私と栄吉が少し先を歩いていると、
踊子と千代子(栄吉の妻)との
会話が聞こえてくる。

「いい人ね」
「それはそう、いい人らしい」
「ほんとにいい人ね。
いい人はいいね」

 その「単純で明けっ放しな響き」から
「私自身にも自分をい人だと素直に
感じることができた」

      

「自分の性質が孤児根性で歪んでいると
厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱」
に苦しんできた私にとって、それは
「言いようなくありがたいのだった」。

下田に近くなると、ところどころの
村の入り口にこんな立て札が…。

「物乞い旅芸人村に入るべからず」


👘【六】

下田へ着き、木賃宿に私も入る。

「私」は踊子と千代子らを映画に
連れて行こうとするが、踊子一人しか
都合がつかなくなると、母親が止め、
栄吉がとりなしても承知しない。

なぜいけないのか「私は実に不思議
だった」が、私は一人で映画を見て
帰り、宿の窓から夜の町を眺めると、
太鼓の音が聞こえてくるような気がして
「わけもなく涙がぽたぽた落ちた」。


👘【七】

出立の朝、栄吉が来て、女たちは昨晩
遅かったのでまだ寝ているからと、
彼一人で送ってくれる。

乗船場に着くと「海際にうずくまって
いる踊子の姿が私の胸に飛び込んだ」。

いろいろ話しかけても、うなずく
ばかりで一言も発しない。

 

乗船する私が振り返った時、踊子は
さよならを言おうとしたようだが、
うなずくだけに終わり、船が
遠ざかってから、艀で白いものを
振り始める。

伊豆半島の南端が後方に消えてゆくまで、
一心に沖の大島を眺めていた私は、
船室の横にいた少年の親切を自然に
受け入れ、泣れくのを見られるままに
なっている。

「頭が澄んだ水になってしまっていて、
それがぽろぽろ零(こぼ)れ、その後には
何も残らないような甘い快さだった」。

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1600字の例文

はい、いかがでしたか?

ストーリーがしっかり理解できましたら、
さっそく感想文に取り組みましょう。


高校の読書感想文として1600字
(原稿用紙4枚)程度で書く場合を想定
して、まずサクラさんが試作し、
これにハンサム教授が手を入れたものを
サンプルとしてお目にかけます。

大学生などの読書レポートとしても
通用するレベルになっていて、あるいは
中学生などには高度かもしれませんが、
わからないということはないはずです
ので、ひとつ挑戦する気持ちで
読んでみてください。


 『伊豆の踊子』は、伊豆の赤城峠
から下田にかけての街道で旅芸人の
一行と道連れになった「私」――
20歳の第一高等学校(東大の前身)
学生――が、何日かするうちに
14歳の踊り子との間にもった
感情的な関係を描いた小説だ。


 私がこれを読もうと思った
きっかけは、夏休みに伊豆を旅し、
たまたま目にした踊り子と学生の
ペアのブロンズ像に、強い印象を
受けたことだった。

河津七滝の初景滝の手前と河津
駅前とに設置された二対の像は
複製ではなく、同じ作者による
別作品だが、腰かけてうつむき
加減の踊り子を、後ろから学生が
見守るという位置関係・構図は
まったく同じである。

奇妙に思ったのは学生の姿勢で、
どちらも同じく肩を張り、
まっすぐ下に伸ばした右手の
手首を左手でヒシとつかんで
いるのだ。

   
   👉河津七滝(かわづななだる)の第一、
    初景滝(しょけいだる)をバックに
    設置されたブロンズ像。
    制作は郷土の彫刻家、堤達男氏で、
    踊り子は1963年映画に主演した
    吉永小百合さんを、学生は川端康成
    自身をモチーフにしているとのこと。
   (LINEトラベルjpによる)


 この不自然な格好には何か
意味があるにちがいないと考え、
インターネットや本でいろいろ
調べてみたものの、結局、何も
わからなかった。

そこで今回、川端康成の原作を
精読することで、その理由を
さぐろうと思ったのである。


 その理由は、実は今も不明
なのだが、ここではそういう
問題意識を持ちながら読む
ことで発見したことについて
書いて行きたい。

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 その第一は、学生から踊り子に
迫っているように見えるこの像の
構図は、原作の内容を忠実に伝える
より、製作者側の解釈や意向を
表現したものだということだ。

つまり像から受ける印象は、
学生が踊り子を恋しているので
あってその逆ではない。

見る人によっては、学生が手首を
押さえているのは、踊り子に手を
出したいのを必死に自制している
のだという風に受け取るかも
しれない。


 しかしながら、小説の内容は
むしろ逆で、踊子から学生への
恋が主に描かれている。

つまりむしろ踊り子の側から
「私」に働きかけているのであり、
たとえば彼女は、歩きながら
姉とこんな会話を交わす。

 「いい人ね」
 「それはそう、いい人らしい」
 「ほんとにいい人ね。
 いい人はいいね」

これが耳に入った「私」はいたく
感動してしまうのだが、それは
彼が日ごろ「自分の性質が孤児
根性で歪んでいる」と悩んでいる
人だったせいで、「いい人」と
思われたことがあまりにも意外で、
泣けてくるほど嬉しかったのだ。

             

 そうしたことから、「私」の
踊子への好意も大きくなり、下田に
着いたら「活動」(映画)に行こう
という話にもなるのだが、これが
母親によって禁じられてしまう。

理由は明示されていないが、
「物乞い旅芸人村は入るべからず」
という立札さえある時代のこと
だから、乞食扱いされる芸人と
エリートの「私」との身分違いの
恋が発展するのを恐れたという
ことが考えられる。


 ともかくこうして、小説は
“純愛の別れ”というパターンに
収まっていくので、河津の像の
二人の構図もある程度には
理解されてくる。

つまり学生の右手は思い切って
踊子を抱き寄せたいのだが、
左手がそれを必死に押しとどめて
いるのだ、という風に。

 
 そこは一応理解するものの、
私はこの像の構図に納得して
いるわけではない。

「私」の恋がもし燃えさかって
いたのなら、身分の違いなど
乗り越えて踊子をさらっていく
こともそう難しくなかっただろう
(芸者を妻にした文豪、泉鏡花
などの例もある)。

小説を素直に読むかぎり、この
恋愛の熱度は、踊子からのものが
「私」の側をはるかに上回って
いるとしか見えないと思うのだ。

   
    河津七滝の一つ、かに滝付近の像

 道中での「いい人ね」の会話に
しても、「私」に聞こえるか
どうかがわからないとも思えない。

つまり「私」に聞かせて喜ばせる、
または気を引くための発言だった
ということもありうるだろう。


 以上のような理由から、河津の
ペア像の構図は原作小説に忠実
なものではなく、むしろ”学生から
踊子への恋”を強調する形に
ねじ曲げられたものといえる。

意図は不明だが、その方が現代の
一般大衆に受け入れられやすく、
観光客誘致にも有利だという
計算が働いていたということは
十分に考えられると思う。
         (1577字)

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どうです?

読むことにした「きっかけ」から
書き始めたところなど、なかなか
うまいと思いませんでした?

「きっかけ」から書くという方法自体や
文中で指摘していることなどは”盗んで”
(自分らしい文章に変えて使って)もらって
かまいませんが、上記感想文をそのまま
コピペして使うのは厳禁ですよ~;^^💦

400字とか、もっと短い字数で書く場合は、
あらすじを書いているところとか、
必要なさそうな部分を切り捨てて
スリム化してください。

逆にもっと字数がほしい場合は、
自分の経験や考えをどんどん入れて
膨らましていけばいいわけです。


まとめ

さあ、どうでしょう。

書けそうですか? 読書感想文。

上記の「あらすじ」と感想文例、
そしてそれらに👉印で加えた諸々の
情報があれば、もう鬼に金棒。

書けないなんてことは、
もうありませんよね。
👉作者の川端康成に関してさらに
情報を付け加えますと、当ブログでは
『伊豆の踊子』のほか『雪国』や
『古都』でも記事を書いています
ので、ぜひ覗いてみてください。

川端康成 雪国のあらすじと分析:岩下志麻主演映画も見て解説

雪国(川端康成)で感想文? ⛄5つの疑問にお答えします

    

川端康成 古都のあらすじと感想//京都”観光小説”の哀切さ


ん? 書けそうなテーマは浮かんで
きたけど、でもやっぱり感想文は
苦手で、具体的にどうやっていいのか
かわからない( ̄ヘ ̄)?

なるほど。

そういう人はまず、そもそも「感想文」
とはどういうもので、自分はなぜそれが
苦手(嫌い)なのかというところから
考え直してみましょう。
👉そういう人のための
お役立ち記事がこちら。

読書感想文 入賞のコツ4条⦅評価されるのは感想ではなく…何?⦆

          

👉また当ブログでは、川端以外にも
日本と世界の種々の文学作品について
「あらすじ」や「感想文」関連の
お助け記事を量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧


ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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