宮部みゆき ペテロの葬列(ドラマ化)とチェーホフ「学生」:女の涙の深い意味

 


やあやあサイ象です。

TBSドラマ『ペテロの葬列』は
ついに最終回を迎えましたが、
ご覧になりましたか?

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小泉孝太郎さん、長谷川京子さん、
国仲涼子さんとそれぞれに美しく、
好演されてましたね。

長塚京三さん、平幹二朗さん、
本田博太郎さんらの重鎮の演技にも、
唸らされるものがありました。


Ψ TBSドラマ『ペテロの葬列』最終回

で、その終わらせ方ですが、
これはどうも、なんというか
賛否の割れる結果になりましたな。

まあこれは、宮部みゆきさんの原作に
ほぼ忠実なのでTBS側としては、
「しゃーねえだろ!? 文句は宮部さんに
言ってくれ」というところ
なんでしょうかね……。

ペテロの葬列/集英社

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Amazonのレビューを見渡すかぎりでは、
原作も、この結末には不満を示した
批評が多数です。

つまり読者夫婦の突然の破局には
面食らい、アレレ?
ということになるわけす。

水面下に進行していた夫婦間の溝の
拡大の経緯、原因、背景等々が
十分に書き込まれていないことに
よるのでしょうかね。

そのことはまた、謎を残しながら
書いていくという、宮部さんの
推理作家としての「癖」にも関わるんで、
痛し痒しの微妙なところかな。

 

Ψ ペテロ、三度の否認

そのほかいろいろ難点はあるんで
しょうが、作品のテーマ自体は、
なかなか重みがあって、よろしかった
んではないでしょうか。

タイトルからして重いのですが、
これはイエス・キリストの十二使徒の
一人、ペテロについての新約聖書の
記述を踏まえているわけですね。


念のため、いちおう紹介しますと、
いわゆる「最後の晩餐」でのペテロと
イエスの絡みはこんなふうだった、
ということになっています
(つまりこのように「神話化」
されています)

「主よ、ご一緒になら、牢に入っても
死んでもよいと覚悟しております」
「ペテロ、言っておくが、あなたは今日、
鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう」

(「ルカによる福音書」)


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その後、ペテロが眠っている間に、
ユダの裏切りのせいでイエスは連行され、
尋問が始まってしまいます。

そして、ある女が
「この人はナザレのイエスと一緒に
いました」
と証言すると、ペテロは、
「わたしをあの人を知らない」と答え、
続けて出された別の二人からの
同様の証言も否認します。

三度目の否認をした瞬間、
鶏鳴が轟きます(コケコッコー!)。

ペテロは遠巻きにイエスを見やり、
晩餐でのイエスの言葉を思い出します。

そして外に出て、激しく泣いた。 (「ルカによる福音書」)

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Ψ チェーホフの短編小説『学生』

TBSドラマ『ペテロの葬列』から私が
連想したのは、この「痛い」神話
というより、むしろこのエピソードを
素材として構成されたアントン・
チェーホフの短編小説『学生』
(1894)の方でした。

下記の文庫本で読めます。
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馬のような名字 チェーホフ傑作選 (河出文庫)/河出書房新社

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帰省中の神学生、イワンは「やもめ畑」
と呼ばれる農家にふと立ち寄り、
そこで、ふたりとも「やもめ」だという
母娘、ワシリーサとルケリヤに、この
ペテロとイエスのエピソードを語る
ことになるんですね。


イワンは語り終えると、ふっと
ため息をついて、物思いに沈みます。

笑みをたやさないワシリーサが
いきなりしゃくりあげると、
大粒の涙が彼女のほほを伝った。

彼女はその涙を恥じるように、
焚き火のほてりから
袖で顔をかくした。

ルケリヤはまじまじと学生を
見つめながら、ぽっと顔を赤らめた。

その表情は、激しい痛みを
こらえる人のように、重苦しく、
引き締まったものになった。
(浦雅春訳)

二人にお休みを言って帰路に
つきながら、イワンはもしこの母娘が
涙に誘われたなら、それは
「たった今自分が語って聞かせた
千九百年も前の出来事が現在と
つながりをもっているということだ」

と考え、ある種のうれしさがこみ上げます。

過去というものが「次から次へと起きる
出来事の途切れることのない連鎖
によってしっかりと現在と結び合わ
されている」
のだとすると、自分は
たった今その両端を目にしたのだと。

「一方の端がふるえると、
もう一方の端がぴくりとふるえたのだ。」



チェーホフの時代に「千九百年も
前の出来事」だったことは、今や、
「二千年も前」ということになりますね。

二千年たっても、また地球の裏表ほど
隔たっていても、人間の感じ方、
何を辛く思い涙を誘われるか……、
そのあたりの根本的なところは
変わっていない。

というか、「出来事の途切れることの
ない連鎖によってしっかりと結び
合わされ」
ていて、「一方の
端がふるえると、もう一方の端が
ぴくりとふるえる」
ものらしい、
と見ているわけです。

聖書や、それよりもっと古い物語に
接して涙を流すことがあるのは、
この「一方の端がふるえると、
もう一方の端がぴくりとふるえる」

という現象だともいえるんでしょうね。

ひょっとしてあなたも「一方の端が
ぴくりとふるえ」
て涙に誘われました?

ひょっとして「過去の出来事」を
心に抱え、鬱々と過ごしていませんか?

その種の囚われはこの際、
涙といっしょに流しましょう。

さあ、秋晴れの空のもと近くの畑
(畑がなければ公園)まで
歩いてみませんか。

意外なものとの出会いが
心を浮き立たせるかもしれませんよ。

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