“お~になる”敬語は要注意☆”お~になられる”で太宰・志賀論争

 


やあやあサイ象です。

今日は「お~になる」の形の
敬語表現について私がお書きになります

ハハハ、これがダメなのは
わかりますよね(;^_^A

自分の行為について尊敬語を
使ってますから、オレは自分を
尊敬してるぞーと叫んでるようなもので、
それはまあ(心に思うのは自由ですが)
表に出したらフツーと思われないですよね。

Sponsored Links



では、これはどうでしょう。

・先生はクロールで1kmをお泳ぎになられます

これもダメですか?



Ψ 二重敬語は不適切

ダメですよね、たいていの場合。

なぜって、「お~になる」という形で尊敬を表した上に、
さらに助動詞の「られる」をつけてもう一度尊敬したことになる。

こういうのは二重敬語といって、
慇懃無礼でかえって失礼だったり、
そうでなくても耳障りなので、文化庁の
諮問機関「文化審議会国語分科会」が
出した「敬語の指針(報告案)」
(2006)でも基本的に「不適切」
とされています。

462bb5cec3ededd0430d3ff3444c6a36_s

ただ、どうなんでしょう。

それがいえるのは、助動詞の「られる」を
「尊敬」の意味にとった場合ですよね。

でも、「られる」には「尊敬」以外にも
「自発・可能・受け身」の3つの意味が
あったではありませんか。

つまり上記の例文の場合、
これを「可能」の意味にとることも可能
(シャレではありませんが(^_^;)ではないか……

そうであれば、この文がダメを出される
いわれはない。

「先生は1kmも泳げる」ということを
尊敬語で正しく言い表している
ということになるのではないか?

ジョーズSteven-Spielberg-Digital-Art-s1

まったくその通り! 

と私は思いますが、実際問題としては
この主張は通りにくいかも…ですね。


現代の日本語ではその場合、

・先生はクロールで1kmをお泳ぎになれます

と言うのが普通だ、
なんて丸め込まれそうで……

ここへ来ると「な(ら)れます」という「ラ抜き言葉」の是非、
という別の問題も絡んできて、
話はまたややこしくなって……


さて、前置きが長くなりましたが、
要するに本日のテーマは、
敬語表現の難しさの一つに、
いろいろな形で生じる二重表現ということがあって、
これは上記の二重敬語の場合だけにとどまらない、
けっこう複雑な問題なので、この際、
整理して頭をスッキリさせておきましょう、
ということなんです。



Ψ 習慣として定着している二重敬語

ところで、二重敬語はどのような場合もすべて不適切かというと
そうも言いにくいようで、
上記「敬語の指針」(2006)では
「習慣として定着している二重敬語」
ならよい、として下記のような例を
挙げています。

・(尊敬語) お召し上がりになる、お見えになる

・(謙譲語I) お伺いする、お伺いいたす、お伺い申し上げる

※「謙譲語I」「謙譲語Ⅱ」というのも
「敬語の指針」によって持ち込まれた新しい分類法で、
簡単にいうと、以下のように区別されます。

謙譲語I】 その動作をする人よりも、その動作を受ける相手が上の場合。
「伺う」「申し上げる」など。
謙譲語Ⅱ】(以前は「丁重語」とも呼ばれた)その話の聞き手(読み手)が、
語り手(書き手)よりも上の場合。
「参る」「申す」など。


うーん、微妙ですね。

「習慣として定着している」かどうかは、
日本語を長く使っている人でないと
判断しにくいですもんね┐( ̄ヘ ̄)┌

ですので、外国人に教える場合などは、
これもやめとけ、と言っといた方が
いいんではないでしょうかね。



Ψ 「敬語連結」ならよい

それから、二重敬語に似ているけど違う場合として、
敬語連結というのがあります。
たとえば、

・お嬢様は庭をお歩きになっていらっしゃる

は、「お読みになる」と「いらっしゃる」の
それぞれ正しい尊敬語を助詞の「て」で
つなげたものなので、二重敬語には
当たりません。

浴衣美人fa24c640546228189f2fb30810f82b72_s

それではこれをなんと呼ぶかといえば
「敬語の指針」では敬語連結と名付け、
個々の敬語の使い方が適切で、
かつ敬語同士の結び付きに意味的な
不合理がないかぎりは基本的に
許容されるものとしています。

たとえば、つぎのような。
・お読みになっていらっしゃる
(「読んでいる」の「読む」「いる」を
それぞれ別々に尊敬語にしたもの。)

・お読みになってくださる
(「読んでくれる」の「読む」「くれる」を
それぞれ別々に尊敬語にしたもの。)

・お読みになっていただく
(「読んでもらう」の「読む」を尊敬語に,
「もらう」を謙譲語Iにしたもの。
尊敬語と謙譲語Iの連結であるが,
立てる対象が一致しているので,
意味的に不合理はなく,許容される)

・御案内してさしあげる
(「案内してあげる」の「案内する」「あげる」を
それぞれ別々に謙譲語Iにしたもの)

うーん( ̄ヘ ̄)、これらもまた微妙で、
下へ行くほど抵抗を感じないでもないんですが、
まあ許容される、OKだ、ということですね。


Sponsored Links


それでは、これなんかどうでしょう。

・(兎を)飼って了(しま)へばお父様屹度
(きっと)お殺せになれない
                   〔引用元:『志賀直哉全集』第4巻、岩波書店〕

”小説の神様”志賀直哉のごく短い小説
「兎」(1945) に出てくる
「貴美子といふ末の娘」のセリフです。



Ψ お殺せなさいますの?

お気づきの方もあろうかと思いますが、
志賀のこの日本語に噛みついたのが、
太宰治ですね。

『如是我聞』と題して1948年
(この年6月に自殺)の3月に開始した
連載随筆の第1回で志賀を名指しで
批判し始めるのですが、その流れで、
こんなふうに出てくるんですね。

ある座談会の速記を読んだら、
その頭の悪い作家が、
私のことを、もう少し
真面目にやったらよかろう
という気がするね、
と言っていたが、
唖然(あぜん)とした。

おまえこそ、もう少し
どうにかならぬものか。

さらにその座談会に於て、
貴族の娘が山出しの女中の
ような言葉を使う、
とあったけれども、
おまえの「うさぎ」には、
「お父さまは、うさぎなど
お殺せなさいますの?」
とかいう言葉があった筈で、
まことに奇異なる思いを
したことがある。

お殺せ」いい言葉だねえ。
恥しくないか。

〔中略〕    025349

貴族がどうのこうのと言っていたが、
(貴族というと、いやにみな
イキリ立つのが不可解)
或る新聞の座談会で、
宮さまが、「斜陽(注)を
愛読している、
身につまされるから」
とおっしゃっていた。

それで、いいじゃないか。

おまえたち成金の奴の
知るところでない。

ヤキモチ。

いいとしをして、恥かしいね。

太宰などお殺せなさいますの

売り言葉に買い言葉、
いくらでも書くつもり。
  〔引用元:青空文庫。(注)「斜陽」は太宰の小説〕



まことに痛快(叫び)、というか
逆に”イタイ”感じもある啖呵です。

やや残念なのは引用が不正確だったことで、
志賀は「お殺せになれない」とは書いても
「お殺せなさいますの」とは書いていません。

そこで、ここにまた別の問題
――「お~なさる」という言い方を
お~になる」と同じ意味・用法で用いてよいか――
も浮上してしまうわけですが、
今回はそこには立ち入らず、太宰が
突っ込んだ点に話をしぼりましょう。


お殺せ」いい言葉だねえ。恥しくないか。

でも、これについて志賀は「少しも変では
ない」と開き直ってるんです(((゜д゜;)))。


Ψ 「お殺せになれない」は変でない?

太宰の死から数カ月後に、
志賀はこう書いています。

今年十七になる私の末の娘が
『如是我聞』を読んで、
私の「兎」といふ小品文の中で、
この娘の云つた「お父様、
兎はお殺せになれない
といふ言葉の事が書いてある
と云つて厭(いや)な顔をしてゐた。

ad1b181ac602fd68b3c573acbe3f4e4a_s

私は「お殺せになれない」で
少しも変ではない、と慰めてやつた……

  「太宰治の死」〔引用元:『志賀直哉全集』第7巻、岩波書店〕


さて、みなさん、どう思われます?

「お殺せになれない」は「少しも
変ではない」と言い切れるんでしょうか?


”小説の神様”には畏れ多いことながら、
大いに「変」だと私は思います。

「お殺せ」の「殺せ」は、「殺す」から変形した
「殺せる」という可能動詞の未然形ですから、
その内部に「可能」の意味を含んでいますね。

そして後半の「なない」の「れ」は
可能の助動詞「れる」の未然形で、
やはり「可能」の意味を表すことも
明らかです。

したがって、「お殺せになれない」では
「可能」が二度表現されることになります。


志賀さん、こういうのを重言(じゅうげん)というんですよ。



Ψ 重言は美しくない

重言を含む日本語は、間違いとはいえなくとも、
無駄をそぎ落とした簡素の美うんぬんの
(あれ? これって志賀文学への
褒め言葉ではなかったですか?)
日本的美意識には適合しませんよね。


美意識はさておくとしても、
論理的な文章の書き手は重言を避けるものなんです。


つまりこの場合は、太宰が
いやがった「お殺せ」を避けて、

・お殺になれない。

とするのが最も正しく美しいと思いますが、
志賀美学で「お殺せ」を残したい場合は

・お殺せになない。

とすればよいのですよ。

Rabbits-Tortoises-s

「お殺せになれない」と娘さんが
実際に言ったのかもしれませんが、
「貴美子」と実名まで出した純粋な
私小説でそれをそのまま書いて出すのは、
いかがなものか。

娘さんの生涯の「恥」にも
なりかねないではないですか。


「恥しくないか」と言いたくなった
太宰に、この点も含めて、私は
共感してしまいますね。



Ψ まとめ

というようなわけで、整理しますと、

敬語表現の難しさとして、敬意や謙譲を
表わそうとするあまり、同じこと
(同一の敬意や謙譲)を2度表現して
しまうという落とし穴があり、そこには、

二重敬語
敬語連結

の2つの場合ばかりでなく、それらに

重言

という、敬語以外の問題もからんできます。

だから、かなりややこしくなってしまう
場合も少なくありません。

8d74416cfcdd6ae5f066d074dfb5dc62_s

こんなややこしい言語を習得しなければ
ならない星のもとに生まれた私たちは、
これを因果と嘆くべきでしょうか。

いや、むしろこの精妙さを誇りをもって
引き継ぐ…という気概をもつことに
してはどうでしょう。

その方が美しく見えますよ~(@^(∞)^@)ノ

Sponsored Links

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ