山月記の伝えたいことは?虎になった理由と原典『人虎伝』との違い!
やあやあサイ象です。
「感想文の書き方」シリーズもはや第71回。
今回は、高校現代文教科書の定番、
中島敦、『山月記』(1942)。
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作者が伝えたかったことは何なのか…
その創作意図などについて、作品の源泉
とみられる『人虎伝』をも参照しつつ
解説を試みたいと思います。
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👉『山月記』の内容については、
こちらで詳しく紹介・解説して
いますので、ご参照ください。
・中島敦 山月記のあらすじ 簡単/詳しいの2段階で解説
🐯 『人虎伝』と『山月記』の大きな違い
まず『山月記』で虎になる「李徴」(りちょう)という人ですが、もとを
たどると、唐の張読が著した伝奇小説集
『宣室志』の一篇、「李徴」でやはり
虎になる人物、なんですね。
ただ研究者によると、中島敦が『山月記』
のタネ本にしたのはそれではなく、
明代の『古今説海』か清代の『唐人説薈』
(『唐代叢書』ともいう)とのこと。
そして『唐人説薈』の方では、これが
晩唐の李景亮の作で、題して「人虎伝」、
となっているんですね。
ともかく、これらでは『宣室志』の
「李徴」にかなりの潤色を加えている
のですが、李徴が虎になった原因として
自白する寡婦(やもめ)との密会や
放火の経緯(後述)もその一つ。
こちらを参照👉:高専実践事例集
つまり『山月記』では、虎になった李徴が
再会した友人、袁傪(えんさん)に漢詩を
書き取ってもらったあと、こんなことに
なってしまった原因を語り出しますね。
『人虎伝』のストーリーもそこまではほぼ
同じなんですが、李徴がここで言い出す
のは、詩人として切磋琢磨しなかった
ことの反省などではなく、寡婦との密会を
禁じられた腹いせに放火したという…
まあ無頼漢というかヤクザというか、
きわめて反社会的な行為なんですね。
『人虎伝』のその部分を「書き下し文」
と「現代語訳」でお目にかけますので、
ぜひじっくりと読んでみてください。
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🐯 『人虎伝』ではなぜ虎に?
才能ある君がこのようになってしまったのは「君平生恨むあるなきを得んや」
(君が日頃恨みに思っている原因がある
のではないか)という袁傪の問いに、
李徴はこのように答えます。
【書き下し文】
若(も)し其自ら恨む所を反求せば、
即ち吾れ亦之(またこれ)あり。
〔中略〕
南陽の郊外に於て嘗(かつ)て
一孀婦(やもめ)に私す。
その家竊(ひそ)かに之を知り、
常に我を害せんとの心あり。
孀婦是れより再び合うを得ず。
吾因(よ)って風に乗じて
火を縦(はな)ち、
一家数人尽(ことごと)く
之を焚(やき)殺して去る()。
之を恨となすのみ。
【現代語訳】
原因として恨むところを自問すれば、
それはまた自分自身にある。
〔中略〕
南陽の郊外で、かつて私は
一人の寡婦と密通した。
その家の者がひそかにこれを探知し、
つねに私を殺害しようとの
意志をもっていた。
その寡婦とはその後、
二度と会えなかった。
だから、私は風を利用して火を放ち、
一家の人すべてを焼き殺して逃げた。
このことを恨む(残念に思う)
ばかりだ。
若(も)し其自ら恨む所を反求せば、
即ち吾れ亦之(またこれ)あり。
〔中略〕
南陽の郊外に於て嘗(かつ)て
一孀婦(やもめ)に私す。
その家竊(ひそ)かに之を知り、
常に我を害せんとの心あり。
孀婦是れより再び合うを得ず。
吾因(よ)って風に乗じて
火を縦(はな)ち、
一家数人尽(ことごと)く
之を焚(やき)殺して去る()。
之を恨となすのみ。
【現代語訳】
原因として恨むところを自問すれば、
それはまた自分自身にある。
〔中略〕
南陽の郊外で、かつて私は
一人の寡婦と密通した。
その家の者がひそかにこれを探知し、
つねに私を殺害しようとの
意志をもっていた。
その寡婦とはその後、
二度と会えなかった。
だから、私は風を利用して火を放ち、
一家の人すべてを焼き殺して逃げた。
このことを恨む(残念に思う)
ばかりだ。
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👉「書き下し文」は下記『李陵・弟子・
山月記』所収の「〔参考〕人虎伝」に
拠っています。
全文読みたい場合は入手しましょう。
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🐯『山月記』の伝えたいことは?
『人虎伝』と『山月記』とでのこの大きな違いが分かってみると、作者中島敦の
伝えたかったこともぐっと考えやすく
なりますね。
上でふれた別記事を参照してもらえると
ありがたいのですが、その「詳しい
あらすじ」の【転】の部分で『山月記』の
李徴はこんなふうに心中を吐露します。
「こんな運命になったことについて、
思い当たるのは、詩で名をなそうと
しながら、すすんで師についたり
詩友と切磋琢磨したりしようと
しなかった『我が臆病な自尊心と、
尊大な羞恥心』だ。
己(おれ)は人から遠ざかることで、
この『臆病な自尊心』をふとらせた。
人間は誰でも自分の性情という猛獣を
飼い慣らす猛獣使いだというが、
己の場合、この『尊大な羞恥心』が
猛獣であり、虎だった。
これが自他を苦しめ、「己の外形」を
このように「内心にふさわしいものに
変えてしまったのだ」。
思い当たるのは、詩で名をなそうと
しながら、すすんで師についたり
詩友と切磋琢磨したりしようと
しなかった『我が臆病な自尊心と、
尊大な羞恥心』だ。
己(おれ)は人から遠ざかることで、
この『臆病な自尊心』をふとらせた。
人間は誰でも自分の性情という猛獣を
飼い慣らす猛獣使いだというが、
己の場合、この『尊大な羞恥心』が
猛獣であり、虎だった。
これが自他を苦しめ、「己の外形」を
このように「内心にふさわしいものに
変えてしまったのだ」。
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つまり『山月記』の李徴にとっての「虎」は
《人間が飼い慣らすべき「自分の性情」=
『尊大な羞恥心』》であったのですね。
このような「虎」は、詩人とかぎらず
あらゆるジャンルの芸術家に発生しうる
落とし穴でしょうから、それを鮮やかに
表現した『山月記』は、後進の者が傾聴
すべき教訓を含む秀作となったわけです。
他方、『人虎伝』の方の「虎」はといえば、
これもまた《人間が飼い慣らすべき「自分の
性情」》ではあっても、芸術家の葛藤など
とは関わりのない、《人間界の掟(倫理)を
犯す野獣的傾向》といったもの。
「虎になる」ことはそれへの因果応報
(懲罰)という意味づけですね。
というわけで、『山月記』に持ち込まれた
「虎」の意味づけは、『人虎伝』には
カケラも見いだされない主題なのですから、
これこそが作者の伝えたかったことの
中心部分にあるあるものだといって
間違いないわけです。
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🐯 まとめ
さあ、どうでしょう。これだけのことしっかり押さえれば、
レポートも読書感想文もバッチリ、
何でもござれ…ではないですか?
え? もう少し横道にそれて色をつけたい?
それでしたら、狂言師、野村萬斎さんの
ユニークな試み、『敦山月記──山月記・
名人伝──』なんかを覗いてみては
どうかな?
2015年公演の録画をどうぞ。
さあこれでもうOKですよね、感想文?
ん? 書けそうなテーマは浮かんで
きたけど、具体的にどう進めていいか
わからない( ̄ヘ ̄)
やはりお手本がないと……ですって?
👉その場合は、こちらの記事でちょっと
お勉強をお願いします。
・山月記の感想文を高校生らしく書く//600字/400字の例文つき
ともかく中島敦、たいへん知的で
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👉当ブログでは、「山月記」以外にも
日本と世界の多くの作品について
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・「あらすじ」記事一覧
・≪感想文の書き方≫具体例一覧
ともかく頑張ってやりぬきましょ~~(^O^)/
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