愛のサーカスの問題とは?別役実ドラマのテーマ考察からテスト対策へ

愛のサーカスの問題とは?別役実ドラマのテーマ考察からテスト対策へ

サクラさん
高校現代文の教科書に
出ている童話『愛の
サーカス』は、以前は
中学1年の教材だった
とか。

なので読むだけなら簡単
ですが、突っ込んで
考えると問題だらけ……

ハンサム 教授
その奇妙なサーカスの
仕掛けは、安倍元首相
暗殺事件(2022)から浮上
した、例の世界平和統一
家庭連合(旧統一教会)
の手口に似通って
いませんか;^^💦


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サクラさん
子供の可愛さと母子の
「愛」をエサに「感動」
へと釣りこんで…

  

あとから見物料を
吸い取る(叫び)

ハンサム 教授
そういうツボにはまって
しまう人も世の中には
けっこう多い。

サクラさん
そうすると、『愛のサー
カス』はそういった
社会現象への風刺だと❔

ハンサム 教授
それが一つの解釈。

でも、ただの風刺で一件
落着なら、この教材が
中学から高校へと格上げ
されたことの意味が
わかりません。

サクラさん
ふ~む。そもそもこの
奇妙な童話を書いた
別役実ってどういう
作家ですか?

ハンサム 教授
童話も書きましたが、
劇作家の方が本業で、
日本の不条理劇
確立者と見られて
います。

サクラさん
ん? 不条理とは❔❓❔

ハンサム 教授
その説明はなかなか
厄介で、別役劇を観たり
読んだりしてもらうのが
早道ですが、ともかく
この童話にも別役らしい
不条理の匂いが漂って
いる。

その匂いのモトになって
いる仕組みを分析して
いけば、風刺以上の何か
が見えてくるはず。

サクラさん
見えてくれば、テスト
対策もバッチリ(🙀)…
かな❔


というわけでおなじみ”あらすじ暴露”
サービスの第241弾(“感想文の書き方”
シリーズとしては第328回)となる今回は
別役実の童話『愛のサーカス』(1977。
『別役実童話集 山猫理髪店』所収)で
行ってみましょう((((((ノ゚🐽゚)ノ
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というような次第で、本日の内容は
ザッと以下のとおり。


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あらすじ(3部構成とみて)

まず「あらすじ」ですが、これを何部かに
分ける場合にも、その人が全体をどう
理解するかという解釈──物語構造の
読み取り方──によって違いが出てきます。

ここでは3段階構成にしていますが、
それがどういう解釈から来ているのかは
後半の「解説と考察」の方で
説明します。

【1】
ある港町に、象と「小さな象使いの
少年」をのせた「いかだ」が流れ着く。

ふ頭事務所のウル爺さんは、少年に
いろいろと尋ねるが、少年は動作で
示すばかりで、一言もしゃべらない。

 
 初出誌「詩とメルヘン]1977年9月号の挿絵


街の人々が集まって「少年や象の
ほんのちょっとしたしぐさや表情に
いちいち感動しながら」見守る。

ウル爺さんは少年に、船が難破したのか
とか詳しいことを聞き出そうとするが、
人々から「少年をいじめているみたいに
言われて」、尋問はやめ、倉庫に
寝床を用意する。

ウル爺さんの努力にもかかわらず、
どこからどうやってきたのかという
ことは、とうとうわからずじまい
でしたが、街の人々にとっては、
もうそういうことはどうでもいい
ことでした


「少年のためにやさしくしてやりたい
という街の人々の気持ちが次第に
ひろがって、街全体がなごやかに
なってゆくよう」だったから。

【2】
漂着から11日目、西の街道から大きな
黒い馬車が街に入り、人々の前に
現れたのは「金星サーカス一座の
団長」クグ。

クグは「象使いの少年ピピ」を
あらためて紹介し、「十日間の興行」が
すんだので、料金をもらいに来たのだ
と言う。

ウル爺さんが唖然として「あの子は
なんにもしなかった」と抗議すると、
クグはこう説明する。

みなさんは、あの子を見ました。
そして、感動しました
〔中略〕
これが私達のサーカスなんです。
愛のサーカスです。

     

【3】
「それでは、フィナーレです」とクグが
手を上げると、箱馬車の背中が割れて、
少年の母親らしい美女が現れる。

少年の顔に、これまで見なかった
大きな喜びがひろがり、母子は
しっかり抱き合う。

涙を流した人々が大歓声を上げると、
クグはウル爺さんをふりかえり、
「ずるそうに笑いながら」言う。

どんな名人の、どんなに素晴らしい
離れ技
も、何も知らない何も
出来ない少年の純真なたましい

ほど感動的ではないのです。


クグは少年と像を箱馬車に追い込み、
外から大きな鍵をかけて閉じ込め、
去っていく。


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3部それぞれの対立軸

さて、上の「あらすじ」が【1】【3】
のように分けられている理由あるいは
基準が見えてきたでしょうか。

それは、つまり【1】【2】【3】
各部において、登場人物の主張の対立や
発言内容内部での、物の見方の対立が
見られますが、その対立軸が終始一貫した
ものでなく、微妙にズレていっている。

その推移・変化によって区切っていくと
ここで切れるだろう…という考え方に
もとづく分割なのです。

それでは、【1】【2】【3】の各部で
前面に出ている対立軸を整理して
おきましょう。

  • 【1】
    ⦅少年が何者かを調査する
    ウル爺さんの意志

    VS
    ⦅少年の素性などどうでもよくなった
    街の人々の同情・愛などの
    感情への没入

  • 【2】
    ⦅「興行はなかった」という
    ウル爺さんの主張⦆
    VS
    ⦅人々が感動したことにおいて
    「私達のサーカス=興行」が成立
    しているというクグ団長の主張⦆

  • 【3】
    名人の素晴らしい離れ技
    感動する一般的なサーカス⦆
    VS
    無知・無能な子供の純真さ
    感動する愛のサーカス
  


どうでしょうか。

【1】【3】の全体の流れが「無知・
無能な子供の純真さ」に感動して
金を巻き上げられてしまう大衆への
風刺・批判になっている…
そう言いきって終わりにすることもできそう
ですが、それだと、この作者ならではの
微妙な不条理の匂いを取り逃がして
しまいます。

高校現代文の教科書に別役実が出てくる
ことの意味もわかりません。

このあたりのモヤモヤを少しでもスッキリ
させていくには、別役のほかの作品に
当ってみるのが早道かもしれません。

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ズレていく対立軸と不条理:別役ワールドの解説と考察

別役実の高度の芸術性は、不条理の匂いを
濃厚に漂わせ、しかもユーモラスな戯曲
(劇作)でより多く発揮されていますが、
童話のうちにも、それに迫る不条理的な
傑作がありあす。

たとえば傑作童話集『おさかなの手紙』
(👇)に入っている「ズーズネル村の猫」。


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🎩1 『ズーズネル村の猫』の不条理

「ズーズネル村の猫」のストーリーは
こんなふうに展開します。

【1】
温泉療養所からズーズネル村を訪ねた
「私」は、人の耳をかじり取る怪物
セゼラバーンズが近くの洞窟にいると
聞いていたので、宿のウンバ婆さんに、
かじり取られないためにはどうしたら
いいかと尋ねる。

ウンバ婆さんは「タゴミナントを抱いて
寝るんだね」と大きな黒い雌猫を渡す。

     

【2】
寝室でタゴミナントの「腹にポケット
がない」ことに驚いた「私」は、
これは猫ではない」と宿の人や村人に主張。

この意見に賛同する人もいて、
村じゅうが論争で大騒ぎになる。

「これまでこの方法で耳をかじられ
なかったのは、セゼラバーンズが
本当の猫にはポケットがあるなんて
知らなかったからだ」
「だったら、そう思わせておけばいい」
「奴には耳があるから、もう
そのことを知ってしまった」……

【3】
そこで「私」は「ポケットある本当の
猫を連れてくる」から、それまで
洞窟に近寄らないように言い渡して
温泉療養所へ戻るが、そこでの
電気ショック療法のせいで、
その約束を忘れてしまう

つい最近、雪道で転んで頭を打った拍子に
そのことを思い出し、温泉療養所を
再訪した「私」はズーズネル村にはもう
「耳のある人なんかひとりもいない」と
聞かされる。


どうでしょう。

不条理な進展ということでいえば、
『愛のサーカス』よりずっと明快に
読み取れますよね。

これら2つの童話の共通点として
挙げられるのは、たとえば、

  • 雌猫の腹にはポケットがある
  • サーカスの興行はなかった
のような認識(事実判断)について
人物間で見解の相違というか衝突・葛藤が
発生し、それが微妙にズレながら発展すること。

この奇妙なズレこそ別役ワールドの
主要パターンの一つに違いありません。

このパターンを構成する衝突・葛藤を
言い表すのに別役自ら葛藤線という語を
用いているのが、戯曲集『天才バカボンの
パパなのだ』の「あとがき」においてです。

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🎩2 『天才バカボンのパパなのだ』
──「あとがき」での解説

『天才バカボンのパパなのだ』(1978年初演)は
別役実の傑作一つで、題名が示すとおり、
赤塚不二夫の人気マンガ『天才バカボン』を
下敷きにした(もちろん赤塚氏了承の上で)
ユニークな戯曲です。

この戯曲を収録した単行本(1979 👇)

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の「あとがき」で、別役氏は『天才バカボン』
には「独自のドラマツルギー(作劇法)がある」
として、それを「一口に言ってしまえば」
こうなる、と解説しています。

まず「本筋に関わる基本的な葛藤線」が
「本筋と関係のない補助的な葛藤線」に
「枝わかれ」するのですが、ふつう後者は
あくまで「補助的」なもののはずなので
「やがてカーブを描いて基本的な葛藤線に
収束されてゆく」ものと観客は期待して
しまいます。

それが「そうはいかない」ところに
『天才バカボン』独自のドラマツルギー
があるというのです。

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逆に、こちらの方が基本的葛藤線
なのではないかと、それが維持され、
強調され、しかし、我々がそう思い
はじめたとたん、それがまた、更に
補助的な葛藤線に枝わかれしてゆく。

このようにして、基本的葛藤線が
補助的な葛藤線へ、そしてまた
それが更に補助的な葛藤線へと
枝わかれをしてゆき、遂に基本的
葛藤線に立ち戻ることなく、
とめどもない迷路に踏み込んでゆく。


別役氏はこのドラマツルギーを赤塚氏から
「借りた」のですが、それはこの方法が
近代劇的な葛藤の論理を、破壊するための
手法にもなり得る」と考えたからだ
というのです。

「葛藤線」という用語がわかりにくい
かもしれませんが、これを前節
「1 ずれていく対立軸を整理すると…
で言われていた「対立軸」と重ね合わせて
みると、見えてくるものがあるはず。

    

『愛のサーカス』に漂っていた、どことなく
奇妙な話の流れ──条理(すじみち)のねじれて
いく
ような感触──は、この「近代劇的な葛藤の
論理を破壊」するところに生じるもの
なのでは?

だとすれば、その条理のねじれの感覚こそが
一般に不条理と呼ばれるもので、この意味での
「破壊」を追求した現代の演劇が一般に不条理劇
称されているように思われます。

別役劇では往々にして、このような意味での
「葛藤線の枝わかれ」による「迷路」へと
観客・読者は引きずり込まれていくのです。

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🎩3 葛藤線の枝わかれによる進展
──『天才バカボンの…』の場合

この「葛藤線の枝わかれ」というやつの
ねじれた進展に、赤塚不二夫にも通じる
別役実の不条理な笑いが生まれてくるのですが、
その「葛藤線」とは具体的にどんなものか、
『天才バカボンのパパなのだ』に即して
見ておきましょう。

細かく見ていくと全体で30本以上の
「葛藤線」が浮上していると思いますが、
すべてを挙げていく余裕はないので、
10本程度に絞りましょう。

冒頭は署長と巡査のやり取りで、
ここですでに5本ぐらいの「葛藤線」の
奇妙な「枝わかれ」が見られるのですが、
それはまあ序章的部分にすぎないのでして、
本筋めいたものに入っていくのは、そこに
「バカボン」が登場してからです。

      
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  1. バカボンがコウモリ傘をさして登場
    ⇒署長・巡査の混乱と「なんで」
    という職質

  2. 「雨が降っていないから」との回答
    ⇒署長・巡査の混乱と「ほっとけ」
    という指示

  3. バカボンが傘をたたむ
    ⇒バカボンのママが出てきて叱り、
    署長らがなだめる

  4. バカボンの口に何か入っているのでは
    とママが疑う
    ⇒巡査が調べようとし、署長が止める

  5. バカボンが口からガムを出して巡査に
    なすりつける
    ⇒「悪気じゃない」とママがとりなす

  6. バカボンのパパが手に下駄をはいて
    四つん這いで登場
    ⇒本人はネコのつもりなので、
    みんなが「ネコだと思う」必要が
    あるとママが説明する


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  8. パパがバカボンに「ネコだと思って
    ないだろう」と詰問
    ⇒バカボンは「思ってる」と主張し、
    言い合いが続くので署長が仲裁に入る

  9. 「それならこのコウモリ傘でこいつ
    (署長)をぶつんだ」とパパが命令
    ⇒署長はその不合理さを説こうとするが
    巡査の口出しから話が混乱

  10. 「バカボンがぶつ」のがよくないなら
    「私がぶてばいい」とパパが発案
    ⇒その理由が「痛い方がいいから」
    ということになり、それならバカボンが
    強く打てばいいという話に。

  11. ママがパパに「バカボンが署長さんの
    お尻ぶつ時ズボンを下げてもらおう、
    って考えたでしょう」と言う
    ⇒パパは否定するが、混乱した会話が
    進むうち、ズボンを下げることが
    前提になってくる

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ま、ざっとこんな感じで「補助的」なもの
として出てきたはずの「葛藤線」が、その
「補助的」な出自を忘れて「基本的」な
ものに成り代わってしまう…

こうしていつのまにか「迷路」のような
ところへ引きずり込まれることで、観客・読者は
とても奇妙な──見方次第では不気味で怖い──
笑いを経験することになるわけですね;++;💦

  


もちろん『愛のサーカス』は、『天才
バカボンのパパなのだ』ほど複雑怪奇な
「枝わかれ」を見せるわけではありませんが、
別役のいう「迷路」はそこにもうっすらと
浮かんでいるのではないでしょうか。

『愛のサーカス』の独特の味わいがこの
「迷路」からにじみ出ているのだとしたら、
作品分析としては、上記のような意味での
「葛藤線(対立軸)の枝わかれ」具合を
見きわめることが重要となるはずです。
👉オリジナル──赤塚不二夫の『天才
バカボン』──の「葛藤線」の推移パターンが
どうなっているかは、こちらで詳しく解析
していますので、是非ご参照ください。

バカボンのパパの名言「これでいいのだ」の天才性⦅別役実も盗んだ?⦆

       


また別役実の初期の問題作『マッチ売りの
少女』をめぐってはこちらで。

マッチ売りの少女は火で何を見せる?本当は怖い童話の現代的”真実”とは?

        


🎩4 不条理のいろいろ──
カフカ、カミュ、&シュール?

ところで、近代劇的な葛藤の論理を破壊する
不条理劇は別役氏の発明というわけでは
なく、同氏に衝撃を与えたサミュエル・
ベケットなど、やはり西洋の劇作家に
よって創造されたものと見られます。

フランス演劇ではアルベール・カミュが
有名で、その代表的な不条理劇『カリギュラ』
は日本でも何度か上演されてきました。

菅田将暉が主演した栗山民也演出による
2019年の舞台のダイジェストを
こちらでどうぞ。👇


👉『カリギュラ』について、あるいは
カミュという作家についてもっと詳しく
知りたいという人は、こちらを
ご参照ください。

舞台カリギュラを楽しむのに必須!カミュ原作のあらすじと解説はこちら

     

カミュ 異邦人のあらすじ//太陽のせいで殺人!その”不条理”とは?

ペスト(カミュ)のあらすじ⦅2020コロナ禍を予言する本があった?⦆

   

👉そのカミュを含め、二十世紀の多くの
作家に強い影響を与え、不条理文学
始祖のように見られている小説家が
フランツ・カフカ。

その怪しい面白さについてはこちらで。

カフカ 城のあらすじ⦅ネタバレあり⦆ “もてる男”Kをどう解釈?

         castle-832543_960_720

カフカ 変身のあらすじと解説:簡単/詳しくの2段階で考察



👉上の『変身』の画像を見て、わかった!
『不条理』ってつまり『シュール』なんだな…
なんて早合点した人もいるかもしれません。

でも『シュール』と『不条理』はまったく
別物です。

『シュール』の語源や正しい意味については
こちらを参照してください。

シュールという言葉の使い方 間違いでは? 元のフランス語から押さえよう

    人魚     ルネ・マグリット「共同発明」(1934)  


まとめ

さて、どうでしょう。

『愛のサーカス』について、現代社会の
風刺ということ以上に突っ込んで考える
場合、何を抜きだすことができ、何が
言えるのか。

もちろん上の議論は一つの解釈にすぎず、
ほかにもいろんな議論・考察ががある
ものと思います。

    黒猫 cat-339181__180

なので、テスト対策としてこれで十分と
言いきることはできないのですが、
出題する先生も問題の作り方に困って、
案外、この記事などを参考にしている
という可能性もないではありません。

ともかく、上記の考察や情報を参考に
頭を整理しておけば、どんな問題にも
それなりに対応できるはずですよ。

ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/



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