名古屋は美人の街かそれとも”日本三大〇〇”か?ついに決着の時が…
吾輩は猫である。
名前はまだない。
どこで生まれたか、とんと……
いやもう挨拶は抜きにさせてもらおう。
先般より熊本、秋田…と”美人どころ”を
巡回しての感想と分析を書かせてもらった
ところ、種々の反響をいただいた。
そのなかに「おみゃーは『名古屋美人』
ちゅーことを知らんのか、たわけた猫
だにゃー」という無礼なものもあった。
いや、吾輩とてその噂を聞かぬではない。
だが、それを聞いたのはなんだか
ずいぶん昔のことの気がする……
そう、吾輩が夏目漱石先生の『吾輩は
猫である』で一躍有名になり”どや顔”で
道を歩いていたころであるから、おそらく
まだ明治の御代だったんではあるまいか。
しかるに……である。
名古屋の諸兄姉にはご無礼つかまつるが、
事実認識として言わせてもらうならば、
平成の今日ではむしろ逆の「名古屋は
不美人が多い」という噂の方が優勢に
なっているんではあるまいか。
そうだとするならば、この凋落は事実と見る
べきなのか、いな、事実でないならば、
なにゆえにそう見られるようになって
しまったのか……
今回はそのあたりを吾輩が徹底的に調査
してみたので、ぜひ最後までお付き合いを
お願いしたいと思うんである。
日本三大○○都市のトップ?
近頃では巷間、愛知・名古屋に美人が少ないことをあたかも既定の事実のように言う
言説が横行しておるようにも見受けられる。
たとえば下記のような動画。👇
このような説はすべて思い込み結果で
あって、信ずるに足らんのである。
さて、前にも申したことであるが、実は
吾輩は首都圏、関西圏、名古屋圏と
移り住んだ猫で、名古屋の女性も
まんざら知らんわけではないんである。
しかるに巷でいわれるような「名古屋は○○
ばっかだがやー」とか「日本三大○○都市の
トップだがねー」(2位以下は仙台、水戸
とのこと)というが如き感慨をもったかと
いえば、そんなことは全くござらん。
👉この「○○」に例の差別語が入ることは
言うまでもござらん。
否、むしろ美人が多いように感じると
言い切ってはばからん次第だ。
なにしろ近ごろでは「名古屋嬢」が全国的な
ブームになったほどで、経済好調の
大都市圏に見合う洗練度は当然あるし、
この地方の人のもともとの顔立ちがまずい
なんてことも見て取れん。
実際、芸能界を見渡しても、名古屋周辺
出身者は、今をときめく三上悠亜さんを
筆頭に、武井咲さん、加藤あいさん、
香里奈さん、川島なお美さん(ご冥福を
祈ります😿)、山田まりやさん……
とほら、美人だらけではないか(それ以上
名前が出てこないのがツライが;^^💦)
いや、そもそも人間の感覚は猫と違い、
あらかじめもっているイメージに大きく
左右されるものである。
この街は美人が多いと聞き、その期待感で
もって眺めれば美人が目につくし、○○
ばっかだろうなという意識で見れば
○○しか見えないものだ。
要するに、かつては『名古屋美人』と
もてはやされたこの都市の「美人の街」の
イメージが、いつか地に堕ちてしまった
ということなのだが、この大きな
イメージダウンは、どのようにして
起こったのであろうか。
タモリの名古屋イジリのダメージ?
要因の一つとして挙げられるのは、1980-90年代のブラウン管で猛威を振るった
毒舌の奇才、タモリ君が徹底的に名古屋を
イジったことではないかしらん。
毒舌の双璧のように見られたライバルの
ビートたけし君の場合もそうであった
ように、毒舌で受けるには”標的”選びが
成否の鍵を握ることは自明であろう。
その”標的”として「名古屋」に目をつけた
ところにタモリ君の天才があったと
いえるんであるが、それにしても、それは
一体なぜ「名古屋」でなくては
ならなかったのか。
バカにされてきた”名古屋のテレビ塔”
いろんな計算や思惑が絡むとしても、背景に
彼の出身地、福岡が燃やす名古屋への
対抗心があったんではないかしらん。
要するに、首都圏、関西圏につぐ第三の
大都市圏への、四番手からの妬みであるな。
まあ、人々が腹に持つそういったネクラい
部分をつっつくのが、タモリ君の笑いの
魅力を構成していたのであるから、
それはそれで、面白くて結構である。
だから名古屋人は、同君の不当な言いがかり
にも、「金持ち喧嘩せず」のたとえどおり、
余裕をもって受け流してきたんである。
この人がミス名古屋?
『名古屋美人』イメージ失墜の明白な要因がもう一つあるが、これもまた
名古屋人の”人の良さ”、あるいは
先進性にかかわるものである。
すなわちいわゆる「ミス△△コンテスト」
の類への批判が全国的に吹き荒れたのは
1980年年代後半のことであったが、
先進的な名古屋ではそれより10年近く
早い時期から批判が高まっておった。
これに対し、根っから真面目な名古屋市は
ハイさようで、おっしゃるとおりで…と
「ミス名古屋」の選考基準において容姿
以外の要素(教養、語学など)の比重を
ずいぶん大きくしてしまった。
その結果、選出された「ミス名古屋」は、
え? この人が?……といささか唖然と
させられる”内面美人”であったという。
となれば、この先進的英断の痛ましい
副作用もまた明白であろう。
この人が「ミス名古屋」なのね…ふうん、
名古屋ってレベル低いのね……ってことに
どうしてもなってしまうではないか……。
「ミス名古屋」コンテストは
1991年で打ち止めとなった。
神代の昔から美人の産地
さて、上に紹介した動画について信用してはいかんと述べたけれども、
すべて嘘だと申したわけではない。
名古屋もかつては美人が多かった、
少なくとも長くそう見られていた
ことは争われぬ事実なのである。
『名古屋美人』ということが言われだした
そもそもの由緒は、ヤマトタケルが東国平定
の帰路に滞在した尾張で、国造の娘、宮簀媛
を見そめて妃にしたこととされる。
(その後、この地に熱田神宮が建立される)
だから、これはもうほとんど日本の
歴史と同じくらい古いわけである。
その後、孝昭天皇、崇神天皇、継体天皇
などもそれぞれ名古屋から美人の妃を
迎えたことで、「美人の産地」という
尾張の風評は不動のものとなっていった。
時代は下って戦国の世まで来ると、この
風評を今一度裏付けるキラ星のごとくに
現れたのが、「絶世の美女」と謳われた
お市の方であるな。
織田信長の妹にして浅井長政に嫁し、その
没後は柴田勝家の妻として、37歳で
「佳人薄命」の生涯を閉じた方である。
高野山持明院蔵「浅井長政夫人像」
👉この人とその娘、茶々(淀殿)らをめぐる
波瀾万丈、興味津々の物語については
こちらの記事を参照されたい。
・秀頼の本当の父は?三成は当時不在…では茶々は一体誰と…💓?
この後、江戸時代に入っても、「絵島生島」
事件で名を上げた絵島や、「唐人お吉」
こと斎藤きちも、名古屋から遠からぬ地の
出身で、やはり「名古屋美人」と
称されたのである。
楊貴妃も色を失う
「名古屋美人」が決して言葉だけのハッタリでなかったことは、1763年に
来日して全国を周遊した朝鮮通信使の
金仁謙が「女人の眉目の麗しさ 倭国
第一」と名古屋の印象を記したこと
からも知られる。
金仁謙の旅行記『日東壮遊歌』はこう歌う。
人々の容姿のすぐれている
ことも 沿路随一である
わけても女人が
皆とびぬけて美しい
明星のような瞳 朱砂の唇
白玉の歯 蛾の眉
茅花の手 蝉の額
氷を刻んだようであり
雪でしつらえたようでもある
人の血肉をもって
あのように美しくなるものだろうか
趙飛燕や楊太真[楊貴妃]が
万古より美女とのほまれ高いが
この地で見れば
色を失うのは必定
(引用元:金仁謙『日東壮遊歌』東洋文庫)
明治に入って鉄道網が整備され、人の
往来が自由になると、「美人の街」
という名古屋の評判はますます高まり、
名古屋出身だと詐称する女性も増えた。
東京・新橋を筆頭に日本全国の花街が
名古屋の娘を求めるようになり、一時は
東京の花柳界の6割程度が名古屋出身者に
占められていたというんである。
全国に散った名古屋出身の娘の数は
1年で3500人以上に達したといい、
やがて東京の花柳界では「名古屋美人」
の証しとして名古屋弁が競って使われる
やーにまでなったんだがやー。
実際、明治38年(1910)に催された
「名古屋大共進会」の記念画報の表紙は
下のようだったんだが、その右余白を
見てみや~。
「名古屋の二大名物」といえば
「言ふ迄もなく金鯱(シャチ)に美人」
だと謳っとるでね、オホン( ̄ヘ ̄)
ちなみに写真のモデルとなった人は正真正銘、名古屋
出身の元新橋芸者、桂太郎侯爵(元首相)夫人である。
大正に入っても雑誌『婦人世界』(1918
年7月号)の「美人ぞろいの名古屋の婦人」
ちゅう記事にゃこう書いてあるがね。
いわく、「美人の産地」として有名な
名古屋は美人が多いだけじゃのうて、
平均的な娘のレベルが高いちゅう点で、
「玉石混淆」(美人もいるが不美人も多い)
の東京とはどえりゃー違いだがや、と。
見る側の美意識の変化?
ともかく、である。1910年代にこれほど明快に「美人の
産地」と見られていた名古屋が100年や
そこらで一挙に「○○の産地」に変貌する
わけはない。
変わったのは女性の顔ではなくて、
それを見る者が予断としてもつ
「イメージ」の方である。
そしてその「イメージ」の形成に関与
してくるのが、時代とともに変化して
ゆく、人の美意識・嗜好であろう。
となると、そこに「弥生型」「縄文型」
の顔の特徴、その混淆の度合いといった
問題も関わってくる次第だ。
たとえば上に見ていただいた”絶世の美女”
として描かれたお市の方や、明治末の
“天下の美女”桂侯爵夫人だが、はたして
あなたの目にも最高級の美女と映る
であろうか。
いやーなんだかなあ…と首をひねられる
とすれば、それは日本人の美意識が
大きく変化してしまったことの
証拠であろう。
…という話になると、「名古屋美人」の
失墜という現象について、タモリらの
悪口のせいばかりで片付けられない微妙な
問題が潜む可能性も出てくるわけであるな。
すなわち前近代の日本画で「美人」と
されてきた「弥生型」の特徴の強い
タイプの顔は、現代人の美意識に訴える
上では苦しい戦いになってきている
のではないかしらん……。
そうだとした場合、日本のど真ん中を
自称する愛知県に「縄文型」の血の
濃い人が多いはずはない……
ということろで、このへんは各人の
趣味の問題も大きく絡むので、
吾輩としては発言を控えたい。
👉顔のタイプの「弥生型」「縄文型」
については、こちらの記事で大いに
探求しておるので、ぜひ参照されたい。
・熊本に美人が多いのはなぜ?『吾輩』猫が人類学的に解明!
・秋田美人の特徴とルーツ:「白人遺伝子」説を動画で検証!
・福岡に美人が多い理由は?博多人形の美しさがヒトにも…?
まとめ
さて、おわかりいただけたであろうか。要するに吾輩が言いたいのは
こういうことである。
名古屋女は○○じゃとホザく前に「美人/
不美人」とは何で、そう見えるとはどういう
ことなのか、すこしは科学的・歴史的に
考えてみてはいかがか……と。
👉肉球でキーボードを叩く吾輩は、
下記のような記事も書いておるので、
ついでに見ていただけるとありがたい。
・猫の去勢手術の時期は?😿遅いとどうなる…『吾輩』猫の経験から
・夏目漱石 吾輩は猫であるのあらすじ:簡単/詳しくの2段階で
・漱石『草枕』の意味を解く旅:『吾輩』猫、熊本の小天温泉へ
・漱石の名言でたどる恋愛💛『吾輩』猫が読み直す『こころ』etc.
名古屋は今も「美人の産地」であることに
間違いはないんで、「玉石混淆」の東京
なんぞと一緒にしてもらっては困るんである。
一度お出かけになっては、いかがかな?
来てみニャわからんよ~( ̄∀ ̄)/
あの、、
本気で眼科行けばいいのでは?
というか、
そういう名古屋最高!
っていう鎖国的な思考が
愛知県民が日本一嫌われてる理由という事に気付きなさい(笑)
かわいそうに
イケメン様
コメント、忝く存ずる。
やっぱりそうなのかニャーと思わんでもないが、
猫の眼科というのはないので、眼科行診察は
ご容赦くだされ。
吾輩は名古屋人でも愛知県民でもないんであるが、
名古屋にゆかりのある猫として、ここは名古屋人の
美風に倣い、「金持ちけんかせず」でスルー
させていただこう。
たしかに、ブスといえばブスである。
が、すべては物の見方である。
またのお便りをお待ちする。
平安時代や何百年も前の美的価値観ならあれだけど、価値観は時代時代でどんどん変化してるから今の時代の美的価値観にはあわない人が平均して多いんじゃないの。
よくブスばかりじゃない!愛知からもこんな綺麗な芸能人が出てる!なんて書いてるけど、こいつら頭大丈夫か?バカなのか?って思ってしまう。何百万人いればきれいな人が何人かいて当たり前。それに今や他県から沢山きてるんだし。
以前一度だけ行ったことあるけれどやはりというかなんというか・・。
あっ、あと可愛くなくてもニコニコしてる子は可愛らしく見えるよね。愛知に行って思ったのはやたらとつんつんして愛想のない子がほんと多いなって思った。勘違いぶす?てかかなりイラっとさせられた。余計にブスに見えてしまったよ。そういうのも原因でしょうね。性格の歪みは顔にでますからね。
匿名どの
有り難く承った。
「今の時代の美的価値観にはあわない人が平均して多い」と
言われれば、その通りなのかもしれん。
だが「つんつんして愛想のない子」は「余計にブスに見えてしまう」という現象について「性格の歪みは顔にでますから」という風に短絡するのはいかがなものか。
見る側の深部にある男性中心主義がそう見せるのではないかと
吾輩は睨んでおるんだが、いかに。
名古屋美人他にも沢山居ますね
美人芸能人の数も人口割でも首都圏なんかより、圧倒的に多いですね
九州地方には負けますが・・・
瀬戸朝香
竹下景子
水沢エレナ
いとうまい子
藤谷美紀
かとうかずこ
葉山レイコ
福田彩乃
加藤ミリヤ
城戸真亜子
今陽子
中野良子
渡辺美奈代
森川葵
伊藤千晃
松井珠理奈
松井玲奈
パパイヤさん
美人情報ありがとうございました。
顔の浮かばない名前もあり、脱帽です;^^
>美人芸能人の数も人口割でも首都圏なんかより、圧倒的に多いですね
ここに掲載された女性が全員が美人だと思うのであれば、
名古屋美人って・・・たいしたことないね。
ほー さん
へへへ、それは主観の問題でやんして…;^^