女性が苦手な男性の恋愛【漱石名言集】『猫』も『こころ』もそんな男ばかり

恋は罪悪で神聖?宇宙的の活力?男女は一つになるか…【漱石の恋愛名言12】

サクラさん
夏目漱石の小説では
恋愛に苦しむ男女がよく
描かれていますが、
彼らの吐く名言としては
どんなのがありますか?

ハンサム 教授
「恋は罪悪ですよ。
よござんすか。
そうして神聖なもの
ですよ」


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サクラさん
ああ、『こころ』の前半
で”先生”が若い”私”に
教える言葉ですね。

でも罪悪なのに神聖
というのは矛盾して
いませんか❔

ハンサム 教授
それを言うなら漱石の
登場人物の言動はむしろ
矛盾だらけ

『坑夫』の主人公は
「自分はよく人から、
君は矛盾の多い男で
困る」と言われたが、
「人間の性格は一時間
ごとに変わる」から
矛盾が出てくる」のは
当然で、むしろそれこそ
「人間らしい所」だと
開き直っています。

サクラさん
そういえば『こころ』
でも先生はお嬢さんの
態度が変わるというか、
前後矛盾することに
ついていけず……




ひとり思い悩んだ挙句
ついにKを出し抜いて
しまう。

ハンサム 教授
その先生の行動もKや
お嬢さんからは矛盾
見えたのでは?

サクラさん
なるほど。恋愛中は特に
そういう行き違いが
起こりがちですよね。

ハンサム 教授
それを”悲劇”に仕上げた
のが『こころ』で、
むしろ壮大な”喜劇”と
して構築しようとして
果たさなかったのが
大作『明暗』だったん
じゃないかな。

サクラさん
オ~(🙀) ますます
興味をそそられます。

そのほか恋愛について
洞察した名言を漱石の
小説から拾い上げて、
解説してください!


というわけでおなじみ”あらすじ暴露”
サービスの第248弾(“感想文の書き方”
シリーズとしては第335回)となる今回は、
夏目漱石の小説から恋愛をめぐる名言
12個に絞って紹介し、それぞれについて
深掘りしていきたいと思います。

採り上げる名言は以下の通り。
クリックすればそこへ飛んでいけます。

💘 もくじ 💔

  1. 月が綺麗ですね。

  2. 僕の存在にはあなたが必要だ。

  3. ただ愛するのよ、そうして
    愛させるのよ。

  4. 女の方が万事上手(うわて)
    だあね。
    男は馬鹿にされるばかりだ。

  5. 女には技巧があるんだから
    仕方がない。

  6. 恋は罪悪ですよ。そうして
    神聖なものですよ。

  7. かつてはその人の膝の前に
    跪(ひざま)づいたという
    記憶が、今度はその人の
    頭の上に足を載せさせようと
    するのです。

  8. どんな人の所へ行こうと、
    嫁に行けば、女は夫のために
    邪(よこしま)になるのだ。

  9. とも角も女は全然不必要な
    ものだ。

  10. 女性の影響というものは
    実に莫大なものだ。

  11. 恋は宇宙的の活力である。

  12. 男と女が引っ張り合うのは
    互いに違った所があるからだ……
    が、自分と別物なら何う
    したって一所になれっこない。

  13. まとめ

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➊月が綺麗ですね。

【名言その1】
(英語授業中、生徒が “I love you” を
「我君ヲ愛ス」と訳したのに対して)
日本人がそんな台詞を口にするか。
月が綺麗ですね』とでも訳しておけ。
それで伝わるものだ
」 (出典不明)

2010年代以降(主にネット民の間で)広く
知られるようになった漱石のこの”名言”。

ですが、これ、『漱石全集』「総索引」の
どこを探しても出て来ませんし、漱石の
周囲の人々が書き残したもののうちにも
見つからないのですね。

つまりこれが漱石の口から出たという
事実は確認できないわけで、あるいは
ネット社会特有の”流言”にすぎない
のかもしれないのです。

ただ、この発言はいかにも漱石らしい
もので、教室で実際に口にされることが
あったとしても決して不思議では
ありません。

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そのことは、彼の講義録『文学論』の
基本公式に表明されている文学観から
しても大いに推測可能なのでして、
すなわち

凡そ文学的内容の形式は
)なることを要す。

は焦点的印象又は観念を意味し、
はこれに附着する情緒を意味す。
       (第一編第一章)

というのが文学の”キホンのキ”ですから、
月が綺麗ですね」という(焦点的
印象又は観念)が口にされた場合、
その場の状況や文脈次第では、そこに
I love you“的な(情緒)が「附着する」
ことも十分あり得る。

というか、日本人はむしろそういう風に
して”I love you”を表現してきたのでは
ないか……と。

教室でのこの発言が事実であれば、漱石の
念頭にあったのはザっとそんなところか……
というのは『文学論』を開いてみたことの
ある読者には見えやすいところでしょう。
👉なるほど、『文学論』はそんな面白い
ことを言っていたのか。

それなら本気で読んでみたいけど、
文章が文語体で難しすぎる……
と二の足を踏む人は、まずこちらの
本などから、ゆるゆると、解説付きで
入っていくのがおススメです。


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またこちらの記事もご参照を。

夏目漱石「月が綺麗ですね」の意味・背景を徹底研究!寅さんから小津へ?

      


➋僕の存在にはあなたが必要だ。

教室で【名言その1】のように発言した
(かもしれない)漱石のことですから、
その後ほぼ毎年発表し続けた恋愛がらみの
小説でも、主人公が「我君ヲ愛ス」的な
ベタな恋愛表現をすることは、まず
ありません。

では、いわゆる”告白”などはどうやるのか。

「月が綺麗ですね」のような言葉ばかりでは
明確に伝わるとは限らないし、誤解が発生
する恐れもあるのではないか?

そこで、たとえば『それから』の代助が
(今は人妻である)三千代に対して明確に
愛を伝え言葉は、こんなふうです。

【名言その2】
僕の存在には貴方(あなた)が必要だ。
どうしても必要だ。
僕はそれだけの事を貴方に話したい為に
わざわざ貴方を呼んだのです。
   (『それから』十四の十)

    

ここはおそらく、欧米の小説ならたいてい
“I love you”と言ってしまうに違いない
場面ですし、同時代の日本の小説類でも、
「愛している」のようなセリフはすでに
珍しくなかったのです。

それを言わせないところが「さすが漱石」
……ではあるのですが、他方で、その代わり
のように持ってこられた「僕の存在には
あなたが必要だ」というセリフも……
さて、どうなんでしょう❔

現代人の目にはいささか問題含みに
見えてしまいますね。

つまり意地悪な見方をすれば、
自己中心的、またはお坊ちゃん的。

オレの存在に「必要」なんだから、
オマエがついてくるのは当然だ……
と三千代の内心を聞き出さないうちから
相手の愛を勝手に決め込んでいるよう
ではないですか。

ただ好意的に見れば、三千代の気持ちは
前の場面ですでに明白になっている、
したがってこの発言も自然の流れだ、
現にこのあと彼女は悲喜こもごもの
涙を流すではないか……
ということになります。
👉『それから』のこの「僕の存在には
貴方が必要だ」は日本語史上に特異の
光を放つ”名言”であり、かつ大いに
検討・批判の余地ある”愛の言葉”
だと言えそうです。

この問題についてはこちらで詳細に
検討・考察していますので、
どうぞご参照ください。

それから(漱石)で感想文【読書レポート2000字の例】愛の言葉は…

          

 

➌だだ愛するのよ、
そうして愛させるのよ。

恋愛がらみの場面で「愛する」云々の
言葉が漱石の小説では発せられないか
というと、そんなことはありません。

時代の流れもあり、大正に入るころだと
おそらくすでに一般人の会話にも自然に
出てくるぐらいになっていたのでしょう。

漱石の死によって中断された長編『明暗』
(大正5年/1916)のヒロイン、恋愛結婚
したばかりのお延は、見合いを控えた姪の
継子が、自分のような者は「幸福になる
望みはないのね」と悲観的な言葉を吐いた
のに、こう反応します。

【名言その3】
あるのよ、あるのよ。
ただ愛するのよ、
そうして愛させるのよ。

そうさえすれば幸福になる見込みは
いくらでもあるのよ。
       (『明暗』七十一)

これは、自分から「愛する」形で結婚し
ながら、肝心の夫の愛が自分にだけ
注がれているわけではないのでは❓……
という不安を抱えるお延の心理と信条を
よく表現するセリフで、読者がハッと
させられるのは「愛する」よりむしろ
愛させる」の方でしょう。

実際、彼女はハンサムな夫、津田に自分を
「愛させる」ために努力を重ねた結果、
結婚という果実を勝ち取り、かつ現在も
専一に「愛させる」ための努力を継続中
であるように読めるのです。

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お延のこの努力に作者が批判的な目を向けて
いないことは明らかですが、女性のこの種の
姿勢や計算を漱石が好意的に描くのは、実は
この最終作『明暗』が最初だったと言って
いいかもしれません。

つまり、それまではむしろこれには
厳しい目が向けられるのが常でした。

『虞美人草』のヒロイン藤尾がラストで
作者によって公開処刑されてしまうのが
典型例ですが、そのほか『草枕』『三四郎』
『彼岸過迄』『行人』『こころ』の
ヒロイン、そして自伝的作品『道草』の
妻に至るまで、女性が男に対して繰り出す
「愛させる」ための「技巧」には厳しい目が
向けられています。

むしろこの「技巧」が発生させる機微こそ
漱石文学の真骨頂があるのかもしれません。

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➍女の方が万事上手
(うわて)だあね。
男は馬鹿にされる
ばかりだ。

女性が男性を「愛させる」、またはともかく
惹きつけようとして繰り出す手練手管。

それは要するに西洋でコケットリー(媚態)
と呼ばれてきたものですが、これが
漱石の小説では往々にして「自然」に
反する「技巧」として男の嫌悪の対象
ともなっていくのですね。

『三四郎』のウブな主人公に対して、
少々年かさで経験もあるらしい友人、
与次郎はこう教えます。

【名言その4】
廿(はたち)前後の同じ年の男女を二人
並べて見ろ。
女の方が万事上手(うわて)だあね。
男は馬鹿にされるばかりだ。

      (『三四郎』十二)

     

これをもしヒロインの美禰子が聞いた
ならば、「決して馬鹿になどしていない。
私は自然にふるまっているだけだ」と
冷ややかに応答しそうですが、その種の
コケットリー(媚態的技巧)が「自然」に
(無意識に)できてしまうところにこそ、
漱石的ヒロインの特質があようです。

この美禰子のようなタイプについて、
漱石自身が造語した呼称が「無意識の
偽善者(アンコンシャス・ヒポクリット)」
でした。
👉「無意識の偽善者」がどういう脈絡で
言われたかなど、詳細はこちらを
ご参照ください。

三四郎(夏目漱石)で読書感想文【1200字例文つき】美禰子って何?

     
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➎女には技巧があるん
だから仕方がない。

「女性はいくらでもウソつける」…
というのは女性衆院議員・杉田水脈氏の
公の場での発言(2020年9月 👉 読売新聞オンライン)。

杉田議員のこの発言は「LGBTの人には
生産性がない」という暴言とともに、
オジサン的な女性観を女性がオウム返しに
している…
等々の批判を浴びましたが、漱石の女性観が
この意味で少しもオジサン的でないか
といえば、そうは言い切れないように
見えます。

無意識の偽善(アンコンシャス・ヒポクリ
シー)やコケットリーと限らず、とにかく
女性のふるまいは「虚偽」と「技巧」に
満ちている……
という見方は、8歳ぐらいまで育てられた
養母(自伝的小説『道草』にお常の名で
登場)がまさにそういう女性であったこと
などから、漱石個人の深いところにこびり
ついていた女性観なのかもしれません。

ただ『道草』では、その種のオジサン的
女性観にとらわれた主人公が、より高い
視座から批判的に捉えられることで、
次作『明暗』につなげられていると
読むこともできそうです。

【名言その5】
「何と云ったって女には技巧が
あるんだから仕方がない

彼は深くこう信じていた。
あたかも自分自身はすべての技巧から
解放された自由の人であるかのように。
        (『道草』八十三)

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➏恋は罪悪ですよ。
そうして神聖なもの
ですよ。

『明暗』から『道草』にさかのぼると、
さらにその前に書かれた傑作が『こころ』
ということになります。

『こころ』から”名言”を拾えば、かなりの
数になってしまうでしょうが、後半「下
先生の遺書」はすべて「先生」によって
語られる物語ですし、それへの導入
(イントロダクション)となっている「上
先生と私」でも”名言”らしい言葉はすべて
「先生」の口から出てきます。

それらのうち一つを拾うなら、これになる
のではないでしょうか。

大学生の「私」と散歩していて新婚らしい
夫婦を評した「私」の言葉に「冷評(ひや
かし)」を感じた先生は、「しかし君、
恋は罪悪ですよ」と言いだし、さらに
「罪悪」の語を二三度繰り返した上で、
こう言い切ります。

【名言その6】
「とにかく恋は罪悪ですよ。
よござんすか。
そうして神聖なものですよ
       (『こころ』上 十三)

先生は「それぎり恋を口にしな」くなり、
「私には先生の話がますます解(わか)らなく
なった」という形でサスペンスが盛り上げ
られていくのですが、「下」をすでに読んで
いる人には、先生の言わんとする罪悪
どんなものであったかは、ほぼ見えている
ことでしょう。

「倫理的に育てられ」(下 二)、「正直な
路(みち)を歩くつもり」(下 百一)だった
先生が罪悪を犯すことになってしまったのが
「恋」のゆえであった(と意識している)
ことは明らかです。

    

親友Kを自殺に追いやる結果になったことが
本当に先生の罪悪といえるのかどうか──、
ほかの人物(特にお嬢さん)に責任がないのか
──等々の問題は読者にゆだねられることに
なりますが、ともかく先生はこのような
経緯のゆえに「恋は罪悪ですよ
と言い切ります。

が、その一方で、見逃せないのは、同時に
そうして神聖なものですよ」と付言する
のも忘れていないことです。

この「神聖」さはおそらく、先生がお嬢さん
に出会って間もなく陥った、このような
心理状態に深くかかわる ものでしょう。

彼女に対して「ほとんど信仰に近い愛を
もっていた」という先生は、付言して
「本当の愛は宗教心とそう違ったもの
でないという事を固く信じている」
とも言います。

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お嬢さんの事を考えると、気高い
気分がすぐ自分に乗り移って来る
ように思いました。
もし愛という不思議なものに両端
(はじ)があって、その高い端には
神聖な感じが働いていて、低い端には
性欲が動いているとすれば、私の愛は
たしかにその高い極点を捕(つら)
まえたものです。  (下 十四)


この神聖な愛がなぜ罪悪にまみれて
しまうのか❓❔❓

そうなってしまう成り行きの「悲劇」——
「上」で「私」が先生の過去を形容して
何度も使う言葉——にこそ『こころ』の
主題があったには違いありません。


➐かつてはその人の膝の
前に跪(ひざま)づいた
という記憶が、今度は
その人の頭の上に足を
載せさせようとする
のです。

【名言その6】に端的に示された
「神聖/罪悪」の逆説はなぜ発生して
しまうのか❓

その謎へのカギとなりそうな言葉は
『こころ』の随所にいくつも埋め込まれて
いますが、その一つとしてこれを挙げる
こともできるでしょう。

【名言その7】
かつてはその人の膝の前に
跪(ひざま)づいたという記憶が、
今度はその人の頭の上に足を
載せさせようとするのです。


私は未来の侮辱を受けないために、
今の尊敬を斥けたいと思うのです。
      (『こころ』上 十四)

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このような心理は、恋愛の場合にがぎらず、
人間関係の様々な局面において発生する
ものでしょう。

あまり直視したくない、人間のイやな部分を
えぐりだし、俎上に載せているというだけで
すでに”名言”なのですが、ここでは、その
「跪づいた」相手として誰が意識されて
いるのかも問われてきます。

学業ではとてもかなわないと敬愛するが
ゆえに下宿に引き入れるという親切を
施した親友Kなのか、それとも神聖な愛を
捧げる対象であったお嬢さんなのか。

いやいや、お嬢さんということはない
だろう…と思われるかもしれませんが、
彼女に対して結局、心を開くことをしない
まま、あとは勝手にしてくれとばかりに
一人で死んでいくという先生の行動は、
見ようによっては、彼女の頭の上に足を
載せる
こととも取れるのでは❓

実際、彼女について、その笑いや態度に
「嫌い」な部分があるとは、繰り返し
言及されるところでもあるのです
(下 二十六~三十四)。
👉お嬢さんの笑いとそれを「嫌う」先生……
という漱石の執拗な描き方に何を読み取るかも
また読者にゆだねられているところです。

この問題にはこちらで深入りして
いますので、ぜひご参照ください。

こころ(漱石)のお嬢さんはなぜよく笑う?先生はそれが嫌いだった?

  


そのほか『こころ』の諸問題に深入りして
みたい人はこちらも。

こころの先生とKとはBL?腐女子による漱石新解釈で名言も見直すと…

     

夏目漱石 こころの感想文を簡単に【800字/400字例文つき】

   



➑どんな人の所へ
行こうと、嫁に行けば、
女は夫のために邪
(よこしま)になるのだ。

『こころ』に出る【名言その7】では、
かつて崇拝の対象でさえあった人──
恋人を含め──を、獲得後は、あるいは
それ以前から、「嫌う」ようになっていく
という恋愛心理の微妙なアヤが捉えられて
いましたが、その前兆は前作『行人』にも
認められます。

「先生」に似てインテリの主人公、大学教授
の一郎は、妻直(なお)との貫通を疑って
弟二郎に潔白を示す証拠を出すよう求める
という、考え過ぎて頭が変になったのでは
ないかとさえ思える人物ですが、小説の
ラスト近くで、親友のHさんに対してこう
述懐します。

【名言その8】
何(ど)んな人の所へ行こうと、
嫁に行けば、女は夫のために
邪(よこしま)になるのだ。

そういう僕が既に僕の(さい)を
何(ど)の位悪くしたか分らない。
自分が悪くした妻から、幸福を
求めるのは押しが強過ぎるじゃないか。
      (『行人』塵労 五十一)

「はじめ処女のごとく、後には脱兎の
ごとし」とは、もとは『孫子』で兵法
として言われた諺(ことわざ)ですが、
現代ではズバリ、夫婦関係について
言っている場合がほとんどでしょう。

とかくそのように、結婚後の女性が変化
したように夫が感じるのは、ほとんどの
場合、当たり前のこととしてスンナリ
受け入れられるものでしょう。

だって、恋人から妻へと立場が変わる
以上、それは当然ではないですか。

ただ、それがスンナリと行かない場合も
ままあって、その極端な例が一郎だと
いうことになります。

そして彼は自分の場合を敷衍して、女は
結婚後、みな悪く(邪に)なる、そして
それは夫が「悪くした」結果なのだ、
と一般化しているのです。

   


もちろんこれは登場人物「一郎」の見解に
すぎないのであって、ただちに漱石自身の
思想と受け取るわけにはいきません。

ただ漱石その人の心のどこかにこうした
「女嫌い(ミソジニー)」の傾向があった
こともたしかで、その部分が『こころ』
でのお嬢さん(のちの奥さん)へと
流れ込んでいくことは、どうやら
否定できないように思われます。

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➒とも角も女は全然不必要
なものだ。

デビュー作『吾輩は猫である』の苦沙弥先生
は、漱石自身がモデルだと誰にもわかる作品
でしたが、【名言その7】ににじんでいた
“女嫌い(ミソジニー)”は、苦沙弥(くしゃみ)
先生の口からはもっと露骨な言葉として
出てきていました。

【名言その9】
「女と云うものは始末におえない物件
だからなあ」と主人はキ[口へんに胃]然
として大息(たいそく)を洩らした。
〔中略〕
とも角も女は全然不必要なものだ
     (『吾輩は猫である』十一)

もちろんこれも、漱石自身が本気で言って
いるものと受け取るわけにはいきません。

実際、『吾輩は猫である』の語り手である
「吾輩」と称する猫は、この苦沙弥説と
完全に矛盾することを幾度か述べて
いるからでです。


➓女性の影響というものは
実に莫大なものだ。

苦沙弥先生の”女嫌い(ミソジニー)”の逆を
行くような「吾輩」の言動は、連載第二回
においてすでにそのシッポを出して
いたのです。

【名言その10】
お三(さん)の険突(けんつく)を
食(くら)って気分が勝(すぐ)れん時は
必ず異性の朋友の許を訪問して
色々な話をする。
すると、いつの間にか心が晴々して
今迄の心配も苦労も何もかも忘れて
生れ変つた様な気持ちになる。
女性の影響といふものは実に
莫大なものだ。

     (『吾輩は猫である』二)

      


つまりホンネの部分では漱石自身も、
そしておそらく苦沙弥先生も、女性の
(女性にとっては「男性」の、またLGBTQ
の人にとってはそれぞれの性的対象の)、
つまりは「異性」の影響力の莫大さを
じゅうぶんに認識していたはずなのです。

でなくては、次の【名言その11】などは出て
来ようがないでしょう。


⓫恋は宇宙的の活力
である。

連載も佳境に入った第五回で、「吾輩」
は「猫の恋とか称する俳諧趣味の現象」
にふれ、「春さきは町内同族」(つまり
猫)が「浮かれ歩く夜」もあるというが…
と前置いて、こう論じている。

【名言その11】
そもそも恋は宇宙的の活力である。
上は在天の神ジュピターより下は
土中に鳴く蚯蚓(みみず)、おけらに
至るまでこの道にかけて浮身を
窶(やつ)すのが万物の習いであるから、
吾輩どもが朧(おぼろ)うれしと、
物騒な風流気を出すのも無理のない
話しである。
     (『吾輩は猫である』五)

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「宇宙的」とまで言うのは「ジュピター」
(ギリシア神話の「ゼウス」に相当)による
天地創造という神話にことよせての文彩
(レトリック)で、科学的には怪しいの
かもしれません。

ただ、少なくとも人間を含む動物界に
おいては、異性への「恋」の発動なしには
種族の存続・潘寧はありえないわけです
から、これをもって「宇宙的の活力」と
呼ぶことも間違いではないでしょう。

つまり「吾輩」の口を通して、漱石は「恋」
を礼賛していたとも解釈できるのです。

そうではありながら、かつ他方では強度の
“女嫌い(ミソジニー)”に悩まされもする
……という「矛盾」の追求にこそ漱石文学の
核心的な主題があったのでは?


⓬男と女が引っ張り合う
のは互いに違った所がある
からだ……が、自分と別物
なら何うしたって一所に
なれっこない。

そのような意味での「矛盾」が克服される
ものならば、それはどのようにして可能
となるのか❓❔❓……
すでにふれた遺作『明暗』の漱石は、
この課題をヒロインお延に背負わせて
いるように思われます。

たとえば前半で、上記のような「矛盾」に
からんで叔父の岡本が展開する「理屈」に
対して、お延は「屁理屈よ」と反発します。

その「理屈」というのは、男女関係では
「陰陽和合が必然でありながら、その反対の
陰陽不和合がまた必然」だというもので……

【名言その12】
「いいかい。男と女が引っ張り合うのは
互いに違った所があるからだろう

「ええ」
「じゃ違った所は、つまり自分じゃ
ない訳だろう」
「ええ」
「それご覧。自分と別物なら何う
したって一所になれっこない
じゃないか。

       (『明暗』七十五)

     


だから「一度(ひとたび)夫婦関係が成立
するや〔中略〕今迄のけん引力がたちまち
反発性に変化する」(七十六)というのが
岡本の主張です。

ではあるのですが、その後のストーリー
展開からしますと、お延の奮闘がむしろ
この「理屈」を「屁理屈」だと否定する
方向に向かっていること、そして作者漱石
自身もその背中を押していることが
見て取れるのです。

『明暗』は残念ながら未完に終わりました
が、もし結末においてお延の目標──男女が
「一つになる」──が達成されることに
なっていたのであれば、それは「恋」が
「神聖」であり、「宇宙的の力」」である
ことの証明でもありえたことでしょう。

かつお延は清純一方の聖女などではなく、
【名言その3】で見たとおり「技巧」的な
女であり、その意味で「恋」の「罪悪」
の側面にもつながっている人物である
ことが重要です。

「恋の神聖/罪悪」の矛盾を一つに
体現した、漱石の理想的女性像が完成
されつつあったのかもしれません。

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まとめ

さて、いかがでした?

恋愛や夫婦、男女関係をめぐって考察
された漱石の名言はまだまだいくらでも
挙げていくことができそうですが、
それは上記12個の名言を足掛かりとして
読者の読者の皆さん一人一人に発見して
いただければと思います。

それにはもちろん漱石の作品を読んで
みなければ始まりませんが、何から読んで
いいかお悩みの方もいらっしゃる
かもしれません。

その場合はまずこちらで、今の自分に
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さあ、これでもう万全ですよね、コト漱石に
関する限り。

読書感想文だろうが、レポートだろうが。

ん? 知識は入ってきても、それをどう
アウトプットするか、具体的な書き方が
わからない?

その場合はこちらも。
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世界の種々の文学作品について、
「あらすじ」や「感想文」関連の
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「あらすじ」記事一覧

「感想文の書き方」一覧
        

それでは、検討を、そして健闘を祈ります!


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