やあやあサイ象です。

夏目漱石『こころ』(1914)を読んで
感想文とかレポートとか書こうとして
いる人に話題や論点の提供をして
いこうと思います。

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さて『こころ』といっても、高校の
教科書に採録されているのはたいてい
「下」だけですね。

感想文を書こうというからには、
もちろん全体を読んでおいた方が
よろしいわけです。👇

   


え? そんな時間はない?

全体のストーリーが頭に入っていないと
お話にならないので、そういう人は
こちらを見て、「あらすじ」だけは
押さえておきましょう。

夏目漱石『こころ』の簡単な(&詳しい)あらすじ

            

美しい恋愛の裏に恐ろしい悲劇が…

さて、「上」が始まって(新聞連載の)
第十二回には早くも「先生」〔下での
「私」〕は「美しい恋愛の裏に恐ろしい
悲劇を持っていた」(叫び)と告げられます。

そうしてその悲劇のどんなに先生に取って
見惨(みじめ)なものであるかは
相手の奥さんに丸で知れていなかった。
奥さんは今でもそれを知らずにいる。
先生はそれを奥さんに隠して死んだ。
先生は奥さんの幸福を破壊する前に、
まず自分の生命を破壊してしまった。
         (上 十二)

                                
という次第で、「下」はその「悲劇」に
ついて先生自身が語りつくした手記…
というのがこの小説の体裁に
なっているんですね。


なぜわざわざこの部分を持ち出したか
というと、「下」の物語が「悲劇」として
提示されていること、そしてその
悲劇」性について奥さん〔下での
「御嬢さん」〕は当時も現在も
無理解のままであること。

この2点をまず押さえておきたいからです。

   

ではその「悲劇」はなぜ起こったか。

運命的「必然」として、どうあがいても
避けられない成り行きであったか。

それとも、ある時点で登場人物の誰かが
ああでなくこうしていれば、容易に
避けられたのに…と思える、
「偶然」的要因の大きい展開か。

そのあたりを考えながら
読み直してみましょう。

そうすれば、自分なら……と考える場合の
いろいろなポイントが見えてくるはずなんです。

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御嬢さんはKをどう思っていたのか

まず、「悲劇」の発端がどこにあったかを
考えてみましょうか。

「そういう性格に生まれたから」という
ところにまで遡るとお話にならないので、
どこかにポイントを設定しましょう。

考えられるポイントとしては、たとえば
「私」が奥さん〔「御嬢さん」の母〕の
「不賛成」を押し切ってKを同じ家に下宿
させた時点(下 二十三)があるでしょう。

奥さんの「不賛成」もたいへん意味深な
伏線だったということになりますが、
ともかくここから、予期しなかった
「三角関係」(無意識に望んでいた
という解釈もありますが)が醸成されて
しまいます。

    


そして、この「三角関係」に「私」が
勝利してゆく過程でKが自殺してしまう
という経緯が「悲劇」と呼ばれているわけですね。

下の「二十四」からKの自殺が描かれる
「五十」まではその文章のほとんどが
この「三角関係」の記述に費やされて
いるといっても過言でないほどです。


じっくり読みなおしてみると、浮かんで
くる「?」はまずこれでしょう。

 御嬢さんはKのことをどう
思っていたのか。
(「私」より)好きだったのか。 
どういうつもりで接していたのか。
袴055018

たとえばこれを「問題」として設定して、
その「回答」を探っていく、という
形でも感想文はじゅうぶん書けそうに
思えますが、さて、どうでしょう?

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二人の心 もて遊んで❓

さて、「御嬢さんはKのことをどう思い、
どういうつもりで接していたのか」という
この問題への回答として読めるものの
一つに、河合奈保子さんのヒット曲
『けんかをやめて』(竹内まりや作詞・
作曲、1982)というのがあるんですね。

よろしければ、ご鑑賞ください




「ちがうタイプの人を好きになってしまう
揺れる乙女心」が発動してしまったの
だけれど、「どちらとも少し距離を置いて
うまくやってゆける自信があった」
とほざいてますね。

うーむ( ̄ヘ ̄)、御嬢さんもそう
だったのでしょうか。


「思わせぶりな態度」で「二人の心
もて遊んでちょっぴり楽しんでた」、
だから「ごめんなさいね」
「けんかをやめて」というのですが…

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うーむ(*_*)、そうだったとしたら、
これはちょっと「ごめんなさいね」
じゃすまないですね。

Kは自殺し、夫となった人もその連鎖で
自殺することになるわけですから(ドクロ)。


となると、問題になってくるのは
「思わせぶりな態度」で「二人の心
もて遊んで」楽しむ、という部分が
御嬢さんにもあったのかどうか、
というところでしょう。

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御嬢さんの笑い

それを考える手がかりは本文中にたくさん
埋まっているはずですが、ここではその
一つ、御嬢さんの「笑い」(#⌒∇⌒#)に
光を当ててみましょう。

ある日、大学から帰宅した「私」がいつもの
通り、Kの部屋を通り抜けようとすると、
そこに御嬢さんがいて、「お帰り」と挨拶
しますが、それが「少し硬い」「どこかで
自然を踏み外しているような調子」に
聞こえます。

奥さんがいないのを不審に思い、
「急用でも出来たのか」と尋ねると…

御嬢さんはただ笑っているのです。

私はこんな時に笑う女が
嫌(きらい)でした。

若い女に共通な点だと云えば
それ迄かも知れませんが、
御嬢さんも下らない事に
能(よ)く笑いたがる女でした。
     (下 八十)

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こんな女が嫌(きらい)でした

ところで、ここで「私」(先生)のお嬢さんに
対する気持ちとして(たとえその一部に
ついていうものであっても)「嫌(きらい)
でした」とはっきり言われたのは、
けっこう重大なことではないでしょうか。

熱愛する一方で嫌ってもいるわけで、
(少なくとも先生にとっての)お嬢さんは
2つの人格に分裂しているという見方も
可能になってきます。
👉「自己の分裂」は学者としての
漱石の専門分野だった英文学を含む
西洋文学に広くみられる重大な
テーマの一つでした。

関心ある人はこちらもご覧ください。

ジキルとハイドのあらすじ:スティーヴンソン原作を結末まで