サクラさん
カルト的な人気を保つ
アメリカ映画『ファイト
・クラブ』(1999)。

主人公が自分を撃っても
死なずにタイラーが死ぬ
とか、そもそもそのタイ
ラーって何者❔とか、
若者の顔が変形するまで
殴る理由とか、理解でき
ない部分もありました。

ハンサム 教授
そのへんは原作である
パラニュークの同名小説
(1996)の方がはっきり
書いてあって面白い
ですよ;^^💦


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サクラさん
ほほ~ それはいいことを
聞きました。

でもエリート・サラリー
マンが殴り合いの愉悦に
目覚めて破滅していく…



という基本線は同じ?

ハンサム 教授
それを破滅と見るか
解放と見るか…

原作はより明快にそれを
解放として謳いあげて
います。

サクラさん
文章はむずかしく
ないんですか?

ハンサム 教授
ヒップホップのように
軽快です。

しかも文中に俳句
いくつも詠み込まれ、
禅とか般若のお面とか
アニメの女性の目👀
とか、日本文化への言及
も少なくないんです;^^💦

サクラさん
ワ~オ! それは意外。

これはいよいよ読まずに
いられませんね(😻)



さてさて、おなじみ”あらすじ暴露”
サービスも今回でなんと第205弾!

感想文の書き方シリーズ総計では
288回となります。

本日の素材は、一般の映画ファンの声を
集めたIMDb(インターネット・ムービー・
データベース。後述)の評価集計で2020年
現在もなお史上全作品中第11位
という圧倒的人気を誇る問題作『ファイト
・クラブ』(Fight Club 1999)……
   👇 

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の原作であるチャック・パラニュークの
小説『ファイト・クラブ』(Fight Club,
1996)に入り込んでの比較対照的
リサーチです((((((ノ👺)ノ
   👇 

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なにしろこの本、「中の人はこの本を
復刊したくて早川書房に入社しました」
という情報が当の「早川書房公式」
ツイッターから公表されているという
イワクツキ。

「新版では作品誕生秘話と、映画化の
狂騒をめぐる著者あとがきが追加され」、
ともかく「怪物級の面白さ」と
ツイートされています。
(👉 twitter:早川書房公式)

その池田真紀子訳(ハヤカワ文庫)は
原文の軽快さを巧みに移した好訳では
ありますが、英語俳句の和訳など、
理解しにくい部分もありますので、
本記事では下記の原書も参照しながら
徹底検証して参ります!
   👇 

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まずどんな話なのかという概要を
知るために、映画予告編を
ご覧ください。  👇 
   

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試し見(無料)もできますよ~。
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というわけで、本日の内容は
ザッと以下のとおり。


簡単なあらすじ
(ネタバレあり)

あくまでも映画の方に準拠してですが、
短く簡単にストーリーを要約すれば、
こんなところでしょう。

徹底検証の記事ですから、ネタバレ
覚悟の上でお読み願います。

30歳過ぎの「僕」ことジャック
(エドワード・ノートン)は、
大手自動車会社の保険部門担当の
社員で、高層マンションの自室に
こだわりの高級家具を買い
揃えている。

業務は多忙でストレス多く、
不眠症に悩んで精神科に通う。

医師の冗談から思いついて始めた
休日の趣味が、睾丸がん患者や
アルコール依存症患者のグループ
・サポートの会合にニセ患者
として紛れ込むこと。

 

それらの会合でよく出会うマーラ
(ヘレナ・ボナム=カーター)という
謎めいた女もニセ患者らしい。

ある日、出張から帰ると、自宅
マンションが爆発事故にあっており、
高価な家具も衣料もすべて焼失。

住居に困ったジャックは出張の飛行機で
知り合った石鹸の行商人、タイラー・
ダーデン(ブラッド・ピット)に連絡し、
彼の住む廃屋同然の屋敷に同居を
始める。

タイラーは、ジャックとは対照的な
ワイルドな男で、バーで飲んだ後、
駐車場で「力いっぱい俺を殴れ」と
言い出し、二人のふざけ合いは
やがて本気の殴り合いになる。

 
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痛みの中で生きている実感を取り
戻したジャックは以後、タイラーとの
殴り合いを繰り返し、見物人がそこに
加わるようになる。

連絡を取ってきたマーラも廃屋に
同居するようになるが、いつか
タイラーとできていて、彼女の
性的な絶叫が聞こえてくる。

殴り合いの集いはやがて地下室に
集合して1対1で殴り合う「ファイト・
クラブ」へと発展。

タイラーは会則を整備してクラブを
育て、それはやがて社会的権威への
騒乱プロジェクトを企てるテロリスト
集団へと変貌していく(叫び)

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クラブ・メンバーやマーラとの
噛み合わない会話などから、やがて
タイラーが自分の別人格として
勝手に動いているらしいと気づいた
ジャックは、なんとか計画を中止
させようとタイラーを探す。

爆破予定のビルの最上階でタイラーと
対峙し、拳銃を自分の口に入れた
ジャックはついに発砲。

砲弾は頬を破って出ただけで、
ジャックは生き残り、タイラーは
後頭部破裂の状態で死ぬ。

駆けつけたマーラと手をつなぎ、
窓外の、爆破で崩れるビル群を
見守る。

小説にあって映画にない部分

さてこの映画、日本版(劇場版・DVD版
とも)にはひどいカットや修正(ボカシ)
が入っており、「マッチョ・ポルノ」
などと呼ばれる原因になった”サブリ
ミナル画像”(👺)は高価なBlu-rayでしか
見られないという悲しい状況です。
👉つまり”サブリミナル画像”の
多用ということでも有名なのですが、
カットないし修正された画像は、
実は明確にそれ(男性器)と識別
できるもので、これを”サブリミナル”
と呼ぶことには疑問もあります。

詳しくはこちらで。

ファイトクラブのサブリミナル効果!問題のラスト画像など各シーンを解説

           


ともかくこれらの”サブリミナル画像”
の挿入を別にすれば、ストーリーは
ほぼ忠実に原作を追うもので、ラスト
シーンの一部から入るという
時間逆行的な構成も同じです。

ただ、細かく見ていくと、けっこう
重要と思われる違いも多々あることが
わかりますので、ここでそれらを
6点に絞って比較検討し、その隠された
意味について考察していきたいと思います。

➊ファイトで死に、天国へ

映画で問題にされることの最も多い
のが、例の不可解なエンディング。

上記「簡単なあらすじ」で見た通り、
主人公は自ら口内を撃ってもなぜか
死なず、またラストのラスト、
マーラと手をつないで立っている
場面では、一瞬だけ問題のポルノ
画像(👺)が挿入されます。


で、原作はどうかといえば、もちろん
突然、男性器が出てくるようなことはなく、
「タイラーを始末する」ためにファイト
・クラブへ行った主人公が、当然のように
「タイラー」その人と見なされ、相手を
変えて三度もファイトします。

三人目の相手のパンチで「舌の半分が
床に落ち、蹴られてどこかへ飛んで
しまい」(28章末)、そこから映画でも
ほぼ同じタイラーとの対決場面となり
(29章)、口に入れた拳銃の引き金を
引こうとしたところで最終の30章に
移ります。

言うまでもなく、
ぼくは死んだ。

嘘つき。

同時にタイラーも死んだ。

と始められて、「天国」からの語りが
数ページ続き、これまでにも何度か
言及を受けてきた「神」も登場します。

「ぼくらは特別の存在じゃない」と
「神」に説こうとしますが、「それは
正しくない」(That’s not right)
と退けられ、「ぼく」は自分の記憶を
こう語ります。

タイラーの銃が発射した弾丸は
ぼくの反対側の頬を引きちぎり、
耳から耳まで届くぎざぎざの
笑みをぼくの顔に貼りつけた。

ほら、ハロウィーンの怖い
顔をしたカボチャそっくりの、
日本の般若そっくりの、
大欲の竜そっくりの。 (30章)

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というわけで、タイラーが「ぼく」と
同一人物ならば、映画での展開も
原作に忠実なものとみなすことが
できそうです。

ただ出来上がった顔は違い、また
明確に「死んだ」とされている
点も違います。

とはいえ、ややこしいことに、上記の
「死んだ」のあとには「嘘つき」とも
あるので、ホントは生きているのかも
しれませんし、また映画の方も主人公と
マーラが立っているビルも爆破予定
なので、生き残るようで実は間もなく
死ぬのかもしれません。

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➋タイラーへの(同性)愛?

小説では第1章の冒頭近くでニトロ
グリセリンの作り方が説明され、
「ぼくがそれを知っているのは、
タイラーが知っているからだ」
と付言されます。

この付言はこの後、何度も出てくるもので、
タイラーが「ぼく」と同一人物である
可能性が初めから匂わされているわけ
ですが、その一方でこのタイラーは
「完璧なまでに美しい」男で(29章)、
この美しさに「ぼく」は恵まれていない
(16章)という違いもあります。


自由奔放でワイルドで、悪の匂いも漂う
タイラーは美しくもあって、「ぼく」が
彼を愛していることは明らか。

第1章にはこうもあります。

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要するに三角関係の結果だ。

ぼくはタイラーが欲しい。

タイラーはマーラが欲しい。

マーラは僕が欲しい。

       

また大詰め、23章にも

ぼくはタイラー・ダーデンの
すべてを愛している。

あいつの度胸や利口さを愛している。

あの大胆さも愛している。

タイラーは冗談がうまくて
チャーミングで説得力があって
何ものにも頼らない。

周囲はあいつを尊敬し、あいつなら
自分らの世界を変えられると
期待している。

タイラーは有能で自由だ。

でも、ぼくはそうじゃない。


これらの文面からは、「ぼく」のタイラー
への愛は一つの”自己愛”に違いないにせよ、
それが一種の”同性愛”としてもあるのでは
ないかという匂いも漂ってきます。


邦訳巻末の「解説」(都甲幸治)を見ると
パラニュークは、自身「ゲイ」であると
公言しているとのことで、なるほどと
思わされます。

マーラという女性もむしろ男性的というか
無性的(ノンセクシャル)な雰囲気が
ありますが、そのことを含め、この作品の
“ゲイ”的な匂い(映画にも出ているが、
薄い)を嗅ぎ直してみるのも一興でしょう。

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➌『ジキルとハイド』でなく『サイコ』

映画のラストでは、主人公が死なない
代わりにタイラーの方が死にますが、
これを不思議に思う人が多いのは、
この二人が同一人物だということが
腑に落ちていないことによるのかも
しれません。

上の➋でもふれたように、小説の方では
そのことがより強く示され、かつ
文章で明確に記述されていきます。


タイラーと同居するようになってから
どんどん変わっていく「ぼく」は会社で
上司と話すにも「タイラーの言葉がぼくの
口から次々と出ていく」状態になり(12章)、
「タイラーとぼくはますます一卵性双生児
みたいに似てきていた」(15章)。

   

「騒乱プロジェクト」が始動してからは

「おれ、とか、きみ、とかいう
概念はもはや存在しない」
とタイラーは言い、ぼくの
鼻の先を軽くつねる。

「おまえもとうに気づいている
だろうが」

ぼくらは二人で一つの体を使う。

ただし別々の時間帯に。  (22章)


ラスト近く、呼び出したマーラに
「ジキルとハイドみたい」と言われて
しまう場面も、小説は説明がより明確で、
また引き合いに出される作品も
違っています。

タイラー・ダーデンはぼくが
創り出した別人格で、そいつは
いま、ぼくの現実の人生を
完全に乗っ取ろうとしている。

「『サイコ』のトニー・パーキンスの
母親みたい」とマーラが言う。
          (23章)

👉ハイド氏もジキル博士の
「現実の人生を完全に乗っ取ろうと
している」わけですが、『サイコ』の
母親の方が、精神病理的により
リアルではありますね。

ヒッチコック監督のこの傑作を
めぐっては、こちらをご参照ください。

サイコのネタバレ!映画(ヒッチコック)と原作小説で犯人は大違い?

            


➍女に育てられた世代の男

上記➊で「神」の登場を見ましたが、
小説では、「神のモデルは父親だった」
とファイト・クラブの一会員である
「メカニック」が断言するなど(18章)、
「神=父」のイメージは明快で、同時に
それが不在であることも強調されています。

「ぼく」が父と暮らしたのは六年間
くらいで、タイラーに父はない。

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で、「ファイト・クラブに集まるのは
女に育てられた世代の男たちだ」
ということになります(6章)。

映画にもあったように序盤の「ぼく」は
「イケアのカタログ」を持ってトイレに
入りますが、この場面、小説では
「営巣本能の奴隷と成り下がった」男の
例証として出てくるので(5章)、
その意味は映画よりずっと読み取り
やすくなっています。

     

つまり主として女親に育てられ、いつか
(女性主体の)周囲の期待する男の型へと
自分を流し込むようにして作られてきた
「ぼく」。

そういう「ぼく」(自己)の殻を打ち
破ろうとするあがきのようなものが
作品の主題になっていることは、
「自己破壊」の語も頻出する小説の
方が映画よりずっと明確です。

「メカニック」は怒鳴ります。

ファイト・クラブでは、
おまえは銀行預金の額ではない。

仕事ではない。

家族ではない。  (18章)


「家族」や「仕事」や「銀行預金の額」は
周囲の期待に応える形でおまえが作って
来た”殻”であって、おまえ自身ではない。

そんなもの、打ち破れ!

映画を高く評価する人の多くも、やはり
この部分にグッと来ているわけですが、
小説ではそこがもっと挑戦的に(見方に
よっては反社会的に)打ち出されています。

「自分の人生を取り戻せ」という文庫の
帯文に反応して「確かにクセはあるけど、
戦ってる奴は全員読めと大きな声で
伝えたい。映画より小説の方が濃いよ」
というツイートも見られます。
(👉 twitter:ヒガシ/note inc.)

冒頭でふれたIMDbサイトで集めている
レビューで☆10個をつけている2020年の
投稿者の言葉を借りれば、

『ファイト・クラブ』は、
誰もが自分の自由に対して
下ろしている錠(ロック)を
破壊することについての映画だ

ということになりますが、小説では
この「破壊」への導きが、より
アカラサマなのです。
👉IMDbサイトでの☆10個の絶賛、
また☆1個の酷評など、映画『ファイト
・クラブ』の海外での評価をめぐっては、
こちらで詳しく情報提供しています。

是非ご参照ください。

ファイトクラブ(映画) の評価・意味を探る!ラストでなぜ死なない?

            
             ⦅広告⦆Blu-ray:クリックするとAmazonへ


➎美青年の顔を破壊

映画ではファイト・クラブに入りたての
青年と対戦した「ぼく」が序盤の劣勢を
逆転してマウント状態で連打して
病院送りにし、タイラーから
「気がすんだか、サイコ・ボーイ」と
声を掛けられる場面があります。

この「サイコ・ボーイ」は原作でも言って
いるのですが(You looked like a maniac
Psycho-Boy)、残念ながら訳本では
「気でもふれたみたいだったぞ」
という砕いた訳になっています。

それはともかく、金髪で颯爽としていた
この青年は、あとでひどく破壊された
顔になって再登場します。

       

「ぼく」がそこまで狂乱ファイトに
のめり込んでしまった理由が映画では
よくわかりませんが、小説ではそれが
明記されていて、すなわち「自分が
恵まれなかった美しいものをすべて
破壊したかった」というのです(16章)。


まあ、これは映画の方では理解不能
というか、表現しようともして
いないわけですね。

なぜって「ぼく」役のエドワード・
ノートン自身がすこぶる美形なので、
相手の青年に「美」で劣るようには
見えにくいだろうからです。
(どんな役者を持ってきても難しい)

だからといってノートンがミスキャスト
だと言うのではありませんが、ともかく
小説の「ぼく」は「美しくない」という
自意識のゆえに美しいタイラーに憧れる…
というポイントが小説では明確です。

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➏日本アニメ、俳句、禅、般若

上記➊の、砲弾で頬を破られた「ぼく」の
顔を形容する言葉に「日本の般若そっくり」
というのがありましたが(30章)、この
形容は実はすでに出ていたもの(16章)の
反復ですし、「日本の〇〇」は般若以外
にも色々と出てきているのです。

まずマーラは初登場の場面で「日本の
アニメのキャラクターじみた大きな目」👀
の持ち主として紹介されますし(2章)、
殴られて腫れた顔で出勤する「ぼく」の
心境は「禅師(Zen Master)みたいに
何事にも動じない」と表現されます。

     

その境地で「ちょいと俳句をひねり、
社員全員にファクスで送」って、
「無の境地に入る」(get totally
ZEN)とも(8章)。

そして、ひねられた「俳句」がこのあと
6句ばかりポツポツと挿入されていく
ことになるのですが、その最初と最後の
ものだけ紹介しておきましょう。

蜜蜂や 
巣立てぬのは
女王のみなり

(Worker bees can leave
Even drones can fly away
The queen is their slave)


訳句は「五・七・五」になっていない
のですが、原作の方は立派に音節数で
「五・七・五」になっているのですね。

それはともかく、下の句は「女王(蜂)
こそ奴隷だ」と「騒乱プロジェクト」を
準備するような皮肉をを言っているので、
そこまで訳出してほしかったですね
(どうせ字余りになっているんですし;^^💦)。

          女王蜂

最後の俳句は破滅へ向かう大詰め、
「俺は神の創造の有毒廃棄副産物だ」
などと呟きながらの一句。

薔薇に露
陽気な獣
我淋し

(Raindrops on roses
Happy Disney animals
This makes my parts hurt)


これも”Disney”が訳出されなかった
のが残念ですね。

「ディズニー」はまさに、タイラーの
ポルノ画像挿入という悪戯の標的に
なる世界を代表する存在。

ミッキー・マウスらの動物キャラが
自分のどこかの部分を傷つけるという
のですから、これも社会の主流をなす
家族主義(ファミリー・ヴァリュー)に
反逆する気分を読み取るのが自然では
ないでしょうか。


これら6句の俳句はいずれも、
日本人の感覚からすれば、あまり
出来がいいと思えないものかも
しれません。

しかしながら、これは挿入されていること
自体に意味があるのでして、何度か出て
くるインドの「チャクラ」などとともに、
非=西洋(非=キリスト教)の文化的
アイテムを持ち込むことで、作品の
反権威的・カオス的な色彩を強める
効果を上げているように思われます。
👉俳句の「意味」って、
どうもよくわからない?

ごもっともです。

学校で教えることとは違う角度での
考察をこちらで試みていますので、
ぜひご参照ください。

芭蕉の俳句 古池や… その意味はどこに?太宰・子規・漱石に聞く

         339f41e43cf1626a78369f291095435c_s
         松尾芭蕉像(平泉中尊寺) 


まとめ

さて、ご理解いただけたでしょうか?

ともかくこの『ファイト・クラブ』、
1996年の原作出版、99年の映画公開
とも、実はそれほどのメガヒットを
記録したわけではなく、2011年の
9.11同時多発テロ以降に人気急上昇、
その後もカルト的人気が衰えない
という画期的作品です。

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この、よきにつけ悪しきにつけ名高い
映画『ファイト・クラブ』について、
原作にまで首を突っ込んで検討した
日本人はそうそういません。

上に述べてきました知識・情報が
あれば、もうバッチリでしょう。

誰かさんにちょいと知ったかぶりを
してやろうかという場合も、あるいは
感想文やレポートを書こうか
という場合も…。


ん? 書けそうなことは浮かんで
きたけど、具体的にどう進めていいか
わからない( ̄ヘ ̄)?

そういう人は、ぜひこちらを
ご覧くださいね。
👉当ブログでは、日本と世界の
文学や映画の作品について
「あらすじ」や「感想文」関連の
お助け記事を量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧


ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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