こぶとりじいさんの教訓って何? 善悪なし//性格の悲劇?

こぶとりじいさんの教訓って何? 善悪なし//性格の悲劇?

今日は『こぶとり爺さん』のお話を
いたしましょう。

といっても、「小太り」なお爺さんの
話ではありませんよ。

瘤(こぶ)を取るんで、「こぶとり」です。

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いや実際には「取られる」んだから、
『こぶとられ爺さん』と呼ぶべきでは
ないか、ですって?

その通り! …ではあるんですが、この話、
昔はたんに『こぶとり』と呼ばれることが
多かったようですし、「こぶとり」を経験
する「爺さん」ということで『こぶとり
爺さん』は日本語として間違いではない
と思います;^^💦


何が言いたいのか

さて、それはよいとして、以前『浦島太郎』
のことを書いた記事でぶち当たったのと
同じような問題が、この『こぶとり』でも
浮上するわけなんですね。

つまりこの話はいったい何が言いたいのか、
意味・教訓は何なのか、と…。
👉『浦島太郎』にかんしては、
こちらを参照してくださいね。

浦島太郎の意味って?善行も”禁断の玉手箱”で罰せられ…

浦島太郎 玉手箱の意味は?パンドラの箱を重ねた太宰治

    


問題に入る前に、どんなストーリー
(あらすじ)だったか思い出して
いただく意味で、まずこの動画を
ご覧いただきたいと思います。


さて、お話の教訓のほうはどうでした?

うーむ、わからんといえば、わからん…?


「不条理な事実を受け入れよ」

これについて考えたあるブロガーは
『こぶとり』の主題は「不条理つまり、
道理が立たないこと」だとして、以下の
ような議論をしています。

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二人のお爺さんはどちらも同じように
下手な踊りだったに違いないのに、
一方は報われ、他方は罰せられた。

この不条理な事実をそのまま受け入れ
なさいという命令が、この物語の
教訓であると読むしかない。

   


このような理不尽な横暴と対峙し、
どうにもならない世界があることを
知って、世の中の事実を受け入れていく
ための心の準備、大人になるための
試練としての童話である。
(引用元:tadaomikami.blog

うーん( ̄ヘ ̄)、なるほど……

でもなんだか、オーバーというか、
生真面目に考えすぎって感じしません?

「大人になるための試練としての童話」
というのがそもそも「近代・西洋」的な
発想なんで、昔の日本人がそんな意識で
語り伝えていたかと考えると……
どうなんでしょうかね??

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昔話はもともと子ども向けではない

もともと昔話は(どこの国でも)子どもの
ために作られたもの、というわけでは
ないんですよね。

「浦島」の場合はもともと『日本書紀』に
見られる「浦嶋子」の記述以来の伝説で、
子どもへの教訓として作られたものでは
全然ありませんね。


それら諸々の語り伝えを子供向けの、
いわゆる「童話」に編成しなおしていった
のがヨーロッパではペローやグリム
だった、ということになります。

それらの効あって、西洋人およびその
影響を強く受けた現代日本人は、童話や
昔話には「大人になるための試練」の
ような教訓的意味が必ずあるものと
思うようになったんではないかしら。

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明快で合理的な教訓や寓意が見えてこないと
不安で、気持ち悪い(叫び)という感覚は
だからむしろ近代的なもので、昔の日本人
には気にならなかったはずなんです。

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西洋人がボケる落語

立川志の輔師匠の新作落語にも
『こぶとり爺さん』というのがありまして、
こちらは、この昔話のまさに「教訓」を
ネタにした秀作です。

日本昔話の英語訳の全集を作るけども、
『こぶとり爺さん』はどうも…という噺で、
マイケルという外国人(西洋人)がボケる
ところが、「教訓」の問題にからんで
一つのミソとなっているんですね。




けっきょく「教訓」なんて、ないよ…
と、この落語は説いているのでしょうか。


それはそれで面白く、あの坂口安吾が
「文学のふるさと」と呼んだ、それこそ
「不条理」ともいえる水源に導かれる
ような話ですね。
👉坂口安吾についてはこちらも
ご覧いただけると幸い。

NHK大河 軍師官兵衛より面白い坂口安吾の小説 二流の人

また安吾のエッセイ「文学のふるさと」
〔1941〕はこちらで。
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でも、その一方で、「教訓」はやはり
あるんだ……と考えるのもまた面白く
有益ではないかと思うんです。


性格の悲劇

それを教えてくれるのが、安吾のライバル
のような位置にもあった太宰治。

東京大空襲のさなか、防空壕の中で5歳の
娘に絵本を読み聞かせながら創り上げた
再話小説の連作『お伽草紙』(1945)に、
「瘤取り」もあるのです。
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太宰版「瘤取り」でも、二人目のお爺さんが
「こぶ二つ」という気の毒な結果になる
ことは同じで、かつこの人は別に悪いことを
したわけではありません。

ただ、一人目のお爺さんは「酒飲み」で、
酒宴に興じる鬼たちとシンクロして
踊りだしてその踊りが鬼たちに大ウケ
したのに対し、二人目のお爺さんはどう
踊ってもウケなかった(ドクロ)、
というだけの話なのです。

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この結果を受けて、太宰はこのように
物語を結びます。

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つまり、この物語には所謂
(いわゆる)「不正」の事件は、
一つも無かったのに、それでも不幸
な人が出てしまったのである。

それゆえ、この瘤取り物語から、
日常倫理の教訓を抽出しようと
すると、たいへんややこしい事に
なって来るのである。

それではいったい、何のつもりで
お前はこの物語を書いたのだ、
と短気な読者が、もし私に詰寄って
質問したなら、私はそれに対して
こうでも答えて置くより他は
なかろう。

 性格の悲劇というものです。

人間生活の底には、いつも、
この問題が流れています。

      


うーむ、さすが太宰、ではないですか?

「性格の悲劇」…。

「性格」の何割かは生まれつきで
決まっています。

その部分だけは、どうにも
変えられないんです(/_;)/~~。

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変えられるところと、変えられない
こととをしっかり見きわめて、
変えられる部分だけ変えていくよう頑張る。

それしかないんじゃないでしょうか(ニコニコ)。

明るい前途を祝して、さあ乾杯(^^)у 

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👉太宰治に関心をお持ちの読者は
以下の記事もご覧いただけると
ありがたいです。

感想文で抜け出そう:太宰『人間失格』から芥川『河童』へ

太宰治『人間失格』に読む「世間」への抗議

     

太宰治『走れメロス』では脇役を見よ

『津軽』では太宰治になりきってみよう:想像力で感想文

👉また当ブログでは、太宰ばかりでなく
日本と世界の多様な文学映画や作品について、
「あらすじ」や「感想文」関連の記事を
量産しています。

興味のありそうなものを、こちらのリスト
から探してもらえればと思います。

「あらすじ」記事一覧

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ともかく頑張って行きましょー~~(^O^)/

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