檸檬(梶井基次郎)ではなぜレモンを丸善に置く?【あらすじと解説】
やあやあサイ象です。
「感想文の書き方」シリーズ、今回は
梶井基次郎の『檸檬』(1925 👇)
のあらすじをたどり、レモンを書店に
置くというだけの話がなぜ面白いのかを
考えていきましょう((((((ノ゚🐽゚)ノ
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まずは「あらすじ」ですが、ストーリーの
ほんの骨子だけでいいという人もいれば
読書感想文を書くんだから詳しくないと…
という人もいるでしょう。
そこで出血大サービス、「ごく簡単な
あらすじ」と「やや詳しいあらすじ」の
2ヴァージョンを用意しましたよ~(^^)у
ごく簡単なあらすじ(要約)
まずはぎゅっと要約した「ごく簡単」ヴァージョンの「あらすじ」。
られるような憂鬱のなか、京都の街を
さまよう「私」は、寺町の果物屋に
珍しく置いてあったレモンを買う。
レモンのおかげで心が軽くなって、
近ごろ避けてきた丸善に入ると、
その幸福感も消え、また憂鬱になる。
ふと袂の中のレモンを思った私は、
手当たり次第に積み上げた画集の
頂きにレモンを据え、できた情景に
「上出来」と満足し、これを
そのままにして店を出て行く。
え? なんだか要領を得ない?
というかまあ、ただ本屋にレモンを
置いて出て行くという話のどこが
面白いのか?
その本屋が今では全国的に有名な
「丸善」だからって、別にどうって
ことはないのでは?
たしかにそうですよね。
でも「面白い」と思う人が多いから
こそ、長く読み継がれてきている
わけです。
そのへんの微妙な面白味をわかって
いただくには、どうしても「やや詳しい」
ヴァージョンのあらすじを読んでもらう
必要があるのですね。
やや詳しいあらすじ
では参りましょう。原作に切れ目はありませんが、わかり
やすさのため、私の判断で「起承転結」
の4部に分けています。
🍋【起】
「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧(おさ)えつけていた」。
「宿酔(ふつかよい)」のような心身の
この不調は、肺尖カタルや神経衰弱や
借金のせいではなく「いけないのはその
不吉な塊だ」と「私」は考える。
「以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、
どんな美しい詩の一節も辛抱がならなく
なった」私は京都の街から街を浮浪する。
以前、好きでよく訪れた文具書店の
丸善も重苦しい場所に変わって、
そこにある商品や人も借金取りの
亡霊のように見える。
🍋【承】
ある朝、裏通りをさまよっていた私は、ふと、前から気に入っていた寺町の
果物屋の前で足を止め、美しく
積まれた果物や野菜を眺める。
その店には珍しいレモン──その
色や形が私は好きだ──が出ていたので、
1個を買い、その感触や匂いを楽しむ。
「始終私の心を圧えつけていた不吉な
塊がそれを握った瞬間からいくらか
弛(ゆる)んで」、憂鬱も紛れる。
「それにしても心という奴は
なんという不思議な奴だろう」。
🍋【転】
いつか丸善の前に来ており、あんなに避けてきたこの店に、この時の私は
やすやすと入れそうに思える。
当時の丸善(京都・麩屋町)
が、入っていくと、先刻の幸福感は
だんだん逃げ、憂鬱がまた立ちこめて
来て、画本の棚から本を出すのにも
いつもより力が要ると思う。
好きだった画集を次から次へと
開いて見ても、憂鬱は晴れず、
積み重ねた本の群れを眺めるばかり。
🍋【結】
その時、ふと袂の中のレモンを思い出した私は、「本の色彩をゴチャ
ゴチャに積みあげて」このレモンで
「試してみたら」……と思いつき、
「また先ほどの軽やかな昂奮が
帰って来た」。
手当たり次第に積み上げた画集で
できた「現像的な城」の頂きに
おそるおそるレモンを据えると、
「その檸檬の色彩はガチャガチャ
した色の階調をひっそりと紡錘形の
身体の中へ吸収してしまって、
カーンと冴えかえっていた」。
続いて浮かんだアイディアは
それをそのままにしておいて
何喰くわぬ顔で出ていくこと。
それを実行した私は、あのレモンが
爆弾で、もう十分後には丸善が
「大爆発するのだったらどんなに
面白いだろう」と愉快に想像しながら、
京極を下っていく。
🍋 絵として読む
さて、いかがでしょうか。ん? やっぱりわからん?
わかるためにはいくつかの方法があると
思いますが、その第一は、この文章全体を
小説とか物語とかではなく、一つの
動く絵と割り切ってしまうこと。
主要モチーフになっているレモンにしても
味ではなく「色」や「形」への愛が語られて
いるわけですし、それがカラフルな画集を
積み上げた「城」の頂きに置かれるラストの
画面なんて、まさにピカソばりのキュビスム
(cubisme/cubism:立体派)では
ありませんか。
なぜだかその頃私はみすぼらしく
て美しいものに強くひきつけ
られたのを覚えている。
という冒頭近くの文章に始まる、
「美」や「色」「形」の描写のすべてが
ラストシーンでのこの爆発のための下絵、
下準備だったのではないか……
というふうに読んでみても
面白いんじゃないでしょうか。
🍋 心という不可思議な奴…
え? それなら『檸檬』は、結局絵を文章にしたものにすぎず、文学では
ないのか……?
いやいやもちろん文学なのです。
絵の要素を差し引いても十分に残る
文学的価値としては、「心」という
「不可思議な奴」の絶えざる推移・変容を
見事に映し出した…というあたりでしょう。
たとえば、作品の冒頭と中程と末尾との
これら3つの文。
えたいの知れない不吉な塊
(かたまり)が私の心を始終
圧(おさ)えつけていた。
それにしても心という奴は
なんという不可思議な奴だろう。
丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい
爆弾を仕掛けて来た奇怪な悪漢が
私で、もう十分後にはあの丸善が
美術の棚を中心として大爆発を
するのだったらどんなに
面白いだろう。
この3つの文を中継点として、その間に
「私」の「心」というか、気分は「憂鬱」
から軽やかな「幸福感」へ、それからまた
「憂鬱」へと非常に大きく揺れますね。
この変化について、「自分なら……」と
わが身に照らし合わせて感想を書く、
というのがベストな方法でしょう。
この大きな変動は自分にもある、
あるいはない、違う、とか……。
🍋 「奇怪な悪漢」の私
さらにもう一つ、考えられるのが「悪」のテーマ。
上に見た末尾近くの文に明示されている
とおり、「檸檬」は「爆弾」に重ねられ、
それを置いてきた自分は「奇怪な悪漢」
とも意識されています。
「私」のこの意識……
少し飛ぶようですが、たとえば「金閣を
焼かねばならぬ」と考えてそれを実行して
しまう三島由紀夫作『金閣寺』の「私」の
意識に近いのではないでしょうか。
「この想像を熱心に追求した」という
『檸檬』の「私」は「そうしたらあの
気詰まりな丸善も粉葉(こっぱ)みじん
だろう」と面白がっています。
「悪」のスリルを楽しんでいる
ようにも見えますね。
ここでも「自分なら……」を考え
合わせてみることができるのでは
ないですか?
👉『金閣寺』についてはこちらを参照。
・三島由紀夫 金閣寺の詳細なあらすじ:難解な柏木も読み解く
・金閣寺(三島由紀夫)15の名言⦅なぜ金閣(=美)を焼かねばならぬ?⦆
三島由紀夫自身も梶井をたたえる
エッセイを書くことで、自分と梶井と
の近さを認めるかたちになっています。
ただ『金閣寺』との大きな違いは、
『檸檬』の爆破はあくまで空想で、
実行したわけではないこと。
それどころか、丸善にレモンを置いたまま
立ち去るんですから、これは言ってみれば
逆・万引き。
一種の寄付ともいえますね。
おかげで、その後、京都丸善にはその後
レモンを置いていく人が絶えなかった
そうで、その丸善、2015年春には
ついに復活して雄姿を現しました。
まとめ
え? やっぱりよくわからない?それじゃあもう、全文を読んで
もらうしかありませんね。
え? それはしんどくていやだ?
そういう人には朗読を聴いて
いただきましょうか。
え? どこをどう突っ込んでいいのか
わからない?
うーん、まあ、そうかもしれません。
なにしろ登場人物がほぼ一人。
人と人との間のドラマがある
わけではないですからね。
ここは、ちょっと視点を変えて、
たいがいの小説とは違うアプローチを
試みる必要がありそうですね。
👉こちらの記事で、その視点を3つばかり
検討していますので、是非ご参照ください。
・檸檬(梶井基次郎)の感想文を短く【400字の例文つき】
京都の古い街並み
ん? 書けそうなテーマは浮かんでき
たけど、具体的にどう進めていいか
わからない( ̄ヘ ̄)?
その場合は、当ブログで書きためて
きました多数の感想文例のいずれかを
選んで参考にしてもらえればと思います。
👉「あらすじ」や「感想文」関連の
お助け記事のリストです。
参考になるものもあると思いますので、
自分に合いそうなものを探してください。
・「あらすじ」記事一覧
・≪感想文の書き方≫具体例一覧
ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/
[…] ・「三島由紀夫の名作『金閣寺』:「猫=虫歯=美」で感想文(8)」・ ・「梶井基次郎『檸檬』は危ない青年の”爆弾”だ!”高等”感想文(9)」・ ・『太宰治『人間失格』に読む「世間」への抗議:”高等”感想文(3)』 […]
[…] レモン爆弾の不吉さ:梶井基次郎『檸檬』で感想文(8) | 笑いと文学的感性で起死回生を!@サイ象 より: 2014年12月12日 4:34 PM […]