鶏頭の十四五本もありぬべしの句意は?…正岡子規の俳句代表作8選を解説
雪の深さを
尋ねけり
(明治29年)
いきなりで失礼しました、サイ象です。
さてこれ、近代俳句を大成した
といわれる正岡子規の名句の一つ…
ってことになってますね。
でも、どこが名句なのかワカンナイから
教えてくれ、という声も陰では
飛び交っているようです。
そこで本日は、不肖わたくしサイ象が、
この句を手始めに子規先生の代表作と
見られるものから8首を選んで、その
名句(とされる)ゆえんを分析・解説
していこうと思うんです。
なぜ「いくたびも」尋ねるのか
この句の鑑賞文を書きたいので意味を教えてくださいという質問が『Yahoo!
知恵袋』に寄せられていて、それに
たくさんの回答が寄せられています。
回答の内容はどれもほとんど同じで
あまり面白いものは見当たりませんが、
どうせ「面白くない」なら、ここは一つ
大家の評釈を覗いてみましょうか。
子規の孫弟子 (高浜虚子の弟子)でもある
昭和の俳人、中村草田男師の評釈です。
冷えかえるままに枕につけた
ままの頭を曲げて眺めていると
〔中略〕
折からの雪が降りしきるのが
認められます。
雪からくる一種の昂奮に
子供の心にかえった作者は、
時々家人を呼んで、もう
どれくらい積もったかと
質問します。
雪は降れども降れども
音はなく、直接眺められない
だけに、作者の心はいよいよ
雪のうごきと生命を一つに
して、二度び、三度びさらに
其積み具合を質問せずには
居られなかったのであります。
(「明治時代の俳句」1941)
なるほど。
でも、そういうことだとすると、
一つのポイントは作者が雪を直接眺め
られないということですよね。
でもそれ、なぜなんでしょう?
決まってるじゃん、子規は結核から来た
脊椎カリエスという難病で寝たきり
だったからだよ…。
ハイ、そうなんですね。
『Yahoo!知恵袋』を含むほとんどすべての
評釈でそのことが言われていますし、
国語の授業で扱われる場合も先生は必ず
その解説をされるんじゃないでしょうか。
でもそれって、この句を名句と評する
ためには「作者は病気で寝たきりだ」と
知っている必要があるってこと
なんでしょうか?
つまり作者がそれを詠んだ時の状況に
ついて知らないと、この句の価値は
わからないということ?
だとしたら、それは少々変な話では?
何千億と生きてきた人間のうちたった
一人にすぎない正岡子規という人の
病気のことを、私たちはなぜ知っておく
(学校で習う)必要があるのか?
作者が病気でなければ名句でないの?
ああ、わかった。要するに君はこう言いたいのだろう。
「この句はほんとは『名句』でもなんでも
なく、ただ子規の病気に同情するファン
たちが持ち上げた、その意味でローカルな
(普遍的でない)凡句にすぎない」と。
アハハハ、なかなか鋭いですね;^^💦
でも、そうではないんです。
私が言いたいのはむしろ逆。
要は……
そんなことを知らない人にも
この俳句のよさは伝わる。
だから『鑑賞』と称していちいち
そういう知識を注入する時代遅れな
教育法はそろそろやめたら?……と。
どんなジャンルであれ、芸術上の名作は
作者がどんな人でどんな状態だったか
といったことと無関係に人を打つ
(感動させる)ものでなくてはなりません。
そして子規のこの句は、この意味で
すでに名作なんだから、それでもう
いいじゃん…と私は言いたいんです。
だから私に言わせれば、もちろん
作者はどんな状態でもかまわない。
というか、むしろそれがわからない
ところにこそ、この句の深みがあると……。
連想の世界を暗示してこそ俳句
というのも、このように表現を暗示だけにとどめて、残りを読者の連想に
ゆだねる、想像をかきたてる力……
そこにこそ俳句の芸術としての
価値があると思うからです。
たとえば、なぜこの人は「いくたびも
雪の深さを尋ね」るんだろう、この人は
一体どういう状態にあるんだろう、
と想像させる力――暗示力――にこそ
俳句の命が宿っている…と。
俳句のこの力については、同い年の
親友ながら俳句では子規の弟子だった
夏目漱石の一家言が参考になります。
弟子の寺田寅彦に「先生、俳句とは一体
どんなものですか」と突っ込まれて
こう即答したというのです。
扇のかなめのような集注点を指摘し
描写して、それから放散する連想の
世界を暗示するものである。
(寺田寅彦「夏目漱石先生の憶い出」1932)
さて、いささか長くなりましたが、
第一の名句「いくたびも…」の解説と
観賞はひとまず打ち切りましょう。
以下では子規の名句とされている
ものから、あと7つを選んで手短かに
解説していきますね。
2. 鶏頭の…
十四五本も
ありぬべし
(明治35年)
“文字通りの意味”としては、これも
「いくたびも…」の句と同じく、情景
”そのまんま”を詠んだだけですね。
つまりこれが、近代俳句の進むべき
道として子規自身が唱えた「写生」
の実践でもありました。
作句の年、明治35年は、いよいよ病死
してしまう年だということもあって、
「写生道の極致」のようにも
いわれてきた句です。
ただ、もちろんこれも、面白くない人に
とっては「面白くない」の極致で、
「鶏頭が十四五本あったからって、
それがどうしたの?」って話ですよね。
そう思う人は、一度じっくりと
「鶏頭が十四五本ある」情景を頭の
中に思い浮かべてみてください。
そこから何らかの連想の
世界が浮かんで来ませんか?
その連想はどんな世界であっても、
まったくかまわないわけです。
(個人で違って当然だから)
読者の脳裏になんらかの連想を
かきたてることができたならば、
その俳句には暗示力があったということで、
成功作だといっていいと思うんです。
3. 春風に…
こぼれて赤し
歯磨粉
(明治28年)
文字通りの意味は、これも
”そのまんま”ですね。
「歯磨粉」が現代人にはわかりにくい
かもしれませんが、昔は粉末が普通で
鮮やかな赤色のものもありました。
それが春の強風に飛ばされて、
あたりに飛び散ってしまった
というんですね。
「写生」を唱え始めて間もないころの
名句で、これが当時注目された要因に
ついて弟子の高浜虚子に言わせますと…
「歯磨粉」という「卑近なもの」
(従来、歌に詠まれなかったもの)を
材料として色彩鮮やかで印象明瞭な句を
得たこと(『子規句集講義』1916)となります。
4. 朝顔や…
紫しぼる
朝の雨
(明治28年)
こうなると「写生」にも油がのってきた
といいますか、「印象派」的になった
ともいうべきでしょうか。
雨水が紫色に染まって落ちるという
観察を「紫しぼる」と言い放った
コトバの力…。
それでもやはり「それがどうしたの?」
と問い返したい人はいるでしょうね。
そういう人は、たとえばこの句なら
満足されるでしょうか。
朝顔に
つるべ取られて
貰い水
(加賀の千代女)
これ実は子規先生によって「このような
ものは俳句にあらず」とまで完全否定
され(『俳諧大要』)、漱石にも「拙句」
の一語で切り捨てられた(『ノート』)
”名句”(迷句?)なんですね。
なぜ「俳句にあらず」かって?
この句ではすべてが言われてしまって
いて、そこになんらの暗示力も
残されていないから……かな?
5. 柿食へば…
鐘が鳴るなり
法隆寺
(明治28年)
あまりにも有名な句ですね。
これも方法としては「写生」なので
しょうが、出来た句はむしろ
「取り合わせ」という古くから俳諧で
重んじられてきた美意識にかなうもの。
そこへ大きな意外性と新味を持ち込んだ
傑作…といったところでしょうか。
つまり「柿」と「法隆寺」は別に
関係ないし、一つの場面に共存して
いたわけでもない。
それが「鐘の音」によって突然
「取り合わせ」られてしまった。
👉俳句の「取り合わせ」はロシアの
映画作家エイゼンシュテインの
「モンタージュ理論」に影響を
与えました。
詳しくはこちらをご覧ください。
・芭蕉の俳句 意味わかります?名句10選を2段階で解説
あるいはこの人(子規)にとっては、
この両者になんらかの因縁があるの
だろうか…と読者の連想の世界は
広がります。
というか、現代人にとっては、「柿」と
「法隆寺」はこの句によって結びつけ
られてしまっていて、むしろ切り離す
のが難しいくらいなんですが;^^💦
6. 稲刈りて…
にぶくなりたる
蝗(いなご)かな
(明治29年)
👉「蝗」の字は原文では
冬かんむりに虫ふたつ。
見事な「写生」ですね。
イナゴの動きが夏より鈍くなったな、
という気づきは誰にでもできる
ものではありませんよね。
この人はなぜそんなことに気づくのか、
また気になるのか…、イナゴはこれから
どうなるんだろうか……等々、自由な
連想の世界を広げてくれる暗示力
たっぷりの句ではないでしょうか。
このころ子規は「腰が痛む痛むと言い
ながら」、「イナゴを写生すると言って
毎日のように」歩いていたと
虚子は伝えています。
この句も「何だそれだけか」と軽蔑する
なかれ、「初めてこういう事実を発見した」
点に子規の「写生の手柄」があるのだ……
と(『子規句集講義』)。
狂女に吠ゆる
村の犬
(明治31年)
これも「写生」の句にはちがいない
のでしょうが、実際には謡曲などの
文学作品から着想しているのかも
しれません。
いかにも凄愴たる情景。
「狂女」はどんな人で「犬」はどんな
やつか……読者それぞれが連想の世界を
大きくふくらませていける、これも
暗示力のみなぎる一句。
8. 糸瓜咲て…
痰のつまりし
仏かな
(明治35年)
さあ、トリはやはりこの
あまりにも有名な一句。
「糸瓜」「痰」「仏」の
意表を突く「取り合わせ」の
句だとまずは言えますね。
糸瓜の茎から採る「へちま水」は
痰切り、咳止めの薬として用いられて
いたので、「糸瓜」と「痰」の連結に
意外性は小さかったはずですが、
それが「仏」とは……。
「仏」は本来はブッダのことですが、
日常語としては、たんに死人を指して
言っている場合が多いですね。
ここは「痰のつまりし」というんですから
痰が詰まって死んだばかりの人…
という意味でしょうか。
で、その死人と作者との関係はといえば、
痰がつまったかどうかは本人にしか実感
できないのだとすると、死者んだのは
作者本人だということになりますね。
もちろん死人に俳句が作れるはずは
ありませんから、まだ生きてはいます。
そして自分のことを「痰のつまりし仏」と
見て、最期の笑いを笑っている……。
俳句のふるさとである「俳諧」の語は
もともと諧謔、滑稽の意味で、
ユーモアこそが身上でした。
俳句の近代化という野心的な旅をした
俳人が、ついにこのふるさとへ帰省する
畢生の傑作がこの句だった…
とでも言いましょうか。
👉では俳句の笑いは「川柳」の
笑いとどう違うのか。
そのあたりについての子規の考えは
こちらでご覧ください。
・俳句と川柳の違いは?子規・漱石にその極意を尋ねれば…
子規が本当に死の床にあって詠んだ
辞世の句の一つがこれ。
でも、だからといって、その状況を
らなければ名句にならない、という
ことはないと思います。
知っていればさらに凄みの出てくる
句だという側面も否定はできませんが…。
まとめ
さあ、いかがでしょうか。何千もある子規の俳句のほんの
一部にすぎないわけですが、
めぼしいところをつまみ食いのように
して紹介・解説させてもらいました。
考え方、鑑賞方法の要領・ポイントは
ある程度わかっていただけたのでは
ないでしょうか。
👉俳句に関連しては、すでに
ふれたもののほか、下記の記事も
ありますので、どうぞ覗いて
みてください。
・松尾芭蕉の俳句「古池や」の意味は?太宰・子規・漱石に聞く
・井伏鱒二 山椒魚:結末部分の削除を”俳句美学”で解釈すると
👉なお子規の親友兼弟子として
ユニークな俳人でもあった漱石は
自作『草枕』を「俳句的小説」と
自称しました。
それについてはこちらで。
・夏目漱石 草枕のあらすじ ∬感想文に向けて内容を解説
・夏目漱石 草枕:冒頭の名言を意味付きで解説「智に働けば…」
それではまたお会いしましょ~(*~▽~)ノ
こんなコメントが来ています