芭蕉の俳句 どう解釈?《意味》とは何かを整理して代表的10選を解説

芭蕉の俳句 どう解釈?《意味》とは何かを整理して代表的10選を解説

サクラさん
学校の国語で俳句を
やりだしたんですが、
さっぱり意味
わかりません。

なんでもこんなもの
勉強しなきゃいけ
ないのか❓❔❓

ハンサム 教授
オッと、場合のその意味
とは、「古池」とか「蛙
(かわず)」とかという
言葉の意味ですか。

それとも「なぜ勉強しな
きゃいけないのか」と
いう問いへの答えになる
ような意味ですか?


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サクラさん
両方です。

ハンサム 教授
それなら最初の意味での
意味意味➊、後の方の
意味での意味意味➌
呼んで区別しましょう。

ぜんぜん別の事柄です
からね。

サクラさん
ってことは、➊➌の中間に
意味➋もあるってこと
ですか?

ハンサム 教授
そうなりますね。

つまり俳句の一句一句を
「面白い」と思うことが
なければ意味➌をわかろう
ったって無理な話。

サクラさん
じゃ、その「面白さ」が
意味➋なんですね?

ハンサム 教授
そう言ってもいい。

サクラさん
じゃ、教えてください。

古池や
蛙飛び込む
水の音


その意味➋は❓

ハンサム 教授
ありません:^^💦

ないからこそ「面白い」。

そして「意味➋がないから
こそ面白い」という学びが
意味➌になる……

サクラさん
なんだか禅問答ですね。

ハンサム 教授
「古池」の句は芭蕉の
転換点だと言われて
いますが、この転換の
テコになったのは禅で
いう「無」だと私は
思っています。


というわけで本日は「俳句」とりわけ
「俳聖」とまで称えられる松尾芭蕉の俳句が
ちっとも面白くない、意味わからないから
勉強のしようもないとお悩みの皆さんへの
お助けレポートです。

まずその意味というやつにもいくつかの
段階というか種別があるから、分けて考えて
いきましょうや、という提案をしながら、
よく出てくる10句について、私なりの解説に
よってわかっていただきます。

そんなわけで、内容は下記のとおり。



1.枯枝に 烏のとまりけり 秋の暮

枯枝に
烏(からす)のとまりけり
秋の暮
      crow-284492_640
    (『曠野集』所収)

意味➊は問題ありませんね。
これすなわち

木の枯れた枝にカラスが飛んできて
止まったよ、秋の夕暮れのことだよ


ということで、わざわざ解説する必要も
ありませんよね。

だからここで必要なのは意味➋、すなわち

  • どこが面白いのか
  • 何が狙われているのか
といったレベルでの「意味」。

このレベルでは、色んな人が色んなことを
言っていそうですが、”国際的”を標榜する
当ブログとしては、ここは、ロシアの偉大な
映画作家、セルゲイ・エイゼンシュテイン
先生にお出ましを願わなくてはなりません。

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俳句のモンタージュbyエイゼンシュテイン

傑作『戦艦ポチョムキン』(1925)などを
ご覧になった方はご存じのように、
エイゼンシュテインが映画史に持ちこんだ
とされる高度の技法が「モンタージュ」
でした。

そもそもモンタージュ理論を発想したこと
自体が漢字を学んだことからだったとかで、
先生、なかなかの日本通。

で、この俳句で芭蕉がやってることは、
まさに「モンタージュ」だ、と彼は
指摘したのです(『映画の弁証法』)
          👇

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おわかりですね。

「枯枝」の像に「烏」の像を重ね合わせる
「モンタージュ」をすることで、この
俳句は生命を吹き込まれたのだ、と。

まあ、俳句界の伝統的な言い方では
「取り合わせ」ということに
なるんですけど……

ともかくこんな調子で、”国際的”ともいえる
新しい視点から意味➋を探求してまいります。

「何のために俳句なんか学ぶのか」という
意味➌は、最後までお付き合いいただければ、
おのずと見えてくるものと思います。

では第二句へ進みましょう。


2. 行く春や 鳥啼き 魚の目は泪

行く春や
鳥啼(な)き魚(うお)の
目は泪(なみだ)
      泣く魚 fish-161031_960_720         

    (『奥の細道』所収)

意味➊としては

春は過ぎ去ろうとし、鳥は鳴き、
魚の目は涙がたまっている。


ということなんですが、たいていの
解説書・注釈書にはもう少し深い意味➋
加える形で語釈されています。

たとえば現代の俳人、石田郷子さんの
『名句即訳 芭蕉』によれば

春も終わろうとしている日、
別れの悲しさに、鳥は啼き
魚は目は涙をたたえている。

(引用元:👇)

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つまり「別れの悲しさに」という
“深い意味”が補われているわけです。

なるほどね。

そういうふうに読まないと、この俳句は
面白みがわからない、楽しめない……
ということなんでしょう。

だから楽しめなかった人もいる(ひょっと
してあなたも?)はずなんですが、石田さん
に「別れの悲しさ」が感じられたのは、
やはりこの俳句がそれを「連想」させた、
あるいは「暗示」した、ということなので、
それだけの力をもった句だといえる
わけですね。


「連想/暗示」理論by夏目漱石

俳句のこのような力については、
俳人としても一家をなした夏目漱石が
「先生、俳句とは一体どんなものですか」
と生徒の寺田寅彦に問われて即答した
というこの言葉が参考になります。

扇のかなめのような集注点を指摘し
描写して、それから放散する連想の
世界を暗示する
ものである。

 (寺田寅彦「夏目漱石先生の憶い出」)

     7ede860f072f2534e1c9f902c4917158_s
        
立ち上げられた「扇のかなめ」(集注点)
から放散し暗示される連想の世界として、
石田さんには「別れの悲しさ」が
立ち上がったのです。

さらに突っ込んでいえば、鳥の鳴き声や
魚のぬれた目から「別れの悲しさ」へ、
という連想の仕方は、いわゆる「投影」
(projection)ですね。

鳥や魚に接した人間が、自分のもつ
悲しさ」などの感情を勝手に「投影」
しているわけです。

だから、ほんとは鳥も魚も悲しくて
鳴いたり、目をぬらしたりしている
わけではないんですよね。


と、こんなふうに”深い意味”はどんどん
掘り下げていくことができるんですが、
切りがないのでこのへんで切り上げて、
次の句へ参りましょう。

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3. 夏草や 兵どもが 夢の跡

夏草や
兵(つわもの)どもが
夢の跡
     

     (『奥の細道』所収)

“文字通りの意味”としては

夏草の生い茂るこの地。
ここはかつて戦場で、兵士たちが
夢を見た、その夢の跡なのだ。


で、前書きとして「奥州高館(たかだち)
にて」とあり、高館は源義経軍が玉砕した
地だ…というような注釈がつくのが
普通です。

でも”深い意味”になると、やはりクリア
には見えにくいんじゃないでしょうか。


そこで、ある学校ではこんなムズい宿題が
出たからお助けを、という質問が
『Yahoo!知恵袋』に出ていました。

つまりこの句の「夢の跡」に「松尾芭蕉が
込めた心情にふさわしいのは何ですか?」
という設問で下記のア~エから選んで
書け、ということのようなんですね。

ア.一睡の夢のように時の流れに
消えた兵達の儚さ

イ.現実のことのように思えないほど
変わり果てた戦場跡の無残さ

ウ.儚い夢のような戦いに命を
かけた兵達の勇ましさ

エ.夢がかなって命を惜しまず
戦場に散った兵達の虚しさ

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(引用元:Yahoo!知恵袋

うーん( ̄ヘ ̄)むずかしい。


私の回答はこうです。
どれでもいいんじゃないですか?;^^💦)

まあ、学校の先生はどれか一つを期待
されているんでしょうけど、
漱石信奉者の私にいわせると、
どれも否定できないんです。

なぜって、俳句の真価は読者に連想の世界
拡げさせる、その暗示力にあるんですから、
ア~エのどれであっても、なんらかの連想が
生じたならそれで結構なんで、唯一の正解を
求める行き方は無理だし、無粋で
非芸術的なことと思うからです。

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4. 旅に病んで 夢は枯れ野を かけ廻る

旅に病んで
夢は枯れ野を
かけ廻(めぐ)る
   野火grass-fire-807388_640

意味➊としては


旅先で病の床について、
私の見る夢は枯野をかけ巡っている。


死の四日前に詠まれたので「辞世の句」
だともいわれ、いや、まだ旅を続ける
つもりだったので「辞世」ではない、
とする説もあります。

ともかくこの句、意味➋のレベルですでに
両義的(あいまい)ですね。

つまり「かけ廻る」のは(その動作の
主体は)「夢」なのか「私」なのか。

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   松尾芭蕉像(平泉中尊寺) 

「夢は…」と書いてある以上「夢がかけ
廻る」と読むのが自然のように思える
んですが、そうではなくて「夢の中で
私(の心)がかけ回る」というふうに
解釈する解説書もあるんですね。

となると、句全体の”深い意味”にも
当然、諸説あるわけですが、まあ有力
なのは、この2つということになります。

  1. 夢の中ではまだ枯野をかけ廻って
    いるのだけれど、病に倒れた私はもう
    旅に出ることも出来ない。
    悲しい。

  2. 病気になったが、まだ私の夢は
    枯野をかけ巡っている。
    早く治ってまた旅に出たいものだ。

ちなみにこの句を評して
高浜虚子いわく

いよいよ死も遠からずと
覚悟した時にその夢に入り
来るところのものは何ぞ。

いわく、枯野を
かけめぐるのみ。

(『俳句はかく解しかく味う』1918)

    

5. 五月雨を あつめて早し 最上川

五月雨(さみだれ)を
あつめて早し
最上川 
        雨傘82182-stock-photo-frau-einsamkeit-ferne-strasse-herbst-regen

(『奥の細道』所収)

“文字通りの意味”としては

降り続く梅雨の長雨。
それがたまって水量を増した
最上川の流れは、なんと
速くなったことか。


「五月(さつき)」は旧暦ではツユどき。

だから「五月雨」は梅雨(念のため)。

👉「五月雨」やその派生語である
「五月雨式」についての詳細は
こちらをご参照ください。

五月雨の意味は? ☔ビジネスメールで”五月雨式”って何?

    Amphibians-Frog-s 


特に深い意味➋はなさそうに思えますが、
その暗示力はといえば、とにかく「雨」を「集める」
という通常は結合しない2語の意表を
ついた”取り合わせ”のパワーでしょう。

これを評して虚子いわく

広い国原に降る五月雨を
この最上川だけに集めている
ような感じがするところに、
この句の強みがあるのである。
           (同前)

      

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5. 荒海や 佐渡に横ふ 天の川

荒海や
佐渡に横(よこた)ふ
天の川 
     24c7afb6bf0cd7a7fd8bdc90c0040c97_s      

(『奥の細道』所収)

意味➊としては

日本海の荒波の彼方に
佐渡の島影が見え、その上に
高々と大きく天の川が
横たわっている。


これも雄大、というか壮大。

「五月雨や」の句にも似て
大きく俯瞰した、見事な絵ですね。

評して虚子いわく

越後の出雲崎という処で
作った句である。
〔中略〕
空には銀河が出雲崎の真上から
その佐渡が島の方へかけて
ながれておるというような
大きい景色である。
          (同前)

 

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6. 物いへば 唇寒し 秋の風

物いへば
唇(くちびる)寒し
秋の風
      eye-537597_640

意味➊としては

言わなくてもいいような
ことを言ってしまうと、
その言葉の出た唇が秋風に
撫でられて、寒いような
気持ちになる。


意味➋としてはどうなんでしょう。

だから余計なことは言うな、
という教訓なんでしょうか。

だとしたら、それって、連想の世界
拡げる暗示力もへったくれも
ないんで、少なくとも漱石の
俳句観からははずれますよね。


もともと漱石を俳句の世界に引きずり
込んだ張本人であるあの正岡子規は、
これをどう見るんでしょうか。

著書『俳諧大要』の中で、子規はこれを
「理屈を含みたる句」の一例に挙げ、
「理屈」に「美」がないことは無論だ
けれども、この句の「美」は「理屈の
部分にあらずして、文学的の部分に
ある」というふうに弁護しています。

「文学的」とは、たとえば「唇」と
「寒い」の意外な「取り合わせ」とか……?

虚子先生いわく

この句のように道徳的の寓意を
含んだ句の如きは、たまに
あってもいいけれども
むしろ脇道に外(そ)れた
ものである。    (同前)

         

7. 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声

閑(しず)かさや
岩にしみ入る
蝉の声 
 蝉cicada-908128_960_720

(『奥の細道』所収)

意味➊としては

あたりは物音ひとつない静かさ。
その中で蝉の声だけが岩に
しみ入るように聞こえてくる。

これも特に深い意味➋があるというよりは、
4.の「五月雨を……」の句で「雨」を「集める」
といわれたのと同様、「蝉の声」が
「岩にしみ入る」という言葉の意外な
「取り合わせ」になんだか深みのある
連想の世界が拡がります。



8. 蚤虱 馬の尿する 枕もと

蚤(のみ)虱(しらみ)
馬の尿(しと)する
枕もと 
32087eeb0995f705068867226ff2d509_s       

(『奥の細道』所収)

意味➊としては

ひと晩じゅう蚤や虱に刺され、
枕もとで馬の放尿する音の
聞こえる(納屋かどこかで)
寝ている。


宮城県の鳴子温泉を出て「尿前
(しとまえ)」というあたりの汚い
農家に泊めてもらい……というような
前書きがあります。

だから”深い意味”としては、まず
「尿前」と「馬の尿」とのシャレという
こともあるんですが、それ以上に、
というか以前に、あまりに汚く、
辛く、侘しい。


漱石の小説『草枕』の冒頭近くで、
語り手の画工は「物は見ようでどうでも
なる」と説いてこう言っています。

芭蕉と云ふ男は枕元へ馬が
尿(いばり)するのをさへ
雅な事と見立てて発句にした。

余もこれから逢ふ人物を
〔中略〕悉く大自然の点景
として描き出されたものと
仮定して取こなして見よう。

👉「俳句的小説」と漱石自ら称した問題作
『草枕』、そしてその延長線上にあると読める
短編小説『文鳥』をめぐっては、こちらで
検討しています。

ぜひご参照ください。

夏目漱石 草枕のあらすじ♨感想文に向けて内容を解説

夏目漱石 草枕:冒頭の名言を意味付きで解説「智に働けば…」

文鳥(夏目漱石)で読書感想文/読書レポート【2000字の例文つき】




蚤や虱に刺された痒さも、馬の放尿の
音や臭いも、「物は見ようで
どうでもなる」。

俳句に必要と子規のいう「雅味」を
帯びさせることもできるのです。

うーん( ̄ヘ ̄)深いですね~。
👉この「雅味」の考え方を含め、
子規の俳句観をめぐっては、
こちらをご参照ください。

俳句と川柳の違いは?子規・漱石にその極意を尋ねれば…

  



9. 粽結ふ 片手にはさむ 額髪

粽(ちまき)結(ゆ)ふ
片手にはさむ
額髪(ひたいがみ) 
         橋口五葉 tumblr_lpq0jpKN081qaz1ado1_1280

意味➊としては

五月の節句に粽を作る過程で笹を結んで
いる女性の前髪が、前へ垂れ下がったが、
両手は使えないので、片手に粽を
持ったまま、もう一方の手でその髪を
はさんで上げた。


「精細の妙は印象を明瞭ならしむるに
あり」として、子規は芭蕉の「精細的
美」を代表する句としてこれを
挙げています(『俳諧大要』1895)。

「蚤虱……」の世界とはエライ違い…
芭蕉にはこんな句もあったんですね。

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10. 古池や 蛙飛び込む 水の音

古池や
蛙(かわず)飛び込む
水の音
      

はい、お待たせしました。
トリに控えましたのが芭蕉の
いちばん有名な俳句。

でも、これについては言いたいことが
多すぎるので、1句だけで別記事を
用意しています。
👉どうぞこちらをご覧ください。

松尾芭蕉の俳句「古池や」の意味は?太宰・子規・漱石に聞く

     


なお上のイラストは芭蕉の作意とはおそらく
関係ありませんが、沈んでしまうカエルの
寓話として世界的に知られる「サソリと
カエルの話を描いたものです。

これについてはこちらで。

サソリとカエルの話 その意味は?自らの自然(ネイチャー)を知れ…

      



まとめ

さあ、これで芭蕉の代表的な俳句は
だいたいカバーできました。

もちろん、なにしろ”俳聖”ですから名句は
まだまだたくさんありますけど、以上の
10句の意味の解説を、また上で紹介して
きた本などを参考にしていただければ、
だいたい解けると思いますよ。


もう大丈夫ですよね、芭蕉にかんする
かぎり、どう突っ込まれようと…。

それはこういう意味だ(((ノ゚🐽゚)ノ
        野球猫matsui-anime
と解釈のヒットをかっ飛ばしましょう!


こうしてみると、古典の世界も
なかなか面白いですよね。
👉>日本の古典文学をめぐっては
こんな記事も書いていますので、
こちらもよろしく。

源氏物語のあらすじを簡単に:光源氏はマザコンでロリコン?

平家物語のあらすじを簡単に:滅びの美”を現代語訳で読もう

方丈記 冒頭を英語にすると❔ゆく河の流れを漱石はどう訳したか


それではまたお会いしましょ~(*~▽~)ノ




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