アンパンマン 原作絵本は怖い!傷つかない正義を認めないやなせたかし
顔が欠ければ力が
弱まるとわかって
いるのに食べさせて
悪者にやられたり
してますね。
頭が弱いんで
しょうか?(😹)
ことより空腹な人を
救うことの方を優先
しているのです。
原作絵本のアンパンマン
は顔全体を食べさせて
首なしマンになって、
それでもへロヘロと
飛行していたんですよ。
ホラーですね。
でも目もなくなった
はずなのに飛行でき
るんでしょうか。
胴体のどこかに装着
されているので、
顔にあるのは描いて
あるだけですよ。
なにしろ顔は食べて
もらうためにあるん
ですから。
笑ったり怒ったり、
表情豊かというのも
またホラー(🙀)
いるわけです。
それを食べさせて
いただくのだから、
ピンチの人も元気に
ならないはずはない
でしょう;^^💦
というわけで、おなじみ”あらすじ”暴露
サービスの第173弾(“感想文の書き方”
シリーズ第240回)は文字通り”泣く子も
黙る”アンパンマン・シリーズ(((((ノ゚🐽゚)ノ
その出発点をなした童話(1970)や
絵本(1976,👇)が実は怖いともいえる世界
だったことを紹介しながら、その
怖さがどこから来るものなのか、
作者やなせたかし(1919-2013)の生涯や
発言を見直していきたいと思います!
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ザッとこんな内容になります。
1. 絵本『あんぱんまん』のあらすじ
それでは出発進行!まずは1976年の絵本『あんぱんまん』から。
短いお話なので「あらすじ」というより
抜き書きのようなものになりますが…;^^💦
- さばくのまんなかで、
たびびとがおなかがすいて
しにそうになっていました。 - そこへ、あんぱんまんが
とんできて
「ぼくのかおをたべなさい」
とかおをさしだします。
「いつも、おなかのすいた
ひとをたすけるのだ」 - えんりょしながらかじった
たびびとは、おいしいので
たくさんたべ、
あんぱんまんのかおは
はんぶんぐらいに
なりました。 - すこしげんきをなくながら
あんぱんまんが、
そらからもりへおりていくと、
まいごになったこどもが
ないています。 - あんぱんまんはこどもを
せなかにのせて「ぼくのかおを
かじりなさい」といいながら
いえまでおくりとどけますが、
とどけたときには、あんぱんまんの
かおはなくなっていました。 - あめとかみなりにおそわれ、
あんぱんまんはまちはずれの
おおきなえんとつのなかへ
ついらくしました。 - そこはぱんこうばで、
おじさんはぱんやきの
めいじん。
「よしよし、またあたらしい
かおをつくってあげるよ」
とまえよりもおおきい
かおをやいてくれました。 - 「それじゃあ、また
おなかのすいたひとを
たすけにいってきます」
とあんぱんまんはすぐに
しゅっぱつ。 - きょうもどこかの
そらをとんでいます。
さて、どう思われましたか?
アニメ「アンパンマン」の原型は
こういう物語だったのですね。
絵本ですからもちろん絵が大切なの
ですが、ぜひ注目したいのが上記
2.のあんぱんまん登場場面です。
ここでのあんぱんまんは夕日を背に
した逆光の設定でとても暗く描かれ、
しかもマントはボロボロで、かなり
みすぼらしいのですね。
最初のアンパンマンはなぜそんなに
みっともなかったんでしょうか。
この点を含めた絵本製作の意図については
作者のやなせさん自身があとがきで語って
いますので、それを見ておきましょう。
2.『あんぱんまん』の製作意図
絵本のあとがき「あんぱんまん について」のなかで、やなせさんは「スーパーマンや
仮面もの」は自分も大好きだが、「いつも
ふしぎにおもう」こととして、次の2点を
挙げています。
- 大格闘しても着ているものが
破れないし汚れない。 - だれのためにたたかって
いるのか、よくわからない。
続けてこのように主張するのです。
ほんとうの正義というものは、
けっしてかっこうのいいもの
ではないし、そして、
そのためにかならず自分も
深く傷つくものです。
〔中略〕
あんぱんまんは、やけこげ
だらけのボロボロの、
こげ茶色のマントを着て、
ひっそりと、はずかしそうに
登場します。
自分を食べさせることに
よって、飢える人を救います。
それでも顔は、気楽そうに
笑っているのです。
ここでは少々遠慮がちの、やんわりした
表現になっていますが、ほかの著書(後出)
などから類推すれば、やなせさんの
言いたいことは要するに…
- 戦えば汚れ、傷つくのが当然。
- (正義の)戦いは誰(何)のためか
という明確な意識を
もってなされる。
安直なスーパーマンものに不満を感じ
ながら、自ら「たたかい」の物語を
創作していったやなせさん。
その頭につねにあったのがこの
2つの信条だろうと思います。
そしてそれがどこから来るのかといえば、
自身も従軍し、また愛弟を戦死で奪って
しまったところの戦争の体験…
それは間違いのないところでしょう。
やなせさん自身、「正義の戦い」とされた
戦争で戦って傷つきましたが、相手の命を
奪おうと奮迅する…その時々の自分の
戦いがいったい誰(何)のためなのか
少しも明確ではなかったのです。
3.これが”元祖”:童話「アンパンマン」
もうおわかりですよね?そういう人であるやなせさんが生んだ
アンパンマンは、世にあふれる”〇〇マン”
“仮面〇〇”などなど、カッコいい
“正義の味方”ヒーローたちの陰画(ネガ)
であり、アンチテーゼ(反定立)なのです。
カッコ悪く傷つき、食べられて部分的に
欠けてしまいさえするから、それを
絵にすれば、とても怖いのです。
実は上記の絵本より前の1970年に
やなせさんは「アンパンマン」と
題した童話を書いています。
何を隠そう、これがホントの”元祖アン
パンマン”ということになるのですが、
そこではその主張がもっとはっきりと
打ち出されています。
つまりこの”元祖”アンパンマンは、
顔は普通の人間で、アンパンは腹の
中にいっぱい仕込んでいるのですね。
だから出ッ腹で、ますますカッコ悪い
のですが、その一方でスーパーマン、
バットマンなどのカッコいいヒーロー
たちは「世界マンガ主人公かいぎ」を
開いてますますカッコよくなろうと
しています。
その会議中、スーパーマンがふいに
空を指さして「みろ! 諸君。
またニセモノだ」どなります。
「あんなうすぎたない奴のために
われわれまで悪口をいわれる」
みあげるとふとっちょの
アンパンマンが汗だくで
とんでいました。
みんないっせいに
「ニセモノおっこちろ」
とさけびました。
それでも”元祖アンパンマン”は
戦争続きで荒れ果てた国へ飛び、
飢えた子供たちの頭上にアンパンを
落とします。
が、ついには高射砲の銃撃を
浴びてしまうのです。
そしてどうなるか…
結末は童話集『十二の真珠』
(1970 👇)でどうぞ。
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4.”絶対的な正義”とは?
このカッコ悪い”元祖アンパンマン”が傷ついて”怖い”姿になりながら、
人にほめられることもなく、
黙々とやり続けていること。
それこそが本当の「正義」なんだ
という”やなせ哲学”…
もうだいぶ姿が見えてきましたよね。
やなせさんは亡くなる2年前の2011年の
インタビューでも、「アンパンマン」創作の
強い動機は「正義とはなにか」ということ
だったと述べ、次のように「正義」を
定義していました。
正義とは実は簡単なことなのです。
困っている人を助けること。
ひもじい思いをしている人に、
パンの一切れを差し出す行為を
「正義」と呼ぶのです。
戦争をしている国同士はそれぞれに
「正義」を持っています。
「アラブにも、イスラエルにも
お互いの“正義”がある」けれど
「これらの“正義”は立場に
よって変わる」。
でも「困っている人、飢えている人に
食べ物を差し出す行為は、立場が
変わっても国が違っても」
変わりなく「正しい」。
それは「絶対的な正義なのです」。
だから正義って相手を倒す
ことじゃないんですよ。
アンパンマンもバイキンマンを
殺したりしないでしょ。
だってバイキンマンには
バイキンマンなりの正義を
持っているかも知れないから。
やなせ流の「正義」とは、つまるところ
「普通の人が目の前で溺れる子どもを
見て思わず助けるために河に飛び込んで
しまうような行為をいうのです」。
「自分が代わりに溺れ死んでしまう
かも知れない」けれど、それでも
飛び込むしかない。
つまり「自分が傷つくことも覚悟」
しての愛や献身あってはじめて
「正義」と呼べる…と。
(引用元:NEWSポストセブン)
5.愛と勇気だけが友達って…❔
そんなわけで、童話から絵本へという初期『アンパンマン』が見せている
“怖さ”は、作者の明確な哲学的主張に
根を持っていたと言えます。
でもそういう思想性は現在のアニメ・
シリーズではスッ飛んでしまっている?
まあ、それはそうかもしれません。
低年齢向けの人気アニメを作って
いこうとする過程で、やなせさん
自身もそこはある程度、割り切って
制作に協力されたのでしょう。
ただ、それでも原作者やなせたかしの
抵抗の跡のようなものは随所に
見られると思います。
その一つが、やなせさん自身の作詞で
ある主題歌「アンパンマンのマーチ」!
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これはもはや国民的な愛唱歌と言っても
よさそうですよね。
いっそ国歌も辛気臭い例のやつをやめて
これに変更しちゃったら、国民の
元気も百倍するのでは…?
なんて言うと「不敬だ!」と抗議を受け
そうですが、それはともかく、この歌に
出てくる「愛と勇気だけが友達さ♪」という
歌詞が不当だという抗議が実際に
届いたというんですね。
最後の著書『わたしが正義について語る
なら』(2013)の中で、やなせさんは
それについてこう弁明しています。
これは、戦う時は友達を
巻き込んじゃいけない、
戦う時は自分一人だと
思わなくちゃいけないんだ
ということなんです。
お前も一緒に行けと
道連れをつくるのは
良くないですね。
“正義の戦争”に「お前も一緒に行け」と
兄弟で道連れにされ、弟には死なれて
しまったやなせさんの口から出た言葉
として、頭を垂れて聞かないわけに
いきません。
“正義”なら「道連れ」も結構かもしれ
ないけれど、それがホントの正義か
どうかは本人にしかわからないのだから、
「友達を巻き込んじゃいけない」。
この意味では「戦う時」はあくまで
「自分一人だ」とやなせさんは
強く訴えます。
友達に対して献身することはあっても、
彼らを「巻き込ん」でどこかへ引っ張って
いくようなパワー(権力)をもつ必要はない。
そして、パワーを持とうとしない人間は
「顔」へのこだわりもない
のかもしれません。
だから絵本『あんぱんまん』で自分が
描きたかったのは「顔を食べさせて
顔がなくなってしまったアンパンマンが
空を飛ぶところです」とやなせさんは
明言しています。
顔がないというのは、
無名ということです。
顔パスという言葉がありますね。
この世界は顔で通用する
ところがあります。
政治家もそうだし、
タレントもそう。
自分の顔を売って、
それで生活するところが
あります。
つまりそういう人にあっては「顔」が
パワーをもつわけですが、”顔をなくした
アンパンマン”はそういうパワーを完全に
放棄した状態の隠喩(メタファー)でも
あったわけですね。
ともかく「ぼくが正義という言葉に
込めた思いは、この詞の中にあります」
とやなせさんは胸を張っています。
「アンパンマンのマーチ」の歌詞全文も
収録して、やなせさんが思いのたけを
語っているのがこの遺著です。
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まとめ
さあ、いかがでしょうか。国民的ヒーロー、アンパンマンとその
生みの親、やなせたかしさんの考え方に
ついて、かなり多くのことを知って
いただけたのではないでしょうか。
そうそうもう一つ、アンパンマンの
キャラクターを創造する過程で、
やなせさんが最も強く影響を受けたと
回顧しているのは何かわかりますか?
それがメアリ・シェリーの『フラン
ケンシュタイン』なんですね。
一般に「フランケンシュタイン」と
呼ばれている例の怪物が
「どんな心を持っていたと思いますか」
とやなせさんは問いかけます。
人を何人も殺して人に
恐れられるけれども、
心の中はそれを作り出した
博士よりも苦しんでいる。
このことをとってみても、
ぼくは悪人と言われている
人の心がすべて悪でできて
いるとは思えないのです。
(上記『わたしが正義について語るなら』)
👉『フランケンシュタイン』については
こちらで詳しく情報提供しています。
ぜご参照ください。
・フランケンシュタインのあらすじ 👻原作小説をネタバレありで
思えばアンパンマンも”人造人間(アンド
ロイド)”であり、”人体改造”系テーマの
流れに位置づけられる作品ですよね。
その種の作品については当ブログでも
大いに研究・発信してきていますので、
ご参照いただければ幸いです。
👉たとえばこちらなど。
・ジキルとハイドのあらすじ:スティーヴンソン原作を簡単に…
・東野圭吾 変身 ☯原作小説のあらすじ⦅ネタバレ📢⦆と感想
・透明人間のあらすじ 映画(1933)&原作小説//消えない猫の目の秘密
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さあこれでもう、ことアンパンマンに
関する限り、どこをどう突かれてもOK;^^💦
読書感想文だろうとレポートだろうと、
なんでもござれ!…でしょう。
ん? 書けそうなテーマは
浮かんできたけど、具体的に
どう進めていいかわからない( ̄ヘ ̄)?
そういう人は、当ブログで書きため
ています「感想文の書き方」シリーズ
記事のどれかを参考にしてくださいね。
👉当ブログでは、日本と世界の多様な
文学や映画の作品について「あらすじ」や
「感想文」関連のお助け記事を
量産しています。
参考になるものもあると思いますので、
どうぞこちらからお探しください。
・「あらすじ」記事一覧
・≪感想文の書き方≫具体例一覧
ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/
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