“させていただく”が間違い敬語になる場合:恩ない人への恩表現

 


やあやあサイ象です。

今日は「させていただく」について書かせていただきます

オオーッとやってしまった~((((((ノ゚⊿゚)ノ


なんとなく違和感があって
自分では使いたくないと思っている言い方が
こうしてつい出てきてしまうんですね。

おお、イヤだ(/_;)/~~。

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でも、なんでイヤなんでしょうね、これ?

敬語の使い方として誤用・間違いというわけでは
ないようなんですが……。



Ψ 結婚させていただきます?

よく目にするのが、
芸能人が結婚や離婚をした場合の
世間一般向けの報告などで、

わたくし、○○○○は、このたび△△△△さんと
結婚させていただくことになりました。

と書いているような場合ですね。

なんで「させていただく」んだろう。

結婚は「両性の合意のみに基づく」と憲法にも書いてある。
勝手にすりゃあいいだけのこっちゃないか……


と、私はこれを「ヘン」に感じてしまうんですが、
この「ヘンな感じ」は、
それが法律や常識にかなっているかというより、
日本語の文法としてどうなのか、
というところに浮かんでくる「」なんですね。

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じゃあ、どういう文法に違反してるのさ?

と突っ込まれると、うーん( ̄ヘ ̄)…
なかなか即答はしにくいですね。


そこで辞書を引いてみます。

たとえば現在、最も信頼に足る国語辞典と思われる
『日本国語大辞典』(小学館、2006)は
させる(使役の助動詞)+(助詞)+いただく(補助動詞)》の場合の
「いただく」をこう定義しています。

相手に願って、自分が何かすることを許してもらう意の謙譲表現。


なるほど、わかりました。

この芸能人は、私たちに願って
自分が結婚することを許してもらおうとしているんですね。

でも私たち一般の人間に
彼の結婚を許す権限なんかないし、
大半の人はそもそもそのことに興味をもってない。


そこに「ヘンな感じ」が忍び込むんですね。



Ψ 文化審議会国語分科会の解説は?

文化庁の諮問機関「文化審議会国語分科会」による
「敬語の指針(報告案)」(2006)は、
この言い回しの「ヘンな感じ」について
こう解説しています。

「させていただく」の用法は、

基本的には,自分側が行うことを,
ア)相手側又は第三者の許可を受けて行い,
イ)そのことで恩恵を受けるという
事実気持ちのある場合に使われる。

したがって,ア),イ)の条件をどの程度満たすかによって
「発表させていただく」など 「…(さ)せていただく」を用いた表現には,
適切な場合と,余り適切だとは言えない場合とがある。


なるほど。

自分がする(と提案している)ことによって
相手側から「恩恵を受ける」かどうかが
もう一つのポイントだというんですね。


だから、「結婚させていただく」の場合なら、
「結婚する」という行為について、
ア)私たち一般人の許可を受けて行い,
イ)そのことで恩恵を受けるという
事実気持ちのある場合ならOK,ということになります。

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さて、どうでしょう。

ア)はもとより成立不可能(ありえない)と思いますが、
イ)は微妙かな?


許可されて「結婚する」ことで「恩恵を受ける」場合、
その「恩恵」は許可した人からのものですよね。

だから、許可するも何も、
そんな立場とは無関係な人に向けてこれを言うのは
「ヘン」であり「余り適切だとは言えない」はず。

ただまあ、そういう事実はないけど、
気持ちがあるんだ、
それほど自分はファンを大切にしているんだ、
と言いたいのかもしれない。

でも、オレは別にあんたのファンじゃないよ、
(だからやっぱり不適切だよ)と言いたくなりますが、
そこは目をつぶっておきましょうか。

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ともかく、結論としては、
百歩譲ってイ)の点は許容するとしても、
ア)の点はクリアしようがないがゆえに、
世間一般に向けて言われた「結婚させていただく」は
「余り適切だとは言えない」
ということになります。



Ψ いつごろから流行?

ところで、この「させていただく」が
日本人の間をやたらと飛び交うようになったのは
そう古いことではないいんですね。

近ごろ「これが猖獗(しょうけつ)を極めてゐる」と
丸谷才一さんが苦々しく書いたのが
1986年刊行の『桜もさよならも日本語』のなかでのことでした。↓↓↓↓


この本所収の「させていただく」(Ⅲ 日本語へらず口)では、
谷崎潤一郎、司馬遼太郎、井上ひさしら
錚々たる文人の文章を紹介しながら
「させていただく」が見事に解剖されています。

そのなかで丸谷氏がハタと膝を打ちながら引用している
井上ひさし氏の指摘は、

「――してくれる」とか「――してもらふ」とかは
恩を受けたといふ言ひ方で、反対に
「――してやる」とか「――してあげる」とかは
恩を施す言ひ方である。

一体に日本人はこのやうな恩の売り買ひに敏感だから、
そのせいでこの種の語法が生じた。


ということなんですね。

※この観点からも興味深い井上ひさしの短編小説が「ナイン」です。
関心おありの方はこちらをご参照ください。
「ナイン(井上ひさし)のあらすじ:「簡単/詳しい」の2段階で解説」

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なるほど、きっとそうでしょう。

つまり「結婚させていただく」と言いたがる芸能人は
世間一般の人々に(ファンでなくても)
「恩を受けている」という気持ちを出したいのかもしれない。

だから言われた側は悪い気はしない。

でもなんら「恩を施した」覚えがないし、
これからもそのつもりがないから、
かすかに「ヘンな感じ」が忍び入ってしまうんです。


この語法と「恩の売り買ひ」の関わりをめぐって、
丸谷さんは、もう一つ興味深い論点を紹介しています。

すなわち司馬遼太郎さんによれば、
この「させていただく」という言い回しは、
もともと関西に発祥したものなんですね。



Ψ もう一つの興味深い指摘

どういうことかといいますと、
いわゆる「近江商人」たちが京大阪や江戸へ出て商いをする際に
「それでは、明日、届けさせていただきます
などとよく言ったので、それが京大阪へ、
また江戸へと、徐々に浸透していったものだというんです。

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ではなぜこの言い方が
特に近江商人の間で発達したのかといえば、
彼らが帰依する浄土真宗の教義では、
われわれはすべて阿弥陀如来によって生かされており、
すべては阿弥陀様の「おかげ」である。

だから、何をするにも
「(阿弥陀様のおかげで)……させていただいています
という受け止め方になり、その感覚が
言語表現にも反映してきたというんですね。

なるほど。


ともかく、そういうわけで、
これが東京に広まったのはかなり近年のことであるから、
東京を舞台にした明治文学で、
誰かが「させていただく」なんて言うのは
「一例もないのではないか」

と司馬さんは推論されています。
(『街道をゆく(24)近江散歩・奈良散歩』↓↓↓↓)


この説、基本的に正しいのかもしれませんけど…
へへ(;^_^A、司馬さん、ちょっと勇み足でしたね。


『日本国語大辞典』の上記「させていただく」の項目には、
例文として二葉亭四迷の『其面影』(明治39年)が挙げられていますが、
これ、「東京を舞台にした明治文学」以外の何ものでもありませんね。

そんなら、然(さ)う為(さ)せて戴きます


この例文選択、司馬さんへの厭みだったのかな?


まあまあ、そのへんはご愛敬。
司馬さんの指摘の有効性をおとしめるものではありません。

すべては阿弥陀様の「おかげ」であり、
阿弥陀様に絶対的な「恩」がある。

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「させていただく」にはこの「恩」感覚が表現されているのだ、と。

だからまあ、そう言われた相手側は、
「恩」を施した覚えがなくとも、
阿弥陀様になった気持ちで
鷹揚に受けとめればいいのかな…:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



Ψ まとめ

とはいいながら、「恩/恩恵」的な関係のない人に向かって
「させていただく」を言うのは、
上記「敬語の指針」で指摘されている
「余り適切でない」用法に相当しますから、
控えるよう気をつけたいですね。

上記の芸能人の結婚報告の場合なんかは、
「結婚することにいたしました」
で全然結構ではないですか。


どうしても「させていただく」を言いたい場合は、
「敬語の指針」でいわれていた
ア)、イ)の条件を満たしているかどうか、
ちょっと考えてみるのがよろしい、
というのが本日の結論になります(ニコニコ)

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