二重敬語チェック!”おっしゃられる/お…になられる”は気持ち悪い
という形の敬語表現に
ついて私がお話しに
なります。
文法にかなって
ませんよ(😸)
ましたか?
尊敬語で、相手への
尊敬の気持ちを表す
言い方だから。

してます。
セルフ・リスペクト…
いけませんか?
通用しません(😹)…
外国人のみなさんにはややこしくて
申し訳ありませんが、日本語の文法は
そういうふうにできちゃってます;^^💦
では、これはどうでしょう。
お泳ぎになられます。
これもNGですか?
二重敬語は不適切
ダメですよね、たいていの場合。なぜって、「お~になる」という形で
尊敬を表した上に、さらに助動詞の
「られる」をつけてもう一度尊敬
したことになる。
こういうのは二重敬語といって、
慇懃無礼でかえって失礼だったり、
そうでなくても耳障りなので、文化庁の
諮問機関「文化審議会国語分科会」が
出した「敬語の指針(報告案)」
(2006)でも基本的に「不適切」
とされています。

ただ、どうなんでしょう。
それがいえるのは、助動詞の「られる」を
「尊敬」の意味にとった場合ですよね。
でも、「られる」には「尊敬」以外にも
「自発・可能・受け身」の3つの意味が
あったではありませんか。
つまり上記の例文の場合、これを
「可能」の意味にとることも可能
ではないか……
(シャレではありませんが;^^💦)
そうであれば、この文がダメを出される
いわれはない。
「先生は1kmも泳げる」ということを
尊敬語で正しく言い表している
ということになるのではないか?

という理屈も可能のような気が私は
しますが、公式には認められない
ようです。
お泳ぎになれます。
と言うのなら、なんの間違いでもなく
OKのようですが……
さて、前置きが長くなりましたが、
要するに本日のテーマは敬語表現の
難しさの一つに、いろいろな形で生じる
二重表現ということがあること。
これは上記の二重敬語の場合だけに
とどまらない、けっこう複雑な問題なので、
この際、整理して頭をスッキリさせて
おきましょう、ということなんです。
習慣として定着している二重敬語
ところで、二重敬語はどのような場合もすべて不適切かというと、そうも言いにくい
ようで、上記「敬語の指針」(2006)では
「習慣として定着している二重敬語」なら
よい、として下記のような例を挙げて
います。
お見えになる
・( ) お伺いする、
お伺いいたす、お伺い申し上げる
「 」「 」というのも
「敬語の指針」によって持ち込まれた
新しい分類法で、簡単にいうと、
以下のように区別されます。
その動作を受ける相手が上の場合。
「伺う」「申し上げる」など。
【 】
(以前は「丁重語」とも呼ばれた)
その話の聞き手(読み手)が語り手
(書き手)よりも上の場合。
「参る」「申す」など。
うーん、微妙ですね。
「習慣として定着している」かどうかは、
日本語を長く使っている人でないと
判断しにくいですもんね┐( ̄ヘ ̄)┌
ですので、外国人に教える場合などは、
これもやめとけ、と言っといた方が
いいんではないでしょうかね。
「敬語連結」ならよい
それから、二重敬語に似ているけど違う場合として、敬語連結というのが
あります。
たとえば、
いらっしゃる。
は、「お読みになる」と「いらっしゃる」の
それぞれ正しい尊敬語を助詞の「て」で
つなげたものなので、二重敬語には
当たりません。

それではこれをなんと呼ぶかといえば
「敬語の指針」では敬語連結と名付け、
個々の敬語の使い方が適切で、
かつ敬語同士の結び付きに意味的な
不合理がないかぎりは基本的に
許容されるものとしています。
たとえば次のような場合。
(「読んでいる」の「読む」「いる」を
それぞれ別々に尊敬語にしたもの。)
(「読んでくれる」の「読む」
「くれる」をそれぞれ別々に
尊敬語にしたもの。)

(「読んでもらう」の「読む」を尊敬語に,
「もらう」を謙譲語Iにしたもの。
尊敬語と謙譲語Iの連結であるが,
立てる対象が一致しているので,
意味的に不合理はなく,許容される)
(「案内してあげる」の「案内する」
「あげる」をそれぞれ別々に
謙譲語Iにしたもの)
うーん( ̄ヘ ̄)、これらもまた微妙で、
下へ行くほど抵抗を感じないでも
ないんですが、まあ許容される、OKだ、
ということですね。
それでは、これなんかどうでしょう。
お父様屹度(きっと) お殺せになれない。
〔引用元:『志賀直哉全集』第4巻、
岩波書店〕
”小説の神様”志賀直哉のごく短い小説
「兎」(1945) に出てくる「貴美子
といふ末の娘」のセリフです。
お殺せなさいますの?
お気づきの方もあろうかと思いますが、志賀のこの日本語に噛みついたのが、
太宰治ですね。
『如是我聞』と題して1948年(この年
6月に自殺)の3月に開始した連載随筆の
第1回で志賀を名指しで批判し始める
のですが、その流れでこんなふうに
出てくるんですね。
ある座談会の速記を読んだら、
その頭の悪い作家が、
私のことを、もう少し
真面目にやったらよかろう
という気がするね、
と言っていたが、
唖然(あぜん)とした。
おまえこそ、もう少し
どうにかならぬものか。
さらにその座談会に於て、
貴族の娘が山出しの女中の
ような言葉を使う、
とあったけれども、
おまえの「うさぎ」には、
「お父さまは、うさぎなど
お殺せなさいますの?」
とかいう言葉があった筈で、
まことに奇異なる思いを
したことがある。
「お殺せ」いい言葉だねえ。
恥しくないか。
〔中略〕
貴族がどうのこうのと言って
いたが、(貴族というと、
いやにみなイキリ立つのが
不可解)或る新聞の座談会で、
宮さまが、「斜陽を愛読
している、身につまされる
から」とおっしゃっていた。
それで、いいじゃないか。
おまえたち成金の奴の
知るところでない。
ヤキモチ。
いいとしをして、恥かしいね。
太宰などお殺せなさいますの?
売り言葉に買い言葉、
いくらでも書くつもり。
〔引用元:青空文庫〕
👉文中の「斜陽」は太宰の小説の
タイトルです。
詳しくはこちらをご参照ください。
・斜陽(太宰治)のあらすじと感想☀簡単/詳しくの2段階で解説
まことに痛快(
逆に”イタい”感じもある啖呵です。
やや残念なのは引用が不正確だった
ことで、志賀は「お殺せになれない」
とは書いても「お殺せなさいますの」
とは書いていません。
そこで、ここにまた別の問題──
「お~なさる」という言い方を
「お~になる」と同じ意味・用法で
用いてよいか──も浮上してしまうわけ
ですが、今回はそこには立ち入らず、
太宰が突っ込んだ点に話をしぼりましょう。
「お殺せ」いい言葉だねえ。恥しくないか。
でも、これについて志賀は「少しも変では
ない」と開き直ってるんです(((゜д゜;)))。
「お殺せになれない」は変でない?
太宰の死から数カ月後に、志賀はこう書いています。
今年十七になる私の末の娘が
『如是我聞』を読んで、
私の「兎」といふ小品文の中で、
この娘の云つた「お父様、
兎はお殺せになれない
といふ言葉の事が書いてある
と云つて厭(いや)な顔をしてゐた。
私は「お殺せになれない」で
少しも変ではない、と慰めてやつた……
「太宰治の死」〔引用元:『志賀直哉全集』第7巻、岩波書店〕
さて、みなさん、どう思われます?
「お殺せになれない」は「少しも変では
ない」…と感じますか?
”小説の神様”には畏れ多いことながら、
大いに「変」だと私は思います。
「お殺せ」の「殺せ」は、「殺す」から
変形した「殺せる」というの
未然形ですから、その内部に「可能」の
意味を含んでいますね。
そして後半の「なれない」の「れ」は
可能の助動詞「れる」の未然形で、
やはり「可能」の意味を表すことも
明らかです。
したがって、「お殺せになれない」では
「可能」が二度表現されることになります。
志賀さん、こういうのを重言
(じゅうげん)というんですよ。
重言は美しくない
重言を含む日本語は、間違いとはいえなくとも、無駄をそぎ落とした
簡素の美うんぬん(あれ? これって
志賀文学への褒め言葉ではなかった
ですか?)の日本的美意識には
適合しませんよね。
美意識はさておくとしても、論理的な
文章の書き手は重言を避けるものなんです。
つまりこの場合は、太宰が
いやがった「お殺せ」を避けて、
とするのが最も正しく美しいと思いますが、
志賀美学で「お殺せ」を残したい場合は
とすればよいのですよ。

「お殺せになれない」と娘さんが実際に
言ったのかもしれませんが、「貴美子」と
実名まで出した純粋な私小説でそれを
そのまま書いて出すのはいかがなものか。
娘さんの生涯の「恥」にも
なりかねないではないですか。
「恥しくないか」と言いたくなった
太宰にこの点も含めて、私は共感して
しまいますね。
まとめ
というようなわけで、整理しますと、敬語表現の難しさとして、敬意や謙譲を
表わそうとするあまり、同じこと
(同一の敬意や謙譲)を2度表現して
しまうという落とし穴があり、そこには、
・二重敬語
・敬語連結
の2つの場合ばかりでなく、それらに
・重言
という、敬語以外の問題もからんできます。
だから、かなりややこしくなってしまう
場合も少なくありません。
👉日本語の難しさとそれへの
対策をめぐっては、以下の記事も
ご参照ください。
・すべからくの意味・使い方?安倍晋三首相ほか錚々たる知識人も誤用
・“させていただく”が間違い敬語になる場合:恩ない人への恩表現
・散見される?散見する? 正しい意味・使い方を鴎外・太宰に聞く

・博士の読み方はハカセ?ハクシ?枕草子、漱石に聞く
・お疲れ様とご苦労様の使い分け?(*_*)うるさくなったのは平成から?
・差別と区別の違いは?曽野綾子氏の主張を英語に照らして解析
いや、ほんとお疲れ様でした;^^💦
こんなややこしい言語を習得しなければ
ならない星のもとに生まれた私たちは、
これを因果と嘆くべきでしょうか。
いや、むしろこの精妙さを誇りをもって
引き継ぐ…という気概をもつことに
してはどうでしょう。
その方が美しく見えますよ~(@^(∞)^@)ノ
・お泳ぎになれる
は、ら抜き言葉ではなく、正しい可能の意の尊敬語です。
・お泳ぎになられる
と書いてあれば、間違いです。
尊敬だの可能だの考える必要はないです。
ら抜き言葉の是非も、この文脈で論じる必要はありません。
お泳ぎになられる様
ご指摘ありがとうございます。
さっそく修正しておきました。
今後ともよろしくご指導ください。