私を離さないで 原作と映画の違いは?トミーの癇癪にも深い意味が…
ないで』は大ショック
でした(
![叫び](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif)
あれ、実話なんですか?
ですね;^^💦
クローン人間を作ること
自体、倫理上許されて
いません。
人々を臓器移植に使える
だけ使ってポイ捨て…
やってるという話です
から、現実ならナチス・
ドイツ並みの国家犯罪
ですよね。
なんですね(😹)
のノーベル賞受賞を
決定づけたとも見ら
れるSF小説の傑作。
暗黒の未来を描く
“ディストピア”小説を
現代の物語として語って
みせた、怖い作品です。
(はずの)異常な宿命を
負って生きるしかない
人々のドラマ。
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2019/06/clone-women-300x190.jpg)
その人生は特殊なもので
私たち通常人とっては
ヒトゴトのはずですが、
それが自分のことのよう
に迫ってくる…
ただ映画ではどうしても
短くまとめる必要もあり
原作の深い部分が十分に
表現できているとは
いえません。
そういう部分を明らかに
していきましょう。
というわけで、おなじみ”あらすじ”暴露
サービスの第185弾(“感想文の書き方”
シリーズ第262回)はカズオ・イシグロの
傑作SF、『わたしを離さないで』
(Never Let Me Go, 2005)。
イシグロは2017年ついにノーベル文学賞を
受賞し、日本人の鼻も少しだけ高くして
くれた日本生まれの英国人作家。
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まずその映画化作品(マーク・ロマネク監督、
2010)のあらすじを押さえた上で、映画で
描き切れていない原作の重要ポイントに
立ち入るという形で「原作と映画の違い」を
しっかり見ていきたいと思います。
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『わたしを離さないで』(2010)DVD
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未見の方は予告編動画をどうぞ。
この映画、まずは良心的で、ストーリーは
だいたい原作通りといえますが、そこは
やはり時間的制約もあって、凝縮や省略が
原作の力を弱めていることも確かなのです。
映画が切り捨てたそのような部分のうち、
重要(捨てるには惜しい)と思われる
ポイントをいくつか拾い上げる形で、
原作小説の素晴らしさに光を当てて
いこうというのが本日の目標!
というわけで、以下のような
内容になります。
まとめ
映画のあらすじ
以下の「あらすじ」では、ストーリーを映画の通りに追っていき、原作と違う
重要な部分に👉❶のような印をつけ、
どう違うのかは下に置く➊~➎の章で
解説していくという形を取ります。
オッと、もちろん映画も小説もネタバレ
ありになりますので、結末を知りたく
ない人は読まないでくださいね;^^💦
治療が可能となり 1967年 人類の
平均寿命は100歳を超えた」
すでに胸に縫合の跡のある若い男が
新たな手術を受けようとしている。
彼を見守る同年配のキャシーは
「介護人」になって9年目。
👉❶導入部の違い:何を”提供”するのか?
キャシーの追憶は1978年、10歳前後
のころのヘールシャム寄宿学校へ。
それは森に囲まれた窪地にある、外界
から隔絶した施設で、生徒は「○○先生」
と呼ばれる「保護官」に各教科を習う。
芸術の創作にも力が入れられており、
優秀な絵などは、「マダム」と呼ばれる
女性が定期的に訪れて、ギャラリーに
持っていくことになっていた。
少し抜けたところのあるトミーは、
いじめを受けてよく癇癪を起こす。
女子の中でボス的な地位にあるルースも
彼を突き放していたが、キャシーは
好意をもって接し、トミーもそれに
応える。
定期的に開催される「販売会」などで
外界の物品を入手することもできたが、
トミーはそこで買ったカセットテープ、
Songs after Dark)をキャシーに
差し出す。
キャシーはその中の“Never let me go”が
気に入り、繰り返し聴く。
👉❷音楽テープと”マダム”
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2019/06/judybridgewater-176x300.jpg)
👉歌手ジュディ・ブリッジウォーター
はイシグロの創作による架空の人物で、
このジャケットは映画用に制作
されたもの。
4年生の担任だったルーシー先生は
ある日の授業で突然、言い出す。
「あなた方の人生はすでに決められて」
いて、成人すればやがて「臓器提供」が
始まり、「大抵は3度目か4度目の手術で
短い一生を終える」のです、だから
「自分というものを知ることで“生”に
意味を持たせて下さい」
翌日の全校朝礼で校長のエミリ先生は
ルーシー先生の辞職を告げ、これは
「私たちを排除しようとする勢力」の
「執拗な破壊工作」との闘いだと言う。
👉➌ル-シー先生の告知と辞職
1985年、18歳でヘールシャムを巣立つ
生徒らは、提供臓器の違いなどにより
各地の施設に分散する。
恋人関係になっていたトミーとルース、
その二人ともに近しいキャシーの3人は
「コテージ」と呼ばれる施設で、他の
施設から来た先輩のカップル(クリシー
とロッド)らと共同生活を始める。
クリシーらは、真剣な恋愛をしている
カップルには「提供猶予」があると
聞いていて、ヘールシャム出身者は
そのための手続きを知っているはずだと
尋ねるが、3人は噂話にすぎないと否定。
ロッドがルースの「もしか(possible)」
(原作和訳では「ポシブル」。すなわち
自分らを造る際にクローン細胞を
取られた”オリジナル”の人)らしい人を
見かけたと言いだし、それを確認
しようと5人は車で街へ繰り出す。
結局、別にそっくりというわけでも
なく、ルースは落胆。
自分らの「もしか」はどうせ社会の
クズのような人間だと捨て鉢に言う。
👉➍“美女”ルースの錯綜する心理
彼らの世界には、自分らと同じく
「提供」して行く運命の人を介護し、
その間は自らの「提供」が猶予される
「介護人」という身分がある。
キャシーはそれに志願してコテージを
出て行き、トミーやルースとは
別れ別れになる。
1994年、介護人として評価を高めている
キャシーは、ドーバーの回復センターで
偶然、ルースに再会し、彼女の
介護人となる。
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2019/06/girl-helps-a-disabled-person-300x169.jpg)
ルースはトミーの居所を知っている
から会いに行こうと言い、二人は
キャシーの車でそこへ。
車を出て歩み寄ったキャシーと
トミーの真情あふれる抱擁。
その光景を車から見守った暗い表情の
ルースは、かつて故意に「二人の
仲を裂いた」ことを泣いて謝罪。
独自に調べた「マダム」の住所を書いた
紙片を渡し、あなたたち二人の真剣な
愛をマダムに証明できれば「提供」が
猶予されるはずだと告げる。
3度目の「提供」で肝臓を取られた
ルースは、任務を「終了」(
![ドクロ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
キャリーはトミーの介護人に。
絵の才能に目覚め、数年前から大量に
描きためていたトミーは、
キャリーと二人、マダムの住居に
それらを持参して交渉。
そこにはエミリ校長もいて、真剣な愛の
証明で「提供」が猶予されるという
話はやはり噂話にすぎないと説明する。
生徒の絵を回収していたのは彼らにも
「魂がある」か否かを知るために
すぎなかったと。
車での帰路の途中、トミーの要求で
停車すると、トミーは少し歩いてから
幼時によく起こしたのとそっくりの
癇癪を起こし、悪口雑言を叫び続ける。
キャシーが駆け寄って抱きとめると
トミーは黙り、二人は固く抱き合う。
👉➎トミーの癇癪の深い意味
やがてトミーは最後の「提供」の時を
迎え(冒頭の手術台場面に戻る)、
「終了」(
![ドクロ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
キャシーにも1カ月後に最初の
「提供」を、との通知が来る。
原作が映画と違う部分
それでは原作が映画で変えられてしまっている部分について、上記
「あらすじ」中の➊~➎に即して
考察して参りましょう。
➊導入部の違い:
何を”提供”するのか?
映画では開幕早々「1967年 人類の平均寿命は100歳を超えた」などと事実に
反するナレーションが入るので、
これはSFだとすぐにわかります。
これが原作では、「介護人」のキャシーが
自分らの過去を長々と語り続けるという
形になっています。
で、その話の聞き手がある程度、事情を
わかっている人らしく、キャシーは
「介護人」とか「提供」とかのキーワード
について、いちいち説明しないのですね。
だから読者は、なんのことか(何を「提供」
するのか…とか)、またいつの時代のこと
なのかもよくわからないまま読み進める
ことになります。
ともかく原作は三部構成で、
第一部:「ヘールシャム寄宿学校」生徒時代
第二部:18歳でそこを修了した男女の過ごす
「コテージ」の時代
第三部:「介護人」として働く時代
の3つの時期についてキャシーが語って
いくわけですが、「提供」などの意味は
第一部の半ばあたりまで来て、読者は
ようやく理解させてもらえます。
ああ、これはクローン技術で造られた
子供たちを収容した特殊な学校なのだ…と。
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2019/06/clone-baby-e1559859440890-300x168.jpg)
つまり謎をはらんだ語り口で読者を釣り
込んでいく…イシグロの高度な小説技法に
付き合うことになるのですが、映画では
もちろんそんなわけには行きません。
クローン人間の映画だということを隠して
観客動員するのは困難でしょうから、
謎めかすことはなく、冒頭からスパッと
明かす構成法を取っているわけです。
で、その手術台に横たわっている男が
トミーという、キャシーにとって重要な
人物であることが、あとになってわかる…
というのが映画のここでの仕掛けですね。
(もちろん原作にはなし)
➋音楽テープと”マダム”
小説・映画のタイトルにも取られた“Never let me go”を含むこのテープが
重要な小道具であることは間違いあり
ませんが、これ、原作ではキャシーが
もともと持っていたもの。
ところが11歳の時にそれをなくしてしまい、
18歳を過ぎて「コテージ」へ行ってから、
街へ出た折に古物屋へ行き、そこでて
トミーが探し出してくれるのですね。
映画でこれがトミーからの贈り物という
ことになっているのは、この長い経緯を
凝縮したものと解釈できますが、この
ショートカットでこぼれ落ちてしまった
珠玉の場面も、実は原作にはあるのです。
つまりその歌でキャシーが特に好きだった
のは「ベイビー、ベイビー、わたしを離さ
ないで」というリフレイン。
11歳の彼女はこの「ベイビー」を文字通り
赤ん坊と理解して、枕を赤ん坊のように
抱いて体をゆすりながら聴いていた。
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2017/05/breast-feeding-1582978_640-1-191x300.png)
で、ある日それを目撃した「マダム」が
激しく泣いている。
ふと振り向いたキャシーがそれに
気づく…というのですね。
この時のキャシーはまだ知らず、やがて
知らされていくこととして「彼らには
子を生む能力がない」という事実が
あります。
だから2年後、このことを話した
キャシーにトミーが言うには、
君がそうやって赤ん坊を抱いて
踊っているのを見て、
これは悲劇だと思ったんだよ。
赤ちゃんが産めないってことがさ。
それで泣いたんじゃないかな。
このマダムは、第三部でキャシーとトミーに
再会して一切の秘密を話し、別れ際に
「かわいそうな子たち」と口にしますが、
これは映画にもあります。
でも、その「かわいそう」を第一部の
段階でもしっかり感じていたことが
映画では伝わりません。
同じことは保護官の先生たちにも言える
わけで、「かわいそう」の思いは
みなそれぞれに抱えていたのです。
原作ではそれが、各先生の立場や性格の
違いとも絡んで微妙な表現を見ていますが、
その微妙さを映画に持ち込むことはやはり
無理なのか、ルーシー先生ひとりに大きな
役割が担わされる形になっています。
➌ル-シー先生の告知と辞職
映画ではそれなりに美しく温和な感じのル-シー先生ですが、原作では「ずんぐり
して猪首、ほとんどブルドッグを
思わせる」気骨のある女性。
絵の下手なトミーに「描きたくなければ
描かなくていい」とヘールシャムの方針に
違反するようなことを生徒に言ったりする、
「進歩的」(エミリ校長の表現)なヘール
シャムにあって、反体制的な存在。
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2018/01/sorry-dog.jpg)
どういう経緯での辞職かわかりませんが、
ともかく先生は去る決意を固めてから、
生徒に向けてすべてを告知してしまう
ことにしたようです。
映画ではそれがキャシーらが10歳ごろの
ことになっていますが、原作ではこれは
15歳時で、ル-シー先生はその後、
苦境に立たされはしても、ヘールシャムを
去りはしません。
15歳の生徒らにとって、ル-シー先生に
言い渡された事実は実は決して耳新しいこと
ではなく、先生方の言葉の端々などから、
すでに漠然と察知していたことなのですが、
ここで完全に明確化されたことには
やはり大きな意味がありました。
➍”美女”ルースの錯綜する心理
映画では「もしか」の女性が勤務する旅行社まで5人そろって出かけますが、
原作ではトミーが強く言うことで
キャシーと彼とはそこへは行かず、
古物屋で例のテープを探します。
そして見つけることは➋のところで
述べたとおりですが、二人のこの行動が
“恋人”ルースにとって面白くないことは
当然で、「もしか」の件で失望した彼女が
さらに荒れる原因にもなります。
そもそもトミーが、10歳のころから仲の
よかったキャシーでなく、むしろ自分を
バカにしていたルースの”恋人”になる
というのも不自然な成り行きでした。
「提供」開始後にキャシーと再会した
ルースが泣いて謝罪した言葉によると、
その目的は「あなたとトミーの仲を裂く」
ことであって、これが彼女の「最大の罪」
なのでした。
なにしろ映画ではこのルースを演じるのが
かの”絶世の美女”キーラ・ナイトレイと
あって、そういうこともやろうとすれば
簡単にできちゃいそうなんですね。
👉キーラ・ナイトレイの”美女”ぶりを
確認されたい場合は、こちらの映画の
紹介記事をご参照ください。
・アンナカレーニナのあらすじ!原作と映画(2012ほか)【相関図つき】
・プライドと偏見(映画)のあらすじ&相関図//ヒロインは原作でも超美女?
![](https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/1332532e.d498d691.1332532f.bce51158/?me_id=1213310&item_id=15728056&m=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F1471%2F4988102051471.jpg%3F_ex%3D80x80&pc=https%3A%2F%2Fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2F%400_mall%2Fbook%2Fcabinet%2F1471%2F4988102051471.jpg%3F_ex%3D400x400&s=400x400&t=pict)
それはともかく、「仲を裂く」ことの
理由として、映画のルースはあっさりと
「やきもちよ」と口にしますが、これ、
実は原作では言われていません。
これは「やきもち」の一言で片づけられる
ような問題ではなく、彼女に幼時から
強かった支配欲、あるいはキャシーへの
微妙な劣等感やライバル意識…
等々、自分でも明確に意識できない
多様な要因が絡んでのことのはずで、
そのあたりはやはり原作を読まないと
伝わりません。
さらにそこに”性と死”というこの物語
ならではの問題が絡みます。
子供ができないと知ったヘールシャムの
生徒たちは、それをいいことにさかんに
性を交えるようになり、トミーに去られて
いた間のキャシーも、気に入った男子に
誘惑を試みるなどしていたのです。
トミーを奪ったルースの動機はそもそも
不純でしたし、二人の性交渉に荒廃の感さえ
漂うことは映画でも描かれていたとおり
ですが、その背後には「提供」とその先の
死という彼らの宿命への意識も潜んで
いるわけですね。
➎トミーの癇癪の深い意味
「藪に潜む殺人鬼」をさえ思わせたというトミーの凄まじい癇癪の叫び…。
それも収まって、ようやく落ち着いて
車を走らせながら、原作の二人は
こんな会話をします。
昔、ヘールシャムで癇癪を起すあなたを
見て「なんで、と思ってた」。
「でもね、いまふと思ったの」とキャシー。
「あの頃、あなたがあんなに
猛(たけ)り狂ったのは、
ひょっとして、心の奥底でもう
知ってたんじゃないかと思って……」
これをいったんは「違うぜ」と否定
してから、やがてトミーはちょっと
笑って言います。
「そうか、心のどこかで、
おれはもう知ってたんだ。
君らの知らなかったことをな」
たいへん微妙な部分ですね。
そうと思えば思える…という一種の
“思いなし”にすぎないのかもしれない。
ただ、上記➌のところで見たように、
彼らにとっての真実は、明確に告知
される以前に、微妙な形でじわじわと
曖昧に彼らの脳に刷り込まれている
ことが多かったのです。
これもその一つ、知恵遅れのような
ところのあるトミーだからこそ、
逆にその深い部分で探知してしまって
いたのだとも考えられるでしょう。
原作のこの”深さ”に胸を打たれます。
まとめ
さて、ご理解いただけたでしょうか?原作に忠実な映画化とされている場合も
映画では描ききれない繊細で微妙な
部分が残ること。
文芸作品の映画化でこれはほとんど宿命
ともいえますが、原作者イシグロ自身が
制作協力した『わたしを離さないで』の
場合も、やはりそれはあること。
上記の➊~➎がその例ですが、ほかにも
挙げようとすればまだまだいくらでも
挙げることができるのです。
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2019/06/never-let-me-go-195x300.jpg)
というわけで、ぜひ一度、原作小説も
読んでみられることをお勧めします。
ノーベル賞受賞も不思議じゃない…
と感服されること請け合いですよ!
👉クローン人間や臓器移植に絡む倫理的な
問題に取り組んできた日本の代表的な作家に
東野圭吾さんがありますね。
クローン人間を扱った『分身』(1993)、
脳死や臓器移植の問題を追求した
『人魚の眠る家』(2015)はこちらで。
・東野圭吾 分身のあらすじ⦅ネタバレあり⦆簡単/詳しくの2段階で
・人魚の眠る家(本)のあらすじを簡単に【&詳しくネタバレありで】
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2020/01/mermade-house-1-e1579228785309-300x257.jpg)
ところで『私を離さないで』のテーマは、
冒頭でハンサム教授もふれていた通り、
“ディストピア”(裏返しの理想郷)小説の
流れをくむもので、『ガリバー旅行記』
から『タイムマシン』『1984』『時計
仕掛けのオレンジ』に連なる、イギリス
文学の最も先鋭な部分でもあるんですね。
芥川龍之介の『河童』が学んでいるらしい
サミュエル・バトラーの『エレホン』
というのもその一つ。
👉『河童』『エレホン』『時計仕掛けの
オレンジ』などの”ディストピア”小説を
めぐっては、こちらで情報提供しています。
ぜひご参照ください。
・河童(芥川龍之介)解説と感想文例(1200字) 暗い笑いの国へようこそ
・時計じかけのオレンジ(小説)のあらすじ 原作は映画とどう違う?
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2017/07/clockwork-orange.gif)
SFであるのと同時に一種のホラー・
ストーリーでもあり、そしてもちろん
深い主題で胸を打つ文芸作品
(とその映画化)であったわけです。
👉すぐれた文芸作品(とその映画化)を
めぐっては、あらすじなどの情報提供を
惜しみなく行っておりますので、
ぜひご参照ください。
以下はそのほんの数例。
・戦争と平和(映画&原作小説)のあらすじ【登場人物相関図つき】
・レミゼラブルのあらすじを簡単に 映画に描き切れない原作の波瀾万丈とは?
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2017/06/cosette.jpg)
・マイフェアレディのあらすじを簡単に//辛口の原作はマザコン物語?
・ティファニーで朝食を あらすじ//原作小説は映画とどう違う?
・ローズマリーの赤ちゃんのネタバレ 戦慄の結末は原作でしか読めない!
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2017/07/rosemarys-baby..gif)
・シャイニングのネタバレ 原作とキューブリック映画の違いは?
・ヒッチコックの『鳥』を徹底解説!原作はもっと怖い?
![](https://rhinoos.xyz/wp-content/uploads/2018/06/corws.jpg)
読書感想文やレポートの素材にしよう
という場合も、これだけの情報が
あればもうバッチリですよね。
ん? 書けそうなことは浮かんで
きたけど、具体的にどう進めていいか
わからない( ̄ヘ ̄)?
そういう人は、ぜひこちらを
ご覧くださいね。👇
👉当ブログでは、日本と世界の多様な
文学や映画の作品について
「あらすじ」や「感想文」関連の
お助け記事を量産しています。
参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。
・「あらすじ」記事一覧
・≪感想文の書き方≫具体例一覧
・映画のまとめと解説:最新作から歴史的名作までネタバレありで
ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/
こんなコメントが来ています