ブラックジョーク例話集:ユーモアの意味は?言えるのは頭のいい証拠?

ブラックジョーク例話集:ユーモアの意味は?言えるのは頭のいい証拠?

サクラさん
先生ってユーモアな
人ですね。

ハンサム 教授
それを言うなら
「ユーモラスな人」
でしょう;^^💦

“ユーモア”(humor)は
名詞で、形容詞なら
“ユーモラス”(humorous)
になりますから。


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サクラさん
わかっててボケたのに
マジに受けるとは、
先生の”ユーモラス”の
センスを疑います(😼)

ハンサム 教授
ホラ、それを言うなら
「ユーモアのセンス」!

サクラさん
ボケてるんだってば(😹)

ハンサム 教授
う~む。よくわからない
人だ;++💦💦

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私は自信をなくしたので
今日は君が講義して
ください。

ユーモアとは一体
なんなのか。


というわけで、本日のテーマはユーモア
中でも特にユーモアについて。

その実態ははたして何ぞや…とあくまで
クソマジメに、実際に使えるジョーク例を
数多く交えながら考察を重ねて
行きますよ~((((((ノ゚🐽゚)ノ

内容はザッと以下のとおり。



もともとの意味は“体液”

ん? もう笑いました?

だって、ユーモアクソマジメに考える
なんて、矛盾してるようでオカシイ?

ハイ、そうですね。

私はあえてボケをかましたつもり
なんですが、笑わそうと思わないで
やってたとしたら、いわゆる「天然ボケ」
ということになりますね…Y(^0^)Y。

「笑わせる技術」としてのユーモアは、
上記の色んな技術のうちでは、
この意味でのボケ(天然を含めて)に
大きく重なるものといえそうです。

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というのも、この英語”humor/humour”の
もともとの意味は“体液”。
(現在では「ヒューマー」という発音が
普通ですが、昔の発音は「ユーモア」に
近かったとのこと)

人のからだ全体を満たしているもの
ということから、心と体をまるごと覆う
”気分”というような意味になり、それが
やがて笑える”気分”というところに
落ち着いていったらしいのですね。


このような語源からしても、ユーモアには
チクリと刺すような笑いや、上っ面の
引きつった笑いとは違う、いわば
腹からの全身的な楽しさという
ニュアンスが伴っているはずなんです。

   


ユーモアのセンスがある人とない
とがあって、それは天性のもの…
という話も聞きますが、まあこれも
“体液”からして違うんだから仕方ない…
という見方もできるわけですね。

でも、それなら「センスがない」と
いわれている人は、これからどう頑張っても
ユーモアを身につけていくことは
できないんでしょうか?

        


いえいえ、そんなことはありません。

“体液”からして違うなら、その“体液”を
変えていくことを考えればいいんです。

そんなわけで、これから見ていくのは
ユーモアの意味とその磨き方、
身につける方法。

楽しいジョークや逸話を通してそれを学び、
より洗練されたユーモリスト(ユーモアの
持ち主)になることを目指しましょ~\(^0^)/

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一瞬でも心が救われる

ではまずジョークをどうぞ。

朝、その日のうちの処刑を
告げられた死刑囚が
淹れられたお茶を見ていわく、
「お、今日は縁起がいいぞ。
茶柱が立っている」

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もう一つ。

断頭台への階段を一歩一歩
上っていく死刑囚が
つまづいていわく、
「ちぇ、今日はついてねえや」

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さらにもう一つオマケです。

第二次世界大戦勃発の翌年、
破竹の勢いのドイツ軍に
押されたイギリス軍は
母国まで撤退した。
(ダンケルクの敗走)



イギリス兵の一人が言うには
「これで敵をやっつけるため
遠くまで出かけていく
必要がなくなった」

ん? 3つともちっとも笑えない?

うーん、困りましたね。

ひょっとして「ユーモアのセンスがない
と言われる人ですか?


まあ、それはそれでかまわないのですが、
これらのジョークを笑える人は、
長い人生全体でみると、笑えない人より
得をするんではないか…とは思うんです。

なぜなら(ほんのわずか、一瞬だけで
あっても)心が救われるから。

 
  

一つ目のジョークはフロイトの著作『機知』
(『フロイト全集8』所収)に出ている
ジョークに「茶柱」という日本的要素を
トッピングしたもの。

あとの二つは織田正吉さんの名著
『笑いとユーモア』(ちくま文庫👇)から
拝借したものですが、フロイトと織田さんが
ともにユーモアの核心に見ているのが、
この救いということのように思えます。


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いっしょにボケて腹から笑う

「笑わせる技術」ということで言いますと、
すでに見たように色んなタイプのものが
あって、そこには、人を救うどころか
チクリと刺したり、イジったりする
攻撃的なものもあります。

人の失敗や不細工な姿・言動をあざ笑う
(子供は無遠慮にやってしまう)場合に
その攻撃性は典型的に現れますよね。

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主としてそのような場面に注目して、
笑う人の「優越感」に笑いの本質を見よう
とした哲学者にアリストテレスや
ホッブスがいます。

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でも、たとえば赤ちゃんが生まれてまもなく
授乳後などに見せる笑いは”天使の微笑”と
呼ばれていますが、この時、赤ちゃんは
何かに対する「優越感」をもって
いるんでしょうか?

何かに優越する…その「何か」という
対象の認識さえまだない段階で、
人間はもう笑うわけです。

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してみると「優越」理論では説明
しきれないことがたくさんある…

というわけで、カント、ショペンハウアー、
スペンサー、ベルクソンなど錚々たる
哲学者たちが笑いの包括的な説明を
試みてきたんですね。

それらを一つ一つ紹介していく余裕は
ありませんので、今回は、「ユーモア」に
ついての織田さんの深い考察に学びたい
と思います。


「ユーモア」の笑いは「優越」理論で
考えている笑いからかなり遠いというか、
ほとんど正反対の位置にあるようにも
思えます。

   

というのも、「笑われる(笑わせる)人が
その言動や容姿で自分の価値を低下させ
(漫才ならボケて)、それを見た人が
笑う」…というのが「優越」理論の
基本的な見取り図。

これが、「ユーモア」においてはむしろ
「笑う人」も「笑われる(笑わせる)人」と
いっしょにボケる(価値低下する)ことで、
両方が同時に全身な楽しさを得る。

つまりは救われるという
ことだと思うんですね。

例4:ビッチに謝んなさい!

ここでもう一つ、秀逸なジョークを
ご紹介しましょう。

1990年代、ヒラリー・クリントン氏が
民主党の政治家として活躍していたころ、
この人を公然と”ビッチ(bitch)”
呼ばわりした男がました。
👉“ビッチ(bitch)”の意味についての
ややこしい問題については
こちらをご覧ください。

ビッチとは?日本語と英語でこんなに違う!その意味と侮蔑のニュアンス

 


共和党の有力政治家、ニュート・
ギングリッチ氏がその人なのですが、
彼の母親というのがまた個性的な人
として有名だったので、発生した
ジョークがこれ。

ギングリッチ・ママがいやがる
ニュートを引っ張って、
クリントン家を訪問。

通された応接間でヒラリーに
会うと、息子にこう命じた。

  


“Hey, you apologize to the bitch!”
(ほら、このビッチに謝んなさい!)

ヒラリーさんがどんな顔をしたか
想像してみてください。

顏のこわばる瞬間があったとしても、
その一瞬が過ぎれば、もう笑うしか
ありません。

もし本気で怒ったりすれば、それこそ
「あいつはホントのビッチだ」と
言われてしまうことでしょうから;^^💦

このように、人を批判・攻撃するにも
「怒らない」腹を相手に(したがって自分
にも)作らせてしまうのが、「ユーモア」
の大きな効用の一つといえるでしょう。

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例5:ローマ法王の痛風

ついでにもう一つ。

ポルトガルで発生したといわれる
ちょっと危ないブラック・ジョーク。
千鳥足で地下鉄に乗り込んだ男が
神父のとなりに座った。

ネクタイの結び目はだらしなくゆるみ、
ワイシャツには赤い口紅のあと。

おまけにジンの瓶がポケットから
はみだしている。

床に落ちていた新聞を拾って
読み始めた男は、やがて
神父に話しかけた。

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「神父さん、痛風にはどうして
なるのかね?」

神父は男の風体を一瞥してから、
諭すように言った。

不規則な生活を続け、
女性にだらしなく、大酒をのみ、
信仰がほとんどないと
なりますね



「やれやれ、情けない」

男がしょげかえったのを見て、
神父は憐れんで言った。

「いや、きついことを言うつもりは
なかったのですが……。
痛風はいつごろからですか?」

「いえ、神父さん。
私じゃないんです。

ローマ法王が痛風って
新聞に出てるんで」

 

(引用元👉 CollegeLife-Library

いかがでしょうか;^^💦

もしこの話がローマ法王その人の
耳に入った場合、どうでしょうか。

もし怒ったりすれば、ユーモアの
ない人として人気を下げてしまう
こと確実でしょう(😹)


とはいえ、ローマ法王本人が笑ってくれた
としても、その取り巻きをはじめ敬虔な
キリスト教徒たちがみれだけの度量と
ユーモアを持っているとは限りません。

この画像(👇)に気を悪くする人は確実に
いるはずなので、注意が必要です;^^💦




神を冒涜…でもOKな上質のユーモア❓

信じないと公言する人も多いとはいえ、
キリスト教が文化に深く根付いている
欧米諸国では、上の画像のような
作品が信者に不快感を与え、何らかの
問題を起こすことは十分にありえます。

ただ、独特のユーモアを発展させてきた
イギリスについてみると、そのあたりの
許容度も大きいようで、宗教界や王室・
政治家を笑いものにするジョークが
多いことでも有名です。

     


それはもちろん、ネタにされた側が
「神を冒涜した」とか「女王を侮辱した」
とかでの裁判とか、テロ攻撃とかが
まずない、成熟した国ならばこその
ことでしょう。

同国の作家、スパイク・ミリガンによる、
その種のきわめて上質なジョークを一つ。


例6:労働組合による旧約聖書

1 初めに神は天と地を造られた。

2 そして海の上には闇があった。
それはロッツ・ロード発電所の
故障のためであった。

3 神は光あれと言われた。
まあ、光はあるのだが、イースタン
電力局から、つながるのは木曜日
との回答があった。

4 神は光を見て、よしとされた。
請求書をを見て、ムッとされた。

👉ジョークで人を怒らせてしまう危険度で
いえば、日本はイギリスよりずっと危ない
国だと言えそうです。

つまり触れるとヤバいタブーが多いわけですが、
それについてはこちらで具体的に探究して
いますので、どうぞご参照ください。

プーさんも(某国では)タブー!菊・鶴・菱…なぜ禁忌に?その意味を探る

     



ムハンマド、山を動かす❓

「神を冒涜」云々の怒りを招くという
意味で怖いのは、今やキリスト教より
イスラム教の勢力ですね。

イスラム教の創始者ムハンマド(モハメット
/マホメットとも)を風刺画を載せた
フランスの漫画雑誌『シャルリー・エブド』
やそれを支持したただの高校教師などが
テロに遭っていることはご承知の
とおりです。

聖者を裸にしたり男性とディープ・キス
させたりはやはり危なすぎるユーモア
だったようです。


でも、そもそもムハンマドその人が
ユーモアのない人だったかといえば、
(イエス・キリストと同じく)そんな
ことはないはずなんです。

この伝説は彼のユーモアを存分に
示していないでしょうか。
ムハンマドは山を動かすという
奇跡を行うと公言し、集まった
大勢の見物人を前に、遠くの山に
向かって叫んだ。

「おーい、山よ。こっちに来い!」

山は動かないが、ムハンマドは
再び山に向かって叫ぶ。

「おーい、山よ。こっちに来い!」

  
   (画像出典👉 World News Bureau


三度やっても同じなので、
民衆は失望した。

ここでムハンマドいわく
「諸君、ご覧のとおり、私は山に
向かって三度も呼びかけた。
しかし、山は動かぬ。となれば、
この上は、私が山に向かって
歩いて行くよりほかはない。」

こうして彼は山に向かって
スタスタと歩み始めた。

これは日本では夏目漱石が小説『行人』に
挿入したことでよく知られていますが、
その典拠となったフラシス・ベーコンを
含め、ヨーロッパでは多くの文人に引用
されている逸話。

ここから一休さんの頓智を連想した人も
あるでしょうし、各自がいろんな教訓を
自由に読み取ることのできる奥深い
笑話といえるでしょう。

これぞ真のユーモアだ!…とさえ?

そういえば、一休も禅(臨済宗)の僧侶
ですが、これはいわゆる禅問答の笑いに
通じているのではないでしょうか。

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「呵々大笑」に説明はない

さて、このように「ユーモア」の語はとても
広範囲に使われるようになっているものの、
本来の「ユーモア」は、たとえばムハンマド
の逸話や一休の頓智のように、なんらかの
形で救いをもたらす、ありがたいもの。

この意味では宗教とはむしろ通じ合う
部分が多いはずで、たとえば禅で古来
重んじられてきた呵々大笑というのも、
この意味でのユーモアと一体でしょう。

    laughing-buddha-1041993_640

禅のお坊さんは、勝手に笑い出すのが
基本パターンで、なぜ笑うのか、どこが
可笑しいのかを相手に説明してくれる
ことはありません。

それは「不立文字」(ふりゅうもんじ)
という禅の伝統に反する…
ということかもしれません。


だから笑えない人はいつまでたっても
笑えず、「縁なき衆生」ということに
されてしまうことにもなりますね。

「ユーモアのセンスがない」というのも
これと同じ意味で「縁なき衆生」という
ことになるのでしょうか?

      


そのへんもまた微妙な問題で、うかつに
どうこう言えません。

でも、もし日本史上の有名人物のうちから、
「ユーモアのセンス」ゼロだった者を
挙げてみよ、という問題を出されたら
どう答えます?

私の回答は、かの大英雄にして
悲劇の闘将、源義経その人!


戦いのさなかにもユーモア?

義経率いる源氏軍が屋島(香川県)の
平知盛の軍を急襲し、激戦となったのが
有名な「屋島の戦い」。

弓の名手、那須与一が扇の的を射落とす
という有名な逸話が発生するのは
この戦さの期間中のことでした。

  屋島の戦い300px-Yasima
  「扇の的」(『平家物語絵巻』より)


でも、これちょっと不思議な話では
ないですか?

戦争の最中に相手方が「射てみよ」と
船上に扇をかかげるなんてこと、
あったんでしょうか。


今ではちょっと考えられないことですが、
このころの日本にはあったのです。

少なくとも『平家物語』にはそう語られて
いて、これは、日没後の休戦時間に
平家側から余興として提案された
一種のゲームだったんですね。

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風流心もユーモアもない義経

ゲームは開始され、絶対しくじるな
という義経の厳命を受けた与一は
ものの見事にこれを射落とします。

問題はそのあと。


与一の金メダル級の射的を寿ぐかのように
平家の船上に50歳ほどの武士が出て、
長刀を振るう舞いを舞い始めたのです。

ためらった与一に伝達された
義経の命令は「やれ」。

与一の放った矢がたちまちこの武士の首を
射抜いたことは言うまでもありません(ドクロ)。

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「あ、射たり」といふ
人もあり、又
「情けなし」といふ
者もあり。


まあ「情けない」というか、なんというか…
それは義経にも種々の事情があったでは
ありましょう…。

ではありましょうが、それにしても
『平家物語』に描かれた義経には
ユーモアのカケラも見ることが
できないわけですね。

   

いや、これはむしろが貴族化して武士的
精神を失っていた平家側を責めるべきだ?

いやいや源氏側にも、この余興をともに
楽しもうとした人もいたはずで、だから
与一もためらったし、家来たちは
どうしましょうかと義経にお伺いを
たてたわけですね。

義経はそんな躊躇を問題にしなかった…。
👉そんなヤツだから兄貴の頼朝に嫌われ
(あるいは極度に警戒され)たんだとかの憶測は
控えるとしても、この義経さん、牛若丸時代から
相当にガサツで荒っぽい人であったことは
たしかのようです。

こちらの記事もご参照を。

京都のつつじなら蹴上浄水場!🌸2021GWも義経激怒の地へ

平家物語のあらすじを簡単に!€”滅びの美”を現代語訳で読もう

     fan



物事のウラを見る⦅ジョーク2例⦆

義経の頭の中は「戦さに勝つ」という
クソマジメな一事に完全に塗りつぶされて、
それ以外の光は一切さすことのない、
真っ暗闇だったのかなあ…
と思えてきます。

このようにまったく脇目を振らない心理・
性格を(クソ)マジメと呼ぶとしたら、
この意味でのマジメと「ユーモアの
センスがない」という事態とは、
とてもよく似ていますね。

   

もちろんマジメをやめなさいとは
言えませんし、戦場のような場所では
へたにユーモアをもとうとすれば、
長刀の舞を始めた平家の武士のように
瞬殺されてしまうのかもしれません。

ただ、いつでもどこでも義経のような
一方向的なマジメさだけに生き続ける
なんて、なんともやりきれない。

人間、苦しむために生まれたのでは
ないはずですから。

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だから適度に楽しい人生のためには、
上手に(ドジを踏まないよう臨機応変に)
ユーモアをもつことを心懸けるのが
よろしいんではないでしょうか。

でもワタシ、人にもよく言われるんですが、
どうもそのセンスがないんです(😿)?

   


でも、そういう風に自分から言えた
だけでも、ユーモアのセンスが少しは
あったんだともいえますよ。

そういう人がユーモア・センスを鍛えて
いくのにも色んな方法があるんでしょうが、
とりあえずここでお勧めしておきたいのは
”物事のウラ(裏面)を見る”視線を養うこと。


たとえばこんなジョークはどうでしょう。

求愛する男「僕はあなたに
この胸のうちを見せたい」

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女「まあ、素敵なシャツね」

もう一つ。

アメリカ人「うちの農場を一回り
すると 5日もかかっちまうんだよ」

ドイツ人「私も持っていましたよ、
 そういう欠陥車」

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どちらも相手方は、最初の人物に見えて
いないウラ(裏面)をひっくり返して
見せてくれているわけですね。


あるいはもう少しマジメに、こんな話。

小学校の庭によく像の置いてある二宮金次郎
(尊徳)について、鋭敏なユーモリスト、
芥川龍之介がこんなことを書いています。

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貧家に育った尊徳は昼も夜も大人のように
働きながら「健気(けなげ)にも独学を
つづけて行ったらしい」が…

けれどもこの立志伝は尊徳に
名誉を与える代りに、当然
尊徳の両親には不名誉を
与える物語である。

彼等は尊徳の教育に寸毫の
便宜も与えなかった。
〔中略〕これは両親たる
責任上、明らかに恥辱と
云わなければならぬ。
    (「侏儒の言葉」)

そのことを忘れて尊徳を鑑(かがみ)と
たたえる親や教師は「無邪気」なものだ、
と芥川は憫笑するのです。

たとえばこれが二宮金次郎物語のウラ
ですが、ウラを発見したからといって
いちいち口に出さなくてもいい。
(言えば怒られるかもしれない)

心に思って、ひそかに笑っていれば
いいんですよ。

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こういう物の見方が習慣化していけば、
あなたの視線は”複眼”になり、一つの
物事もいろんな風に見えてきます。

そうなると、上で義経に見たような
一方向的で暗~いマジメさは薄れて
行くことでしょう。

それと同時並行的に「ユーモアの
センス」も育ってくるはずなんです。
👉一般的な物語のウラを見る小説を
芥川はもちろん、太宰治も多く書いています。

こちらの記事などをご参照ください。

桃太郎の真実は悪?「悪くない鬼を退治した」から?

かちかち山のあらすじ💛兎は怖い?太宰治版”カチカチ山”はもっと怖い?

      桃太郎002



まとめ

もうわかりましたよね。

人間、基本的にマジメに生きるべき
なのは当然ですが、クソマジメ一色で
笑いの入り込まない人生なんて…
う~ん、どうなんでしょうか。

人生で出会う物事の一つ一つにウラ
発見してフフッと一人で笑う。

それを繰り返すうちに、あなたの
「ユーモアのセンス」は徐々に鍛えられ、
同時に備わってくる”複眼”によって
知性にも磨きがかかるはずなんです。

     


一人で笑うなんてできない…という人は
無理にでも(可笑しくなくても)
やってみましょう。

むりやり口角を上げてガハハハハー
ヾ(。`∀´。)ノと笑ってみるんです。
👉とにかく笑うことだけで、
「センス」はともかく健康を
増進することはたしかです。

それが作り笑いであっても効果が
あると科学的に証明されています。

こちらを参照してください。

作り笑いも効果あり😸笑う門には頭も冴える…その科学的根拠!

   osn0039-049

また落語などの笑いの世界に
興味をお持ちの方は
こちらもどうぞ。

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ついでにいうと、笑い方は、ヒヒヒとか
フフフとかでなく、口を大きく開けた
「ガハハハハー」という豪快な笑いが
呼吸も筋運動も最大になって効果的!

さあやってみましょう、
ガハハハハー///(^0^)///


”まじめ”にやってる自分が可笑しくて
笑えたら、しめたもの。

あなたはもう立派な
ユーモリストですよ(*~▽~)💦



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