山椒魚で感想文/批評文どう書く?800字/400字の例文つき
で感想文を書かなきゃ
いけなくて困って
ます(😿)
なんてキモいだけで、
興味ないし…
あれは人間だと
考えるんです。
せいで岩屋のような閉所に
閉じ込められ、挙句に
迷い込んできたカエルを
巻き添えにする…
こんなこと人間以外の
誰がしますか?^^💦
人間のことだと思えば
感想文も書けますね
山椒魚と蛙のドラマを
君自身の人生に照らすと
何が見えてくるかな?
というわけで、”感想文の書き方”
シリーズ、今回は、中学・高校の
国語教科書に掲載されている井伏鱒二の
有名な短編小説『山椒魚』(1923。
初出時のタイトルは幽閉」)で
行ってみま~す((((((ノ゚🐽゚)ノ。
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👉まだ読んでいない人は
こちらの記事で「あらすじ」だけでも
仕入れておいてくださいね。
・井伏鱒二 山椒魚のあらすじを簡単に紹介
さて、そんなわけで、本日は『山椒魚』の
感想文をどう書くか、その実例を示した
上で、さらにその先へ進んで、この作品の
特異な成り立ちや作者の周辺について、
有益な情報を提供してまいります。
そんなわけで、内容はザッと
以下のとおり。
読書感想文(800字の例文)
はい、ストーリーがしっかり理解できたら、さっそく感想文に取り組みましょう。
まずはみなさんのために字数制限800字
(400字詰め原稿用紙2枚)でハンサム
教授が試作した文章をお目にかけます。
たんなる感想でなく論理的・批判的な
突っ込みもありますので、「批評文」を
求められている場合でも十分通用する
と思います。
心に残ったのは、最後の場面で
もう死にそうな蛙が「お前は今何を
考えている」のかと山椒魚に聞かれて
答える「今でも別にお前のことを
怒ってはいないんだ」という
言葉だった。
岩屋から出たいのに出口をふさがれて
餌をとることもできないまま生殺しに
されてきたのに、なぜ怒らないのかと
不思議に思えたのだ。
だが、今回読み返して蛙が
「今でも」と言っていることに
気づいた。
「今でも」というなら、以前は
怒っていなかったはずである。
それがいつからのことなのかは
書いてないので不明なのだが、
ひょっとしたら閉じ込められた当初
から、蛙は山椒魚と口論しながらの
岩屋での生活をむしろ楽しんでいた
ということなのではないだろうか。
あるいは本当に怒っていたけれども、
死期を自覚した時には考える力も衰えて
認知症のような状態で、怒ったこと
自体さえ忘れてしまったという
ことなのだろうか。
どちらの解釈も可能だと思うが、
私はこの展開に作者がなんらかの
寓意を込めているように思われて
ならない。
たとえば人間と人間との間での感情が
長い年月を経て微妙に変化していく
ことを比喩的に暗示しているような
気がする。
そのような関係の典型として
「夫婦」もあるのではないだろうか。
そう思ったのは、昨年なくなった
祖母が、病床で母と私とを前にして
「おじいさんのことはもう怒って
いない」という意味のことを
言っていたことが印象に残って
いるからだ。
親の意向で仕方なく結婚したという
祖母にとって、夫婦生活は当初、
山椒魚に閉じ込められた蛙と同じく
不自由でつらいものであった
のかもしれない。
が、最終的には蛙と同じくそれを
受け入れ、楽しむことができたので
あれば「災いを転じて福となす」類の
よい人生だったともいえる。
物の考え方次第で、岩屋での生活の
ような絶望状態にも光は差す。
そのような励ましをこの小説から
受け取ることも、読み方次第で十分
できるのだと思った。 (799字)
どうです?
うまくまとまっているでしょう。
これをそのままコピペすることは
もちろん厳禁ですが、適宜、自分らしい
ものに文章を変えて使ってもらうのは
かまいませんよ~;^^💦
ん? これでは長すぎる?
なにしろ400字以内で書くという
宿題だから?
それなら上の800字から「あらすじ」
部分など、なくてもよさそうな部分を
カットして、ギュッと縮めれば
いいんですよ。
たとえばこんなふうに。
感想文の例(400字)
蛙が山椒魚に言う「今でも別に
お前のことを怒ってはいないんだ」
という言葉だった。
山椒魚によって自由も食料も奪われて
きた蛙が怒らないのは不思議だし、
「今でも」怒っていないという以上
ずっと前から怒りはなかったはずで、
そこも意外である。
あるいは当初から、山椒魚と口論する
毎日を楽しんでいたのだろうか。
この展開にこめられた寓意として
たとえば「夫婦」のような長期にわたる
人と人との感情の微妙な移り行きという
ことがあるのではないだろうか。
そう思えるのは、昨年死んだ祖母が
病床「おじいさんのことはもう怒って
いない」と言っていたことを思いだす
からで、祖母にとっての夫婦生活も
当初は不自由でつらいものだった
としても、最終的にそれを楽しめた
のなら、よい人生だったともいえる
わけである。
物の考え方次第で、絶望状態にも
光は差す、という励ましを私は
この小説からもらった気がする。
(391字)
どうです?
みごと400字に縮めたでしょう。
これももちろんコピペはダメですが、
適宜、変更して使ってください。
ん? 400字や800字では短い?
1200字以上の読書レポートを
要求されている?
そういう場合は、さらに別の話題を
持ってきて入れ込めばいいんです。
たとえば上記のハンサム教授の例文の
内容に関連するもので、こういう
トピックもあります。
作者自身にも迷いがあった
作者の井伏さんが、1985年(昭和60年)、『井伏鱒二自選全集』の刊行に際して、
上記の記事の「あらすじ」のうち紫字にした
部分をすべて削除してしまうという
事件がありました。
その結果、『自選全集』版「山椒魚」は
次のように結ばれることになったのです。
更に一年の月日が過ぎた。
二個の鉱物は、再び二個の生物に
変化した。
けれど彼等は、今年の夏はお互い
黙り込んで、そしてお互いに自分の
嘆息が相手に聞こえないように
注意してゐたのである。
どう思います?
「今でも別にお前のことを怒っては
いないんだ」という蛙の発言も
削除によって消えてしまいましたから、
1985年版「山椒魚」では、蛙の考えて
いることも、また山椒魚がそれを知り
たかった否かもわからなくなりました。
1985年当時、この削除が大いに物議を
かもしたのも当然ですよね。
「あの部分があるとないとでは
別の作品になってしまう。
作者だからってそんな権利はない」
と批判する声も上がって、作者本人も
その後のインタビューで「直さないほうが
よいようだなあ」と迷いを口にしていた……
(Wikipedia)
というほどの微妙な問題ですので、もしこの
「削除」についてどう考えるかを書くことが
できれば、それはかなり高度な感想文に
なるはずなんです。
そぎ落とす「俳句の美学」
え? お前はどう思うのか?そうですねえ( ̄_ ̄ i)。
私としては、削除してもしなくても、
どちらにしても名作だろうとは思います。
ただ、削除しないで最後の二匹の心の
通い合いを描いた方が作品世界の
理解可能性は高くなり、そのぶん
国際的評価も受けやすいでしょう。
逆に、削除すれば、理解可能性が低く
なりはしますが、そのぶん、作品が
”暗示する”世界の方が広がり、読者の
想像力をかきたてる力という意味での
芸術性が高まるんじゃないでしょうか。
この種の芸術性は、実は、夏目漱石や
その親友で俳句の師匠だった正岡子規が
俳句の美をめぐってさかんに強調した
ところで、たとえば漱石は、弟子の
寺田寅彦に「先生、俳句とは一体
どんなものですか」と問われて、
こう即答しました。
扇のかなめのような集注点を指摘し
描写して、それから放散する連想の
世界を暗示するものである。
(寺田寅彦「夏目漱石先生の憶い出」)
この美学からしますと、たとえば有名な
この俳句
朝顔に
つるべ取られて
貰い水
(加賀の千代女)
なんざ、漱石には「拙句」と一蹴され、
子規にいわせれば「俳句にあらず」
ということにさえなります。
👉詳細はこれらの記事を
参照してください。
・夏目漱石「月が綺麗ですね」の出典は?I love youはこう訳せ?
・芭蕉の俳句 古池や… その意味はどこに?太宰・子規・漱石に聞く
・俳句と川柳の違いは?子規・漱石にその極意を尋ねれば…
あなたが山椒魚なら?
ともかく、こういう考え方に立つと、1985年版「山椒魚」の結末削除も「正解」。
「お互いに自分の嘆息が相手に聞こえない
ように注意してゐたのである」という
締めも「連想の世界を暗示することにおいて
秀逸である……というような褒め方も
可能になってきます。
でも、もちろん、小説は俳句ではない
わけですし、そこはやはり賛否の
分かれるところでしょう。
登場人物になりきって「自分なら……」を
しっかり考えてゆくためには、削除されない
ほうがありがたい、とも言えますよね。
ともかく何度も読み返し、「自分なら」
どうするかを考え、なるべく「前向き」の
結論につなげてゆきましょう。
それができれば高評価、コンクールなら
金賞も夢ではありませんよ~(^O^)/
👉井伏の戦後の長編『黒い雨』も名作。
これを読むことで『山椒魚』の理解も
深まるかもしれません。
こちらの記事を参照してください。
・黒い雨(井伏鱒二)のあらすじ:簡単/詳しくの2段階で
・黒い雨(井伏鱒二)で読書感想文∥今村昌平映画も参考に
さあ、これだけの情報があればもう
バッチリですよね、読書感想文。
ん? 書けそうなテーマは浮かんで
きたけど、でもやっぱり自信が…
だってもともと感想文の類が苦手で、
いくら頑張って書いても評価された
ためしがないし(😿)…
具体的に何をどう書けばいいのか
全然わからない( ̄ヘ ̄)…?
う~む。そういう人は発想を転換して
みるといいかもしれない;^^💦
そもそも日本全国で盛んに奨励されている
読書感想文の発祥の源は「コンクール」。
各学校の先生方の評価基準もおのずと
「コンクール」での審査に準拠する
形になっているのです。
だから、読書感想文の上手な人は
そのへんのことが(なんとなくでも)
わかっている人。
さて、あなたはどうなのかな?
👉「コンクール」での審査の基準を
知るには、実際に出品され大臣賞などを
受賞している感想文をじっくり読んで
分析してみるのがいちばんの早道。
こちらでやっていますので
ぜひご覧ください。
・読書感想文の書き方【入賞の秘訣4+1】文科大臣賞作などの分析から
・セロ弾きのゴーシュで読書感想文!コンクール優秀賞作(小2)に学ぶ
・アルジャーノンに花束を の感想文例!市長賞受賞作【2000字】に学ぶ
そちらで解説している「書き方」を踏まえて
当ブログでは多くの感想文例を試作し
提供してきましたが、このほどそれらの
成果を書籍(新書)の形にまとめることが
できましたので、ぜひこちらも
手に取ってご覧ください。
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買う前にその「予告編」が見たい
という人は、こちらでどうぞで。
・読書感想文 書き方の本はこれだ!サイ象流≪虎の巻≫ついに刊行!!!
👉上記の本『読書感想文 虎の巻』は
当ブログで提供し続けてきた「あらすじ」や
「感想文」関連のお助け記事のほんの一部
でして、載せきれていない記事もまだまだ
沢山あります。
気になる作品がありましたら、
こちらのリストから探して
みてください。
・「あらすじ」記事一覧
・≪感想文の書き方≫具体例一覧
ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/
私的に、「彼は上の方を見上げ、かつ友情を瞳にこめてたずねた。」というところだけ削ったら良かったんじゃないかと思います。
全部とっちゃったら訳が分からないじゃないですか。
うーむ。それでもいいかもしれませんね。
ただ、削ったときの井伏さんとしては、
その後の二人の感情の交流を書いてしまうのは
「(手の内を)見せすぎ」で、これは「暗示」に
とどめたい(読者の想像に任せたい)という
気持ちが強かったんだろう、というのが
私の見方です。