読書の秋の由来は?「灯火親しむべし」と漱石『三四郎』にもあるが…
やあやあサイ象です。
さ~あ読書の秋、どんどん本を
読みましょう!
ん? でもなんで”読書の秋”
なんでしょうかね?
今日はその由来をつきとめてから、
あらためて上手で賢い読書の方法などを
探求していきたいと思います。
「燈火親しむ」と漱石『三四郎』
まず「読書週間」というのがありまして、これが毎年10月27日から11月9日までの
2週間に固定されています。
そこから「読書の秋」になった?
いや、そうじゃなくて初めに「読書の秋」
ありきで、それに合わせて「読書週間」が
設定されたんじゃないの?
ハイ、そちらが正解のようです。
そもそもの「読書週間」(期日は今と違う)
が始まったのが大正13年(1924)ですが、
新聞データベース(朝日の『聞蔵』、読売の
『ヨミダス』など)で調べますと、「読書の
秋」というフレーズの用例がそれより早い
大正7年から見られることがわかります。
これを裏返しますと、「読書の秋」は
けっこう新しい言い方であって、
明治以前の日本人はそんなことを口に
しなかった…ということなんですね。
それでは「なんでそう言いだしたか」という
問題ですが、これに関してよく持ち出される
のが夏目漱石の小説『三四郎』(明治41年)
の次の一節。
そのうち与次郎の尻が
次第に落ち付いて来て、
燈火親しむべしなどという
漢語さえ借用して
嬉しがるようになった。
(四の六)
「読書の秋」はこれに始まる!
なんて短絡しているサイトも散見しますが、
もちろんそんなことは言えません。
ただここからわかるのは「燈(灯)火
親しむべし」というフレーズが「秋」を
指す決まり文句として当時の日本人に
よく知られていたこと。
与次郎は三四郎の友達で少々オッチョコ
チョイな男なんですが、彼が尻を落ち着け、
「燈火親し」んで何をするかといえば、
やはり「読書」…それは当時も今もそう
思うのが常識なわけです。
「燈火親しむ」はどこから?
さて、それでは「燈火親しむべし」という漢語のルーツを突きとめておきましょう。
これ、唐代の文人、韓愈の「符読書城南」
という漢詩(『全唐詩』341巻)から
来ているんですね。
原詩と書き下し文は以下のとおり。
時秋積雨霽
新涼入郊墟
燈火稍可親
簡編可卷舒
時秋にして積雨(せきう)
霽(は)れ、
新涼(しんりょう)郊墟
(こうきょ)に入(い)る。
燈火(とうか)稍(ようや)く
親しむ可(べ)く、簡編
(かんぺん)巻舒(けんじょ)
す可(べ)し。
いちおう注釈しますと、「積雨」は長雨、
「郊墟」は郊外の丘陵地、「簡編」は書物、
「巻舒」は巻いたり広げたりすること。
で、全体の意味は要するに「秋の夜は
燈火の下での読書すべきだ」ということで、
日本語にしてしまうとなんてことなく、
詩にもならない感じですが、漢詩としては
立派…なんでしょう(たぶん)。
ともかくこれが『三四郎』に注釈なしに
出て来るということは、当時の日本人が
たいがい知っていたことを示しています。
だから探せば明治期のいろんな文章に
出て来るはずですから、これが出ることを
もって「読書の秋」が『三四郎』に始まった
という話にはならないんですね。
要は、韓愈の詩の「時秋にして積雨霽れ…
燈火稍く親しむ可く」というフレーズが
古くから日本人に親しまれて来たことに
よる、というのが正解でしょう。
何をどう読めばいいの?
ともかくそんなわけで、なにしろ“読書の秋“。
どんどん本を読みましょう。
でも、だからといって、なんでもかんでも
やたらとガバガバ読みゃーいい…って
もんでもありません。
読んでる間は面白くても、読み終わって
みると、な~んにも残ってない…
もちろんそういう本も、娯楽に読んで心が
元気になるんなら、それはそれで
いいんですが、いつもそういうもの
ばかりだと進歩がないので、たまには
“身になる”ものを読みたいですね。
勉強や仕事にただちに役立つわけではない
としても、今後生きていく上で、いつか
生きてくる…人生の肥やしになる
ようなもの。
さて、それでは、いったいどんな本を
選んでどう読んでいけばいいのでしょうか。
これついても、いろんな人がいろんなことを
言っていて、あれこれ見ていくと混乱しそう
ですので、ここは一つ『三四郎』の
漱石先生にもう一度、ご登場を
願いましょうか。
明治39年といえば『三四郎』の2年前
ですが、東京帝大講師の身で『吾輩は
猫である』や『坊っちゃん』で一躍
スターダムに躍り出た漱石がある雑誌に
寄せた談話「余が一家の読書法」です。
「読書の法」には種々あるが、自分が
効果あると思うのはこれだ…
と漱石先生、諄々と説くには
曰く自己の繙読しつつある
一書物より一個の暗示
(サゼツシヨン)を得べく
努むることこれ也。
〔中略〕
或暗示を得んことを心懸けて、
書に対すれば、吾人は決して
その書の内容以外に何等の
新思想、新感情を胎出する
こと能はざるやうなる
場少なかるべき乎(か)。Sponsored Links
古臭い文章でわかりにくくなって
いますが(これは雑誌記者のせい)、
要するにこういうことでしょう。
その本に書いてある「内容」を
ただそのまま受け取るのではなく、
何かそれ以上の暗示を受け取ろう
と意識しながら読むとよい…
そこから自分独自の「新思想、
新感情」が芽を出すこともあるから。
ページに目をはわせて、ただ読むのでは
なく、そこに立ち上がる暗示を
キャッチしようと目を光らせて”創造的”
(クリエイティヴ)に読み込むのです。
漱石のキーワード「暗示」
ところで、ここに出て来ている暗示は“suggestion”という英語の訳語ですが、
私見では漱石の重要キーワードの一つです。
理論的な主著である『文学論』の後半とその
草稿としての意味をもった『ノート』は
このキーワードであふれかえっています。
そもそも暗示の偉大なパワーについて漱石が
深く考え始めたは、一つには日本に入って
来たばかりの「催眠術」に驚いたこと。
もう一つは大学予備門時代から親友の
正岡子規と切磋琢磨した「俳句」の
修練を通してだったようです。
俳人として認められ始めた明治29-30年の
ころ、漱石は熊本の第五高等学校の教授
でしたが、そこの生徒だった寺田寅彦に
「先生、俳句とは一体どんなものですか」
と問われて、こう即答したといいます。
描写して、それから放散する連想の
世界を暗示するものである。
(寺田寅彦「夏目漱石先生の憶い出」)
立ち上げられた「扇のかなめ」(集注点)
から放散し暗示される連想の世界を
読者各自が心に描く。
ここに俳句の暗示力があるわけですが、
この力を俳句にとどめず、あらゆる作品、
あらゆる書物から受けとるようにしたまえ。
実際、自分はそういう読書をして
きたのだ、と漱石は言うわけですね。
👉「暗示」をキーとした漱石独自の
俳句観については、こちらの
記事もご参照ください。
・松尾芭蕉の俳句「古池や」の意味は?太宰・子規・漱石に聞く
・井伏鱒二 山椒魚:結末部分の削除を”俳句美学”で解釈すると
ちなみに『三四郎』や『吾輩は
猫である』についてはこちらで。
・夏目漱石 三四郎のあらすじ 🏫簡単/詳しくの2段階で解説
・夏目漱石 吾輩は猫であるのあらすじ 😸簡単/詳しくの2段階で
ニュートンのりんご、ガリレオのランプ
ただ漱石のいう暗示は、むやみやたらに発生するものではありません。
『ノート』ではこれにいろんな説明を
加えていますが、わかりやすいのは
「ニュートンのりんご」「ガリレオの
ランプ」を持ち出して、これを仏教的な
「因・縁・果」の原理で説明したところ。
これら「りんご」や「ランプ」は
「縁」として科学者の脳をヒットして
暗示(果)を発生させたわけだが、
それは彼らの脳にあらかじめそれを成立
させるだけの「因」が備わっていたから
こそ可能になった事態なのだ、と。
(『漱石全集』21巻、p.190)
つまり、人はそれぞれ自分のうちに
自分でも十分には意識できていない、
持ち前の「因」を豊富に蓄えています。
それをヒットしてくれるような「縁」との
出会いがあってはじめて暗示という
果実が得られる。
だから、どんなものが来ても「縁」になる…
というわけではないのですね。
これは読書の場合も同じことで、
この意味での「縁」になってくれそうな、
自分の「因」に適した本を選ぶことが
できれば、それがベスト…
ではありますよね。
ただこの「因」は自分でも意識できていない
部分が大きいので、何が暗示をくれそうか
(何に「縁」があるか)の見極めはやはり
なかなかムズカシイということになります。
そこで、みなさんが自分に適した本を
探していく上で少しでもお役に立てればと
書きためてきたのが当ブログの「あらすじ」
・「感想文」のシリーズなんです。
👉こちらのリストから自分に
合いそうなものをさがして
みてください。
・本の≪あらすじ/まとめ≫記事一覧
・≪感想文の書き方≫具体例一覧
まとめ
いかがでした?「燈火親しむべし」という漢語を
借用して与次郎も嬉しがるこの時節、
さあ、みなさんも読書に励みましょう。
ただ、漱石先生の教えのとおり、なんでも
かんでもやみくもに読むのではなく、自分の
「因」にヒットする「縁」のありそうな本を
さがし、そこからなんらかの「暗示」を
受けようと積極的に求めながら読むこと。
これに心懸けた読書を続ければ、
きっと未来が開けます。
漱石先生なみに偉くなれるかもしれない…
(保証はしませんが;^^💦
ともかく頑張って読みましょー~~(^O^)/
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