マディソン郡の橋は嫌いってなぜ?映画と本(小説)の違いを押さえて考察
って甘~いロマンス
映画かと思ってたら、
むしろ渋いというか…
とにかく嫌いだという
人も結構いらっしゃる
ようですね(😸)
物語ですから、裏切ら
れるれ夫の側に立てば
たまったもんじゃない
ですよね;^^💦
大好きだというファンも
多いわけですが、これは
やはり無意識的にであれ
不倫願望を抱えている
人が多いということ
でしょうか(🙀)
でしょうか;^^💦💦
ともかく言えるのは、
映画での表現は映像が
主体で、言葉は切り詰め
られていく。
だから登場人物が何を
考えているのかの解釈が
余計にむずかしいという
こともままありますね。
ついてどう考えている
かは、原作の小説本を
読まないとわからない?
映画を見て「嫌い」と
思った人も、原作小説を
じっくり読めば、彼らの
ツラさも、いっそう心に
しみてきますから、
「好き」に変わるかも
しれません。
長いし、通読するのも
大変そうですね。
思って、原作に依拠した
あらすじを用意して
いますので、まずは
そちらをどうぞ。
というわけで、おなじみ”あらすじ”
暴露サービスの第165弾
(“感想文の書き方”シリーズ第231回)は
クリント・イーストウッド監督・主演の
『マディソン郡の橋』(The Bridges of
Madison County,1992)((((((ノ゚🐽゚)ノ
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大好きというファンの多い一方で、
大嫌いという不評も聞こえてくるこの
人気作(&問題作)のあらすじを、原作の
同名小説(ロバート・ジェームズ・
ウォラー作。1992)とも付き合わせて
違いを確認しながら、詳しくたどって
いきたいと思います。
かなり詳しいあらすじ
それではさっそく参りましょう。映画の脚本は原作にかなり忠実に
作られていますので、基本的に小説の
方に依拠しながら、かなり詳しく
「あらすじ」を記述していきます。
「起承転結」の4部に分けていますが、
これは読みやすさのための私の勝手な
配慮であって、原文にあるわけでは
ありません。
あらすじ中、「 」内や「”」印の
囲みは上記文庫本からの引用。
また映画が大きく変更している部分
などに👉印の注釈を入れていきますが、
不要と思われる場合は飛ばしてください。
いやいやそんなに詳しいことは必要ない、
「ネタバレなし」の概略だけでいいんだ
という方は、こちらの予告編(👇)を
どうぞ。
【起】
1965年8月。世界各地で仕事してきた52歳のカメラマン、
ロバート・キンケイドは、『ナショナル・
ジオグラフィック』誌の企画で、珍しい
屋根付きの古い橋を撮影すべくアイオワ州
マディソン郡へと小型トラックを走らせる。
芸術方面への勉学意欲を持ちながら
大学には行けなかった成育環境や、
周りをあまり気にかけない自分の生き方、
5年の結婚生活のあと離婚したメリアンの
ことなどを思いだしながら。
マディソン郡の農家の主婦、フランチェスカ
・ジョンソン(45)は、今朝方、イリノイ州の
農産物共進会に行く夫のリチャードと
二人の子、マイケル(17)とキャロリン(16)
を送り出して、4日間の留守番を
始めたところ。
彼女はイタリア育ちで、ナポリの大学を出て
女子高で教えていたが、第二次大戦後、
米軍兵士リチャードに連れてこられる形で
結婚し、ここに住んで20年になる。
こちらでも教員免許を取って何年か高校で
英語を教えていたが、夫の意向で退職し、
今は専業主婦。
玄関のポーチでアイス・ティーを飲んでいた
フランチェスカの前で小型トラックが
停まり、出てきたロバートが「屋根付きの
橋」への行き方を尋ねる。
その容姿としぐさに、瞬時に動かされた
彼女は、自分でもなぜかわからないまま
「案内してあげましょうか」と申し出る。
車中で話し、同じ詩を知っているなど
世界を共有する二人は心を重ねていく。
Roseman bridge, Madison County, Iowa, USA
実在する「ローズマン・ブリッジ」の周辺地図
👉映画ではフランチェスカの郷里、バリという
小さな町をロバートがかつて訪れており、
しかもそこがただ美しいと思って途中下車
したこと、また昔彼女が坐ったカフェの
椅子に彼も坐ったことなどが話題に
上りますが、これは小説にはありません。
この奇遇による追憶がフランチェスカの
心を溶かす要因の一つともなったようで、
あまりにも急速な愛の進展に説得力を
もたせるための巧みな設定と言えそうです。
もう一つの変更としてロバートの美貌を
挙げるべきでしょうか。
映画では年齢への言及はありませんが、
撮影時65歳ながら、イーストウッドは
異論の余地なくハンサム。
これが原作では「ハンサム」でも「醜男
(ぶおとこ)」でもないが、「なにかがあった」
とされているだけなのですね。
ちなみにフランチェスカも映画では年齢が
言われることはありませんが、原作で45歳の
ヒロインを演じたメリルはこの時46歳。
【承】
ローズマン・ブリッジでの下見をすませたロバートは、フランチェスカに
「ガイド付きツアーをありがとう」と
オオハンゴンソウの花束を渡す。
日本でも見かけるオオハンゴンソウ
(大反魂草)は北米原産の外来種
👉映画ではこれが青い花を主体にした
何種類かの野草で、「でもそれ毒草よ」と
フランチェスカが言い、ぎくっとした
ロバートの手から花が落ちます。
そこで「冗談よ」とフランチェスカが
大笑いし、これがまた二人の距離を埋める
ことになるわけですが、それにしても、
笑いも泣きもメリル・ストリープの演技は
天下一品、さすがです。
トラックが自宅へ戻ると「ロバート・
キンケイドがもっと欲しかった」
フランチェスカは、暑いからアイス・
ティーでも?とロバートを招き入れる。
ロバートに勧められて、長くやめていた
煙草を久々に吸いながら、彼女は誰にも
言ったことのない告白をする。
ここでの暮らしは悪くはないけれども
「少女のとき夢見ていた生活じゃ
ないんです」と。
少し間をおいてからロバートは、
いつか使おうと思ってノートに書き
とめてある言葉を紹介する。
昔の夢はいい夢だった。
かなわぬ夢ではであったけれど、
夢を見られたのは幸せだった。
フランチェスカはこのとき初めて深い
笑みをもらし、「一か八か賭けてみよう
という気になっ」て、「夕食を
ごいっしょにどうかしら?」と誘う。
お互いの生活ぶりや過去をさらけ出す
会話をしながら、一緒に準備した夕食を
終えると、二人は戸外を散歩。
フランチェスカはブランデーがあったことを
思いだし、家に戻って二人で飲む。
夜明けに橋の撮影をしたいからそろそろ…
とロバートは暇乞いし、握手して去る。
フランチェスカは鏡の前で一度、裸になって
じっくりと自分を見てから、服を着ると、
紙片に何やら書いて車を出し、そのメモを
ローズマン・ブリッジの入り口に画鋲で
とめておく。
夜明け前、ローズマン・ブリッジに来た
ロバートは、貼ってある紙片を取って
ポケットにねじ込んでから撮影に入る。
8時35分、作業を終えてから初めて
そのメモを見て驚く。
もう一度夕食においでになり
たければ、今夜仕事が終わって
からお寄りください。
何時でもかまいません。
ロバートはすぐに電話を入れて遅くなり
そうだと告げると、フランチェスカは
仕事を見ていたいというので、6時に
例の橋で会うことにする。
👉映画では一度は町で会うことになったものの、
その後、町のカフェで昼食をとっていた
ロバートが、不倫を噂される女性(ルーシー)
と遭遇します。
客らに白眼視された彼女が出ていって
車で泣いているのを見ると、電話を入れて
「やめておこうか」と提案.
でもフランチェスカは「会いたい」と言い、
例の橋で会うことになります。
これにより、相手の立場を思いやる
ロバートの人柄と、フランチェスカの
思いの強さがより鮮明になったといえます。
約束どおりに会い、仕事を終えると、
二人はそれぞれの車でジョンソン家へ。
シャワーを浴びて出てきたロバートに
フランチェスカは「強烈なエロティシズム
を感じ」、ロバートも彼女の魅力に
「ほんとうに感嘆していた」。
二人でビールを飲み、食事してから、
ダンスを始め、何曲も踊るうち、
胸と胸、頬と頬がふれあう。
やがて「長い、やさしい、
終わりのないキス」に。
👉映画ではキスに入る直前、ロバートが
「やめたければ、いま言ってくれ」と口にし、
間を置いてフランチェスカが「誰がそんな
こと言える?」と答えます。
ここでも映画のロバートはより倫理的・
良心的といえそうです。
明け方近く、彼は彼女の目を
まっすぐに覗き込んで言う。
わたしがいま、この惑星の上に
いるのは、このためだったんだ、
フランチェスカ。
〔中略〕
あなたを愛するためだったんだ。
〔中略〕
わたしはこの人生に生まれる
ずっと前に、はるか昔に、どこか
とても高い場所の縁から落ちた。
そして、それからずっと長い間、
あなたに向かって落ちていたんだ。
それから二、三日、二人は仕事もせず、
ずっと一緒に過ごす。
👉この二、三日、二人は四六時中ラブラブの
熱々だったかというと、そういうわけでは
なく、言い争いや不機嫌な時間も発生します。
映画では特にそういう場面が丁寧に描かれ、
フランチェスカの激しい動揺がメリルの
名演技によって素晴らしい表現を
与えられるんですね。
【転】
「あなたさえよければ、わたしはここに残る」、そしてご主人に率直に話す…
とロバートは真剣に言うが、
フランチェスカは首を横に振る。
夫は私たちの経験したことを理解できる
ような人ではない。それに…
もしもいま出て行ったら、
わたしはひどく自分を責めるでしょう。
そして、そのことで、あなたが
愛してくれた女とは別人になって
しまうにちがいないわ。
「たとえ何度生まれ変わったとしても
こんなことは二度と起こらないだろう」
と言い残して、ロバートは去る。
夫と子どもたちが戻ってきて、
ジョンソン家の日常が戻る。
二、三日後、夫と二人、車で町へ
買い物に出たとき、偶然、ロバートの
車の後ろを走る形になる。
👉映画ではこれが完全な偶然ではなく、
店の前に駐車して夫を待つフランチェスカの
前にロバートが雨に打たれながら棒立ちで
彼女の方を見ているシーンが入ります。
ここでのイーストウッドはさすがに老いが
目立ち、不評を買ったようですが…。
フランチェスカは自分の彼への愛を
過小評価していたことを理解する。
「あなたと行かなかったのは間違っていた
……でも」と考えて涙を流し、何も知らぬ
夫は「どうしたのか」と心配げに尋ねる。
【結】
1979年、その夫が死んで葬式が終わると、彼女はロバートとの再会を真剣に考え、
電話してみたものの、通じない
ままに終わる。
1982年、ロバートの遺産管理を受託された
法律事務所から小包が届く。
同封された手紙は、彼の遺体が遺言どおり
火葬され、その灰がローズマン・ブリッジに
撒かれたことを告げており、小包の中身は
カメラなどの遺品やかつて彼女が渡した
「フランチェスカ」と印字された
メダルなど。
そして写真集に挟まれていた古びた紙は
「もう一度夕食においでになりたければ…」
という例のメモ。
さらに1978年付けの長い手紙。
わたしは死んでしまった心を
抱えて生きています。
〔中略〕
いくら思いつく限りの哲学的な理屈を
持ち出してみても、毎日、あらゆる
瞬間に、あなたが欲しいと思わずに
いられません。
わたしの心の奥底では時間が、
あなたのいないところで容赦なく
過ぎていく時間が泣き叫んでいます。
心の底から、完全に、あなたを
愛しています。
これはいつまでも変わらないでしょう。
フランチェスカは1989年、69歳で
死んだが、82年の弁護士への手紙で
遺体を火葬しローズマン・ブリッジに
撒くよう依頼していた。
死後発見された87年付けの子供たち
あての手紙にはロバートとの4日間と
その後についての詳しい説明があり、
夫の最期の言葉への言及もあった。
「おまえにも、自分の夢が
あったことはわかっている。
わたしがそれを与えられ
なかったのが残念だ」。
あの人と暮らしてきたなかで、
わたしがいちばん感動したのは
そのときでした。
ともかく自分はロバートとのあいだに
起こったことを恥じる気はないと
フランチェスカは書いていた。
それどころか、逆に誇りに
思っています。
いままで何年ものあいだ、わたしは
彼を死ぬほど愛していました。
〔中略〕
〔彼は〕あなたたちの尊敬や、
愛にさえ値する人だったのです。
できれば、わたしはあなたたちが
彼にその両方を与えてくれることを
願っています。
彼は彼なりのやり方で、わたしを
通して、あなたたちにやさしく
してくれたのですから。
「その話、墓まで持ってけ」…か
いかがでしょうか。原作小説とクリント・イーストウッド
監督によるその映画化。
両方それぞれの楽しさ、芸術性が多少なりと
伝わったとすれば幸いです。
冒頭の会話でも出てきているように
この映画、嫌いだという反応が
結構多いことは先刻承知です。
つまり第一に、誠実な夫を裏切って不倫に
耽ってしまう主婦を描いていますから、
もうその時点でアウト!
という道徳的な抵抗感。
これは原作ももちろん同じです。
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まあ、それはわかりますね。
第二のグループはもう少し寛容で、
不倫自体は真剣なものだったから
大目に見るとしても、遺灰を例の橋に
撒いてほしいと遺書に書いて、その理由
(つまり不倫の経緯)を子供たちに詳しく
伝えたのはいかがなものか…と。
つまりこれは「昔の禁断の恋の始末を
息子や娘に押し付けた」ようで不快…
家族のために胸を引き裂かれる
思いで激しい恋を断ち切ったのなら
文字通り「その話、墓まで持ってけ」
と思ったものだ
(引用元:私が、あの映画を嫌いなワケ)
というのですね。
これもわかります。
でも私は思うのですが、フランチェスカの
この決断によって子らは「禁断の恋の始末」
を押し付けられ、迷惑したでしょうか。
妹はもちろん、兄の方も最終的には、
知らされてよかったとポジティヴに
受け止めているのです(映画、小説とも)。
ただ、そうであってもなお、そんなことは
あくまで「墓まで持ってく」べきだと
考える美学も、それはそれで理解できます。
どっちにすべきか…
おそらくフランチェスカ自身も
迷ったのではないでしょうか。
迷い悩んだ結果、伝えることは自分の気持ち
ばかりでなく、子らの現在と未来のためにも
プラスに働くのではないか…
と考えるに至ったのだと思いますよ。
もちろんその判断自体にもまた
異論はあるでしょう。
その当否を含め、彼女の最期の振る舞いを
どう評価するかは、原作者ウォラー、
映画作家イーストウッドがともどもに
読者・観客に投げかけている問い
なのではないでしょうか。
まとめ
さて、いかがでしょうか。感想文とかレポートとかを書こうか
という場合も、これだけの情報があれば
十分…ではないですか?
ともかく今回の例のように、面白い映画を
その原作とつきあわせてみるというのも、
また違った発見のある楽しい作業ですよ。
ぜひ他の例でも試してみてください。
👉当ブログで試みている比較の例としては
つぎのようなものがありますので、参考までに。
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ん? 感想文に書けそうなことは浮かんで
きたけど、でも具体的に、どう進めて
いいかわからない( ̄ヘ ̄)?
そういう人は、「感想文の書き方
《虎の巻》」を開陳している記事の
どれかを見てくださいね。
👉当ブログでは、日本と世界の種々の
文学作品について「あらすじ」や
「感想文」関連のお助け記事を
量産しています。
参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。
・「あらすじ」記事一覧
・≪感想文の書き方≫具体例一覧
ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/
こんなコメントが来ています