金閣寺(三島由紀夫)で感想文【2000字の例文】猫を斬る意味は?
サクラさん
三島由紀夫の『金閣寺』
は実際にあった金閣放火
事件の犯人が主人公。
柏木という強烈なキャラ
の友人が出てきて、禅の
公案を議論したり…。
は実際にあった金閣放火
事件の犯人が主人公。
柏木という強烈なキャラ
の友人が出てきて、禅の
公案を議論したり…。
ハンサム 教授
その辺はフィクション。
事件の真相を追求する
より、自身の思想を表現
する器に使おうという
志向がはっきりしてる。
事件の真相を追求する
より、自身の思想を表現
する器に使おうという
志向がはっきりしてる。
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サクラさん
ともかくその公案
「南泉斬猫」で老師が
猫を斬ってしまうのが
許しがたいです(😾)
「南泉斬猫」で老師が
猫を斬ってしまうのが
許しがたいです(😾)
サクラさん
どちらも感心でき
ません(😾)
ません(😾)
ハンサム 教授
“認識者”にとどまるか、
“行為者”となるか。
この問いに三島の芸術が
賭けられていたといえる
のかもしれない。
“行為者”となるか。
この問いに三島の芸術が
賭けられていたといえる
のかもしれない。
サクラさん
ふ~む。わかったようで
わからない(😿)
ともかく私はあくまで
“認識者”の立場で感想文
を書くという”行為”に
挑んでみます。
わからない(😿)
ともかく私はあくまで
“認識者”の立場で感想文
を書くという”行為”に
挑んでみます。
というわけで、”感想文の書き方”第8回は
文学史上文句なしの名作と認められながら、
難解との評判で読書感想文の素材としては
敬遠されがちな三島由紀夫の『金閣寺』
(1956)にあえて挑戦です!
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とはいったものの、すでにお読みの方は
ご存知のとおり、これは三島の他作品、
『潮騒』はもちろん『仮面の告白』など
よりさらに難解のようで……
おっと、まだ読んでないし、
読み通せそうもない?
👉そういう人は、まずはこちらの記事で
「あらすじ」を仕入れて下さいね。
・金閣寺のあらすじを簡単に 三島由紀夫の名作は放火の話?
・三島由紀夫 金閣寺の詳細なあらすじ:難解な柏木も読み解く
読書レポート例文(2000字程度)
それでは取りかかりましょう。字数制限2000字(原稿用紙5枚)の感想文で
サクラさんが書いたものをハンサム教授の
添削指導で完成させたという設定の例文です。
読書感想文というよりは批評文と呼ぶべき
かもしれず、大学・大学院の読書レポート
としても十分に通用する内容と思われます。
まずはじっくりとご熟読を。
三島由紀夫の最高傑作ともいわれる
『金閣寺』(1956)は、1950年の国宝・
金閣焼失事件に取材し、同寺(鹿苑寺)
の修行僧で大学生だった犯人が放火を
決行するまでの心の軌跡を描いた
小説である。
私がこれを読む気になったのは、この
事件に以前から興味があり、犯人の
動機など不可解な部分を解き明かして
くれるものと期待したからだった。
そんな私は、全十章中の第七章の
末尾まで来て、「私」(溝口)が
「金閣を焼かねばならぬ」と考える
ところで面食らってしまった。
なぜ「焼かねばならぬ」のか、
全然理解できなかったからだ。
不可解さは小説を読了しても変ら
なかったし、事後は自殺するつもりで
決行した「私」が、山上で火を眺め、
煙草で一服して「生きよう」と思った
という最後の一行も腑に落ちなかった。
なぜこんな”わからない”小説が傑作と
されるのかも私にはわからないのだが、
それでも「私」が「金閣を焼かねば
ならぬ」と考えるまでの経緯に色々と
謎めいた展開があって、それが小説を
面白くしているとは思う。
それらについて考えることを通して
「焼かねばならぬ」理由に迫って
いければと思う。
主人公は僻地の貧しい寺の子で、
鹿苑寺に小僧として入って大学まで
行かせてもらうことになるのだが、
彼を預かる住職は豊富な観光収入で
祇園の芸妓と関係をもつ俗物ながら、
難解な公案について講話する老師
でもある。
1945年8月の終戦の夜に彼が話す
「南泉斬猫」(なんせんざんみょう)
は、この小説の展開の軸をなすとも
いえる重要なトピックだが、第三章
の記述によれば、こんな話だ。
唐代の名僧、南泉の寺で総出で
草刈りに出た時、一匹の仔猫を
みなが追い回して、東西両堂の
争いになる。
それを見た南泉和尚、たちまち
仔猫の首をつかみ、 草刈り鎌を
かざしていわく、
「何か道(い)ってみよ。
道わないと猫を斬り捨てるぞ」
誰も答えないので、南泉は
仔猫を斬って捨てる。
日暮れになって高弟の趙州が
帰って来たので、南泉が事の
次第を述べて意見をただすと、
趙州ははいていた履(くつ)を
脱いで頭にのせて出て行く。
南泉、嘆じていわく
「ああ、おまえが居てくれたら、
猫の児(こ)も助かったものを」
さて、何を「道う」(仏道に叶う
言葉を吐く)ことができれば猫は
救われたのか、あるいは履を頭に
のせた趙州の真意は何か。
それらを「道う」ことができれば、
この公案は「透過」したことになり、
修行者はさらに上の段階へ進むという
のが臨済宗のしきたりになっている
そうだが、私が第一に道いたいのは、
そのような言葉の上でのやり取りの
ために猫の命を奪うという行為自体、
仏道に反するのではないかという
ことである。
愛猫家でもあった三島がこの公案を
持ち込んだこと自体に、禅界全体に
対するこの(猫側からする)抗議が
こめられていたのではないかとも
思うが、ともかくこの公案は、次章で
現れる柏木という悪魔的な友人との
間でも何度か話題に上る。
柏木によれば、その猫は「美の塊」
であり、東西両堂の争いになった
のは、「美は誰にでも身を委(まか)
せるが、誰のものでもない」から。
つまり「おのおのの認識のうちに
猫を獲(と)り」、眠らせようと
したのであり、南泉がその猫を
斬ったのは、「認識」に対する
「行為」の優越性を説いたもの
だという。
そのあとの趙州の滑稽な振る舞いに
ついて柏木の言うことは難解でよく
わからないが、私の解釈では、
要するに「認識」と「行為」の間に
優劣などなく、つねに変転していく
ものだ…という仏教的真理を道おうと
したものではないかと思う。
こうして「南泉斬猫」の謎かけは
は「認識」と「行為」の対立という
主人公自身がその内部で苦しみ続けて
きた問題の分析ともなっていく。
そもそも彼は、金閣を初めて見た時
「美というものは、こんなに美しく
ないものだろうか」と失望しながら
(第一章)、やがてその「美」に
とらわれてゆくが、そのことは、
美の「認識」は「虫歯」のような
ものだという柏木の説(第六章)に
適合する。
つまり虫歯は「痛み、存在を主張する」
ものだが、耐えられず抜いてしまうと、
「こんなものだったのか?」と
虚しくなる。
美の「認識」もこれと同じだ
というのだ。
結局、美もその「認識」も、各自の
主観と時間の流れに左右される相対的
なものであって、絶対ではない。
ならば、それを斬ってしまう「行為」
こそは絶対でありうるのではないか。
金閣を焼くという「私」の「行為」は、
猫を斬った南泉の「行為」にも、また
十数年後に自衛隊駐屯地に乱入し、
切腹した三島自身の「行為」にも似て、
絶対的なもの追求だったのだろう。
が、結局そのあとで「生きよう」と
思うという結末は、履を頭にのせる
趙州という「南泉斬猫」の結末にも
似て、「行為」もまた絶対的では
ないと告げる結果になっている。
三島自身も切腹などという「行為」
で虚しい”絶対”を求めたりせず、
愛猫家としての生をまっとう
すればよかったのにと私は思う。
(2000字ちょうど)
『金閣寺』(1956)は、1950年の国宝・
金閣焼失事件に取材し、同寺(鹿苑寺)
の修行僧で大学生だった犯人が放火を
決行するまでの心の軌跡を描いた
小説である。
私がこれを読む気になったのは、この
事件に以前から興味があり、犯人の
動機など不可解な部分を解き明かして
くれるものと期待したからだった。
そんな私は、全十章中の第七章の
末尾まで来て、「私」(溝口)が
「金閣を焼かねばならぬ」と考える
ところで面食らってしまった。
なぜ「焼かねばならぬ」のか、
全然理解できなかったからだ。
不可解さは小説を読了しても変ら
なかったし、事後は自殺するつもりで
決行した「私」が、山上で火を眺め、
煙草で一服して「生きよう」と思った
という最後の一行も腑に落ちなかった。
なぜこんな”わからない”小説が傑作と
されるのかも私にはわからないのだが、
それでも「私」が「金閣を焼かねば
ならぬ」と考えるまでの経緯に色々と
謎めいた展開があって、それが小説を
面白くしているとは思う。
それらについて考えることを通して
「焼かねばならぬ」理由に迫って
いければと思う。
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主人公は僻地の貧しい寺の子で、
鹿苑寺に小僧として入って大学まで
行かせてもらうことになるのだが、
彼を預かる住職は豊富な観光収入で
祇園の芸妓と関係をもつ俗物ながら、
難解な公案について講話する老師
でもある。
1945年8月の終戦の夜に彼が話す
「南泉斬猫」(なんせんざんみょう)
は、この小説の展開の軸をなすとも
いえる重要なトピックだが、第三章
の記述によれば、こんな話だ。
唐代の名僧、南泉の寺で総出で
草刈りに出た時、一匹の仔猫を
みなが追い回して、東西両堂の
争いになる。
それを見た南泉和尚、たちまち
仔猫の首をつかみ、 草刈り鎌を
かざしていわく、
「何か道(い)ってみよ。
道わないと猫を斬り捨てるぞ」
誰も答えないので、南泉は
仔猫を斬って捨てる。
日暮れになって高弟の趙州が
帰って来たので、南泉が事の
次第を述べて意見をただすと、
趙州ははいていた履(くつ)を
脱いで頭にのせて出て行く。
南泉、嘆じていわく
「ああ、おまえが居てくれたら、
猫の児(こ)も助かったものを」
さて、何を「道う」(仏道に叶う
言葉を吐く)ことができれば猫は
救われたのか、あるいは履を頭に
のせた趙州の真意は何か。
それらを「道う」ことができれば、
この公案は「透過」したことになり、
修行者はさらに上の段階へ進むという
のが臨済宗のしきたりになっている
そうだが、私が第一に道いたいのは、
そのような言葉の上でのやり取りの
ために猫の命を奪うという行為自体、
仏道に反するのではないかという
ことである。
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愛猫家でもあった三島がこの公案を
持ち込んだこと自体に、禅界全体に
対するこの(猫側からする)抗議が
こめられていたのではないかとも
思うが、ともかくこの公案は、次章で
現れる柏木という悪魔的な友人との
間でも何度か話題に上る。
柏木によれば、その猫は「美の塊」
であり、東西両堂の争いになった
のは、「美は誰にでも身を委(まか)
せるが、誰のものでもない」から。
つまり「おのおのの認識のうちに
猫を獲(と)り」、眠らせようと
したのであり、南泉がその猫を
斬ったのは、「認識」に対する
「行為」の優越性を説いたもの
だという。
そのあとの趙州の滑稽な振る舞いに
ついて柏木の言うことは難解でよく
わからないが、私の解釈では、
要するに「認識」と「行為」の間に
優劣などなく、つねに変転していく
ものだ…という仏教的真理を道おうと
したものではないかと思う。
こうして「南泉斬猫」の謎かけは
は「認識」と「行為」の対立という
主人公自身がその内部で苦しみ続けて
きた問題の分析ともなっていく。
そもそも彼は、金閣を初めて見た時
「美というものは、こんなに美しく
ないものだろうか」と失望しながら
(第一章)、やがてその「美」に
とらわれてゆくが、そのことは、
美の「認識」は「虫歯」のような
ものだという柏木の説(第六章)に
適合する。
つまり虫歯は「痛み、存在を主張する」
ものだが、耐えられず抜いてしまうと、
「こんなものだったのか?」と
虚しくなる。
美の「認識」もこれと同じだ
というのだ。
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結局、美もその「認識」も、各自の
主観と時間の流れに左右される相対的
なものであって、絶対ではない。
ならば、それを斬ってしまう「行為」
こそは絶対でありうるのではないか。
金閣を焼くという「私」の「行為」は、
猫を斬った南泉の「行為」にも、また
十数年後に自衛隊駐屯地に乱入し、
切腹した三島自身の「行為」にも似て、
絶対的なもの追求だったのだろう。
が、結局そのあとで「生きよう」と
思うという結末は、履を頭にのせる
趙州という「南泉斬猫」の結末にも
似て、「行為」もまた絶対的では
ないと告げる結果になっている。
三島自身も切腹などという「行為」
で虚しい”絶対”を求めたりせず、
愛猫家としての生をまっとう
すればよかったのにと私は思う。
(2000字ちょうど)
どうです?
なかなかよく書けていると
思いませんでした?
いややっぱりよくわからない、
そもそも禅の公案というものを
全然知らないし…
👉そういう場合はこちらの記事でかなり
詳しく情報提供していますので、
覗いてみてください。
・夢十夜 第二夜の意味は?ついに現前しない”無”について解説
・夏目漱石 門の簡単なあらすじ 鎌倉参禅で宗助の得たものは?
ともかく上記の例文、そのままコピペするのは
厳禁ですが、ところどころつまみ食いして、
自分らしい文章に変えて使ってもらうのは
かまいません;^^💦
もっと短い字数で書く場合は必要なさそうな
部分を切り捨ててスリム化してください。
逆にもっと字数がほしい場合は、自分が
思ったことや思いだした経験をどんどん
入れて膨らましていけばいいわけです。
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“悪友”柏木の魅力
さて、上記例文は公案「南泉斬猫」にスポットを当てた感想文でしたが、
もちろんそのテーマにとらわれる
ことはありません。
トピックは種々多様、ワンサと埋め込まれて
いますので、感想文・批評文のネタには
事欠きません。
まずはしっかり読み込んで、自分に
突き刺さる問題をみつけることでしょう。
たとえば?
そうですねえ…。
『金閣寺』が強烈な魅力を放つ要因の一つに
上記感想文でもふれている主人公の友人、
柏木の特異なキャラクターがあります。
吃音という障害に苦しんできた「私」
(溝口)は彼の「内翻足」という障害に
引き寄せられて接近しますが、柏木が
いきなり彼にぶつける言葉は
「吃れ!吃れ!」
柏木は「裏から人生に達する暗い抜け道を
はじめて教えてくれた友」であり…
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それは一見破滅へつきすすむ
ように見えながら、なお意外な
術数に富、卑劣さをそのまま
勇気に変え、われわれが悪徳と
呼んでいるものをふたたび
純粋なエネルギーに還元する、
一種の錬金術と呼んでもよかった。
(第五章)
「私」を「人生」(この語にも特殊な
意味づけがなされていますが)に先導
するこの奇怪な「友」について、
自分なりの反応を書いて行くのも
面白いのではないでしょうか。
👉この男について「メフィストフェレス的」
とはよく言われる評言です。
メフィストフェレスについてはこちらの
記事で情報提供していますので、
是非ご参照ください。
・ゲーテ ファウストのあらすじ:名言「時よ止まれ」の意味は?
メフィストフェレス
またこの柏木の「内翻足」を障害として
捉え、障碍者教育の問題と絡めるなど
すれば、ぐっと現代的になりますよね。
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それから忘れてならないのが、その
柏木の導きでようやく接触した女性の
乳房が「金閣に変貌する」という
異様なエロティシズム(第六章)。
このあたりの妖しさ、倒錯的性愛は
『仮面の告白』『禁色』などLGBTの
問題を含む、危ない三島ワールドの
片鱗でもありますね。
👉それについてはこちらで。
・三島由紀夫 仮面の告白のあらすじ:LGBTQ文学の先駆作を解説
グイド・レーニ画「聖セバスチャンの殉教」(部分)
また三島文学のなかでは難解度が低く
エンターテインメントに近い作品としては
『潮騒』とか『命売ります』とかもあります。
👉それらについてはこちらを。
・三島由紀夫 潮騒のあらすじ 簡単/詳しいの2段階で解説
・三島由紀夫 命売ります【解説+あらすじ】シュールな冒険小説
👉そのほか三島の本を早く安く手に
入れたい場合は、Amazonが便利。
こちらから探してみてください。
☯三島由紀夫の本:ラインナップ☯
まとめ
さあ、どうでしょう。書けそうですか? 読書感想文。
上記の例文と、これだけの情報があれば
鬼に金棒。
書けないなんてことはもうありませんよね。
ん? 書けそうなテーマは浮かんで
きたけど、でもやっぱり自信が…
だってもともと感想文の類が苦手で、
いくら頑張って書いても評価された
ためしがないし(😿)…
具体的に何をどう書けばいいのか
全然わからない( ̄ヘ ̄)…?
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う~む。そういう人は発想を転換して
みるといいかもしれない;^^💦
そもそも日本全国で盛んに奨励されている
読書感想文の発祥の源は「コンクール」。
各学校の先生方の評価基準もおのずと
「コンクール」での審査に準拠する
形になっているのです。
だから、読書感想文の上手な人は
そのへんのことが(なんとなくでも)
わかっている人。
さて、あなたはどうなのかな?
👉「コンクール」での審査の基準を知るには
実際に出品され大臣賞などを受賞している
感想文をじっくり読んで分析してみるのが
いちばんの早道。
こちらでやっていますので、
ぜひご覧ください。
・読書感想文の書き方【入賞の秘訣4+1】文科大臣賞作などの分析から
・セロ弾きのゴーシュで読書感想文!コンクール優秀賞作(小2)に学ぶ
・アルジャーノンに花束を の感想文例!市長賞受賞作【2000字】に学ぶ
そちらで解説している「書き方」を
踏まえて、当ブログでは多くの感想文例を
試作し提供してきましたが、このほど
それらの成果を書籍(新書)の形にまとめる
ことができましたので、ぜひこちらも
手に取ってご覧ください。
👇
買う前にその「予告編」が見たい
という人は、こちらでどうぞで。
・読書感想文 書き方の本はこれだ!サイ象流≪虎の巻≫ついに刊行!!!
👉上記の本『読書感想文 虎の巻』は
当ブログで提供し続けてきた「あらすじ」
や「感想文」関連のお助け記事の
ほんの一部でして、載せきれていない
記事もまだまだ沢山あります。
気になる作品がありましたら、
こちらのリストから探して
みてください。
・「あらすじ」記事一覧
・≪感想文の書き方≫具体例一覧
ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/
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こんなコメントが来ています