井伏鱒二 山椒魚:結末部分の削除を”俳句美学”で解釈すると

 


やあやあサイ象です。

「感想文の書き方」シリーズ、
今回は、中学・高校の教科書にも
掲載されている井伏鱒二の有名な
短編小説『山椒魚』で行ってみま~す。

(1923。初出時のタイトルは「幽閉」)



この「あらすじ」記事の終わりの方でも
ふれていますが、作者の井伏鱒二本人が
晩年、『山椒魚』の最後の十数行を
ごっそり削除してしまう、
という事件が発生しました。

今回はこの問題にも突っ込むことで、
やや高度な感想文を狙って問題を
整理していきたいと思っています。

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まだ読んでいない人はこちらの記事で
「あらすじ」だけでも仕入れて
おいてくださいね。

井伏鱒二 山椒魚のあらすじを簡単に紹介



Ψ 作者自身にも迷いがあった

すなわち、1985年(昭和60年)、
『井伏鱒二自選全集』の刊行に際して、
前回の記事の「あらすじ」のうち、
紫字にした部分をすべて削除して
しまったのですね。

その結果、『自選全集』版「山椒魚」は
次のように結ばれることになりました。

更に一年の月日が過ぎた。

二個の鉱物は、再び二個の生物に
変化した。

けれど彼等は、今年の夏はお互い
黙り込んで、そしてお互いに自分の
嘆息が相手に聞こえないように
注意してゐたのである。

          山椒魚 salamander-602493_640

どう思います?

今でも別にお前のことを怒っては
いないんだ
」という蛙の発言も
削除によって消えてしまいましたから、
1985年版「山椒魚」では、蛙の考えて
いることも、また山椒魚がそれを知り
たかった否かもわからなくなりました。

犬と本Animal-Dog-s

1985年当時、この削除が大いに物議を
かもしたのも当然ですよね。

「あの部分があるとないとでは
別の作品になってしまう。
作者だからってそんな権利はない」

と批判する声も上がって、
本人もその後のインタビューで
「直さないほうがよいようだなあ」と迷
いを口にしていた……
(Wikipedia)

というほどの微妙な問題ですので、もしこの
「削除」についてどう考えるかを書くことが
できれば、それはかなり高度な感想文に
なるはずなんです。



Ψ そぎ落とす「俳句の美学」

え? お前はどう思うのか? 

そうですねえ( ̄_ ̄ i)。

私としては、削除してもしなくても、
どちらにしても名作だろうとは思います。

ただ、削除しないで最後の二匹の心の
通い合いを描いた方が作品世界の
理解可能性は高くなり、そのぶん
国際的評価も受けやすいでしょうね。

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逆に、削除すれば、理解可能性が低く
なりはしますが、そのぶん、作品が
”暗示する”世界の方が広がり、読者の
想像力をかきたてる力という意味での
芸術性が高まるんじゃないでしょうか。

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この種の芸術性は、実は、夏目漱石や
その親友にして俳句の師匠だった正岡子規が
俳句の美をめぐってさかんに強調した
ところで、たとえば漱石は、弟子の
寺田寅彦に「先生、俳句とは一体どんなもの
ですか」と問われて、こう即答しました。

扇のかなめのような集注点を指摘し
描写して、それから放散する連想の
世界を暗示する
ものである。
          
    (寺田寅彦「夏目漱石先生の憶い出」)

          7ede860f072f2534e1c9f902c4917158_s
        
この美学からしますと、たとえば有名な
この俳句

朝顔に
つるべ取られて
貰い水  
 (加賀の千代女)

なんざ、漱石には「拙句」と一蹴され、
子規にいわせれば「俳句にあらず」
ということにさえなります。

詳細はこれらの記事を参照してください。

夏目漱石「月が綺麗ですね」の出典は?I love youはこう訳せ?
俳句と川柳の違いは?子規・漱石にその極意を尋ねれば…




Ψ あなたが山椒魚なら?

ともかく、こういう考え方に立つと、
1985年版「山椒魚」の結末削除も「正解」。

「お互いに自分の嘆息が相手に聞こえない
ように注意してゐたのである」という
締めも「連想の世界を暗示することにおいて
秀逸である……というような褒め方も
可能になってきます。

北斎波NatureArt-s

でも、もちろん、小説は俳句ではない
わけですし、そこはやはり賛否の
分かれるところでしょう。

登場人物になりきって「自分なら、
こうする」をしっかり考えてゆくため
には、削除されないほうがありがたい、
とも言えますよね。


ともかく何度も読み返し、「自分なら」
どうするかを考え、なるべく「前向き」の
結論につなげてゆきましょう。

それができれば高評価、コンクールなら
金賞も夢ではありませんよ~(^O^)/

井伏の戦後の長編『黒い雨』も名作。
これを読むことで『山椒魚』の理解も
深まるかもしれません。
こちらの記事を参照してください。

黒い雨(井伏鱒二)のあらすじ:簡単/詳しくの2段階で
黒い雨(井伏鱒二)で読書感想文∥今村昌平映画も参考に

106714


え? 書けそうなことは浮かんできたけど、
でも具体的に、どう進めていいか
わからない( ̄ヘ ̄)?

そういう人は当シリーズで
「感想文の書き方《虎の巻》」を
開陳している記事のどれかを
覗いてみてくださいね。

当ブログでは、日本と世界の
種々の文学作品について、
「あらすじ」や「感想文」関連の
お助け記事を量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧

ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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2 Responses to “井伏鱒二 山椒魚:結末部分の削除を”俳句美学”で解釈すると”

  1. さや* より:

    私的に、「彼は上の方を見上げ、かつ友情を瞳にこめてたずねた。」というところだけ削ったら良かったんじゃないかと思います。
    全部とっちゃったら訳が分からないじゃないですか。

    • サイ象 より:

      うーむ。それでもいいかもしれませんね。
      ただ、削ったときの井伏さんとしては、
      その後の二人の感情の交流を書いてしまうのは
      「(手の内を)見せすぎ」で、これは「暗示」に
      とどめたい(読者の想像に任せたい)という
      気持ちが強かったんだろう、というのが
      私の見方です。

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