夢十夜「第六夜」で読書感想文【1000字の例文つき】主題は何か | 笑いと文学的感性で起死回生を!@サイ象

夢十夜「第六夜」で読書感想文【1000字の例文つき】主題は何か

サクラさん
夏目漱石『夢十夜』の
「第六夜」で読書感想
文を書こうと思うん
です。

ハンサム 教授
ほほう…で「第六夜」
にしたわけは?


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サクラさん
授業中の先生の説明に
納得できなかったので、
反論できたらな…と。

ハンサム 教授
いいですね;^^💦

で、どういうところ?

サクラさん
木の中の「仁王」が
明治の人間に見えない
のは、「文明開化」の
「西洋化」によって精神
構造が変わってしまい、
“自然との交流”ができ
なくなったからだと。

でも「仁王」って芸術…
つまり”文化”ですよね。

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なんで”自然”が出て
くるんでしょうか❔

ハンサム 教授
ハハハ、”自然”とよく
交流している人が仁王
を掘れるんなら、運慶
より漁師や農民の方が
上手なんじゃない
でしょうかね;^^💦

サクラさん
だから「仁王」が見える
見えないは、あくまで
“文化”的な問題で、
見る人の”主観”の違い
ということになるん
ではないか…と。

ハンサム 教授
ええ。”主観”は”文化”
的に鍛えられている
わけですから。

そのあたりに食い込む
ことができれば、もう
感想文を超えて論文に
近い文章になりますね。


というわけで、おなじみ”感想文の書き方”
シリーズ第132回/”あらすじ暴露”サービス
第80弾の今回は、夏目漱石の異色作
『夢十夜』(1908)。

その中の一篇「第六夜」で行ってみましょ~。

新聞連載の1回分なので、全文通読も
そう苦にはならないでしょう。

こちらでどうぞ。
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それでもやはり文章が古くてわかりにくい
部分も多いでしょうから、感想文などを
考える上でのポイントを押さえる意味で、
私なりのメリハリをつけた「あらすじ」を
のせておきます。


あらすじ

では参りましょう。

「  」内と「”」印の囲みは原文
(仮名遣いは変更)の引用です。

運慶(鎌倉初期の仏像彫刻家)が
護国寺の山門で仁王像を彫って
いると聞いて行ってみると、
群衆がわいわい下馬評している。

「鎌倉時代とも思われる」が、
見ているものはみな「明治の人間」
で、車夫(人力車を引く人)が多い。

   

「今でも仁王を彫るのかね」
「私(わっし)や又仁王はみんな
古いのばかりかと思ってた」
と言った男もいる。

運慶は「委細頓着なく鑿(のみ)と
槌(つち)を動かしている」。

「自分はどうして今時分迄運慶が
生きているのかなと思った」。


一人の若い男が自分の方を振り向いて
「天晴(あっぱ)れだ」とほめ出す。

「流石(さすが)は運慶だな。
眼中に我々なしだ。

天下の英雄はただ仁王と我と
あるのみと云う態度だ」



「大自在の妙境に達している」とその
男が評し、自分は「能(よ)くああ
無造作に鑿を使って思うような眉
(まみえ)や鼻が出来るものだな」
とつぶやく。

と、若い男がまた云う。

「なに、あれは眉や鼻を
鑿で作るんじゃない。

あの通りの眉や鼻が鑿で木の中に
埋(うま)っているのを、鑿と
槌の力で彫り出す迄だ。

丸で土の中から石を彫り出す
様なものだから決して
間違う筈(はず)はない」


自分は彫刻とはそんなものか、
それなら誰でも出来ると思い、
急に仁王が彫りたくなって帰宅。

手頃な薪があったので、
片っ端から彫ってみたが
「仁王は見当たらなかった」。

遂に明治の木には到底仁王は
埋まっていないものだと悟った。

それで運慶が今日まで生きて
いる理由も略(ほぼ)解(わか)った。


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感想文の例(1000字)

はい、ストーリーがしっかり理解
できましたら、さっそく感想文に
取り組みましょう。

まずは「字数制限1000字(400字詰め
原稿用紙2.5枚)の設定で、サクラさんが
ハンサム教授の添削を受けながら完成
させた読書感想文をお目にかけますので、
じっくりお読みいただければと思います。

 夏目漱石『夢十夜』は明治41年の
作品だが、「第六夜」はこの時代に
いるはずのない鎌倉時代の彫刻家、
運慶が出現して、仁王像を掘って
いくのを見守る夢の話である。

「能くああ無造作に鑿を使って
思うような眉や鼻が出来るものだな」
とつぶやくと、傍らの男が、あれは
「あの通りの眉や鼻が鑿で木の中に
埋っているのを、鑿と槌の力で
彫り出す迄だ」と教える。

それなら自分にもできると考え、
帰宅して、有り合わせの薪を
片っ端から彫ってみたものの
「仁王」は出てこない。

この結果から「明治の木には
到底仁王は埋っていない」ことと
「運慶が今日まで生きている理由」
とがわかったという。

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 これを読んで私が連想した
のは落語である。

つまりAが何かをやってみせる
のを見て感心したBが、自分も
やってみて失敗するという
落語によくあるパターンを
踏んでいると思ったのだ。

それで少し調べてみたのだが、
江戸っ子の漱石は少年期から
寄席に通っていた落語通で、
その作品のユーモアには落語に
通ずる部分が多いということだ。


 『夢十夜』の十篇はそれぞれ
異なるタイプの語り口になって
いるが、「第六夜」は落語的な
語りによるものであるから、
その解釈もあまり深刻ぶらず、
むしろ落語的に試みるのが
適切なのではないだろうか。

たとえば木の中の「仁王」が明治の
人間に見えないのは「文明開化」に
よって精神構造が変わって「自然」
と交流できなくなったからだという
話を聞いたが、こういう説は、
この夢の「自分」を漱石その人と
見なすことを前提にしていると思う。

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 「第六夜」を落語的に見れば、
「自分」は人まねをしてしくじる
間抜けな男であって、漱石のような
知識人ではない。

だから「明治の木には到底仁王は
埋っていない」と最後に考えたからと
いって、その「明治」の背後に
「文明開化」云々を読み込んで話を
大きくする必要はなく、ただその時の
現在を言っているものと読むべきだ
と思う。


 「運慶が今日まで生きている理由」が
わかったというのも、あくまで間抜けな
この男の経験に即して言われたことと
考えるべきだと思うが、彼がどう
理解したのかといえば、仁王像が
「生きている」(と見える)のは
それを掘る運慶が「生きている」
からだ、という理解だと思う。

仁王像のような芸術品が「生きて
いる」ことと、運慶のような個人が
「生きている」ことは別事だと
知識人なら心得ているけれども、
この男は混同しているということに
過ぎないのだ。     (994字)

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どうです?

さすがによく書けていると
思いませんか?

これをそのままコピペすることは
もちろん厳禁ですが、ところどころ
つまみ食いして、自分らしい文章に
変えて使ってもらうのはかまい
ませんよ~;^^💦


もっと短い字数で要求されている
場合は、あらすじを書いているところ
とか、必要なさそうな部分を切り
捨ててスリム化してください。

逆にもっと字数がほしい場合は、
自分の経験や考えをどんどん入れて
膨らましていけばいいわけです。


映画化作品も面白い

もちろん「第六夜」の感想文としては
上記のようなテーマがすべてでは
ありません。

目の付けどころはほかにも沢山…
ほとんど無限といっていいほど
あるはずですので、いろいろと
検討してみてくださいね。


映画化作品を見てヒントをもらう
というのも一つの手ですね。

幸い近年の作品で、10人の監督が結集して
作った異色のオムニバス映画『ユメ十夜』
(2006)がありますので、これを見て
考えるのもよいでしょう。
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なかで「第六夜」は松尾スズキ監督、
阿部サダヲ主演で異色中の異色、
こんな感じで、なかなか楽しめます。


ハハハ、どうでした?

現代人が退屈しないキテレツな作品に
仕上げられていますが、ストーリーの
基本的な部分は変えられていませんね。

だから、漱石が込めようとしたメッセージも
(もしあるならば)、この映画からそのまま
受けとることができるわけです。


では、そのメッセージとは?

これをきちんと解釈した上で、自分なりの
感想を述べることができれば、立派な
読書感想文が仕上がるはずですね。
         野球猫matsui-anime

ただ、その「解釈」ってやつが難物。

「(明治にも)生きている運慶」とは
一体何か?

そのあたりでサクラさんも苦心惨憺
していたようなんですが……


ここで念のため、ワタクシ、サイ象の
「解釈」を整理しておきましょう。
 
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  1. 夢だから「なんでもあり」。
    要するに夢らしい頭脳の混乱の表現である。

  2. ここでの「運慶」は生身の人間ではなく、
    運慶が仁王像のうちに打ち込んで
    残した≪彼の脳の働き≫(技術力を含む)を
    指し示す。

1も可能ですが、漱石という人の思考に
ついて多少のことを知り、その思考に
忠実な解釈をしようと思う論者なら、
ここは2を採ると思います。


≪働き≫としての「運慶」

まず確認しますと、ラストで「自分」が
結論的に悟っているのは以下の2点ですね。

  1. 明治(今日)の木に
    仁王は埋まっていない。

  2. 運慶は今日も生きている。
    (その理由)
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そしてそれらに到達したのは、運慶の
彫りつつある仁王像について、あれは
「木の中に埋まっている」のを「彫り出す」
だけだといわれ、それなら自分もと試みた
結果、出てこないのを発見したからです。


さて、上記2の「今日も生きている」
運慶は、さきに述べた仮説にしたがえば、
運慶という生身の人間でなく
≪運慶の脳の働き≫でしたね。

「主観」(subject)/「客観」(object)でいえば
この働きが「主観」(主体)で、彫られる
木材が「客観」(対象)だということに
なります。


つまり、今「自分」が目の当たりにして
いる運慶の仕事では、この「主観/客観」
(主体/対象)のコンビが完璧に成立している。

これに対して、明治の木を「自分」が
彫っても仁王が出てこないのは、
「自分」という「主観」(主体)には
この働きが備わっていないから……

そのことを「自分」はラストで
ついに理解した…
というのがサイ象流の解釈です。

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主観と客観は葉の両面

ふーむ、それは一応わかった。

でもそれによって、漱石はいったい
何を言いたいのか?

はい、その「言いたい」ことがもし明確に
意識されていたとするなら、「第六夜」は
たんに夢の世界の奇妙さを映し出そうとした
にとどまらない、哲学的なメッセージを
伝える作品として解釈されます。

その哲学を、漱石がこのときまでに
書き付けた膨大な言葉のうちから探る
なら、こうなると思います。

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物を離れて心なく心を離れて物なし
 (『漱石全集』第21巻(1997),46ページ)


これは、『漱石全集』の1巻をなす膨大な
『ノート』のうちに見られる1行で、漱石が
28歳のころに試みた鎌倉円覚寺での参禅で、
「父母未生以前本来の面目」という公案に
対して回答した「見解」(けんげ)として
記録されているものです。

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この見解を円覚寺の老師釈宗演は斥け
ましたが、禅的にはともかく哲学的には
なんら間違いはないように思われます。

「父母未生以前」(自分の両親が生まれる
前)には「心」(主観)はないんだから、
「本来の面目」(自分のもともとの顔)
という「物」(客観)もありようがない
(認知が成立しない)。

禅でも「物心一如」といわれるとおり、
「主観」と「客観」は葉の表裏のように
一体であって、どちらか一方だけを出せと
いわれても、そんなことは不可能だ。


これが参禅時から一貫する漱石の認識
であったはずで、「第六夜」はこの同じ
認識の別様の表現として読むことが
できるわけです。

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「運慶」という主観は生きている…

すなわち「運慶が明治の今日も生きている」
という描写で象徴的に表現されているのは、
≪運慶の脳の働き≫という一つの「主観」
(主体)であり、それの備わらない人間に
よっては、木材という「客観」(対象)が
いかに完璧であっても、仁王が
彫り出されることはない。

「物心(主観/客観)一如」という世界の
真相が、そこでは成立していないから。

     


「第六夜」を明確なメッセージをもつ
作品として解釈するならば、最も説得的な
ものはこれだと思います。

この意味では禅的な作品ともいえて、
参禅の情景を描いた「第二夜」との間に
連続性を見ることもできます。


漱石は参禅もし、また哲学的な思考も
ずいぶん重ねた人ですから、彼なりの
哲学をこのような形で小説に盛り込んだ
としても不思議はありません。
👉漱石の参禅、また禅の公案とは何かという
問題をめぐっては、こちらの記事も
ご参照ください。

門(夏目漱石)の簡単なあらすじと”禅”をめぐる批評・感想

三島由紀夫 金閣寺の詳細なあらすじ:難解な柏木も読み解く

三島由紀夫 金閣寺で感想文:”悪友”柏木の「猫=虫歯=美」説?

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まとめ

どうでしょう。

書けそうでしょうか、感想文。

え? こんな哲学的なのでは
やっぱり書けそうにない?

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それでしたら、上記の「運慶が生きている
理由」のところで提示した、疑問への
2通りの回答のうち、採らなかった方、
すなわち

  1. 夢だから「なんでもあり」。
    要するに夢らしい頭脳の混乱の
    表現である。
の方を採択して、こちらで考えて
いきましょう。

その場合は、同じ『夢十夜』の「第一夜」、
「第三夜」をはじめ、様々な”夢小説”的な
作品と読みくらべてみるというのも
よい方法です。
👉その場合はこちらの記事などが
参考になると思いますので、ぜひ
参照してください。

夏目漱石 夢十夜の第一夜をこう解釈💛美しい短篇で感想文を!

夢十夜(漱石)を解説🌛 第二夜でついに現前しない「無」とは?

漱石 夢十夜のあらすじと解釈:第三夜で感想文ならどう書く?

  


神様(&神様2011)のあらすじと感想:くまをどう解釈する?

シュールの意味と使い方:お笑いの世界から芸術的”超現実”へ
    
👉そのほかの漱石作品については
こちらでお探しいただければ
と思います。

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さあ、これでもうOKですね、読書感想文。

ん? 書けそうなテーマは浮かんで
きたけど、でもやっぱり自信が…

だってもともと感想文の類が苦手で、
いくら頑張って書いても評価された
ためしがないし(😿)…
具体的に何をどう書けばいいのか
全然わからない( ̄ヘ ̄)…?


う~む。そういう人は発想を転換して
みるといいかもしれない;^^💦

そもそも日本全国で盛んに奨励されている
読書感想文の発祥の源は「コンクール」。

    

各学校の先生方の評価基準もおのずと
「コンクール」での審査に準拠する
形になっているのです。


だから、読書感想文の上手な人は
そのへんのことが(なんとなくでも)
わかっている人。

さて、あなたはどうなのかな?
👉「コンクール」での審査の基準を知るには
実際に出品され大臣賞などを受賞している
感想文をじっくり読んで分析してみるのが
いちばんの早道。

こちらでやっていますので、
ぜひご覧ください。

読書感想文の書き方【入賞の秘訣4+1】文科大臣賞作などの分析から

セロ弾きのゴーシュで読書感想文!コンクール優秀賞作(小2)に学ぶ

    

アルジャーノンに花束を の感想文例!市長賞受賞作【2000字】に学ぶ

 

そちらで解説している「書き方」を踏まえて
当ブログでは多くの感想文例を試作・提供
してきましたが、このほどそれらの成果を
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当ブログで提供し続けてきた「あらすじ」
や「感想文」関連のお助け記事の
ほんの一部でして、載せきれていない
記事もまだまだ沢山あります。

気になる作品がありましたら、
こちらのリストから探して
みてください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧


ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/




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One Response to “夢十夜「第六夜」で読書感想文【1000字の例文つき】主題は何か”

  1. 寿司 より:

    私はこの第六夜はこのような解釈も良いと思います。
    運慶が生きている、というのは運慶の作品や鎌倉の文化が明治になっても生きているということ。そして、明治の木には埋まっていない、というのは、この作品で主人公が明治の木を彫るのは、運慶を見て、つまり外発的です。それに対し運慶は仁王以外には目もくれていません。これは外に影響を受けていない、内発的です。そのため、主人公が明治の木を彫った描写は明治の文化を揶揄していて、外国に影響されて作られた文化は素晴らしいものは生まないといということ、それに対し運慶の外に影響されず作り出したものは生きているということだと思います。つまり夏目漱石は明治の文化の外発的なところを批判しているということだと思います。夏目漱石は明治の外発的なところを批判しているのでこの解釈も信憑性はあると思います。

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