毛皮のヴィーナス(ロマンスキー映画)のあらすじ⦅マゾ・ゲームへの誘惑⦆
サクラさん
『毛皮のヴィーナス』は
アブナイ映画。
え? と当惑しながら
倒錯的な世界にぐいぐい
引き込まれます( )
アブナイ映画。
え? と当惑しながら
倒錯的な世界にぐいぐい
引き込まれます(
ハンサム 教授
あの世界に引き込まれる
というのは、君自身に
もともとそういう傾向が
あって、それが開発され
たということでは❓
というのは、君自身に
もともとそういう傾向が
あって、それが開発され
たということでは❓
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ハンサム 教授
あ、いや;++💦 私は
つい自分に思い当たる
ことを言ってしまった
だけで、女性を侮辱
するなんてとんでも
ありません。
映画でも内部の傾向を
開発されていくのは
男ですしね;^^💦
つい自分に思い当たる
ことを言ってしまった
だけで、女性を侮辱
するなんてとんでも
ありません。
映画でも内部の傾向を
開発されていくのは
男ですしね;^^💦
サクラさん
しかもそれが『毛皮の
ヴィーナス』を舞台化
しようとしている劇作家
自身で、彼は主演女優を
自分の世界に取り込もう
としながら、その過程で
逆に…
ヴィーナス』を舞台化
しようとしている劇作家
自身で、彼は主演女優を
自分の世界に取り込もう
としながら、その過程で
逆に…
ハンサム 教授
彼女に取り込まれ、
束縛されて、ある意味
素っ裸にされて、彼の
芸術も性差別主義だと
罵倒されてしまう…
束縛されて、ある意味
素っ裸にされて、彼の
芸術も性差別主義だと
罵倒されてしまう…
サクラさん
すべての展開が劇場の
内部で、しかも出演者は
結局その二人だけという
のも斬新です(😻)
内部で、しかも出演者は
結局その二人だけという
のも斬新です(😻)
ハンサム 教授
もともと舞台劇として
書かれた脚本にポラン
スキーが惚れ込んで、
奥さんに主演させた
というのもイタく興味
をそそります;^^💦
書かれた脚本にポラン
スキーが惚れ込んで、
奥さんに主演させた
というのもイタく興味
をそそります;^^💦
というわけでおなじみ”あらすじ暴露”
サービスの第217弾(“感想文の書き方”
シリーズとしては第304回)となる今回は
フランス映画『毛皮のヴィーナス』
(La Vénus à la fourrure/Venus in Fur,
ロマン・ポランスキー監督、2013)
に挑戦です((((((ノ゚🐽゚)ノ
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2013年カンヌ国際映画祭で特別上映され、
翌年にはセザール賞監督賞を受賞するなど、
高い評価を受けている芸術映画の逸品です。
ポランスキーと共同脚本のデイヴィッド・
アイヴズはアメリカの劇作家で、2011年
発表の戯曲『毛皮のヴィーナス』の作者。
各国で上演され高い評価を得ている劇で、
日本でも『ヴィーナス・イン・ファー』の
題で稲垣吾郎・中越典子主演での公演が
映画公開前の2013年にありました。
もともとの原作者はもちろんマゾヒズムの
語源になったあのレオポルド・フォン・
ザッヘル=マゾッホ(オーストリア、
1836-95)ということになりますが…。
ともかく、そうした背景も紐解きながら
ポランスキー映画をじっくり鑑賞して
いこうというのが今回の趣向です。
内容は以下のとおり盛りだくさん!
💃 もくじ
そもそも”毛皮のヴィーナス”とは?
まずは映画予告編をご覧ください。日本語版より英語版の方が面白いので、
そちらで。
舞台化に取り組む劇作家と、そのヒロイン
“ワンダ”役のオーディションに現れた
女優との二人だけ。
二人がこの劇場から一歩も出ることなく、
エロティシズムとブラック・ユーモアに
満ちたドラマをスリリングに展開します。
そこで追求されるテーマはマゾヒズム。
では、そもそもマゾヒズムとは❓
劇作家トマが映画中盤で自らウットリと
告白する言葉でいえば「痛みは最も
官能的な感覚で、恥辱こそ最高の快楽だ」
という信念ないし実感を追求する愛
(または性癖)のカタチ…
ということになるでしょう。
で、この特殊な愛をこれ以上ないほど見事に
表現してしまった空前絶後の傑作が
ザッヘル=マゾッホの『毛皮の(毛皮を着た)
ヴィーナス』(1870)。
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で、この傑作を現代的な趣向をもって
舞台によみがえらせたいという執念に
燃えている芸術家が主人公のトマ。
その芸術的な成否のカギを握るのが
主演女優との ということになるわけ
ですが、そもそもこの というやつこそ、
マゾヒズム自体のカギとなってくる
モメント(契機)なのです。
なぜ❔
だって、そうでしょう。
他人に痛みや恥辱を与えることがシンから
好きな人(真性のサディスト)もいることはいる
でしょうが、マゾヒストがたまたま
そういう人に遭遇して恋愛関係に入る
というのは極めて確率の低いこと。
であれば、ここは虐め役を請け負って
くれそうな人に頼むか強制するかで、
愛の を結ぶしかないのです。
映画『毛皮のヴィーナス』では、出演 (➊)の
成否にやがてこのマゾヒズム的な愛の (➋)の
成否が重なっていき、それらがともども不安の
うちに揺らぎ続けるところに極上の
サスペンスが発生します。
なぜかといえば、 による以上、演技
(➊のレベル)にも愛(➋のレベル)にもつねに
ゲーム的な危うさ(相手が一方的に契約破棄
してゲームを降りてしまう可能性など)が
伴いますし、またそのほころびに”第三者”
の存在が侵入して嫉妬の感情が強くなることも。
こうなると、ゲームを降りられるという
不安も嫉妬もともどもに痛みや恥辱となり
ますが、マゾヒストにとってはそれが
また快楽。
こうしてまことにスリリング、ひりひり
するような倒錯的な愛が病みつきに
なるのです。
👉この妖しくも危ういマゾヒズムの世界。
より詳しく多角的な考察をこちらで
試みていますので、ぜひご参照を。
・マゾヒズムの心理とは?その劇(ゲーム)的な物語はなぜ悲喜劇に終わる?
(画像出典:Freud Quotes)
さて、これが映画『毛皮のヴィーナス』の
構造的な概略。
なんだか話が抽象的でよくわからん、
もっと具体的に話せ?
はいはい、そういう読者さんは
「やや詳しいあらすじ」の方へ
お進みください;^^💦
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やや詳しいあらすじ【ネタバレ】
お待たせしました!それでは映画『毛皮のヴィーナス』の
あらすじに入っていきましょう。
もちろんラストまで【ネタバレあり】で詳しく
展開を辿り、私の勝手な判断で起承転結に
4分割しています。
またわかりにくいと思われた部分に👉印で
注釈を入れていますが、お急ぎの方は
どうぞ飛ばして先へお進みください。
ワンダ役を志願するワンダ
パリの古びた小劇場。マゾッホの小説『毛皮のヴィーナス』の
舞台化を企画し、ヒロイン”ワンダ”役の
オーディションを終えた脚本家
トマ・ノヴァチェク。
35人来たが全部ダメだと、携帯電話で
こぼしているところへ、遅れて到着した
豊満で多弁な女優。
電車で痴漢にあったなどとガムを噛みながら
早口で言い訳を並べ、コートを脱ぐと
SMの”女王様”風の黒の下着とチョーカー
(首輪)をつけ、腕にはタトゥー。
👉チョーカーは上記の和訳本『毛皮を着た
ヴィーナス』の表紙をかざる美女(クリムト画)も
つけているアクセサリー。
それが持つ意味や歴史についてはこちらで
探求していますので、ぜひご参照ください。
・チョーカーをつける意味?プレゼントならどう読まれるかにご用心
名は”ワンダ・ジュルダン”だといい、
ヒロインと同じファースト・ネームに
驚いたトマは登録者名簿を見直すが、
そんな名はなく、「オーディションは
もう終了して相手役も帰った。
自分も帰って食事だ」と取り合わない。
ワンダは30ユーロも出して衣装を借りて
きたのにと泣きながら帰ろうとするが、
彼女が芝居の台本を持っているのにトマは驚く。
どこで入手したのか問い詰めるところへ
また電話が入り、応対するうち、ワンダは
勝手に扮装を始める。
👉この後も繰り返される携帯電話の
呼び出し音は一貫してワーグナーの
『ワルキューレの騎行』。
その意味ははっきりしませんが、
『ワルキューレ』の初演とマゾッホ
『毛皮のヴィーナス』の出版は同年(1870)。
またワーグナー礼賛を含むニーチェの
『悲劇の誕生』が書かれたのも同じころで、
そのニーチェが『毛皮のヴィーナス』を
読んでいた形跡も残されています。
詳細は後章「あのニーチェもハマっていた❓」へ。
自ら照明器具を操作して舞台の雰囲気を作り、
役柄に最適のドレスを着たワンダが
毛皮代わりにビッググサイズの毛糸網の
ストールを身にまとうと、トマの目の色が
一変する。
打ち据えられた”お嬢ちゃん”
トマを仮の相手役(主人公 セヴェリン)として演技を始めたワンダが、いきなり言われた
ページのセリフをすべて暗記しているので
トマはまた驚く。
ワンダはトマの演技をほめ、主人公役は
あなた自身がやるべきだと主張して、
大きなバッグから、1869年ウィーン製の
ジャケットを取り出して着替えさせる。
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着替えて演技に没頭し始めたトマは、彼の
人生を変えた12歳の時の体験を語り出す。
召使いや猫をいじめる子で、美しく
体格のよい伯母にも悪さをしていたが、
ある日、この伯母から罰を受ける。
彼女が身に着けていた毛皮の上に放り出され、
召使いからは「お嬢ちゃん」と呼ばれ、
樺の枝で打ち据えられた。
この時「痛みは最も官能的な感覚で、
恥辱こそ最高の快楽だ」と知って
自分の人生は変わった、その後は
伯母のような女性を探し求めている…と。
「児童虐待の話なの?」と冷や水を浴びせた
ワンダに、トマはムキになって芸術性を熱弁し、
芝居の続行を求める。
今や君が「権力を持っている」からと
立ち位置を変えさせるなど熱中して取り組み、
ワンダは「予期しない流れですこと」などと
何度か言いながら指示にしたがって演技する。
「足にキスして」というワンダの命令に
黒い靴の爪先に唇を寄せ、
「あなたは女神だ」
「どの女神?」
「ヴィーナス」…
そこにまた電話の呼び出し音が…。
👉このようにして、二人での芝居と、それを
カットしてからの”演技でないはずの”会話とが
交互に進行していく形になるのですが、
芝居に入っているトマは表情は迫真の極み。
相手の役名と実名が同じだということも絡んで
彼ははたして役を演じているのか、それとも
自分自身のことをダイレクトに語っているのか
判別しがたくなってきます。
「予期しない流れ」というワンダの言葉は、
それが後者であることを示唆するようにも
聞こえますが、いずれにしろこの後も
二転三転する「予期しない流れ」が
この映画の強烈な魅力となっていきます。
また少年時代の決定的な経験の場面で
「お嬢ちゃん」と呼ばれたことも
ラストへの伏線として重要。
ついでに言うと上記の「権力」
(フランス語でpouvoir/英語でpower)は
日本語字幕では「力」。
ことマゾヒズムに関わる以上、「権力」の
方がわかりやすかったと思いますが;^^💦
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「女に身を委ねるのは危険よ」
電話が終わると、ワンダも携帯でパートナーらしい相手と話しており(通話自体が
芝居のようにも見える)、相手は妻かと
訊かれたトマは婚約者だと答える。
裸のヴィーナスが出る場面はどうするのか
とワンダが尋ねたことから、彼女が
マゾッホの原作を読んでいる(本人は
始めの部分だけと言う)ことがわかり、
トマはさらに驚嘆。
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舞台でも最初にやるべきだと主張するワンダは
「あなたのために脱いでもいい」とばかりに、
下着の上に例のストールをまとった姿で
即興的に演じる、
魅了されたトマが台詞を脚本に書き込んで
いると、ワンダは電話を入れてくる彼女とは
SMプレイをしないのかと絡み始める。
彼女の容姿や出身地、階級・学歴の高さを
すべて言い当て、果ては飼っている犬の
犬種やその名前が知的だとまで言い出す
ので、トマは仰天。
👉すぐあとで、知的な犬の名が
“デリダ”だと明かされるので笑えます。
ジャック・デリダ(1930-2004)はアメリカでも
大いにもてはやされたフランスの哲学者。
トマの婚約者マリ=セシルの俗物性が
示唆されているようにも受け取れます。
芝居を再開するも、「女に身を委ねるのは
危険よ」という台詞を言ったところで
ワンダが中断し、この芝居は「セクシスト
(性差別主義的)」で女性嫌悪だ、原作も
ただのSMポルノだと非難し、二人は口論に。
「大バカ女」とまで罵倒されたワンダが
帰り支度を始めると、トマは一転して謝罪し、
ついには跪いてまで演技の続行を懇願する。
ワンダは下着の胸のところから目に見えない
紙を取り出し「1年間、奴隷になる」という
契約書にサインさせる。
有無を言わせぬ強い口調で命じられるまま
召使いにされていくトマが不安げに
「これはゲームか?」と尋ねると、
「私の本性よ。何事も徹底的にやる。
抵抗されればより執拗に」とワンダ。
👉マゾヒズムに伴うゲーム性と
その危うさという、「あらすじ」を始める前に
述べた要因がここで明確に導入されます。
「nature(本性)」は「自然」とも訳される
語で、虐め役がはたして根っからの
虐め好きなのかという重大な問題に
関わります。
「nature(本性/自然)」をめぐっては
こちらもご参照いただければ幸い。
・サソリとカエルの話 その意味は?自らの自然(ネイチャー)を知れ…
「フィレンツェへの旅に出るからお金を」
と言われるまま、トマは財布をまるごと渡し
ワンダ主導の芝居を続行して、目に見えない
枝で鞭打たれる演技。
ワンダがこの場面は「ヘボだ」と言い出し
変更を求めるが、気を悪くしたトマは
「自分の作品は誰にも変えさせない。
出て行ってくれ」と背を向ける。
ワンダは「彼女は彼の喉に短剣を」と
台詞を言いながら、背後から小道具の
短剣をトマの喉に押しつける。
「俳優組合に通報するわよ。
起用するの?」と迫り、トマは
「ぜひ起用したい」と答える。
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“ワンダ”になりたかった劇作家
そこへまた電話が入り、ワンダは「くたばれマリ=セシル。いま彼と
ヤッてるのよ。発情した犬のように」
などと聞こえるように叫ぶ。
電話の後でトマに訊かれ、ワンダは
マリ=セシルとはジムでの知り合い
だと話す。
女優を諦めて私立探偵になると言ったら
トマについて「どんな人物で、私を
本当に愛しているか」、身辺調査を
依頼されたのだという。
「芝居を終りまでやるか」と訊かれて
「やる」と答えると、「これを着て」と
召使い用の衣装をあてがわれ、
さっそく着用。
ワンダは「よく似合うが、何か物足り
ない」と言い、それまで自分がつけて
いたチョーカーを彼の首につけて
演技開始。
台詞を勝手に変え、「マリ=セシルに電話
して『今夜は帰らない』と言えと命じ、
トマは初め拒否するも、結局、言われた
とおりにし、「さようなら」とも
言ってしまう。
満足したワンダは、あなたこそ最良の
“ワンダ”理解者なのだから、あなたが
“ワンダ”を演じるべきだと言い出し、
召使い服を脱がせて毛皮を着せ、
口紅を塗ってやる。
“ワンダ”になりきって陶然と演じるトマに、
突然ワンダが拳銃をつきつける。
脅して彼のチョーカーに紐をつけ、
犬のように連れ歩いてから、立たせて
アフロディテ(ギリシアでヴィーナスに
相当する女神)像に見立てた柱に縛りつける。
「出会った時からこの瞬間を夢見ていた」
と喜悦にひたるトマに、ワンダはこの芝居は
ポルノで「女への侮辱」だと批判し始め、
「私に感謝しなさい」と命じて何度も
平手打ちする。
縛られて身動きできないトマの前に
大きな本物の毛皮をまとった全裸の
ワンダが現れ、『バッカスの巫女』を
思わせる踊りを挑発的に踊ってみせる。
👉『バッカスの巫女』はハンス・ヴェルナー・
ヘンツェ作曲のオペラで有名ですが、原作は
エウリピデスの悲劇『バッコスの信女』。
女装したテーバイ王ペンテウスがバッコス
(ディオニュソスの別名)の信女たちによって
八つ裂きにされてしまう経緯を含んでいます。
縛られたままのトマをあとに、彼の財布も
入った大きなバッグとともに、ワンダは
劇場を出ていく。
💃💃⦅幕⦆💃💃
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イタリア映画『作家マゾッホ 愛の日々』(1980)と『毛皮のヴィーナス』(1969)
さて、ご堪能いただけたでしょうか。ポランスキー最後の(となるかもしれない)
傑作『毛皮のヴィーナス』!
まだよくわからんとおっしゃる場合は
ぜひ上記広告のDVDなどで実作品を
ご鑑賞ください。
いやどうも芸術的のようで、ポルノ的
鑑賞には堪えないようだな…
と思われた場合は、やはりマゾッホの
『毛皮のヴィーナス』にインスパイア
された先行する2本のイタリア映画が
おすすめです。
原作をより忠実に踏まえ、”契約した愛人”
ワンダの内面──悦びもあるにせよ苦悩が
大きく、ついには破局へ──にも光を当てた
秀作がF・B・タビアーニ監督の『作家
マゾッホ 愛の日々』(原題:Masoch,1980)。
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この映画の11年前にやはりイタリアで
制作されていたのがラウラ・アントネッリ
主演の『毛皮のヴィーナス』(マッシモ・
ダラマーノ監督、1969)。
これもマゾッホの原作を一応なぞっては
いますが、よりポルノ的で、マゾヒズムの
追求よりはラウラの美しい肢体を愛でる
ことが主眼👀…のように見えます。
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あのニーチェもハマっていた❓
このようにイタくも楽しいマゾッホ文学の世界にけっこうハマっていたかもしれない
のが、上記あらすじの👉印でもふれた
哲学者フリードリヒ・ニーチェ。
1882年ごろ、彼はルー・ザロメという
女性と友人の哲学者パウル・レーとで
三角関係に入り、一時は三人同居の
状態になっていました。
これ(👇)はそのころの写真で、ニーチェは
彼女に求婚するものの、ルーは結局、
レーを選び、二人でニーチェのもとを
去ります。
3年後にルーと別れたレーはその6年後に
なぞの死(自殺説が有力)を遂げます。
ルーの方はどうしていたかといえば、
詩人リルケ、次いで精神分析の創始者
フロイトとも浮名を流す…
という恐るべき”知的モテモテ女”でした。
それはともかく、上の写真で注目すべきは
ルーが手にしているルーが手にしている
鞭です。
しかも彼女は荷車の上にいるわけで、
御者の役を演じているのだとすると、
鞭打たれる馬の位置にいるのがニーチェ
その人なのですね。
三人がこのようなポーズで写真を撮る
ことにした動機は不明ながら、当時の
話題作『毛皮のヴィーナス』が念頭に
あったことはおそらく間違いありません。
“女王様”ワンダとの関係において苦しい
悦びを生きるのが『毛皮のヴィーナス』の
主人公ですが、後半ではその苦しみの要因
として”第三者”の導入による嫉妬が
大きな比重を占めるようになります。
つまり彼はワンダに別の男と関係を
もつことを勧め、その男への嫉妬の
苦しみを悦ぶのです。
ポランスキー映画ではこの”第三者”の
導入が携帯電話での通話の形で表現されて
いたわけです(呼び出し音はワーグナー!)。
まあ、こんなことをやっていれば、
“女王様”が自分の思い描いたゲームの
内部でそれをしてくれているのか、
それとも本気でその男に惚れてしまった
のか分からなくなり、その分からなさが
また苦しい悦びを更新・昂進するという
ホントにワケの分かんないことになって
しまうかもしれませんよね。
ニーチェらの三人組ここれに似た経緯が
あったか否かはまったく闇の中ですが、
こんな写真を撮る以上、あったとしても
不思議はありません。
👉ニーチェの恋愛観・結婚観・女性観
などをめぐっては、こちらで原典に
当たりながら考察・解説しています。
ぜひご参照を。
・“結婚生活は長い会話である”とニーチェが言ったって本当?出典は?
またニーチェ/ルー/レーの三角関係を
描いた映画に『ルー・サロメ 善悪の彼岸』
(リリアナ・カバーニ監督、ドミニク・
サンダ主演、1977 👇)があり、例の
写真の撮影経緯も描かれていますが、
残念ながらその意味づけは軽薄。
そもそもニーチェの描き方が皮相ですし、
ルーの心理に分け入ることもないので
消化不良を起こすような作品では
ありますが…。
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まとめ
さて、いかがでしょう。これだけの情報があれば、もはや憂いなし
でしょう、こと『毛皮のヴィーナス』に
関する限り。
誰に対してもドヤ顔で紹介できますし、
感想文でもレポートでも、書けと
言われればなんでも書けるでしょう。
👉ポランスキーという映画作家の
特異性に目を見開かれたという方は
是非こちらもご覧ください。
代表作の一つ、『ローズマリーの
赤ちゃん』について徹底的に
リサーチしています。
・ローズマリーの赤ちゃんのネタバレ 戦慄の結末は原作でしか読めない!
👉また日本のマゾヒズム文学に目を
向けたいという場合は、まず注目
されるのが谷崎潤一郎。
この傾向での名作をめぐっては、
これらの記事で探求していますので、
ぜひご参照ください。
・谷崎潤一郎 痴人の愛のあらすじ⦅ナオミと譲治のM的結末⦆
・谷崎潤一郎 刺青のあらすじと考察:若尾文子主演映画も鑑賞
・鍵(谷崎潤一郎)のあらすじ 原作小説が映画の何倍も凄いワケ
👉そしてマゾヒズムに限定されない(BLを含む)
LGBTQの世界を広範囲に探究した
エンターテインメント系の文豪が江戸川乱歩。
またその系譜を引いてクウィア(Queer)の
世界を追求した現代の作家の一人が寺山修司。
寺山のズバリ『毛皮のマリー』と題した
問題作や、乱歩の諸作品をめぐっては
こちらで。
・寺山修司 毛皮のマリーのあらすじ⦅LGBTQの世界的傑作を解説⦆
・江戸川乱歩 陰獣のあらすじ:ネタバレ御免で結末まで
・芋虫(江戸川乱歩)のあらすじ:伏字だらけの問題作!内容は?
・江戸川乱歩 孤島の鬼はBLの世界)))ネタバレありで結末まで
当ブログでは、これらの作家のほかにも
世界の多くの作家・作品をとりあげて
「あらすじ」や「感想文の書き方」の
記事を量産しています。
こちらのリストを
どうぞご覧ください。
・「あらすじ」記事一覧
・「感想文の書き方」一覧
さて、いかがでした?
この世界、あんまりのめり込むと命も
危ないようですが、まあほどほどに
楽しみながら、ともかく頑張って
やりぬきましょー~~(^O^)/
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