太宰治 人間失格で感想文:「恥の多い生涯」という名言から

 


「感想文」シリーズ第3回は
太宰治の代表作『人間失格』(1948)で
行って見ましょう。
  


「はしがき」のあと本編(大庭葉蔵の
手記)に入ると、冒頭の一句、
恥の多い生涯を送ってきました」が
いきなり強烈な一撃として読者を襲います。

ただこの「恥」、本人が「恥」と称しながら
その実、心底「恥じて」いるわけではない
ないこと、あるいは少なくとも作者が
その「恥」をほんとうに恥ずかしがって
(悪いいと思って)いるわけではない、
ということが、読んでいくうちに
透けて見えてきません?

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「恥」はほんとうは「恥かしい」ことでなく、
「悪」もほんとうは「悪い」ことではない。

え? そんなのナンセンスじゃん。
語義矛盾だよ。

その通り!

論理的な文章で表せば、語義矛盾、
したがって無意味です。

でも、たぶん太宰はそれを言いたいのです。

論理的な言葉によっては伝えられない
「それ」を、なんとか表現して伝える。

「文学」(言語芸術)はそのために
こそあるのではないか……。


オオーッと 『人間失格』をちゃんと読んで
いないので、なんお話かよくわからん?

そういう人はこちらで、ストーリーを
確認しておいてくださいね。

太宰治 人間失格のあらすじ:生田斗真主演映画の原作をネタバレありで



Ψ 「恥」の逆説?

ともかく、『お伽草紙』(1945)、
『斜陽』(1947)を経てこの『人間失格』で
いわば「爆発」する、太宰文学・晩年の
闘いの照準はそういったところにあった。

だから、もしそのへんの、
いわく言いがたいところを、なんとか
言葉に乗せていくような文章が書ければ、
感想文としては上の上……どころか
素晴らしい批評文にさえなっていく
はずだ……と私は思うんです。


大庭葉蔵は悪い。   119e08cb740e1d63b5de76a4c92ee8f3_s
恥ずかしい男であり、自分でも
「恥の多い生涯」だったと振り返っている。

でも、そのように言いつのる「手記」の
文章のすべてが、その裏で
自分は「善い」、「恥ずかしくない」と
隠微な形で主張してもいる。

まず、この「逆説」的な構造を
読み取る必要があります。


「あとがき」でマダムが
「葉ちゃんはいい人だった」なんて
言うのは、この意味で蛇足のようにも
思えますが、作者としては、どうしても
念を押さずにいられなかったんでしょうね。



Ψ 惚れたが悪いか

『人間失格』の世界だけで書こうとするのが
やりにくい場合は、太宰のほかの作品に
照らし合わせるのもウマい方法ですね。

「恥」に込められた『人間失格』の逆説は、
たとえば『お伽草紙』の最高傑作、
「カチカチ山」の狸がおぼれ死ぬ間際に吐く
ひとこと――「惚れたが悪いか」――にも
響いています。

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愚かで哀れな「狸」が最期に吐き出す
「惚れたが悪いか。」の叫びは、
『人間失格』冒頭で大庭葉蔵のつぶやく
「恥の多い生涯を送ってきました」に、
バトンをリレーするように送られる、
2つの≪名言≫いもいえるのでは……。



Ψ それが「恥」とは一つの見方

世間一般から見れば、勝手に惚れた狸が
「悪い」のに違いないわけですが、
最期に「悪いか」と問いかける以上は、
自分の生涯を否定してはいないのですね。

おれのような行き方を「悪=恥」と
するのは一つの見方にすぎないんじゃ
ないかという、ひそかな「抗議」の
ようなものがそこには込められて
いるんじゃないでしょうか。

「世間一般」が正しいとする生き方から
ハズれたことで、おしつぶされそうに
なっている人間の、断末魔の「抗議」です。

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太宰最後の長編『人間失格』こそは、
「カチカチ山」など先行の諸作品に
見え隠れしてきたその種の「抗議」の、
幼時からつもりつもった集積の一挙放出。

さあやってやろう、とついに意を決して、
しかもそれを『お伽草紙』のように
出来合いの物語に託すのでなく、
自らの生涯の物語として生々しく
語り出そうとしたもの……
であったのではないでしょうか。

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Ψ 感想文は「反省文」

だから『人間失格』で感想文を書くなら、
なんとかそこに絡んでいきたい。

では、どうするか。

ここでおさらいとして、当ブログ
「感想文の書き方」シリーズ秘伝の
サイ象流・感想文の書き方《虎の巻》
を広げさせてもらいますね。

  • 学校で評価される感想文は作品を
    読んでの素直な「感想」など
    ではなく、それを機に
    自分の生活を反省する
    作文である。
  • これを書くには、まず、たとえば
    登場人物が何らかの行動を
    とったとき、
    「自分にはこんなことはできない」
    のではないかとか、あるいは
    性格的に「自分にはこんな
    ところはないか」と反省する。
  •     自分にはこんなところはないか……  疑問009093   

  • その上で、「これからは自分も
    こうしよう」という類の
    前向きな結論
    を決め、
    決めてから書き始める。
(「Yahoo!知恵袋」での「ikemen_busaiku」さんの
回答に触発され、構成して
いったものです。)

おわかりですか?

ですから、『人間失格』の場合も、
登場人物の誰かが何らかの行動を
とったとき、「自分にはこんなことは
できない」
のではないかと考え、
その行動がその人物の性格の表れのように
見える場合は、「自分にはこんなところは
ないか」
と反省し、その上で、
「これからは自分もこうしよう」
と前向き決意表明で締めくくっていく……

これが上策だということに
変わりはありません。

そこでまず、ストーリー上のどの時点に立って
上記のような「反省」を試みるか、
が決め手の一つ(第一関門)となりますね。



Ψ 「世間とは個人じゃないか」

ただ、これまで「感想文」を書いても
評価されたためしがなく、自分は
苦手だと思っているタイプの人だと、
「ああ、かわいそう、悲しかった」
というふうの心情的な作文はうまく
書けないんですよね。

それなら、いっそのこと、
そういう行き方はキッパリ捨てて、
むしろリクツを言っているような
ところに目をつけて、リクツで
対抗するというのも手ですね。

『人間失格』なら、たとえば世話に
なっている友人の堀木に
「しかし、お前の、女道楽もこの
へんでよすんだね。これ以上は、
世間が、ゆるさないからな

と難詰された主人公はこう考えます。

世間とは、いったい、
何の事でしょう。
人間の複数でしょうか。
どこに、その世間というものの
実体があるのでしょう。
けれども、何しろ、強く、
きびしく、こわいもの、
とばかり思ってこれまで
生きて来たのですが、
しかし、堀木にそう言われて、
ふと、「世間というのは、
君じゃないか」という言葉が、
舌の先まで出かかって、
堀木を怒らせるのがイヤで、
ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、
ゆるさないのでしょう?)

(そんな事をすると、
世間からひどいめに逢うぞ)

(世間じゃない。
あなたでしょう?)

(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、
あなたでしょう?)

その時以来、主人公は「(世間とは個人
じゃないか
)という、思想めいたもの」を
持つようになったというのです。

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「世間」は、たんに「人間の複数」でも
「個人」の集積でもなく、多くの個人の
間で合意したことにされている
通念の集合体ともいうべき仮構であって、
そどこかにその「実体」が存在している
わけではありません。

このことを強く意識する者(葉蔵、そして
おそらく太宰自身もそうでしょう)は、
「世間」という虎の威を借りてものを言う
堀木のような個人に接するとき、
(世間じゃない。あなたが、ゆるさない
のでしょう?)
という「抗議」の棘で抵抗する
ことにもなるのでしょう。

ここで「そうだ!そうだ!」と思う人は、
その思いを自分の場合に即して
どんどん展開してゆくのもアリだと思います。
ただし、謙虚な「反省」と「これからは
自分もこうしよう」と前向きな結論

向かうことをお忘れなく。

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ところで、「世間」への「抗議」の棘
ということなら、

生まれて、すみません。

という太宰の代名詞みたいになっている
セリフもその塊ですね(逆説的な)。

これは、初期作品「二十世紀旗手」
(1937)の副題に掲げられている文句ですが、
『人間失格』というタイトルも、ほ
とんど同じことをいってるわけですよね。



ついでながら、上記は
ドナルド・キーンによる英訳。

そのタイトルがNo Longer Human
もはや人間でない」というんですから、
なかなかドキッとさせます。

ともかく、これら
すみません、失格、No longer…
といった言葉を繰り出すことの背後には
生まれて、すみません」とまで
思わせてしまう「世間」への「抗議」
貼りついています。

その「抗議」の質が Dawn-Of-The-Planet-Of-The-Apes-l
『人間失格』ではおそらく「最後っ屁」の
意識もあって、また実人生に即して
語り出したぶん、思い切りリアルでムキで
強烈になったように思われます。



Ψ まとめ

いろいろ言いましたが、ともかく、
ストーリー上の特定の時点に立って
「自分なら……」と「反省」すること。

そして「「これからは自分もこうしよう」
という前向きな結論を思い描き、
そこに向けて書いていけば、いいものが
できること請け合いですよ。

たまたま読んでくれる先生に
受けなかったとしても、それは先生の
ほうが力不足だったのです。

いつか誰かに評価されるはずですよ。
希望をもって「前向きに」いきましょう!! (^^)у

上でふれている『お伽草紙』や『斜陽』など、
太宰のほかの作品をめぐっては、
こちらを参照してください。

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ん? 書けそうなテーマは
浮かんできたけど、具体的に
どう進めていいかわからない( ̄ヘ ̄)?

そういう人は、「感想文の書き方
《虎の巻》」を開陳している記事の
どれかを見てくださいね。

当ブログでは、日本と世界の
種々の文学作品について、
「あらすじ」や「感想文」関連の
お助け記事を量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。


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≪感想文の書き方≫具体例一覧

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