やあやあサイ象です。

ちかごろネット上に飛び交う問答。

「夏目漱石が”I love you”を
『月が綺麗ですね』と訳したそうですが、
それはどの作品に出てきますか?」

漱石って意外に英語
できなかったんですね
」…

     ƒvƒŠƒ“ƒg

いやいや、漱石先生は英国で「英語」を学んで
来いと日本国家に命じられた国費留学生第一号。

帰国後は東京帝国大学でその「英語」を
教えた人ですから、「できなかった」という
ことはよもやありますまい;^^💦

ただ、どの作品に出ているかという話に
なると、これは難問で、明快に答えている
サイトは見当たりません。

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🌝「我君ヲ愛ス」なんて日本人が言うか

でも正解に近いというか、迫っている
ものならあって、たとえばこれなど。

夏目漱石が英語教師をしてた時、
生徒が “I love you.” を「我君ヲ
愛ス」と訳した所、

「日本人がそんな台詞を
口にするか。
『月が綺麗ですね』とでも
訳しておけ。
それで伝わるものだ」

と言ったそうな。

要するに「『愛す』なんてはっきり
言わせんなはずかしい」ということ
である。

ただ、出典が戦後のものしか
見つからないため、後世による
創作の可能性が高いとされる。

   (引用元:ニコニコ大百科

     audrey original


🌝「我君ヲ愛ス」は漱石の小説に出てこないか

さて、ここで問題です。

漱石が小説家デビューしたのは東大
在職中のこと。


「我君ヲ愛ス」なんて日本人が言うかと
授業中に苦笑したとき、すでに小説を
書いていたかどうかはわかりません。

でもその後、小説が売れて朝日新聞に入社し、
毎年、長編小説を書くようになってからは
どうだったのでしょうか。

どの長編小説でも男女の愛が描かれない
ということはなかったのですよね。


こういうことを調べるのに便利なのが
『漱石全集』の「総索引」(1990年代の
岩波版全集なら第28巻)で、これで
見ると、ないことはないんですね。

「愛してもいない私に対して」(『彼岸
過迄』1911-12)、「愛するのよ、そうして
愛させるのよ」(『明暗』1916)…といった
調子です。

   

ただ気になるのは、これらのセリフが出て
くるのがいずれも後期の作品で、かつ
口にするのは女性だということです。

たとえば前期三部作(『三四郎』『それから』
『門』1908-10)の男女は「愛する」とは
言わなかったのでしょうか。


はい、言わなかったんですね。

では、たとえば三作中、恋愛小説として
最も人気の高い『それから』の代助は
三千代を自分のものにしようとする時、
一体どんな言葉を口にしたのでしょうか。

これがその決定的な言葉。

「僕の存在には貴方が必要だ。

どうしても必要だ。

僕はそれだけの事を貴方に
話したい為にわざわざ貴方を
呼んだのです」(十四)

         

この一言で三千代の心も決まりますから、
「僕は貴方を愛する」ではなく「(僕の
存在には)貴方が必要だ」でOKだった
わけですね。

ですので、これが、「我君ヲ愛ス」を
日本人ならどう言うかについての漱石の
回答だった…と一応は言えそうですね。

ただ、それが唯一絶対の回答だったわけでは
ないこともまた、愛の告白で「必要」の語を
用いる場面はその後の小説にないことや、
すでに見た通り、「愛する」も使わなかった
わけではなかったことから明らかなんですね。


“I”や”you”に当たる日本語がたくさんある
のと同じで、「我君ヲ愛ス」の言い方も
また無数だ、それぞれがその場で工夫しろ…
ということだったのかもしれませんね。

👉それにしても『それから』の
「僕の存在には貴方が必要だ」は
日本語史上に輝く名言として
残っていくものかもしれません。

この問題について詳しくは
こちらもご参照ください。

それから(漱石)で感想文【読書レポート2000字の例】愛の言葉は…


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🌝 講義中、口にした可能性も

要するに「我君ヲ愛ス」と言わなくても
その趣意を伝える言葉、表現方法は無数に
ある…ということなんですが、まさにそれは、
英語の授業とは別にやっていた講義で漱石が
説いていたことでもあったはずなんですね。

つまりその講義は後に『文学論』と題して
出版されたので、それを読んでみると
その考え方も見えてくるんです。


「『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ」
はおそらく「後世による創作」でなく、
漱石自身の発言と思われるのですが、
その根拠の一つは、「」が出てくること。
 
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考えてみれば、これ、要するに”たとえ”
なんですから「月」でなくても、
太陽でも学校でも木でも葉っぱでも、
なんでもいいはずですね。

そこが「月」なのは、やはり漱石かな、
と思わせる……でも特定の「作品」に
出てくるというわけでもなさそう……。


これも『漱石全集』「総索引」で調べて
みると、ただの「月」なら多用されている
ものの、「月が綺麗ですね」と出てくる
作品は皆無なんですね。

ではどこを探ればと考えた場合に浮上
するのが『文学論』なんですね。






はじめの100ページぐらいまででも読んだ
人なら察しがつくかと思いますが、
この講義を進めながらの余談で「月が綺麗
ですね」という例のエピソードが出てきた
としてもちっとも不思議ではありません。

というのも『文学論』の冒頭で導入されて
いる漱石の基本的な文学観を砕いていうと、
こうなります。

文学」がたんなる文章とちがうのは、
Ff」で成り立っているから。

F」とは「焦点的印象または観念」のことで、
f」は「これに付着する情緒」をいう。

要するに、この基本図式に沿って「文学」的
現象の一切を解き明かそうというのが
この本の野心であり、英国留学の成果でも
あったんです。

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🌝 「三角形」と「花や星」と

さて、この図式の説明に続けて漱石は、

「F ありて f なき場合」として
「三角形の観念」を挙げ、また「F に伴うて
f を生ずる場合」として「花、星等の観念」
を挙げています。

どちらがより「文学的」に見えるか……
言うまでもありませんよね。

桜 蝶Butterfly-Flower-s

つまり「」とか「」とかの言葉を
繰り出せば、「 f 」すなわち
これに付着する情緒」もいっしょに
「生ずる」
場合が多く、それに伴って
「文学」らしさが発生します。


この意味において、「花、星」のグループに
」が加わったとしてもなんの
不思議もありません。

実際、先の方を読むと、
こんな文章も出てきます。

すなわち月といえば月の観念も
元より必要なるべきも、先ず第一に
欠くべからざるは月の光景なり、

この画姿さえあらば f を生ずること
容易なり。

 (『漱石全集』第14巻、92ページ)



講義中このあたりを説明しながら、
「月が綺麗ですね」の話に似た例話を
持ち出した可能性は大いにありますし、
「文学」でなく「英語」の授業であった
としても、この先生なら、そういう横道に
それていっても不思議はありません。

もしそれがまったくの見当違いで、この話が
完全な「後世による創作」であったとしても、
話を作ったのは漱石の講義を聴いていた人か、
そうでなければ『文学論』をよく読んでいた
人だった可能性が高い……

というのが私の推理なんです。



🌝「f」が”I love you.”をにじませるなら……

“I love you.” なんてドギツイ。

それはもう「三角形の観念」に限りなく
近いではありませんか。

「F ありて f なき場合」だと
言っていいかもしれない。

それに比べて、「月が綺麗ですね」は
どうでしょう。

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そこに「 f 」が喚起される確率は高い
はずですが、その「 f 」がもし”I love you.”を
そこはかとなくにじませるものとして
聞き手に感受されるとしたら……

「F に伴うて f を生ずる」ことにおいて
最上のケースともなりうるんじゃ
ないでしょうか。

これこそが「文学」だ……というのが
『文学論』の基本構想なんですよ。

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🌝 朝顔につるべ取られて…

さらに、もし漱石のこの発想がどこから
来たかを問うとするなら、それはたぶん
「俳句」の美学なんですね。

漱石は大学生時代、親友の正岡子規に
触発されて俳句を学び、その後二人で
批評しあって、ともに俳句を多産しました。

なので、評論などを読むと二人の俳句観が
似通っていたこともわかって面白い。

たとえばこの俳句、どう思います?

朝顔に
つるべ取られて
貰い水
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      (加賀の千代女)

フムフム、いい句じゃないか……
ですって?

ダメなんですよ、これは。
すくなくとも漱石・子規にいわせれば。

漱石は「拙句」と切り捨て(『ノート』)、
子規に至っては「俳句にあらず」とまで
酷評しています(『俳諧大要』)。


なぜダメなのか。

それはつまり、(ここからは私の見方
ですが)かんたんに言うと、すべてを
描いてしまっているから。

たとえばこの写真、井戸のつるべでは
ありませんが、朝顔がありがたくない
ところに巻き付いてますよね。

だから、取り去りたいかもしれない。

     a0001_003532

でも一方では、せっかく綺麗に咲いて
いるのに、どうしようか……と見る人の
想像を掻き立てるかもしれません。

千代女の句ももし「朝顔につるべ取られて」
で終わっていれば、その種の効果を
とどめるわけなんですが……
「貰い水」とオチまで語ってしまって
いるところで、台無しなんですね。

すくなくとも漱石・子規の
俳句観からすれば。

つまり、これすなわち”I love you.”
と言っちゃったのも同じ、ということに
なるんだろうと思うんですよ。

Hearts-Love-s

いや、”I love you.”をぜひ言いたければ
言ってもいいのですが、 「f」を生じさせる
ことに乏しいそのような「F」は、
「俳句の美学」を大きく外れるもの
というほかありません。

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🌝 まとめ

ですので、私見では、学生さんの「我君ヲ
愛ス」の訳に対して「月が綺麗ですね」に
しておけと漱石が言ったのだとしたら、
それは、「はずかしい」ということよりも
むしろ「文学的でない」……すくなくとも
「オレの美学には合わないね」……
というニュアンスがの方が大きかった
のではないか、と思う次第です。


さあ、あなたも誰かさんの耳元で
ささやいてみましょうか。

   

「月が綺麗ですね」…… 佳き f
立ち上がりましたら、おなぐさみ。


で、言われた場合の返事は?

ご存知の方も多いかもしれませんが、
これが「死んでもいいわ」だという
ことになっているんですね。

👉なんでそんなことになったのか?
詳細はこちらの記事をご覧ください。

二葉亭四迷「死んでもいい」の出典は?『片恋』の”Yours…”」


👉漱石と子規の俳句理論をめぐっては
こちらもご参照ください。

井伏鱒二 『山椒魚』結末部分の削除を”俳句美学”で解釈すると


👉夏目漱石の他の作品や
エピソードについてはこちらも。

夏目漱石 坊っちゃんのあらすじ&簡単なポイント解説

夏目漱石『こころ』:”感想は書かない”感想文

漱石『こころ』のお嬢さん問題と河合奈保子「けんかをやめて」



夏目漱石 草枕のあらすじ 感想文に向けて内容を解説

漱石の夢十夜で感想文?第一夜のあらすじと考え方から

漱石『三四郎』:白い雲を見る二人の小津安二郎的ショット”


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👉当ブログでは、漱石ばかりでなく
日本と世界の種々の文学作品について
「あらすじ」や「感想文」関連の
お助け記事を量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧

ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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