“違和感を感じる”は誤用?”違和感がある”は正しいが不遜な感じ…ではどうする?
ちょっと違和感を
感じますね。
感じる」という日本語、
なんかおかしくない
ですか?
感じる」というのは
「頭痛が痛い」とか
「馬から落馬する」とか
「鼻血が出血した」とか
いうのと同じで、一種の
重言(トートロジー)では
ないのですか❓
みれば…(🙀)
でも『俺は俺の死を
死にたい』という歌も
ありましたよ(😹)
“die one’s …… death”
のような同族目的語の
言い方ですね。
これが日本語にも浸透
することで、「違和感を
感じる」も気にならなく
なったのかな。
感じる」に違和感を
感じる人がいることは
たしかなので、これは
避けて別の表現に
言い換えた方がよさそう
ですね。
というわけで、本日はこの「違和感を
感じる」という日本語について、文法・
歴史・言い換え(別表現)など…
あらゆる角度から検討を加えて
いきたいと思います。
内容はザッと以下のとおり。
「違和感を感じる」は重言(トートロジー)?
まず「違和感」という日本語の意味を押さえておきましょう。
「違和感」は、「違和」の「感」である
はずですね。
その違和について現在、最も信頼に
足る国語辞典と見られる『日本国語大辞典』
(小学館2006)は、こう説明しています。
➊心身の調和が失われ、調子が
変になること。
病気にかかること。
➋雰囲気にそぐわないこと。
二つのものが調和しないこと。
なるほど。
「下腹部に違和感がある」のような、
「痛み」があるとまでは言わないけれど、
それに近いというニュアンスを伝える、
近年よく耳にするようになった言い方は、
➊の方の「違和」なんですね。
で、その「感」を誰がもっているのか
という主語をはっきりさせたい場合に
「(私は)違和感を感じる」という
言い回しが出てくるわけですが、これに
ついて重言(二重表現/トートロジー)
であり、日本語の誤用(間違い)だという
指摘がなされているわけです。
つまり「頭痛が痛い」とか「馬から
落馬する」とかいうのと同じだと…。
ただ気になるのは、「頭痛が痛い」とか
「馬から落馬する」とか聞けばたいてい
笑ってしまいますが、「違和感を感じる」
と言われて笑う人はまず見かけない…
ということです。
つまり「違和感を感じる」はもし間違い
だとしても、それこそ”違和感の少ない”
誤用なのですね。
この違いはどこから発生している
のでしょうか。
重言(トートロジー)でも笑われないのはなぜ?
以下は、特に日本語学の専門家でもないシロウトの仮説にすぎませんが、一つは
冒頭でハンサム教授も指摘していた
ような、英語など外国語の影響です。
昔の日本人ならオカシイと思ったはずの
「死を死ぬ」のような同族目的語を用いる
表現が明治以降、日本語にも浸透する
ことで、これを不自然と感じる抵抗感が
薄まってきているのではないか。
もう一つは「〇〇感」という形の熟語が
数えきれないほど乱造されてきたことも
あって、それらの熟語の語末の「感」の
存在感は、「頭痛」の「痛」や「落馬」の
「馬」に比べ、極度に薄くなっている
のではないかということ。
別の言い方をすれば、「違和を感じる」
が完全に正しい言い方として辞書にも
出ている通りで、「感」の字はあっても
なくてもいいような場合が多いのです。
ともかくそのような次第で、一応の結論
としては、「違和感を感じる」という
言い方は避けておいた方が無難かと
思われます。
👉重言の問題についてはこちらで
より詳しく解説しています。
ぜひご参照ください。
・二重敬語チェック!”おっしゃられる/お~になられる”は気持ち悪い
では、どう言い換える?
さて、「違和感を感じる」と言わない・書かないということにするならば、
そのように感じる場合に、それでは
どんな表現に訴えたらいいのかという
問題が残ります。
すでにふれました「違和を感じる」が
最も正統的な、文句なしの言い換え
になるはずなのですが、いかんせん
これはいかにも固くて古臭い日本語。
文章ならともかく、今時、会話で耳に
することはまずありませんよね。
というわけで、会話にも使えそうな
言い換え候補──類似表現──を
いくつか並べてみましょう。
もちろん場合によって適不適があります
ので、取捨選択に注意してください。
- そぐわないように感じる
- 不適切な感じがする
- ちょっと変かなあと思う
- 調子が狂っている(感じがする)
- 周りが見えていないのでは?
いかがでしょうか。
これらはあくまでヒントです。
その場・状況に応じて、最適な、また
自分なりの自分らしい表現を発明して
もらえればと思います。
ん? 「違和感がある」という、
もう一つの正統的な言い換えが
あるじゃないか?
はい、そうでしたね。
これについては章を改めましょう。
「違和感がある」への違和感
「違和感がある」という言い回しはもちろん、文法的には問題のない日本語
ですが、主語を言わないで済ますという
日本語特有の落とし穴を抱えている
ところに”いやらしさ”がないでも
ありません。
そのことも関係すると思いますが、
これは政治家の先生方に愛好される
日本語の一つですよね。
一例を挙げましょう。
2021年9月現在では史上第2位の低支持率を
誇る超不人気総理大臣である菅義偉氏が
官房長官だった2015年9月29日。
あるテレビ番組で菅氏は、福山雅治さんと
吹石一恵さんの結婚の報に接して「この
結婚を機にママさんたちが『一緒に子ども
を産みたい』という形で国家に貢献して
くれればいいなと思う」と発言しました。
これに反発した論客は少なくなかった
のですが、口を揃えたように「違和感
がある」と宣ったのですね。
たとえば当時民主党の政調会長だった
細野豪志氏(今や自民党二階派)いわく
子どもを産むか産まないかについて
国家が何か強制することは
あってはならない。
言葉だけ見るとやや違和感がある。
維新の党の井坂信彦政調会長もいわく
国が『子どもをつくって貢献
せよ』と上から言うのは
違和感がある。
(時事ドットコム:2015/09/30-19:37
Huffpost News参照)
いえ、私は別にどちらかの肩を持とう
としているわけではありません。
ただ、公党の指導的政治家がそろって
口にしたこの「違和感がある」という
表現に私は違和感を、またなんとなく
イヤ~な感じ、嫌味を感じるんです。
細野氏や伊坂氏は、それが「雰囲気に
そぐわない」、あるいは何かと「調和
しない」と主張されたことになるわけ
ですが、何と調和しないのか、何の
雰囲気にそぐわないのかは
言われていないので、何がどうよくないと
批判してるいのか、よく分かりません。
またそのよく分からない「違和感」に
ついて、「私は覚える」とか「彼は感じる」
とか主語を明示して言うのでなく、ただ
「ある」と言う。
何と調和しないのか、誰がそう判断する
のかも明らかにしないまま、ただ
「ある」と言う。
個人の発言としてはなんだか無責任な感じが
しないでもないんですが、これ、たぶん、
背後に強大な何か(この場合は政党)を
背負ってモノを言ってるせいで、そういう
言葉使いが自然に出るんだと思うんですね。
🐯虎の威を借る狐になっていないか?
たとえばある会議でAさんがある提案をし、Bさんが「それは違和感がある」と
言ったとします。
Bさんの異論に賛同する人がなく、
Aさんの提案がそのまま通りそうになって
いたところへ、Cさんが急に「それは
違和感がある」と言い出し、その後の
流れで、Aさんの提案は不採用になった……
なんてことはよくあるんではないですか。
この場合、大いに考えられるのは、
BさんとCさんとの間の影響力(地位なり
権力なり)の差が物を言ったということ
ですよね。
こういう場合、Bさんの「違和感がある」
には感じないところのイヤ~な感じを、
Cさんの「違和感がある」に感じてしまう
ことも、ままあるんですね。
それは多分、主語も違和の対象も明示しない
その言い方が、細野氏や伊坂氏の場合と
同様、背後の強大な何かを背負って
言っているように感じられてしまう
からではないかと思うんです。
だから、うがった見方をすれば、
「違和感がある」のそういう言い方は、
下手をすると「虎の威を借る狐」の
言葉のようにも聞こえてしまいますよ、
と言いたくなってくる。
背後になんの力もないこちとら庶民は、
その嫌味になんだか苦笑したくも
なるんですよ。
それは仕方ないとしても、 たとえば
「違和感がある」を虎の威を借りるよう
にして言う時、あなたは個人としての
品性を下げているのかもしれませんよ、
とは言っておきたいですね。
まとめ
やっぱり日本語ってなかなかむづかしい面がありますよね。
政治家の演説が下手だというのも、
いくぶんか日本語のこのムヅカシサに
よっているので、そう責められない
とは思います。
👉日本語の難しさとその対策では、
以下のような記事も書いています
ので、是非ご参照ください。
・散見される?散見する? 正しい意味・使い方を鴎外・太宰に聞く
・“させていただく”が間違い敬語になる場合:恩ない人への恩表現
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それではまた~(
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