ラッセル幸福論 10の名言!他人の幸せを願うとなぜ幸せに?

ラッセル幸福論 10の名言!他人の幸せを願うとなぜ幸せに?

やあやあサイ象です。

おなじみ”感想文の書き方”シリーズも
早いもので、今回でなんと
187回((((((ノ゚🐽゚)ノ

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今回はやや趣向を変えて
バートランド・ラッセルの『幸福論』
(原書の題はThe Conquest of Happiness
〔幸福の獲得〕,1930年刊行)で
行ってみましょ~Y😸Y。


詩的でないからわかりやすい

これはもう押しも押されもしない世界的な
ロングセラーで折り紙付きの名著!

ただ著者は数学者・論理学者としても
最高級の大哲学者と来ていますから
その文章はもちろん論理的であって
詩的ではありません。


ところで”詩的”ってどういうこと?

場合によって色々でしょうけど、ここでは
著者が自分の思いを述べるのに、事実や
合理的な根拠によって説得するのではなく
「ね、わかるでしょ?」と感覚に訴えていく
ような書き方を指しています。
      
   

「世界三大幸福論」として並べられることの
あるアランやヒルティの『幸福論』ではこの
気配がないとも言い切れませんが、
ラッセルの場合それはほぼゼロ。

あくまで論理で押すので小気味よく、
そして実際には、こういう文章の方が理解
しやすいということは、長年にわたり
いろんな本を読んできた私が実感して
いるところです。

ところが残念なことに、もともと合理的で
明快なラッセルの言葉を勝手に”詩的”に
変形して「名言」として紹介し、かえって
全然納得できない”迷言”にしてしまっている
本やサイトもチラホラあるんですね。


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そこで当方では、その種の勝手な変形に
陥らないよう原文も参照しながら、
ラッセル『幸福論』の「10の名言」を
私なりの観点から拾い上げていきます。

感想文やレポートを書こうとしている人も
それらをたどって行ってもらえれば、
おのずとテーマが浮かび、きっと
すぐれたものが書けるはずなのです。


では参りましょう。

「名言」はいざ知らず(あとで説明
します)、それに続く1~10まで10個の
「名言」、またその前後の解説において
「 」内はすべて上記安藤貞雄訳からの
引用です。

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名言:他人の幸せを願え?

【名言
幸福になる一番簡単な方法は、
他人の幸せを願うことです。

ええー(叫び)なんでそうなるの?

自分が幸せになりたくて『幸福論』を覗いて
みようと思ったのに、いきなり「他人の
幸せ」を願えとは…;(_ _)💦


ハハハ、ごめんなさい、【名言
銘打ちましたのは、これ実は”名言”でなく
根拠のない”迷言”だからなんでして、
ラッセル『幸福論』(上記の和訳)を
隅から隅まで読み通してもこんな
文章は出てきません;^^💦

ラッセルの「メッセージ」と称してこの
「名言」を持ち上げているこのサイト、
Heartful Moonの記事はこんな感じです。


まず「数学の天才」で反戦運動や核兵器
廃絶運動にも尽力し…云々とラッセル
称賛の言葉をつらつらと並べます。

そしてやがて、「このメッセージはイエス・
キリストの本心に最も近かったように
思えます」というところへ落とすんですね。

    

なあんだ結局、キリスト教のお説教
だったのか…とここで底が割れるわけです。

でも、この筆者がご存知だったかどうか
わかりませんが、ラッセルは18歳までに
キリスト教信仰を捨てたと明言している
人です。

その教義(ドグマ)にはいかなる証明
(エビデンス)も見つからないと。


そのことは、こちらの動画でも
率直に語ってくれています。 👇


でもまあ、幸福になりたかったら「他人の
幸せを願え」という、ラッセルは言って
いないこの「メッセージ」、『幸福論』の
言葉を適当につなぎ合わせると、あるいは
そういう解釈もあるのかな… 
と思えるものではありますね。

つまりあなたの心が自然に「他人の幸せを
願う」ような態勢に入っているならば、
その時点であなたはすでに幸福だろう…
という意味ならば、ラッセルの主張と
ほぼ同じだろうとは思うんです。

   


そこで当方の「10の名言」では、まずこの
「名言」の解釈につながりそうな文章を
拾うことから始めます。

その場合「第二部 幸福をもたらすもの」
から入る方が話がわかりやすいので、
「第一部 不幸の原因」は後から徐々に…
という形にさせてもらいます。

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名言1~2:関心を外へ向けよ

【名言
根本的な幸福は、ほかの何にもまして
人や物に対する友好的な関心とも
言うべきものに依存している。

  (第10章 幸福はそれでも可能か)

      Good-Friend-s

【名言
幸福な人とは、〔中略〕
外向きの関心や愛情を通して)
そして今度は、それゆえに自分が
ほかの多くの人びとの興味と愛情の
対象にされるという事実を通して、
幸福をしかとつかみとる人である。
〔中略〕
愛情を受ける人は、大まかに
言えば、愛情を与える人である

(The man who receives affection
is, speaking broadly, the man
who gives it.)

        (第17章 幸福な人)

        


さらに「大まかに」言ってしまえば、
要するに「関心や愛情が内向きで、自分に
ばかり向いている人は幸福になれないから、
外に向けよう」というのがラッセルの
主張の骨子なんですね。

「不幸の原因」と題した第一部の各章では
各種の「不幸」がすべてこの種の
内向きさから来ていることが分析され、
第二部でそこからの解放の方途が
探られるという構成になっている
わけです。


こういう意味においてなら、「他人の
幸せを願う」人が自分も幸せになる
という話は理解できますよね。

そういう人は、心を外に向けて他人に
「愛情を与える」ことを通して自分も
「愛情を受け」、それにより幸福感に
満たされることになるからです。

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名言3~6:大きな生命の流れ

ですから、たとえば強大な権力を獲得する
ことなどによって、孤立した一個人の内部に
「善」(the good)が実現されると考える
ような内向きで「孤独な哲学」(solitary
philosophy)は間違いだとラッセルは
断定します。

そのような「善」に上記のような幸福感は
伴わないから。

なぜ伴わないかといえば、人間は「自然から
与えられている」本能として、他人と協力
することで生まれる「友情」を喜ぶように
できているからだ、とラッセルは論じます。

「恋愛」が人間に最大の幸福をもたらす
としたら、それもこの本能によるのだ…と。

【名言
恋愛は、協力を生み出す情感の、第一の
そして最も一般的な形であって、
いやしくも愛した人なら、自分の最高の
幸福が愛する人の幸福とは無縁である
とするような哲学には満足しない

だろう。
     (第2章 バイロン風の不幸)
  
     

「自然」の恵みとして与えられている
他者への「友好的な」関心や愛情の
第一の例が「恋愛」だというわけですが、
人間の「自然/本性」(human nature)への
この洞察が確かなものとなったのは、
ラッセル自身の場合、実は恋愛より
むしろその次に来る経験において
だったと言います。

それすなわち「親となる」体験です。

【名言
私自身は、親としての幸福は
私の味わった他のどんな幸福より
大きい
と思っている。
         (第13章 家族)
      

     

だから、なんらかの事情で親にならなかった
人は「非常に深い欲求が満たされない
ままに残る」ために不満や無気力の
状態に陥りやすい…とも。

ともあれ、特に青年期を過ぎた人の
場合、幸福になるために大切なのは、
こういうことだ、とラッセルは説きます。

【名言
自分のことをまもなく一生を終える
孤立した個人として感じるだけでなく、
最初の胚種から遠い未知の将来へ
とどまることなく流れていく生命の
流れの一部
(part of the stream of
life)だ、と感じることが必要である
          (第13章 家族)

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このことを、心の深いところで実感できる
ならば、その人はちょっとやそっとの
トラブルでは崩されることのない
骨太の幸福をゲットできる…

だから最後の最後、本書の結びの部分で
ラッセルはこのように述べます。

「不幸な人」とは、心の「意識的な」部分と
「無意識」の部分との統合、また「自我」と
「社会」との統合に失敗している人であり、
「幸福な人」はその統合ができている人だ。

だから、そういう人は…

【名言
自分は宇宙の市民だと感じ、宇宙が
差し出すスペクタクルや、宇宙が
与える喜びを存分にエンジョイする。

また、自分のあとにくる子孫と自分は
本当に別個な存在だとは感じない
ので、
死を思って悩むこともない。
         (第17章 幸福な人)

        


でも、この意味で「幸福」になれば
「死を思って悩むこと」がまったくなく
なると本当に言えるのでしょうか。


たとえばラッセル『幸福論』をまったく
評価しないという哲学者、中島義道さんは
こう書いています。

私は幸福を感ずることを恐れる。

なぜなら、私が幸福を感じた
その瞬間に、死ぬことが恐ろしく
なるからである。
〔中略〕
生きているかぎり不幸であれば、
私は死という絶対的不幸も
冷静に受け入れられるであろう。

だから、私は死を受け入れやすくする
ために不幸にならなければならない。

    (中島義道『不幸論』第5章
    「『死』という絶対的不幸」)

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 (引用元:👇)

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何を隠そう、私は中島さんの愛読者の一人
なのですが、彼が方々に書いている
幼児期からの人生のあり方は、ラッセルが
「不幸の原因」として挙げている要素の
オン・パレードのようにも見えます。

すなわち第一部第三章から第九章までの
タイトルを並べると、こうです。

  • 競争
  • 退屈と興奮
  • 疲れ
  • ねたみ
  • 罪の意識
  • 被害妄想
  • 世評に対するおびえ
これらのほとんどを徹底的になめつくし、
まさにラッセルのいう「孤独な哲学」を
自力で構築したように見える中島さんが
生命の流れの一部としての自己を実感する
ようなことは多分、もうない
のでしょうね。

でもまあ、それはそれ。人それぞれ…

という話なので、読者は各自が自分なりに
ラッセルのメッセージを受け取って
いけばよいのだと思います。

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名言7~10:不幸の原因

さて、この、自分を超えた大きな
生命の流れこそが幸福の源泉なのだ
とすると、上に列挙した「不幸の原因」は、
人がこの流れと一体化することを妨げる
もので、これらをラッセルは「感情の
複雑さ」とも呼んでいます。

【名言
感情の複雑さ(complexity in emotions)
川の中のあぶく
(foam)のようなもの
である。

あぶくは、川のなめらかな流れを
妨げる障害物によって生じる。

しかし、流れのエネルギーは、妨げ
られることがないかぎり、水面に
さざ波ひとつ立てないし、その力も、
よく注意していない人にはそれと
わからない。
   (第10章 幸福はそれでも可能か)

      

というわけで、幸福でない人が幸福になる
ためには、この意味での「感情の複雑さ」が
自分の場合はどういう実態をもつのかを
見極め、それを克服していくことだと
考えられるんですね。

ここへ来てようやく第一章に戻る次第
ですが、そこでラッセルは、これら
「不幸の心理的な原因」には
「ある共通点がある」と指摘します。

【名言
不幸な人間の見本とも言うべき人は、
幼いときにある正常な満足(some
normal satisfaction)を奪われたため、
この一種類の満足を何よりも大事に
思うようになり
、ために、
自分の人生に一方的な方向を与え
〔中略〕その達成のみをまったく不当に
強調するようになった人である。
       (第1章 不幸の原因)

たとえば「気晴らしと忘却」のみを求めて
飲酒やセックスの「快楽」(pleasure)に
走り、あるいは競争(competition)に
勝って人の上に立つことに血道をあげる。

   

そういう人を支配しているのは「人生は
コンテストである」という人生観だといい、
その勝者たちは平均して二人の子供しか
作らないことを指摘します。

【名言
彼らは、子供をもうけたいと思うほど
人生をエンジョイしていない
のだ。
〔中略〕
おのれの人生観のために幸福が感じられ
なくて、子供をもうける気になれない
ような人たちは、生物学的に見て
すでに命数が尽きている。
           (第3章 競争)

人生へのこういう姿勢は、清教徒主義
(ピューリタニズム)が支配的だった
時代以来、英国人に強く食い込んだことから
来ているとラッセルは見ています。

感性(senses)、知性(intellect)、意志(will)の
調和ある発達こそ自然の恵みであった
はずなのに、感性・知性を犠牲にして、
「意志」のみを不当に強調する教育が
この歪んだ国民性を生んだのだ…と。

     

もちろん人生を一種の「コンテスト」の
ように見る傾向は、英国の専売特許では
ないわけですが、近代化のトップを走った
英国の気風がやがて世界中に伝播して
いった…という側面はあるかもしれません。


すぐれた指摘ですが、もう一つ興味深い
洞察として、人々のこの競争的な人生観と
民主主義の発生が表裏一体に捉えられて
いる点が挙げられます。

【名言10
ねたみ(envy)は民主主義の基礎である
〔中略〕
エフェソスの市民は、「われわれの中に
一番なるものがいてはならない」と
言ったかどでことごとく絞首刑に
処すべきだ、とヘラクレイトスは
主張している。
        (第6章 ねたみ)

👉これは古代ギリシアの都市国家
エフェソスで「われわれの間に第一人者は
いらない」として最優秀者が追放された
ことに哲学者ヘラクレイトスが憤慨した
という故事にふれたものですね。

        

要するに「一番」はいらない、みんな
チョボチョボでいいんだ、という根深い
「ねたみ」に支えられたシステムとして
「民主主義」を見ているわけです。
👉「不幸の原因」の一つとして「ねたみ」を
重視するラッセルの洞察は、掟を破って得を
する者(たとえば姦通者)を罰したいという
人間の衝動がいかに強いかを見て嘆くもの
でもあって、このあたりはニーチェの思想に
通じるものがありますね。

ニーチェについてはこちらもご参照を。

ニーチェ ツァラトゥストラは読みやすい?訳本選びがカギに

ニーチェの格言に学ぶ 👩女は男より野蛮…だがそれも事実ではない?

嫌われる勇気 まとめと感想♡アドラー心理学の源流にニーチェ?

     
  

この「ねたみ」が人間にとってどれほど
本質的なものかを言い当てたところに、
ニーチェやラッセルの先見性があったと
いえそうですが、これをさらに徹底的に
解明しているのが現代の進化心理学。
👉「進化心理学」から人生や恋愛を
見直す考え方については
これらの本が参考になります。

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さて「普通の人間性の特徴の中で、ねたみが
最も不幸なもの」とまでラッセルは言う
のですが、それなら、この「ねたみ」は、
どうしても克服されえないもの
なのでしょうか。

「第6章 ねたみ」でその方策を種々検討
してはいるものの、誰にでも適用可能な
万能薬のようなものは、もちろんある
はずもありません。

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結局は「名言5」で言及している大きな
生命の流れと一体化した自分を感じられる
ようになること以外に、抜本的な方法は
ないのですね。
👉ここへ来て読者の脳裏には冒頭の
「幸福になる一番簡単な方法は、
他人の幸せを願うこと」という
命題が再び浮上するかもしれません。

思えば、これ、宮沢賢治の

世界がぜんたい幸福にならない
うちは個人の幸福はあり得ない。

    (農民芸術概論綱要 序論)

という思想にも重なりますよね。

賢治の幸福観については
こちらもご参照ください。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜で感想文 🌌「ほんとうの幸せ」って何?

雨ニモマケズ(宮沢賢治)の意味?ワカンナイ(陽水)けど感想文を!

宮沢賢治 やまなしの伝えたいこと 🍐クラムボン/魚/酒の意味は?

         

賢治のこの幸福観に通じるところのある
幸福論として、ロシアの文豪ルストイの
『人生論』が挙げられるかもしれません。

それについてはこちらをご覧ください。

トルストイの名言12 幸福とは?人生論を読んで考えよう


その逆で、あまり通じそうに思えないのが
「世界三大幸福論」としてラッセルとよく
並べられるアランの『幸福論』。

これについてはこちらで。

アラン幸福論 12の名言😸義務的なほほえみで幸せになれる?

      



まとめ

さあ、どうでしょう?

すでにおわかりのことと思いますが、
あくまで論理で押すタイプの著者ですから、
「あ、これは面白い!」と膝を打つような、
気の利いた「名言」があるわけでは
ありません。

私が上に並べました「10の名言」も、
表現の面白さではなく、ラッセルの言いたい
内容に入り込むことを主眼に選択したもの
ですので、あるいはあきたらなく感じた
読者もいらっしゃるかもしれません。

     

でも、もし読書感想文やレポートを
書こうとするならば、内容をつかむ
ことの方が先決。

それは言うまでもないことでしょう。



👉ラッセルという人物にさらに探りを
入れてみるというのもよい方法。
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バートランド・ラッセルの本:ラインナップ


ん? 書けそうなことは浮かんできたけど、
でも具体的に、どう進めていいか
わからない( ̄ヘ ̄)?

そういう人は、「感想文の書き方
《虎の巻》」を開陳している記事の
どれかを見てくださいね。
👉当ブログでは、日本と世界の種々の
文学作品について「あらすじ」や
「感想文」関連のお助け記事を
量産しています。

参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

「感想文の書き方」一覧

ともかく頑張ってやりぬきましょ~😸/

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