羅生門(映画)のあらすじと解説//黒澤明は”藪の中”に何を投じた? | 笑いと文学的感性で起死回生を!@サイ象

羅生門(映画)のあらすじと解説//黒澤明は”藪の中”に何を投じた?

サクラさん
『羅生門』で感想文を
書くという課題なんです
が、映画の『羅生門』
で書いてもいいんで
しょうか。

ハンサム 教授
でも映画『羅生門』の
大部分は同じ芥川龍之介
でも『藪の中』という
別の小説に基づいてます
からねえ…;^^💦


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サクラさん
「真相は藪の中…」と
いう言い方の語源に
なったあの『藪の中』
ですね。

でも舞台は羅生門です
し、そこに「下人」
らしい変なオジサンも
出て来ますよね(😹)

ハンサム 教授
ははあ。そういえばそう
だし、そこで他人の物を
勝手に奪って行くという
行動も同じですね。

サクラさん
ただ横取りする相手が
原作の老婆に対して映画
では赤ちゃんという…



ハンサム 教授
エラい違いですね。

この違いに目をつけれる
というのも高度な感想文
を書く手かもないね。

でもそれ、黒澤明論には
なっても芥川『羅生門』
の感想文になるかどうか
…先生に確認しておいた
方がいいかも;^^💦



戦後日本人を勇気づけた名作

というわけで、おなじみ”あらすじ”暴露
サービスの第170弾(“感想文の書き方”
シリーズ第237回)は黒澤明監督の
名作『羅生門』(1950)((((((ノ゚⊿゚)ノ。

1951年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を
かっさらい、戦災からの復興もまだまだの
日本国民に大きな希望と自信を与えた
といわれる歴史的名作です。

日本の誰も受賞するとは思っておらず、
ヴェネチアの会場には関係者が一人も来て
いなかったので、たまたまその場にいた
ベトナム人が代役を務めたという逸話の
オマケつき;^^💦(👉Wikipedia)


タイトルが芥川龍之介の『羅生門』(1915)
から来ていること、でもその内容の大部分は
『藪の中』(1921)に基づいていることは、
もう言うまでもありませんね。

その『羅生門』と『藪の中』の両方が
読める文庫本としてはこれなどが
手に入りやすそうです。
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映画のDVDはこちら。👇

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その芸術性の片鱗はこちらのYouTube
動画(予告編)からもある程度に感知
いただけるものと思います。



黒澤『羅生門』の構造

はじめに、映画『羅生門』がどんな世界かを
ザッと見ておきましょう。

ストーリー構成は一種の法廷ドラマとも
いえて、ある事件について目撃者や当事者が
次々に証言していくのですが、その言い分は
いちいち食い違っています。

はたして真相は?…という興味で観客を
引っ張っていくという作り。


その構造は『藪の中』と同じですし、結局
言い分は食い違ったままに終始するという
点も同じなのですが、この法廷ドラマの
舞台を羅生門に設定し、かつ小説『羅生門』に
出る「下人」をそこに登場させる…
というのが映画『羅生門』の仕掛け
だったんですね。

  

もちろんこの「下人」は意味もなく顔見せ
するわけではなく、重要な役割を二つばかり
担っています。

一つは木樵り(映画では「杣売」〔薪を拾い
集めて売る人〕ということになっています)
に絡んで、検非違使庁では隠していた新しい
(『藪の中』にない)証言をさせること。

もう一つは羅生門に捨て子された赤ん坊から
衣類などを横取りして木樵りを怒らせること。
(これが”希望のある”エンディングにつながる)


つまり『藪の中』の世界を(A)とすると、
これに木樵りの新証言(B)を加えることで
世界を広げたわけですが、さらにそれを囲む
ようにして、下人による(B)への疑惑と
赤ん坊をめぐっての彼と木樵りとの対立
というドラマ(C)を展開してみせたところに
黒澤版『羅生門』のミソがあるわけです。

その入れ子状の構造は、こういう図式で
表すことも出来るでしょう。

C.赤ん坊をめぐる下人と木樵りの行為
B.木樵りの新証言

A.芥川『藪の中』
(多襄丸と侍夫婦の証言)
























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かなり詳しいあらすじ

さて、能書きはこれくらいにして、
そろそろ「あらすじ」本番に入りましょうか。

「 」内の引用文は『藪の中』がカバー
している部分は上記文庫本に、それ以外は
『全集 黒澤明 第三巻』(岩波書店)掲載の
脚本に依拠しています。
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映画と小説とで違う箇所や、芸術的に
特筆すべき部分など、ところどころ
👉印の注釈を入れていますが、
細かいことは気にしないという人は
飛ばしてくださいね;^^💦


木樵りたちの物語

打ち続く戦乱、流行病や天災で荒れ果てた
平安京の羅生門(正しくは羅城門)に木樵り
(きこり/志村喬)と旅法師(千秋実)が
雨宿りしており、木樵りは「わからねえ」
とつぶやき続けている。

その雨宿りに加入したみすぼらしい姿の
下人(上田吉次郎)が木樵りに、「なにが
わからねえンだ」と尋ねるので、
木樵りは語り始める。

 

3日前、薪を取りに山に分け入って、
侍・金沢武弘(森雅之)の死体を発見
したので検非違使庁に届け出た。

今日、呼び出されて目撃した事実を
証言してきたところだ。

胸を刺された遺体のそばには市女笠
(いちめがさ)、踏みにじられた烏帽子、
切られた縄,櫛が落ちていたが、太刀や
小刀(女の短刀)などは見当たらなかったと。


旅法師もその侍の目撃者として出廷し、
金沢は妻を馬に乗せて歩いていたと
証言しての帰りだった。
👉芥川の『藪の中』では,この2人のあとに
「放免」(下役人)「媼(おうな)」の証言が続いて
金沢夫妻についての情報を増やしていきますが、
これを2人に絞って羅生門に登場させたところが
映画の大きな変更点ということになりますね。


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多襄丸の白状

検非違使庁の白州の庭。

2人の証言のあと出廷した盗賊の
多襄丸は、金沢を殺したのは自分だと
認め、このように語り出す。


山で侍夫婦を見かけた際、市女笠の下の
真砂の顔が目に入るや、たちまち
欲情して一計を案じた。

すなわち俺の刀を見せて、こういう高価な
物品が多く隠されている場所へ案内すると
騙して金沢を連行して縛りあげる。

その上で女のところへ戻って
手ごめにしようという算段だ。

が、戻って女の青ざめた顔を見ると、
これを金沢に見せつけてやりたいという
欲求がむらむらと起こったので、女の手を
引いて駆け戻り、縛られた男の見守る中で
いただいた。
👉その”いただき”方がどんな風だったかが
当然、問題になりますよね。

映画では、真砂(京マチ子)の側に激しい抵抗は
なく、かなり長いキスの後半では彼女の手は
多襄丸(三船敏郎)の肩をしっかと掴みます。

 


このキスシーンが、その上で日光が
木々の間から射す情景のショットに
分断されて華麗なモンタージュ・
シーンを構成しています。

これこそはヴェネチア映画祭で世界を
驚かせ、その後「太陽のモンタージュ」と
呼ばれるようになった伝説のシーン。

「あの太陽を撮れ」という黒澤監督の
指示にカメラマンの宮川一夫が見事に
応えたものと言われ、「太陽を直接に
撮影する」という不可能事を可能にして
しまうことで撮影技術の高さを世界に
見せつけることにもなったのですね。

ぜひ一度じっくりとご鑑賞を。


コトが終わると、男二人のどちらかが
死ななければ自分は生きていけない、
殺し合いで勝った方の妻になると
言いだした。

そこで金沢を縛っていた縄を切り、
正々堂々と戦って相手を殺したが、
その間に真砂は逃げていた。

小刀の行方も知らない。

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女(真砂)の懺悔

次に呼び出された真砂はこのように言う。

👉『藪の中』では清水寺へ来ての「懺悔」という
ことになっていますが、映画ではこれも検非違使の
白洲に出廷させられての証言という形。

このように統一したことも作品の様式美を
高めた感があります。


私を手ごめにした後、多襄丸は
縛られた夫を嘲笑して去った。

夫の縄を解こうとはしたものの、たった
今まで多襄丸との交わりを目の前で
見守っていた夫の目は、冷たい蔑みと
憎しみに満ちている。

 
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「こうなった以上は、あなたと御一緒には
居られません」、私も死にますから
「あなたもお死になすってください」

こう言っても表情を変えず黙っている夫に
私が小刀を振り上げると、「殺せ」と
一言いったので、胸を刺した。


しばらく気を失っていて、目覚めると
すでに息絶えた夫の縄を解いてやり、
それから色々に自殺を試みたものの、
「死に切る力がなかったのです」

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巫女の口を借りたる死霊の物語

最後に巫女(霊媒師)が金沢の霊を呼び出し、
彼に憑依される形で、証言を始める。

私の目の前で妻を手ごめにした多襄丸は
妻にしきりと話しかけ、こうなった以上
「夫との仲も折り合うまい」、だからいっそ
「自分の妻になる気はないか」などと
言い出した。

「お前がいとしいと思えばこそ、大それた
真似も働いたのだ」という言葉に、妻は
「うっとりと顔をもたげた」が、
「俺はまだ、この時ほど美しい妻を
見たことはない」
👉このとき「うっとりと顔をもたげた」
京マチ子さんのクローズ・アップ映像は
まさに息を呑む美しさです。

真砂役には当初、原節子さんが考えられて
いたそうですが、眉毛を剃って売り込んだ
京さんの気合に黒澤監督が呑まれての
変更だったとか(👉Wikipedia)。

変更は大正解だったというほかないのでは
ないでしょうか。

(原ファンにはゴメンナサイ。
節子さんの真砂ならもっと”いい人”に
なってしまったのではないかと;^^💦)


そしてこれに続くショットも素晴らしい!

至近距離で見つめ合う真砂(左下)と多襄丸
(右上)の視線が絡み合うその隙間のずっと
奥に、縛られて首だけこちらに向けた
金沢の表情もくっきりと捉えられるのです。
(上掲の写真には出ていませんが)

普通のカメラでは不可能なこの撮影技術は
「パン・フォーカス」と呼ばれるもので、
その高度さもヴェネチアで世界を驚かした
ものですが、そういう芸術的なショットが
たびたび挿入されていきます。

この記事の初め、「黒澤『羅生門』の構造」
のところで掲げたショットも、二人の間の
奥にいる旅法師を見事に捉えたものですよね。


「どこへでも連れて行って」という妻の
手を引き、多襄丸はただちに走り出したが、
妻はそれを止め、俺を指さしていわく、
「あの人を殺してください。
私はあの人が生きていては、
あなたとは一緒に行かれません」

   
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「殺してください」を繰り返す妻に
多襄丸の表情が変わり、突然、妻を
地面に引き倒して踏みつけた。

この女を生かすも殺すも、夫のお前が
決めろと言い出したので、妻は必死に
走って逃げ、多襄丸はこれを追う。

しばらくして戻ってきた多襄丸は
「逃げられた」とだけ言って、
俺の縄を切って去った。


少し歩いた俺は草むらに落ちていた
小刀を拾い、胸を刺して自害した。

自分の死後、何者かが忍び足で現れ、
小刀を引き抜いたが、それが誰かは
わからない。

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木樵の再証言

それぞれ食い違う3人の言い分を話し終えた
木樵りが「三人とも嘘をついている」と
言いだす。

関わり合いになるのがイヤで検非違使では
言わなかったが、実はまだ生きて縛られて
いる金沢と、少し離れたところで泣き伏して
いる真砂に多襄丸が謝っているところを
見たというのだ。


多襄丸は、妻になってくれるならなんでも
する、ならぬなら殺すほかないと迫り、
「自分も洛中洛外に名を知られた
多襄丸だ」と口にした。

そのとたん泣きやんだ真砂は顔を上げ、
「無理です。女の私に何が言えましょう」
と立ち上がり、地面に刺さっていた
小刀を抜いて金沢に駆け寄り、縄を切った。


「わかった。それを定めるのは男の役目
だと言うのだな」と闘う気になった
多襄丸を、金沢は「待て」と止める。

「俺はこんな女のために命を賭けるのは
御免だ」と吐き捨て、妻に対しては
「なぜ自害せぬ!」と怒鳴りつけた。


真砂は狂ったように笑いだし、二人とも
「男じゃない」となじり始めた。

       

夫は私に死ねと言うならまずこの男を殺して
から言うべきだし、多襄丸も、先刻は初めて
その名を知って、自分の「このぐじぐじした
お芝居」から解放してくれるのでは…
と希望をもったが、それも見当違いだった。

多襄丸に唾さえ吐きかけ、真砂は叫んだ。
「女は何もかも忘れて気違いみたいになる
男のものなんだ!」


その気になった二人の男は剣を抜いて
闘うが、実は臆病で剣術の心得もない者
同士の見苦しい戦闘が長く続いた。

やっとのことで金沢を刺し殺した多襄丸は
真砂に迫ったが、女は素早く逃げ去り、
男はこれを追いきれない。

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下人による批判

3人とも「手前勝手」に事実を捻じ曲げて
語っていた、だから「わからねえ」と
木樵りは繰り返す。

が、下人はこれを笑い、木樵りの
話自体にも疑いの目を向ける。


そのとき、裏手で赤ん坊の泣き声が聞こえ、
駆けて行った下人は、捨て子と一緒に
置かれていた衣類などを持ち逃げ
しようとする。

これに憤った木樵りは「鬼!」と罵り、
「手前勝手な言い訳ばかり」なのは
例の3人ばかりでなく、お前もだと
下人に掴みかかる。

下人はこれに「手前勝手」はお前もだと
反論し、金沢の太刀と小刀を盗んだのは
お前だ…と図星を指し、木樵りは黙る。

    

大笑いしながら下人が去り、呆然と立つ
木樵りと赤ん坊を抱く旅法師。


やがて木樵りは赤ん坊を奪うようにして
抱き取り「わしには6人の子がある。
6人も7人も同じ苦労だ」と言う。

「わしにはわしの心がわからねえ」
とつぶやく木樵りに、旅法師は
かすかに微笑んで言う。
「いや。おぬしのおかげで、私は
人を信じていくことができそうだ」


黒澤の思想とは?

いかがでした? 

芥川の『羅生門』ともまた『藪の中』とも
また別の芸術作品としての黒澤『羅生門』の
醍醐味に(少しだけでも)ふれていただけた
のではないでしょうか。

しっかり味わいたいという人は、
上記のDVDなどで是非ご鑑賞ください。


ん❔ でも…「傑作」というには
疑問が残る?

黒澤はたしかに、多襄丸・真砂・金沢と
続いた「手前勝手」で互いに食い違う
物語にもう一つ、木樵りの「手前勝手」な
物語を付け加えることで『藪の中』の
世界をることで拡大してみせた。

でもそれは結局、「真相は藪の中」という
芥川の懐疑思想を補強しただけの話では?

まあそれに、赤ちゃんを育てる決意という
ヒューマニズム的な括りで明るい光を入れた
(この点では芥川の原作に背反した)という
点はあるけれども、それがそう大きな
評価に値することなのか❔

   

はいはい、そういう批評もごもっともで、
あの三島由紀夫なんかはズバリ、
そこを突いていますね。

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テクニシャンですよ。

すばらしいテクニシャンですよ。

思想はない。

思想はまあ中学生くらいですね。

   (引用元:三島由紀夫著・ドナルド・キーン氏宛の97通

「中学生くらい」というのは、おそらく
早熟だった三島自身の(旧制)中学時代と
引き比べてのことなんでしょうけど、
ともかく黒澤映画にそう深い思想性を
期待するのはお門違いというものでしょう。

ここは、付け加えられた「木樵りの物語」
の中に、黒澤自身の(深くはないかも
しれない)哲学を読んで、感動(または
反発)すれば、それでよいのではない
でしょうか。


この意味での黒澤哲学のコアな部分が
どこに表現されているのかといえば…
ハイ、私ならこれを挙げますね。

夫はもちろんのこと、この「ぐじぐじした
お芝居」めいた生活から解放してくれる
かと期待した多襄丸にも失望した真砂が
二人の男に投げかけるこのセリフ。

「女は何もかも忘れて気違い
みたいになる男のものなんだ!」

      

さあ男性諸君、こう言われて
あなたならどう反応します?

そこを考えていけば感想文の類も
いっちょ上がり…ではないでしょうか。

女性ならもちろん、真砂のこの思想の
妥当性について考察・批評してみれば
いいわけですよ。


まとめ

さあ、これでもうなんかなりますよね。

『羅生門』の感想文を黒澤映画で
書いてみる…という場合も。


ん? なんとか書けそうなテーマは
浮かんできたけど、でも映画についての
文章は書いたことないし、具体的にどう
やったらいいかわからない( ̄ヘ ̄)?

ふーむ。まず芥川の原作に寄って書く
という場合はズバリ、こちらの記事を
参考にしちゃってください。

羅生門で感想文(400字以上) どう書く?心理/哲学/歴史…どこに着眼?

     

芥川の他の作品と照らし合わせてみる、
というのも一法ですね。
👉当ブログには芥川の作品にかんして
これだけの記事を揃えていますので、
いずれかを参考にしてください。

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