芥川 羅生門の主張・テーマは?感想文の書き方を解説

 


やあやあサイ象です。

「感想文の書き方」シリーズもはや
第14回となりますが、
今回は芥川龍之介の『羅生門』(1915)で
やってみたいと思います。




Ψ 感想文《虎の巻》

まず、初めて訪問された読者のために
サイ象流感想文の書き方《虎の巻》
(「Yahoo!知恵袋」での「ikemen_
busaiku」さんの回答に触発されたもの)
をおさらいしておきましょう。

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もうわかった、毎度同じ説法には辟易だ、
という読者はスルーしてくださいね。

.学校で評価される感想文は作品を
読んでの素直な「感想」などではなく、
それを機に「自分の生活を反省する
作文である。

.これを書くには、まず、たとえば
登場人物が何らかの行動をとったとき、
「自分にはこんなことはできない」
のではないかとか、あるいは性格的に
「自分にはこんなところはないか」
と反省する。


   自分にはこんなところはないか…疑問009093

.その上で、「これからは自分も
こうしよう」という類のと前向きな結論

を決め、決めてから書き始める。

え? 実は本文を読んでいないので、
こういうことも考えようがない?

そういう人はとりあえず、こちらの記事で
「あらすじ」を仕入れてくださいね。
「芥川龍之介 羅生門のあらすじ:「簡単/詳しい」の2段階で解説」



Ψ 入選作「下人と僕との選択」

さて、上記《虎の巻》からみて、
たしかに評価に値する感想文の例が
「『羅生門』の主題について(作文課題)
09年度1年生」というサイトに公開されて
いますので、これを検討することから始めましょう。

下人と僕との選択   1M

下人は仕事がないので、飢え死にを
するか、盗人になるかという、究極
の選択をしないといけない状態に
なっています。
僕も寮で生活をするのかしない
のか、悩んだ時期がありました。
下人は結局、生きる(盗人になる)
方を選択しました。
それを良いこと、悪いこと、と
考えるのではなく、選択という
難しさというか、厳しさというか、
つらさ
というものを
改めて感じました。
僕もいろいろな事を選択した
ときに、後悔が生まれることも
あります。
しかし、選択があるからこそ、
後悔ができます。
その後悔の後に次はどうするのか
という選択が新しく生まれます。
人生は選択だらけです。    
下人のように、盗人になった方が
良いのか、飢え死にをするのが
良いかなんて、選択しなければ
わかりません。
下人は今、どこかで幸せに暮らして
いるかもしれないし、幸せでは
ないかもしれない。
幸せでなかったとしたら、下人は
また、新しい選択をしていると
思います。
下人はこの作品で選択をする勇気を
与えられたと思います。
僕もこれからの人生の中で選択する
場面がたくさんあると思います。
そのときは結果を予想して選択する
のではなく、選択をし、結果が出て
から、次はどうするのかという
選択をしていきたい
と思います。

(約500字。引用元:http://www.libe.nara-k.ac.jp/~takeda/japa/09-1-rashoumon.html)

たくさんの作品が並べられているなかで、
いちばん上に置かれているだけあって、
さすがに優秀作といえるものでしょうね。

おわかりですか?

こんな感じで「自分の生活を反省する
文章をサクサクとこしらえれば、ハイ
いっちょ上がり! なんですよ。

ホラ、入選です!   女王蜂
やりましたね(^^)у


でも、なんだかなあ……
と首をひねりました?

そうでしょう。
そう来なくっちゃいけません!


もしあなたが上記の入選作に
不満を感じるなら、その不満を
解消するような文章を自分で書いて
みればいいんですよ。

上記のは約500字ですから、
もし800字かそれ以上を書くことに
なっているのなら、それでちょうど
いいじゃないですか。

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Ψ 「主張」を受けとめ、正攻法で行きたい

さて、ではどうするか。

まず整理しましょう。
あなたが感じた不満は次の
どれに近いですか?

.もっと文学的というか、文学作品を
味わった感じのするものにしたい……

.もっと作品の中へ入り込んで、
作者芥川の「主張」を正面から
受けとめるものにしたい……

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.「結果を予想して選択するのでは
なく、選択をし、結果が出てから、次は
どうするのかという選択をしていきたい」
という結論に不賛成。
そんな生き方は危ない……

ほかにもあるかもしれませんが、とりあえず
私が強く感じるのはこの3点ですので、この
3つの不満を同時に解消するような文章を
「感想文」にまとめることを考えて
いきたいと思います。


まずから見ていくと、この結論を字義通りに
受け取る場合、たとえば老婆殺しを
「選択」し、シベリア流刑という
「結果」が出てから次を考えたあの人、
ラスコーリニコフなんかどうなるの?

ああいう生き方をしたいということ? 
みたいな話になってしまいます。

ラスコーリニコフはドストエフスキー
の長編小説『罪と罰』の主人公。
詳しくはこちらで。
ドストエフスキー 罪と罰のあらすじ:簡単版と【詳細版 前編】
ドストエフスキー 罪と罰のあらすじ【詳細版 後編】と感想文

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で、実際にはこの入選作の著者も、そんな
生き方はしていないし、これからもしないと
思われますが、それは「選択」に際して仮に
「結果を予想して」いないつもりであっても、
現実には(無意識にであれ)「予想して」
いるからですよね。

で、この「予想」がなぜ(多くの場合、
無意識的に)できてしまうかといえば、
良いこと、悪いこと」の区別、つまりは
「道徳/倫理」を幼いころからたたき込まれ、
体が覚えちゃってるからなんです。

  こんなことしないのは「結果を予想」するから… Photo-Manipulation-s

ここで作者の「主張」というのポイントに
つながりますが、「選択」に際しての
難しさ、厳しさ、つらさ」という問題は芥川が
据えた主題からは、やや脇にずらした
ものですね。
(著者もわかっていると思いますが)

主題はおそらく「選択」そのものの
良い、悪い」、つまりは「道徳/倫理」
問題の周辺にありそうなのですから、
ズバリ、そこをついて正面突破を
狙うのが正攻法というものでしょう。


芥川の文章をきちんと引用しながら、
それをやっていければ、「もっと文学的に」
というの不満もきれいに吹っ飛ぶこと、
間違いありません。




Ψ 下人は「選択」を変えてゆく

さてさて、それでは具体的にどうするか。
どこに目をつけるか。

たとえば下人はたしかに「選択」しますが、
どう「選択」するかについての判断は
物語の進展とともに二転三転しますね。

その都度、それこそ自分のすることに
ついての「良い、悪い」の判断が変更されていきます。

この変化に目をつけ、きちんと整理した
上で「感想」にもっていければ、学校での
評価も高く、自分にも納得のいく「優秀
感想文」になること、請け合いです。


では、整理しましょう。

下人の判断を示す文章を3段階に
分けて引用してみます。

.羅生門の上で老婆が死人の髪の毛を
抜いていると認識した時

あらゆる悪に対する反感が、
一分毎に強さを増して来たのである。
この時、誰かがこの下人に、
さっき門の下でこの男が考えて
いた、饑死をするか盗人になる
かと云う問題を、改めて持ち
出したら、おそらく下人は、
何の未練もなく、饑死を選んだ
事であろう。それほど……


ゾンビ zombies-skeletons-s

.老婆に刃を突きつけ、その生死が
自分の意志に支配されていると
認識した時

この意識は、今までけわしく
燃えていた憎悪の念を、何時
の間にか冷ましてしまった。


.老婆の所行は 9526fdd1b4e9904f60205437d2da8a54_s
餓死しないためやむを得ない
行為であり、また老婆が髪の毛を
抜いている女の生前の所行も
同様であると認識した時

下人の心には、或勇気が
生まれて来た。
それは……さっきこの門の上へ
上って、この老婆を捕えた
時の勇気とは、全然、反対な
方向に動こうとする勇気である。
〔中略〕
「では己が引剥(ひはぎ)を
しようと恨むまいな。
己もそうしなければ、
餓死をする体なのだ」



つまり、もしでなくの時点で
「選択」が決定されていたならば、下人の
最終的な行動はまったく違うものになって
いたはずなので、この3つの時点における
思考内容の相違は重要ですよね。

同じ人間なのに、なぜこうも考えが
違うのでしょうか。

その回答としては、3つの時点の
それぞれで、下人が認識している事柄に
明確な違いがあること。

Alice-in-Wonderland-Cheshire-Cat-s

そのため、下人は3つの時点の
それぞれでいわば異なる立脚地に
立って世界を眺めている。

だから、同じ下人が同じ老婆を見ても
眺める角度が違うために違う存在として
目に映るから……ともいえそうです。


とすれば、この「立脚地」とか「角度」
とか、またそれらを構成する「認識」に
よって、自分が「選択」しようとする
行為の「良い、悪い」の判断も
変わってくる。

このことをしっかりと見たいですね。


Ψ ニーチェ先生に聞こう

このあたりの実情、というか厄介な問題性を
あのニーチェ先生は、こんな言い方で
繰り返し浮上させています。

ニーチェ先生といっても、ご本尊、
フリードリヒの方ですよ。
マンガの方は下記を参照。⇩
マンガ・ドラマCD『ニーチェ先生』をもしニーチェが読んだら

現象に立ちどまって「あるのはただ
事実のみ」と主張する実証主義者に
反対して、私は言うであろう、
いな、まさしく事実なるものは
なく、あるのはただ>解釈のみと。

(『権力への意志』原佑訳、481節。強調は原文どおり)


つまりニーチェにいわせれば、  ニーチェ ダウンロード
われわれの「認識」自体がすでに「解釈
なのであるから、「事実」は存在しない
ということになります。

この意味での「解釈」のシステムとして
人の視野を規定している枠組みが彼のいう
遠近法」(パースペクティヴ)で、これに
囚われてしまった見方を「遠近法主義
(パースペクティヴィズム)と呼んで
批判し続けたわけです。

総じて「認識」という言葉が意味を
もつかぎり、世界は認識されうる
ものである。
しかし、世界は別様にも解釈され
うる
のであり、それはおのれの
背後にいかなる意味ももっては
おらず、かえって無数の意味を
もっている。―――「遠近法主義。」

     (同上。強調は原文どおり)


別の箇所ではこんな言い方もしています。

厳密に同一の環境も正反対に
解釈され利用される。
事実というものはないのである。

  (同書70節) スフィンクス086170


多種多様の眼がある。
スフィンクスもまた眼をもっている
――、
したがって多種多様の
「真理」があり、したがって
いかなる「真理」もない。

     (同書540節)

このニーチェを芥川が読んでいたことは
隠れもない事実(自分で書いているので)
ですが、まだ帝大生だった「羅生門」の
ころに読んでいたどうかは不明です。

ただ、まだ読んでいなかった場合も、
のちに読んで共鳴するのは大いにありうる、
そういう思考法の人だったということは、
以上の話からだいたいわかっていただけた
のではないでしょうか。



Ψ まとめ

さて、以上は『羅生門』という作品の
ほんの一解釈にすぎません。

ほかにもいろいろと突っ込みどころは
見つかるはずですので、まずは
しっかりと読み込んで、自分なりの
切り込み口をさがしてみましょう。


え? なんとか書けそうなテーマは
浮かんできたけど、でも具体的に、
どう進めていいかわからない( ̄ヘ ̄)?

芥川の他の作品と照らし合わせてみる、
というのも一法ですね。

当ブログには芥川の作品にかんして
これだけの記事を揃えていますので、
いずれかを参考にしてください。

芥川龍之介 蜜柑のあらすじ:「簡単/詳しい」の2段階で解説
トロッコ(芥川龍之介)のあらすじ:簡単/詳しくの2段階で
蜘蛛の糸(芥川龍之介)のあらすじ◎簡単/詳しくの2段階で
芥川龍之介 羅生門のあらすじ:「簡単/詳しい」の2段階で解説
芥川龍之介『河童』をニーチェ先生に聞く:”高等”感想文(4)
感想文で抜け出そう:太宰『人間失格』から芥川『河童』へ
           
              蜘蛛女 pet_spider_girl

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参考になるものもあると思いますので、
こちらのリストからお探しください。

「あらすじ」記事一覧

≪感想文の書き方≫具体例一覧

ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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