夏目漱石 夢十夜「第六夜」のあらすじと解説:運慶が生きている?

 


やあやあサイ象です。

「感想文の書き方」第132回の今回は、
夏目漱石の異色作『夢十夜』(1908)、
その中の「第六夜」。

「あらすじ」暴露サービスとしてはなんと
早くも第80弾となります。

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『夢十夜』は「こんな夢を見た」と
はじまる10個の夢語りを並べたもので、
初出は明治41年、『朝日新聞』に
10回にわたって連載されました。


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新聞連載の1回分なので、全文を読む
のもそう苦にならないはずですが、
やはり文章が古いですし、感想文などを
考える上でのポイントを押さえる意味で、
私なりのメリハリをつけた「あらすじ」を
「序・破・急」の3部構成で書いてみます。

「  」内と「”」印の囲みは原文
(仮名遣いは変更)の引用です。


👉 あらすじ


【序】
運慶鎌倉初期の仏師[仏像彫刻家]
護国寺の山門で仁王像を彫っていると
聞いて行ってみると、群衆がわいわい
下馬評している。

「鎌倉時代とも思われる」が、見て
いるものはみな「明治の人間」で、
車夫(人力車を引く人)が多い。

「今でも仁王を彫るのかね」
「私や(わっし)や又仁王はみんな
古いのばかりかと思ってた」
と言った男もいる。

運慶は「委細頓着なく鑿(のみ)と
槌(つち)を動かしている」。

「自分はどうして今時分迄運慶が
生きているのかなと思った」。


【破】
一人の若い男が自分の方を振り向いて
「天晴(あっぱ)れだ」とほめ出す。

「流石(さすが)は運慶だな。
眼中に我々なしだ。

天下の英雄はただ仁王と我と
あるのみと云う態度だ」

「大自在の妙境に   1578baf979ddeed9e9b9298b7a38484d_s 
達している」と若い男が評し、自分は
「能(よ)くああ無造作に鑿を使って
思うような眉(まみえ)や鼻が出来る
ものだな」とつぶやく。

と、若い男がまた云う。

「なに、あれは眉や鼻を鑿で
作るんじゃない。

あの通りの眉や鼻を鑿で木の中に
埋まっているのを、鑿と槌の力で
彫り出す迄だ。

丸で土の中から石を彫り出す
様なものだから決して
間違う筈はない」



【急】
自分は彫刻とはそんなものか、
それなら誰でも出来ると思い、
急に仁王が彫りたくなって帰宅。

手頃な薪があったので、片っ端から
彫ってみたが「仁王は見当たらなかった」。

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遂に明治の木には到底仁王は
埋まっていないものだと悟った。

それで運慶が今日まで生きて
いる理由も略(ほぼ)
解(わか)った。


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👉 映画化作品も面白いが…

さあ、どうでした?

うーん、難解といえば難解……
これで感想文を書けと言われても
困ってしまうかもしれませんね。


さて、どうしましょう。

こんな時、映画化作品を見てヒントを
もらうというのもアリですね。

幸い近年の作品で、10人の監督が結集して
作った異色のオムニバス映画『ユメ十夜』
(2006)がありますので、これを見て
考えるのもよいでしょう。
  


なかで「第六夜」は松尾スズキ監督、
阿部サダヲ主演で異色中の異色、
こんな感じで、なかなか楽しめます。



ハハハ、どうでした?

現代人が退屈しないキテレツな作品に
仕上げられていますが、ストーリーの
基本的な部分は変えられていませんね。

だから、漱石が込めようとしたメッセージも
(もしあるならば)、この映画からそのまま
受けとることができるわけです。


では、そのメッセージとは?

これをきちんと解釈した上で、自分なりの
感想を述べることができれば、立派な
読書感想文が仕上がるはずですね。
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ただ、その「解釈」ってやつが難物……

というわけで、実はこれを明快に説明
しきれている批評家・研究者はまず一人も
いないんです……
少なくとも私の読んだかぎりでは。

一流ヅラをしてもっともらしいことを
書いている論者も現実にはしどろもどろか
逃げの一手……ちっともわかってや
しないんですよ。



👉 何が「ほぼわかった」のか

何をわかってないかって?

それはつまり…いやしくもこの「第六夜」を
解釈すると称するならば、まずなされなければ
ならないのは、最終行で読者に投げかける
形になっている謎に明快な回答を
与えることでしょう。

すなわち「それで運慶が今日まで生きて
いる理由もほぼわかった」というその
「理由」とは何なのかを
明らかにすることです。

それをしていないのは要するに
「わかってない」からなんですよ。

え? ひとの悪口ばかり    kageotokoimages
言ってないで、おまえの「正しい」と
称する解釈をさっさと出してみろ?

ハイハイ、わかりました。
それでは参りましょう。

本邦初公開、
サイ象流「第六夜」解釈((((((ノ゚⊿゚)ノ



👉 運慶が生きている理由

まずこの結論でその「理由」が
「ほぼわかった」といわれている、
「運慶が今日まで生きている」という
ことの意味を押さえておきましょう。

この場合「今日」は明治時代ですから、
鎌倉期の仏師が「生きている」というのは
事実に反するわけですが、この疑問への
合理的な回答としては以下の2通りが
考えられると思います。

  1. 夢だから「なんでもあり」。
    要するに夢らしい頭脳の混乱の
    表現である。

  2. ここでの「運慶」は生身の人間
    ではなく、運慶が仁王像のうちに
    打ち込んで残した≪彼の脳の働き
    (技術力を含む)を指し示す。

1も可能ですが、漱石という人の思考に
ついて多少のことを知り、その思考に
忠実な解釈をしようと思う論者なら、
ここは2を採ると思います。


👉 ≪働き≫としての「運慶」

まず確認しますと、ラストで「自分」が
結論的に悟っているのは以下の2点ですね。

  1. 明治(今日)の木に
    仁王は埋まっていない。

  2. 運慶は今日も生きている。
    (その理由)
そしてそれらに到達したのは、   b49c0f95e7ec0133de8bdc47a7255c63_s
運慶の彫りつつある仁王像について、あれは
「木の中に埋まっている」のを「彫り出す」
だけだといわれ、それなら自分もと試みた
結果、出てこないのを発見したからですね。


さて、上記2の「今日も生きている」運慶は、
さきに述べた仮説にしたがえば、運慶という
生身の人間でなく≪運慶の脳の働き≫でしたね。

「主観」(subject)/「客観」(object)でいえば
この働きが「主観」(主体)で、彫られる木材が
「客観」(対象)だということになります。


だからつまり、今「自分」が目の当たりに
している運慶の仕事では、この「主観/客観」
(主体/対象)のコンビが完璧に成立している
のに対して、明治の木を「自分」が彫っても
仁王が出てこないのは、「自分」という
「主観」(主体)にはこの働きが備わって
いないから……そのことを「自分」は
ラストで理解したのです。

これがサイ象流の解釈です。



👉 主観と客観は葉の両面

ふーむ、それは一応わかった。

でもそれによって、漱石はいったい
何を言いたいのか?


はい、その「言いたい」ことがもし明確に
意識されていたとするなら、「第六夜」は
たんに夢の世界の奇妙さを映し出そうと
したにとどまらない、哲学的なメッセージを
伝える作品として解釈されます。

その哲学を、漱石がこのときまでに
書き付けた膨大な言葉のうちから探る
なら、こうなると思います。

物を離れて心なく心を離れて物なし

 (『漱石全集』第21巻(1997),46ページ)


これは、『漱石全集』の1巻をなす膨大の
『ノート』のうちに見られる1行で、漱石が
28歳のころに試みた鎌倉円覚寺での参禅で、
「父母未生以前本来の面目」という公案に
対して回答した「見解」(けんげ)として
記録されているものです。

この見解を円覚寺の老師    e36842a5f698ff620549bcf159170629_s
釈宗演は斥けましたが、禅的にはともかく
哲学的にはなんら間違いはないように
思われます。

「父母未生以前」(自分の両親が生まれる
前)には「心」(主観)はないんだから、
「本来の面目」(自分のもともとの顔)
という「物」(客観)もありようがない
(認知が成立しない)。

禅でも「物心一如」といわれるとおり、
「主観」と「客観」は葉の表裏のように
一体であって、どちらか一方だけを出せと
いわれても、そんなことは不可能だ。


これが参禅時から一貫する漱石の認識
であったはずで、「第六夜」はこの同じ
認識の別様の表現として読むことが
できるわけです。


👉 「運慶」という主観は生きている…

すなわち運慶が明治の今日も生きている、
という描写で象徴的に表現されているのは、
≪運慶の脳の働き≫という一つの「主観」
(主体)であり、それの備わらない人間に
よっては、木材という「客観」(対象)が
いかに完璧であっても、仁王が
彫り出されることはない。

「物心(主観/客観)一如」という世界の
真相が、そこでは成立していないから。


「第六夜」を明確なメッセージをもつ
作品として解釈するならば、最も
説得的なものはこれだと思います。

この意味では禅的な作品ともいえて、
参禅の情景を描いた「第二夜」との
間に連続性を見ることもできます。


漱石は参禅もし、また哲学的な思考も
ずいぶん重ねた人ですから、彼なりの
哲学をこのような形で小説に盛り込んだ
としても不思議はありません。

漱石の参禅、また禅の公案とは何か
という問題をめぐっては、こちらの
記事もご参照ください。

門(夏目漱石)の簡単なあらすじと”禅”をめぐる批評・感想
三島由紀夫 金閣寺の詳細なあらすじ:難解な柏木も読み解く
三島由紀夫 金閣寺で感想文:”悪友”柏木の「猫=虫歯=美」説?

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👉 どう書く、感想文

どうでしょう。

書けそうでしょうか、感想文。

え? こんな哲学的なのでは
やっぱり書けそうにない?


それでしたら、上記の「運慶が生きている
理由」のところで提示した、疑問への
2通りの回答のうち、採らなかった方、
すなわち

  1. 夢だから「なんでもあり」。
    要するに夢らしい頭脳の混乱の
    表現である。
の方を採択して、こちらで考えて
いきましょう。

その場合は、同じ『夢十夜』の「第一夜」、
「第三夜」をはじめ、様々な”夢小説”的な
作品と読みくらべてみるというのも
よい方法です。

その場合はこちらの記事などが
参考になると思いますので、ぜひ
参照してください。
夏目漱石 夢十夜の第一夜をこう解釈💛美しい短篇で感想文を!
夢十夜(漱石)を解説🌛 第二夜でついに現前しない「無」とは?
漱石 夢十夜のあらすじと解釈:第三夜で感想文ならどう書く?
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そういう場合は、「感想文の書き方
《虎の巻》」を開陳している記事の
どれかを覗いてみてほしいんですね。

当ブログでは、日本と世界の
種々の文学作品について、
「あらすじ」や「感想文」関連の
お助け記事を量産しているので、
こちらのリストから探してみてね。
「あらすじ」記事一覧

「感想文の書き方」一覧

ともかく頑張ってやりぬきましょー~~(^O^)/

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One Response to “夏目漱石 夢十夜「第六夜」のあらすじと解説:運慶が生きている?”

  1. 寿司 より:

    私はこの第六夜はこのような解釈も良いと思います。
    運慶が生きている、というのは運慶の作品や鎌倉の文化が明治になっても生きているということ。そして、明治の木には埋まっていない、というのは、この作品で主人公が明治の木を彫るのは、運慶を見て、つまり外発的です。それに対し運慶は仁王以外には目もくれていません。これは外に影響を受けていない、内発的です。そのため、主人公が明治の木を彫った描写は明治の文化を揶揄していて、外国に影響されて作られた文化は素晴らしいものは生まないといということ、それに対し運慶の外に影響されず作り出したものは生きているということだと思います。つまり夏目漱石は明治の文化の外発的なところを批判しているということだと思います。夏目漱石は明治の外発的なところを批判しているのでこの解釈も信憑性はあると思います。

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